salitoté(さりとて) 歩きながら考える、大人の道草ウェブマガジン

〜日常は、劇場だ!〜「勝手に★ぱちぱちパンチ」

2014-03-6
『人形の家』

いつからあるのか定かではなかったが、もの心がついた時には、すでに”その子”は我が家にいた。

真っ黒なおかっぱの髪。
薄い眉とは対照的なキリリとした黒い瞳。
あでやかな振り袖を来て、人間にすれば、およそ7、8歳だろうか?

いわゆる「市松人形」と呼ばれる、女児の日本人形だった。

ガラスケースに入れられ、大事に飾られ続けたその人形は、聞けば私が誕生した際に祖母から母へ贈られた(正確には私自身へ贈られた)贈り物なのだと言う。
日本箪笥の上に飾られたその「市松(いちま)さん」は、恐らく最初はふつうの可愛いお人形として、我が家で過ごしていたと思われる。
私自身も、きっと乳児から幼児にかけて何の意識もなく、ただ装飾品としての意識しかなかったはずだ。

しかし小学校に入る頃、その存在を決定的に変えてしまう、ある出来事が起こってしまう。
それは、70年代に突如として巻き起こった、「横溝正史ミステリー」シリーズの映画化ブームである。

「犬神家の一族」
「八つ墓村」
「悪魔の手毬歌」
「獄門島」etc.

角川・松竹・東宝といった日本の名だたる映画会社がこぞって、名探偵・金田一耕介が活躍するこの謎解き物語を映像化し、いずれも大ヒットとなった。
もちろん、怖いのはその物語に出てくる殺人や嫉妬、欲望、愛憎劇なのであるが、それよりも、私にとって最も恐ろしく感じたのは、映画で映し出される古い日本家屋の造りや壁、家具、食器、そして装飾品にいたるすべての物、及び、その“ザ・古い日本!”の雰囲気である。
雰囲気という言い方は少し違うかもしれない。
もっと、なんというか、湿った、重く、暗い、息苦しい、日本の“土着的”文化の濃厚さにやられたのだと思う。

(その弊害というか、物語の舞台でよく登場した岡山県は、私の中で“怖くて行けない地方No.1”の地位を未だ獲得している。岡山県民の皆様、ゴメンナサイ!)

そんな影響からか、ある時からその市松人形が持つ独特の日本的表情や存在感が気になり始めた。そして、一度気になると、それはもう止めることの出来ない土石流のように、あっというまに私の心を支配した。

「あの市松さん、怖い…」

シンと静まりかえった夜に、ふと目を覚まし人形の方を見る瞬間…。
学校から帰宅し、誰もいない部屋で、ふと顔を上げた瞬間…。
夏の夜、たまたま一人でテレビの心霊特集を見た後、ふと箪笥の上に目が行く瞬間…。

市松さんは、じっと私を見ている。
じっと…。じっと…。
まるで、私を監視するかように、語りかけるかのように、その市松さんはいつも私をじっと見つめているように思えた。

偶然か必然か、その頃から我が家にくる友達や従姉妹たちも、なぜかその市松人形を怖がるようになってしまった。子供は皆、その人形のいる部屋に入ろうとしないのである。
当時、テレビでよく「髪が伸びる日本人形」という市松人形のことが頻繁に話題になっていたのも影響しているかもしれない。

そして、そんな状況を面白がった調子乗り一族の我が親と兄が、ここぞとばかりに言い始めたのである。

「あの人形、毛が伸びてないか?」
「絶対伸びてるって!この間は肩スレスレだったのに、今は少し肩を越えてる!」

怖がらせる為に言っているとは分かっているのだが、何度も言われると、何となく本当に伸びているような気にもなってくる。親子ともども、調子乗りである。

しかし、私があの人形を怖がっていたのは、実はもうひとつ深い理由があった。
それは、あの人形が、頻繁に夢の中に出てくるようになったのである。

自宅で数人の友達と遊んでいると、ふと何かを感じ、あの人形の方を見る。
人形はじっともの問いたげにこちらを見ながら、次の瞬間、ゆっくりと片目を閉じ、ウインクするのである。友達は誰も気付かない。
恐怖のあまり固まっていると、またゆっくりとウインクし、そしてうっすらと笑う。

今度は、家の中でかくれんぼをしていると、何かの視線を感じる。誰もいないはずの部屋で、ふと隠れた戸棚から外を見ると、いつの間にかあの人形が飾られている。
そして、じっとこっちを見ながら、小さな高い声で、話し出すのである。
ひとこと、ふたこと、うっすらと笑いながら。

話す内容はもう忘れてしまったが、その声や表情の薄気味悪さや、何ともいえない得体の知れなさは、今でも私の中で根源的な恐怖として深く残っている。
なぜなら、この人形は、なんとこの頃から30歳前後のとうに成人を越える20年以上に渡って、私の夢に出続けたからである。
さすがに大人になってからは回数が減ったが、何かのタイミングで不意に思い出したように出てくるのである。

