2014-04-27
~死ぬまでに観なくてもいいけど…時間があれば観てほしい”L級”映画・その②~
”L級”とは…この世に〇級といった映画のランク分けがあるが、私アラキランプが私的に心にグサッと来た作品を勝手に”L級”と認定。名作・大ヒット作のようにすべての人に感動を!という訳にはいかないが、時間を持て余してどうしようもない人にのみお勧めする、どうしても無視できない何かを持った、忘れがたい作品の数々を指す。
(ちなみに”L”とは名前の頭文字(lamp)と光をあてるの二重の意味からです。)
是非、人生の余計な寄り道としてお楽しみ頂ければ幸いですが、お楽しみ頂けるか否かはあなた次第です…(^_^;)。
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“Reach out! Take a chance! Get hurt,even. But play as well as you can. L-I-V-E! Live!!”
(手を広げてチャンスをつかむの!時には傷つくことさえも。でも思いっきりやるの。生・き・る・の!生きるのよ!!)
10年以上前になるが、今は閉館されてしまったノーマン・ロックウェルの美術館を訪れたとき、1枚の絵の前で釘付けになった。
そこには、飛行機の座席に座り膝一杯に大きな地図を広げ、窓から地上を覗き込む、一人の老女が描かれていた。顔には少女のような好奇心と喜びが溢れ出ており、確かタイトルは『初めての世界旅行』といったようなものだったと思う。
「こんな、“おばあちゃん”になりたい!」
とにかく昔から、“おばあちゃん”に憧れていた。
知性と母性と寛容さ、経験に裏打ちされた賢名な言葉や態度。
年齢を重ねるごとに、逆に純粋無垢な精神へと戻っていく女神のような存在。
なぜか、そんなイメージを幼いころから持っていたのである。
一方で、自分も含めた、若くて無防備で経験もない人間のことを、どこか見下していた。
しかし、やがて平等に時間の流れの中に身を置き、年を重ね、若さや未熟であるが故のパワーや行動力が失われつつある中年にさしかかった今、やっとその魅力、素晴らしさについて、理解できるようになったのである。
人は、失って初めて気付くものなのだろう。
そして、年を取っても尚、自由で感情的で、まるで若者のような柔らかい感性を持ちながら好奇心と共に生き続けられる人は、そう多くはないことも分かった。
“Reach out! Take a chance! Get hurt,even. But play as well as you can. L-I-V-E! Live!!”
(手を広げてチャンスをつかむの!時には傷つくことさえも。でも思いっきりやるの。生・き・る・の!生きるのよ!!)
閉塞感にがんじがらめになった19歳のハロルドの痛み、苦しみ、哀しみに寄り添いながら、まるでダンスをしているかのような情熱的なしぐさで語りかけるモード。
その言葉は、繊細な心の時代を生きる、大人になる前のすべての若者へと向けられた言葉でもある。
お金と権力に守られた裕福な家庭。保守的な母親。愛国主義の軍人の叔父。腐敗感漂う宗教家。患者か医師か分からない精神科医。
方や、払い下げの列車に住み、芸術を愛し、ピッピーのように感性のままに自由に生きる型破りな60歳も年上のモード。
権力や規則を軽視し、自由、権利、正義を愛する反骨精神、行動力、人間力。
思春期のハロルドにとって、モードの行動全てが、魅力的にうつる。
自分自身を花に例えるなら何か?と聞かれたハロルドは、目の前に広がった小さな花の群集を指差し、理由は、みんな同じだからと応える。
しかし、モードは言う。
「一見同じでも、よく観察すると、全部違う。大きいのも、小さいのも、のびる方向も違う。」
「世の中の不幸は、この花のように考える人がもたらす。他人と同様に扱われても、何とも思わない人々が…」
彼女の、天真爛漫で今を生きる、強く、自由で柔軟な生き方は、一見彼女の性質がもたらすものにも見える。
しかし、物語の後半、一瞬だけ映る、あるシーンにその理由はある。
なぜ彼女は、権力や国家、愛国主義を否定し、警察やルールといった日常の権力に小さな戦いをいどむのか?
