2017-06-25
「おっちゃんエレジー」
ピンポーン!ピンポンピンポン!ピーーンポーーーーーン!!!!(チャイムの音)
「はい…。どなたですか?」
「わしや!わしや!Oおっちゃんや!開けてやぁ~!」
恐る恐る玄関ドアを開ける私。
「おー!ランちゃん(仮名)!元気か?母ちゃんや父ちゃんはいるか?」
「今、誰もいないです…」
「そうか、一人か!ちょうどいいわ。入れてやぁ~」
そういってこちらの返事を待つことなく、どたどたと入ってきたOおっちゃんの顔は、いつも通りの赤ら顔。
そして、予想通り、毎度の言葉を口に出す。
「ランちゃん、お酒あるか?」
昭和の典型的な台所を有する我が家には、キッチンのシンク下の開き扉を開けると、お醤油の大きな瓶ととともに、日本酒の一升瓶がいくつか入っている。
「うん、あると思う…」
「ほんじゃ、ちょっと頂戴。」
食器棚から、いつも父が夕食の時に使う日本酒を入れるガラスコップを取り出し、シンク下の扉を開いて小学生が持つには重すぎる一升瓶を抱え、テーブルまでもっていく。
「ありがと!ありがと!もらうわな!」
全く悪びれない態度でお酒を注ぐと、Oおっちゃんは一気にお酒を飲み干す。
美味しそうというよりも、飲まずにはいられないから飲むといったような、少し切羽詰まった感じがいつもある。
「ふう…。ランちゃん、何年生になった?」
飲む前から十分に酒臭い息を吐きながら、Oおっちゃんから敢えて一番遠い距離になるように、テーブルの端で立ちすくむ私に尋ねた。
「5年生です…」
「そうか、5年生か。早いなあ。どうや、学校の勉強は面白いか?」
「…はい。」
「ランちゃんは賢いからな。父ちゃんも賢いけどな。母ちゃんは元気か?」
「はい。」
「あんたとこの母ちゃんは良くできた人や。しっかりしたところは、アラキやのおて、母ちゃんに似たんやな。」
「はぁ…」
そんな会話を続けながらも、Oおっちゃんは日本酒を繰り返しグラスに注ぎ、飲み干しては注ぎ、また飲む。
ニット帽をかぶり、作業着のようなジャンパーを着ている。酒飲みを絵にかいたような、赤鼻。
道端に寝ていてもおかしくないような雰囲気もある。
「おっと、これ以上飲んだら、またあんたとこの母ちゃんに怒られるわ!この辺にしとこうか。」
そう言うと、ようやく一升瓶に蓋をする。
やっと帰ってくれる、そう思うとホッとするが、まだまだ酔っ払いの話は終わらない。
モジモジ立ちすくみ、聞かれたことに最小限の言葉で答え続ける私に、
「ランちゃん?! おっちゃんが怖いか?」
と、黄色く濁った白目で聞くから、もちろん怖いけど、怖いなんて答えたらもっと怖いので、
「いやぁ、別に…(苦笑)」
と笑ってごまかす。
Oおっちゃんは父の友人、というか元同僚だ。
私が知っていることは、以前は父と同じ会社に勤めていて、物凄く怖い奥さんがいて、娘が二人いて、そして見た目とは裏腹に、実はめちゃめちゃインテリで、日本でも有数の大学を出て、卒業後、有名新聞社に新聞記者として勤務していたということ。
怖い奥さんとは、そのころに見合い結婚したらしく、奥さんは地元でも有名なお嬢さんだったらしいこと。
しかし、賢すぎたのか、正義感が強すぎたのか、はたまたコミュニケーション能力がなかったのか、上司と喧嘩し、新聞記者を辞めて、仕事を転々としながら大酒のみの道を邁進している。
父とは、その数々の転職の中の一つで同僚となり、気が合って仲良くしているうちに、家族ぐるみの付き合いになったらしい。けれど、既にOおっちゃんはその仕事もやめ、今は何をしているかは知らない。
そういえば、何年か前、うちの家族とOおっちゃんの家族で、夏休みに二泊三日の旅行に行ったこともある。
Oおっちゃんの娘は、私より3歳上と5歳上で、旅行中はよく私の面倒を見てくれた。
けれど、その旅行で私が一番印象に残ったのは、Oおっちゃんの奥さんだ。
有名な呉服屋の娘として育ち、その時代に女子大学を出ていたというのだがら、大変なお嬢さんとして育ったのだろう。だからこそ、インテリなOおっちゃんと見合い結婚したのだ。
毎年、その奥さんから来る年賀状も、達筆すぎて内容が読めないと、母がいつも苦笑いしていたが、とにかく良家の子女、ここにあり!という雰囲気が体中からにじみ出ている。