確か20歳前後のころ、霊感の強い従兄弟が何年かぶりに遊びに来たときだった。
従兄弟はその市松さんを見るなり、

「うーーーーんーーーー。(汗)」

と静かに唸った。そして、

「これはかなり、何かが、入ってる感じがするなぁ」

と言ったのである。
恐怖に慄いた私は、何が入っているのか?ヤバイものか?害はあるのか?
と矢継ぎ早に従兄弟を攻め立てた。
すると、意外な答えが返ってきた。

「なんか、悪い感じはしないなぁ。むしろ、なんか見守るというか、心配する感じ?!ばあちゃんの贈りものだったなら、たぶん先祖とか、ばあちゃんかの気持ちが入ってるのかもしれないよ。ハッキリは分からんけど…」

ばあちゃん子だった私には、感慨深いものはあったが、そうは言っても、怖いものは怖いのである。
では,今後はどうすればいいのか?を真剣に問う私に、

「うーん、一番良いのは、気にしないことかなっ!」

と、従兄弟はビールを飲みながら軽く答えた。他人事感、満載である。
気にしないのが一番なら、最初から言うなー!と喉元まででかかったが、取り合えず我慢した。

その後、やはり人形に何か供養や処分等をした方がいいのか随分と悩んだ。
貧しい中、必死で育ててくれた祖母から母への数少ない贈りもののひとつであり、ましてや自分への贈りものでもある市松さん。
それを思うと、結局何の処分もせず、そのまま自宅に置き続けることしたのである。

そして、月日は流れ、状況も変わった。

実家で一人暮らしをするようになった母が、もう少し老齢でも生活しやすい住居環境にするため、要らない荷物を全部捨てることになったのである。
その際、母と私で話し合った結果、とうとうあの人形も、一緒に処分することに決まった。
兄に車を出してもらい、週末に、母、私、兄一家(姪と甥)で、他県にある人形を納めることが出来る神社へ行く予定を組んだ。

しかし!!
ここで、あの市松さんは、最後の根性を見せるのである。

出発の朝、兄から1本の電話が入った。

「今日はやめておこう…」

突然の発言に、母も私も困惑した。怒ったといっても言い。理由を問いただす私に、

「実は、昨日…。あの市松さんが夢に出てきた。」
「俺のことをじーーーーっと睨むんだ。怖かった…。」
「なんか絶対不吉なことが起こるかもしれない!子供もいるし、車の事故にでもあったら大変なことになる!今日は絶対に行かない方がいい!!」

笑って流す私に、兄は必死の声色でまくし立てた。

ビビらせ上手の市松さんは、母や私ではなく、兄の夢へ押し入ったのである。
誰を怖がらせれば一番自分の思うようになるのか、よーく分かっていたのだ。面白半分に人を怖がらせてた張本人が、実は一番のビビリ屋だったことを…。

結局、その日は計画を中止した。

しかし、母の意志は変わらず、それから数週間後に、市松さんは無事神社に奉納されたのである。
その際、改めて間近に見る「市松さん」の姿に、我々一族は驚愕した。

髪の毛が、真っ赤に変化していたのである。

あれほど美しかった真っ黒な市松さんの髪の毛が、根元から完全に赤毛へと変化していた。(ちなみに長さは同じ…)
日に焼けたのなら中側の髪の色と違ったりするはずだが、まるでもともとから赤毛のように、完全に根元から真っ赤なのである。

沢山並ぶ他の市松人形の中に置かれた、“赤毛のアン”ならぬ“赤毛のイチマ”。
人々の視線を一気に集めながら、一種異様な雰囲気を醸し出していた。

最後まで、やってくれるのである。

3月3日は、その神社の雛流しの日。
良いも悪いも沢山の我が家の歴史を見守り続けてくれた市松さん。
本当にありがとう。

(その日以来、市松さんが私の夢に出てくることはなくなった。寂しい?いえいえ、ホッとしてます…^_^;)

昭和を生きる女子の家には必ずあったフランス人形。なぜかこちらは恐怖感とは無縁。

ご意見・ご感想など、下記よりお気軽にお寄せ下さい。

1件のコメント

昔の贈り物は、物に魂が込められていたというか・・・。その人形にはどんな思いが込められていたんでしょうね。人形って処分するとき、困りますね。

by kiki - 2014/03/06 10:05 PM

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アラキ ランプ
アラキ ランプ

東京在住。映画と文学と旅行が好きな典型的文化系社会人。不思議なものと面白いものに目がなく、暇があってもなくてもゆるゆると街を歩いている。そのせいか3日に1度は他人に道を聞かれる。夢は、地球縦一周と横一周。苦手なものは生モノと蚊。スナフキンとプラトンを深く尊敬している。

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