salitoté(さりとて) 歩きながら考える、大人の道草ウェブマガジン

〜日常は、劇場だ!〜「勝手に★ぱちぱちパンチ」

2017-02-27
生まれ戻りの物語

2017年になった。

この道を歩くのは、本当に何年ぶりだろうか。
渋谷から神宮前まで。明治通り沿いの緩やかにはじまる坂道を、記憶を辿りながら歩く。

いかにも冬という天気。
晴天の乾いた空気と突風が、寒そうに信号待ちをする人々の髪を撫でまわすように吹き抜けている。

「確か左手に公園があって…。ブランコもあった筈。公園は入り口が狭くて、道路からは見えにくくて…」

そもそも記憶自体が曖昧なため、昔とどこがどう違うかは不明である。
だがそのとき、ふと、何かを思い出す前にいつも感じる、画面が一瞬にしてパチンッと切り替わるような予感がよぎった。

そこからは、一瞬だった。
渦を巻いた記憶の波が、現実の世界と重なりあった。

20年以上も前、今は亡き友人とこの道を酔っぱらいながら、ワインボトル片手に歩いたこと。
途中、この公園でブランコに乗り、ワインをラッパ飲みしたこと。
近くのカラオケ屋でトイレをかり、1軒目の店員から聞きだした深夜まで飲めるBARが見つからず、原宿で延々と彷徨い、迷子になりかけたこと。
そしてやっと見つけた店で、自分たちの将来について、やりたいこと、行きたい国、かなえたい夢、仕事、恋愛、いずれ持つであろう互いの伴侶や子供のこと、そしてこれから世界はどうなっていくのか、大好きな音楽、美術、宇宙や心理学、古代史の話など、まだ見ぬ未来について、恥ずかしい位熱く語りあい、カウンターにへばりつくように朝方まで飲み明かしたこと。
その計画の多くの部分で、友人と私は一緒に仕事をしながら、世界を舞台に活躍することを夢みていたこと。

エネルギーに溢れた私たちは、自分たちの成功を露ほども疑わず、夢の果実をみずみずしく実らせ、いつか必ずその果実をもぎ取るのだと信じていた。

あの向こう見ずなまっすぐな強さは、もちろん若さゆえのものであっただろうが、何よりもこの世界を信頼して生きるエネルギーでもあったと思う。

あれから、沢山の時間が過ぎ、そして沢山の出来事が起こった。

恵まれた才能に加え、東京で多くの人々との縁を育みチャンスをつかんだ友人は、着実に自分の望む世界を切り開いていった。
但し、成功への道を歩む人間には、良くも悪くも様々な種類の人々が寄ってくる。
光と影が入り乱れ、たどり着く先が見えない世界の中で、多少の混乱はありつつも、友人は自分にとって最善と思える仲間たちを見つけ、多くの人に応援されながら順調にキャリアを積んでいった。

しかし、運命は何の兆しもなく唐突にやってくる。

友人は、30代という若さで病を得、美しい作品を残して、先に人生を卒業してしまった。
その余りに唐突で大きな損失は、受け入れるには、長い時間が必要だった。
リアルな生と死の存在の残酷さを、一方的に神様に突き付けられた気がした。
このとき、答えのない理不尽さや恐怖、怒り、不安が、自分の中に少し居座ったようにも思う。そこには小さな自分が携わることのできない、巨大な運命の力に屈服したような敗北感もあった。

それでも人生は容赦なく回り続け、起こるべき出来事の積み重ねが、様々な物語を私の中に残していった。
多くの人がそうであるように、その中には、心躍る楽しみや喜びもあったが、打ちのめされるような痛みや苦しみ、哀しみを伴うものもあった。

何を現実として選択するかは、その本人次第ではあるが、少しずつ、人生へのとらえ方が変わっていった。
信じていた人の裏切り、愛するひとたちの見たくない姿、自分ではどうしようも出来ない理不尽な出来事、傷つけ合う人間同士の複雑なかかわりなど。
長い年月をかけて、受け止めてしまった小さな傷の一つ一つが、少しずつ魂を蝕んでいくように、心や体を温度の無い無機質なものへと変えていった。
それは、私にとっては、喜びや楽しみといった肯定的な感情を凌駕するのに十分な強さであった。言い換えるなら、単に自分の心が弱かったということだろう。
いつしか、人生への信頼は失せ、世界は不確定の油断ならない、親しみのない存在となった。
あらゆる興味は失せ、全ては順序と役割と規則に則った生存と競争の世界へと変わってしまった。

人の欲望とは何なのだろう?
権力やお金、名声、富を手にすることが幸せになれるのだろうか?
他人を蹴落とし、生き残ることがそんなに大切なことなのだろうか?
生き残るための条件をよくすることだけが人生なのだろうか?
もう、終わりにしてもいいとも思えた。