しかも、長身でガタイも良く、どちらかというと、踊りの師範や旅館の大女将といったような迫力に満ち満ちていた。
実際に、旅行中の子供たちへのしつけも厳しかった。
食べ方やお行儀に関して、常に注意をしていたように思う。
その様子を見て、私と兄は戦々恐々とした。あんなにいろんなことで注意されたら、息が詰まってしまうと、子供心に二人のお姉さん、そして生意気にもOおっちゃんに、同情した。
そんな私の気持ちが当たっていたのか分からないが、その旅行から数年して、こんなはずじゃなかったと定職につかない夫に業を煮やしたのか、Oおっちゃんが単にいたたまれなくなったのか、夫婦喧嘩をしては家出をし、ひょっこり戻るといったことを繰り返すようになった。
奥さんからは、Oおっちゃんが来ていないか?と電話もたびたび入るようになり、その都度「もし来ても、絶対にお酒は飲まさないでくださいね!」と念を押される。
けれども、母が一人の時や私一人の時にOおっちゃんが突然来て、頼むから1杯だけ飲ませてくれと懇願されると、断ることはできなかった。ましてや、小学生だった私は、大人に歯向かうことはできなかった。
そんなことが続き、ある時うちの家でお酒を飲んだことがばれると、奥さんから怒りの電話が母に入り、そこからは、家族同士の付き合いは疎遠になってしまった。
それでも、Oおっちゃんは度々うちを訪れた。
少しは反省したかと思いきや、ケロッとした調子で、「お酒あるかー?」とやってくる。
そして、その合図は、ピンポンピンポン!と派手に鳴らされる玄関のチャイムの音で始まる。
「ランちゃん、ワシはな、こんな酔っ払いやけど、頭だけはさえてるんやで。」
呂律も怪しくなってきていたが、しっかりと黄色い目を私に向けながら続ける。
「あんたが、ワシの言葉にどう反応しているのか、どんな風に考え、相槌を打ち、対応しているのか、ワシは見ているんやで。だから、あんたが感受性の強い、頭の良い子供ということは分かる。だがら、頑張りや。ほな、また来るわな!けどその前に、もう1杯だけ!」
そういうと、ポンっと一升瓶の蓋を開け、グラス一杯に酒を注ぎ、一気に飲み干した。
一応、念のために言ってみる。
「あの…、多分もうすぐ母が帰ってくると思いますが、待ちま…」
と、途中まで言ったところで、
「アカンアカン!そら帰らなっ!!」
といって、アル中とは思えない素早さで靴を履き、出て行った。バタンとドアが閉まる。
テーブルには、一升瓶と、ほんの少しだけ、日本酒が底に残ったガラスコップ。
部屋中に、Oおっちゃんの匂い、いや、お酒の匂い。
怖かったー。
でも、面白かったー。
酒臭いのは嫌だけど、人としては大変チャーミングで、優しくて、そして憎めない。
しばらくして、母が帰ってきた。
Oおっちゃんのことを報告した。
いつも通り酒をくれと言い、飲ませたこと。もうすぐ母が帰ると言ったけど、逃げるように去ってったこと。
「もおー!しょうがないなぁ、また、奥さんに怒られるわ!ほんとにあのおっちゃん、いい加減にせなねぇ。大丈夫なのかねぇ。」
そう口では言いつつも、母の口調に怒りは1mmもなく、むしろ面白がっているようだった。
「けど…、あんな風に見えても元は賢い人なんよ。父ちゃんの今の就職先も、Oおっちゃんが世話してくれたんよ。口は悪いけど、いい人なんよ。」
「前に来た時も、酒くれー!て言われて、無いよって言ったら、『いや、そのキッチンの下の扉にある。ワシは知っとる!』っていうから、もう笑ってしもて。なんで知ってるんよって。仕方ないから1杯飲ませたけど、今から市役所に出かけるから帰ってって言ったら、ワシも一緒に行く!ってついてきたんよ。寂しいのかな。そしたらちょうど昼休みで、職員の人はいるけど奥でごはん食べていて、ちょっと待たされたんよ。そしたら。Oおっちゃんが大声で、『コラー!税金泥棒!市民が来てるのに知らんふりして飯食うてるとは何事かあーー!』って叫び始めて。大慌てで止めたけど、とにかく、正義感の強い、すごいおっちゃんやわ!さすが元新聞記者やわね!」
母がOおっちゃんについて話す言葉には、いつもどこかで尊敬と親しみの色合いを帯びている。
母から見ても、Oおっちゃんはアル中ではあるが、悪い人ではない。むしろ、良い人だ。
