salitoté(さりとて) 歩きながら考える、大人の道草ウェブマガジン

〜日常は、劇場だ!〜「勝手に★ぱちぱちパンチ」

2014-03-25
~死ぬまでに観なくてもいいけど…時間があれば観てほしい”L級”映画・その①~

”L級”とは…この世に〇級といった映画のランク分けがあるが、私アラキランプが私的に心にグサッと来た作品を勝手に”L級”と認定。名作・大ヒット作のようにすべての人に感動を!という訳にはいかないが、時間を持て余してどうしようもない人にのみお勧めする、どうしても無視できない何かを持った、忘れがたい作品の数々を指す。
(ちなみに”L”とは名前の頭文字(lamp)と光をあてるの二重の意味からです。)

是非、人生の余計な寄り道としてお楽しみ頂ければ幸いですが、お楽しみ頂けるか否かはあなた次第です…(^_^;)。

******************** 

”Does great goodness draw evil upon itself?”

(大いなる善が、大いなる悪を呼ぶ…)

陰(マイナス)と陽(プラス)。男と女。夜と昼。北極と南極。汁麺と浸麺。目玉焼きと炒り卵。マドレーヌとカップケーキ。天然パーマと濃剛直毛。ブラック企業(ワタミ)とホワイト企業(はなまるうどん)、浅田真央とヨナ・キム、等々。

この世は相反するもののバランスの中で成り立っていると言われている。
片方があって、初めてもう片方の存在がなしえるのである(上の例は少し違うものもあるが…(汗))。
つまり、互いに互いの存在が依存した必要不可欠なものであり、片方が無くなれば、もう片方の存在もあり得なくなってしまう。

子供のころ、いつもトランプゲームで兄に負け、ふくれっ面で泣き出す私に、父が必ず言う言葉があった。

「負けるが、勝ち!」

勝ったのは兄だが、その勝者は負けた人間がいることによって初めて勝者となれる。負けてくれる人間がいなければ誰も勝つことは出来ない。つまり、勝者は敗者に依存して存在しているのだと父は言った。
だから、ある意味敗者のおかげで勝者でいられる兄は、私よりも立場は下なのだと言う。
その時は、何となく腑に落ちないものの、右腕を高く持ち上げられ、

「負けるが、勝ちー!」

と何度も叫ばれるとだんだん気分は良くなって、次第に涙も止まり、敗者として傷つけられたプライドが少しずつ慰められた。
父なりの兄妹喧嘩防止方策だったのであろうが、この「負けるが、勝ち!」と言う言葉は、その後の人生において物事を捕らえる上で、非常に影響された言葉にもなった。

物事が対極を成して存在しているのなら、一つの存在の影響は必ずもう片方の存在に影響する。
森羅万象、物事は絶えず流動し、エネルギーは交換され、関係性は変化し、衰退と繁栄、増加と減少を繰り返しながら、その時々の優位性が入れ替わり、ぐるぐると回っている。
それは、究極敵な意味での争いや紛争、逆に言えば永久的な平和や安定が終わりなく続くことは出来ないということを意味する。また、それは同時に終わりのない希望と絶望の繰り返しでもある。

”Does great goodness draw evil upon itself?”
(大いなる善が、大いなる悪を呼ぶのだとしたら?)

主人公の一人である神父が、悪霊パズズに打ち勝つための鍵を握る少年、コクモを想いながら、そう呟くシーンがある。

なぜ、悪は永久に滅びず、再びやってくるのか?
なぜ、善は永久に支配できず、悪の出現を許すのか?

大いなる善(映画では、少年コクモ、少女リーガン)の存在そのものが大いなる悪(悪霊パズズ)を引き寄せる。それは、表裏一体であり、どちらもなくてはならないものとして存在する世界の一部なのだとしたら。

大ヒットした、前作「エクソシスト」の、ある意味分かりやすい衝撃的な映像と設定、人間(少女と神父)を介した“絶対的悪である悪魔”と“絶対的善である神”との戦いとは少し違う。
この映画で示されるのは、もっと普遍的な世界の成り立ちにも通じる善と悪との存在である。そこには、極限的な“善”と“悪”は同じであり、ただ互いが存在し、その時々にエネルギーが満ち溢れ交じり合い、反発し合いながら世界を動かしているという哲学的思想である。

若干、心苦しいが、この際、ハッキリと言おう!