そしてそんな時、また運命は容赦なくやってきた。

自分も友人と同じ病になったのである。
もう一度、生と死の存在の意味を真正面から捉え、突き付けられたのだ。

生きたいのか。
生きたくないのか。
生きたいけれど、生きることができるのか。
生きたいけれど、生きることはできないのか。
生きたいけれど、生きないのか。
生きたくないけれど、生きるのか。

眠ったように動かなくなってしまった自分の心に問いかけるものの、「どうでもいい…」と胸の奥から小さな声が聞こえてくる。

自分は、本当に、生きたいのか。

今から思えば、病気になるまでの数年間は、まるで既に死んでいるのも同じだった。
あまりのストレスに、完全に心が麻痺していた。
遅かれ早かれ、病気になるのは時間の問題だったのだろう。

しかし今、皮肉にも状況がひっくり返ってしまった。
生きるということが当たり前の、選択できるものから、もしかすると自分では選択できないものになるかもしれない立場へと変化したのである。

そして、気づいたことは、自分という人間の弱さと同時に、傲慢さである。
まず、最初に自分が考えたのは、「自分は生きている価値があるのかどうか」ということだった。
社会的に、経済的に、客観的に自分を捉えれば、特に大した社会貢献をしているわけでもなく、莫大なお金を生み出しているわけでもなく、いなくなっても困らない小さな存在。
まずはそんな風にとらえている自分がいた。

しかし一方で、「なんだこれ?!」という気持ちが、胸の奥底から小さな泡のようにプクプクと沸いてきた。

社会的価値?まるで人間はロボットのように生産性のみで判断されるべきかのように捉えている自分にハッとした。
おいおい、それじゃ普段から自分が最も毛嫌いしている権力や名誉を最も重んじて働いている、あの種類の人たちと同じではないか?
ハンディのある人を社会的価値がないとして、亡き者にしようとした人と同じではないか?
一体、自分はいつからそのような資本主義の申し子のような価値観に取り込まれてしまったのだろうか?

人はなにも社会貢献し、お金を稼ぐためだけに生まれてきたわけじゃない。
自由に自分の人生を生きていい筈だ。
そのために起きる様々な良いことも悪いことも含め、すべて自分の人生の一部である。権利ともいえるかもしれない。
皆が皆、役立つために生きている筈ではない。
誰かの役に立つというのは、そもそもそれが結果である方が、本来は健全なのではないか。

そう思い始めると、どんどん疑問が出てきた。と同時に、小さな炎のような微かな熱が、胸の奥に灯されたように感じた。

幼いころ、夜空を見上げ星の物語に心を酔わせたこと。
初めて入った畑でサツマイモを抜き、ひんやりした土の感触が気持ちよかったこと。
南国の海中で見た、信じられないほど多様な種類の生物たちの美しさと優雅さ。
体の芯から震え上がるような寒さの中で飲んだ、東欧のスープの美味しかったこと。
大人になって初めて従妹の赤ちゃんを胸に抱き、その命の繊細さに夢中になったこと。

思い出した。
そこには、何かを成しえたから、生きる価値があるなどとは無縁の、純粋に生きる喜びがあった。
生きるということは、すべての経験を味わうことなんだ。
幸せだからとか、楽しいからということに、意味があるのではないのだ。
苦しいからとか、悲しいからということが、ダメなことではないのだ。

そんな強い想いが一気に溢れた。

ならば、生きているということに価値があるかどうかという疑問は意味がない。
味わう体験そのものが人生であり、私たちは味わうために、生きている。
経験を、感情を、この世界を。

そう考えると、もう一度、自分の生きるこの世界や運命を信頼しようという気持ちが、自然と沸いてきた。

「味わってやろうじゃないか。」

病と治療を、回復を、心と体の立て直しを、本当に自分がしたいことへと向かう道を。
そう思えた自分に、やっと人間らしさが戻った気がした。

時間が過ぎるというのは、人間の勝手な概念かもしれない。
目に見えぬ運命の波に乗り、体験という積み重ねが、私を前に運んでいる。
その行く先を、存分に味わってみようと思う。


何度も行った東京タワー。20数年前と変わらず、美しい。20年後はどうだろう。

追記:1年半もの間、コラムをお休みしていましたが、今回ようやく復帰?することとなりました。治療もひと段落し、元気に過ごしております。今後も多様な物事を取り上げつつ、執筆できればと思います。

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アラキ ランプ
アラキ ランプ

東京在住。映画と文学と旅行が好きな典型的文化系社会人。不思議なものと面白いものに目がなく、暇があってもなくてもゆるゆると街を歩いている。そのせいか3日に1度は他人に道を聞かれる。夢は、地球縦一周と横一周。苦手なものは生モノと蚊。スナフキンとプラトンを深く尊敬している。

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