その夜、父が帰宅し、今日のOおっちゃんの一件を伝えた。
「元気そうだったか?」と、苦笑いしながら聞く父に、かなり飲んでたよというと、「そうか、また、一度家に電話してみないとな」と、少し心配そうな声色で言った。
「ねえ、なんでOおっちゃんは、あんなになったの?賢くて、エリートだったのに、なんで?」
昼間、Oおっちゃんが飲んだのと同じグラスで晩酌を始めた父に聞いてみた。
しばらく考えながら、父はぼそりと言った。
「まっすぐで馬鹿正直で、不器用で。元々は賢いしお坊ちゃんだけど、本当は気が小さくて、優しすぎるんだろうな。」
「だからお酒飲むの?」
「…そうだな。多分」
「ふーん…」
よく分からなかった。
でも、そう言われて、はっと思い出したことがあった。
一度、Oおっちゃんの家に家族でお邪魔したことがあった。
大きなおうちで、1階にグランドピアノがあり、2階は当時としては珍しく、部屋を壁で区切らないワンフロアにしてあった。将来、ここで塾でも開こうかと思っていると、奥さんはいった。もちろん、講師はOおっちゃんと奥さんだ。
こんな大きな家に住めるなんでうらやましいと思ったが、恐らく資産家の奥さんの実家がこの家も準備したのだろう。そのことも含めて、Oおっちゃんには重荷になったのかもしれないと、今になっては思う。
宴会が始まり、大人たちが酒を飲む中、子供は隣の部屋でちらし寿司を食べ、デザートのフルーツが出てきたときだった。
突然、物凄く綺麗なピアノの音が聞こえてきた。
驚いてリビングに行くと、なんとOおっちゃんがグランドピアノを弾いていた。
あの、いつも酔っぱらっているような、口の悪いおっちゃんが、ピアノを弾いている。
あまりの違和感に、口が半開きになった。
曲名は覚えていないが、その音はどこまでも優しく美しく、繊細で、聞いているうちになぜか分からないけれど、胸がギューっとつまったような、苦しい気持ちになった。
泣きたいような、哀しいような、さみしいような。
ピアノを弾くOおっちゃんの丸まった背中に走って行って、今すぐに抱き着きたい。
そんな強い強い気持ちが、私の中で溢れ出た。
自分の父以外に、そんな風に思ったことはなかった。
そうか、そうなんだ。
あの時にOおっちゃんに感じた気持ちは、間違いじゃなかったんだ。
あのピアノの音こそ、Oおっちゃんの本当が詰まっていたんだ。
Oおっちゃんがお酒に溺れてしまった理由が、少し分かったような気がした。
その後も数年間、Oおっちゃんの我が家への奇襲訪問は続いた。
或る時は、嘘のようだが、サーフボードを小脇に抱え現れ、「今からサーフィンに行くねん。その前に一杯飲ませて!」とやってきたそうだ。
泳ぐ前に飲むなんて、死ぬよ!と母が注意しても、「大丈夫!大丈夫!」ときかず、やっぱり飲んで帰って行ったそうだ。
しかし、いつしか徐々に連絡が取れなくなり、両親の交友関係も変わり、奇襲訪問はなくなった。
Oおっちゃんの消息は分からなくなったが、父が最後に噂で聞いたのは、どうやらタクシーの運転手をしているらしいということだった。
「あんなに飲む人が運転手?!できるのかねえ?」と、母はあきれていたが、やっぱりどこか面白がっていた。
あれから数十年。
いまだに、道端で酔いつぶれた路上生活の人を見ると、つい、「Oおっちゃんじゃないだろうか?!」と確認してしまう自分がいる。
もう、自分自身もいい大人になって、Oおっちゃんだっておじいちゃんになって、見分けなんてつかないことは分かっているのに、ついつい確かめてしまう。
そして、当たり前だが違うことが分かると、
「でも、この人もなんらかの事情でこうはなっているが、実はピアノの名手かもしれない。難しい因数分解をサラサラと解けてしまうのかもしれない…」
と思ってしまうのだ。
私の父はすでに亡くなったが、Oおっちゃんは果たして生きているのだろうか?
もしかして、まだサーフィンとかしてたりして。いや、あの酒量だし、ないかな。いや、わからんぞ!
立派な人間なんて、面白くないな。
Oおっちゃんを思い出すと、いつもそう思う。
ちなみに、私は日本酒が飲めません。
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