この映画は、ホラーではない。
もはや、オカルトでもない。

そして、言いにくいが、続編でもない!!

確かに、物語や登場人物は引きついでいるが、目指しているものが全く違う。
敢えて言うなら、スピンオフ、いやスピンアウト作品であり、奇才ジョン・ブアマンが創り上げたSF(サイエンス・ファンタジー)そのものである。

衝撃的でショッキングな映像もなければ、恐怖感を煽るサプライズ的アタックもない。
但し、一部で「とんでも?!映画」とも呼ばれるだけに、なぜにそんな???という意味での衝撃的シーンはあるかもしれない…。

(気弱すぎる神父、謎の脳波誘導装置、リッチすぎる独り暮らし、男子の脳天直撃の無駄にセクシーなリーガンのボディ、イナゴ目線の飛行、高層ビルでの鳩飼い(糞の処理が大変だろうに!)、母親は何処へ?、等々)

突っ込みどころを言えば数限りなくあるが、そんなことはこの際、構わないのである。
『スター・ウォーズ』の宇宙戦闘シーンを観て、「でも、空気ないから、爆発音出ないよね…」とか、
『オペラ座の怪人』を観て、「ファントムの部屋、蝋燭多すぎ!管理大変!!まさか全部、自分で火点けてる?!」というのと同じである。(ファントムは魔法で点けてるのだ…多分) 

少なくとも、プリミティブでありながら幻想的で魔術的な映像と、“善”と“悪”との根源的な物語は、“とんでもファンタジー”としても、“限りない真理の物語”としても、私の心に深く入り込むことになったのである。
いずれにしても、賛否両論が極端に分かれる映画なのであるが、少なくともこれだけは言える。
好き嫌いを超えて、観終った後、あなたの頭に残るのは、エキゾチックで美しい旋律のテーマソング(モリコーネ作曲)と、リーガンのイナゴダンスであろう。
右脳8割:左脳2割で観ると、より楽しめるかもしれない。

♪~今宵、あなたの最良な暇つぶしになりますように…m(__)m

・私的こだわり度!       ★★★★☆
・一般オススメ度!       ★★☆☆☆
・イナゴ密集度!        ★★★★★
・震え上がって眠れない度!   ★☆☆☆☆

『エクソシスト2』(1977年アメリカ映画)
監督:ジョン・ブアマン
出演:リンダ・ブレア、リチャード・バートン、マックス・フォン・シドー、他
(あらすじ)
前回の事件から4年後。ラモント神父は、少女リーガンの悪魔祓いで死去したメリン神父の調査を教会から依頼される。一方、美しく成長したリーガンはNYに住み、過去のトラウマを心配した母の意向で、主治医が開発した脳波誘導催眠装置を使い、かつての記憶を追体験する治療を始める。ラモンド神父はその記憶の中に自らも入り込むことに成功し、再び悪霊パズズがリーガンを狙っていることを知る。そして、かつて亡きメリン神父がアフリカで救った少年コクモが、悪霊退治の鍵を握ることに気づき、一人アフリカへと向かうのだが…。

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1件のコメント

考えさせられました。この世に存在するものには意味があるんですね。どちらかに偏ってしまい、バランスを崩した存在についつい走ってしまう私を振り返りながら、その映画を楽しんでみます。

by kiki - 2014/03/29 10:00 AM

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アラキ ランプ
アラキ ランプ

東京在住。映画と文学と旅行が好きな典型的文化系社会人。不思議なものと面白いものに目がなく、暇があってもなくてもゆるゆると街を歩いている。そのせいか3日に1度は他人に道を聞かれる。夢は、地球縦一周と横一周。苦手なものは生モノと蚊。スナフキンとプラトンを深く尊敬している。

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