なぜ彼女は、今を生き、人生を謳歌し、常にポジティブでいられるのか?
そして、彼女が最後に取った行動は、ある意味自分への贈り物とも言える。
ここまで、生ききった、自分へのご褒美と。
生きるということは、思い出と共に生きるということだ。
良いことも、悪いことも、苦しいことも、おぞましいことも、自分の人生にとっては切り離せない。
映画の前半で、モードが一度だけ過去を振り返るシーンがある。
全編で、不思議なユーモアとウィットが溢れるこの映画で、唯一といっていいほどシリアスな場面。
辛く恐ろしい過去を振り返る(名女優、ルース・ゴードンの素晴らしい演技!)モードの表情に、どれほどの痛みが彼女の中に隠れているのかがわかる。
毎日を精一杯生き、そして、彼女は十分に自分の人生を生きたとしたのだろう。
あらすじを読んでいると、重くて暗い映画のように見えるかもしれないが、とんでもない。
声を大にして言うが、この映画は、非常に明るく!そして、軽い!
常に、クスクスと笑うところが満載である。
そして、それに最も力を貸しているのが、キャット・スティーブンスの音楽である。
物語の中でも、ハロルドとモードが、ピアノやバンジョーを弾きながら、歌い、時には踊り、何度も何度も繰り返し流れてくる。
♪ ~
もしも大声で歌いたきゃ、歌いなよ。
そんで自由になりたきゃ、自由になっちゃえよ。
どんな風にだってなれるんだから。
そうだって知ってるだろう?
ラストシーン。
ハロルドがこの曲を弾きながら立ち去る姿は、音楽と共にこの映画を最も象徴する最高の演出とも言えよう。
当時の閉塞感に溢れた時代を突破しようとする、70~80年代アメリカンニューシネマの中でも、異色の作品でありながら、いまだ熱狂的なファンを獲得し続けるこの名作を、是非皆様に堪能していただければ幸いである。
最後に、当時の映画予告編で流れた、名集客コピーを記して、最後とさせて頂く。
“Get together, regardless of your age, race,creed,color,or national origin…”
(集おう!!年齢、人種、信条、肌の色、国籍をいとわない人!)
♪~今宵、あなたの最良な暇つぶしになりますように…m(__)m
・若さと美貌とお金執着度! ★☆☆☆☆
・一般オススメ度! ★★★★☆
・霊柩車で暴走したくなる度!★★★☆☆
・自由と人生を愛する度! ★★★★★
『ハロルドとモード ~少年は虹を渡る~』(1971年アメリカ映画)
監督:アル・ハシュビー
脚本:コリン・ヒギンズ
出演:ルース・ゴードン、バッド・コート、ビビアン・ピックレス、他
(あらすじ)
資産家で保守的な母親と豪邸に暮らす19歳のハロルド。学校をドロップアウトし、生きる意味を見出せない毎日を送る。唯一の趣味は、母親の前であらゆるパターンの自殺行為を演じることと、他人の葬儀に参列すること。ある時、誕生日にもらった車ジャガーを霊柩車に改装し出かけた葬儀で、同じ趣味を持つモードと出会う。あと1週間で80歳になるというモードは、他人の車を盗み、街路地の植木を森に戻し、彫刻家のヌードも務める何者にも囚われない天衣無縫な今を生きる人間だった。モードと過ごし、初めて生きる意味を見出し始めたハロルドは、やがて彼女に恋をするようになる。しかし、モードには隠された暗い過去と、これからのある静かな計画があった…。
1件のコメント
「観たい、観た方がいい、否、絶対観るべきだ!」と言う気持ちになりました。
日々時間に追われ、責任感と義務感と疲労感が交互に押し寄せてきて、全部捨てて逃げ出したくなる衝動を抑えるのに必死な今の私に、「一回置こかっ!?」的役割をしてくれそうな映画。
是非見ます。って、いつ見れるだろう…、否!時間は作るもんや!
と、まだ映画も観ていないのに、モードの前向きさに影響されている単細胞な自分にウキウキします。
観たら感想書きに、又来ます♪
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