2014-08-27
~死ぬまでに観なくてもいいけど…時間があれば観てほしい”L級”映画・その⑥~
”L級”とは…この世に〇級といった映画のランク分けがあるが、私アラキランプが私的に心にグサッと来た作品を勝手に”L級”と認定。名作・大ヒット作のようにすべての人に感動を!という訳にはいかないが、時間を持て余してどうしようもない人にのみお勧めする、どうしても無視できない何かを持った、忘れがたい作品の数々を指す。
(ちなみに”L”とは名前の頭文字(lamp)と光をあてるの二重の意味からです。)
是非、人生の余計な寄り道としてお楽しみ頂ければ幸いですが、お楽しみ頂けるか否かはあなた次第です…(^_^;)。
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「ワシは生まれてこのかた、美しいというものを……、真から美しいというものを、まだ見たことがない…」
トラウマ…。
TIGER&HORSEではない。心的外傷のことである。
余りにも衝撃的な出来事に遭遇したとき、人は長い間その忌まわしい記憶から逃れられず、何年も何年もその出来事に囚われてしまう。
ちょうど私が6、7歳、小学校の低学年の頃、それは起こった。
まだ、夜というには少しばかり早い夏の夕暮れ、父と地元のお盆祭りに出かけた。
風呂上がりの体全体に天花粉の白い粉をまといながら、子供用の浴衣に身を包み、私は上機嫌で歩いていた。
温かい父の大きな手を握りながら、金魚すくいや当て物屋台を周り、最終目的であるりんごアメを買ってもらうと、幸福感は絶頂に達した。そして、浴衣を汚さないように、早速そのりんごアメを食べた。
夏祭り、浴衣、屋台、りんごアメ、外れたくじ引き、優しい父、ときどきすれ違う同級生、etc.
ここまでなら、本当に楽しい子供の頃の思い出として、哀愁にみちた記憶の引き出し上から2段目辺りに収納できたであろう。しかし、そうはならなかったのである。
一通り屋台を巡った私たちは、地蔵さまにお参りも済ませ、まだ時間が早いこともあり、祭り場近くにある叔母の家を訪ねることにしたのだ。
母の姉にあたる叔母には娘が二人いた。私よりも4つか5つ年上の従姉妹たちは、既に友達たちと祭りに出かけていた。もう、友達同士で出かけられる年頃なのだ。この頃の4つ5つ違いは、まるで大人と子供くらいの差に思えるほど体も心も発達度合いが違う。
「いらっしゃ~い!よくきたね~。」
浴衣を着た私を眩しそうな目で見ながら、叔母夫婦が迎えてくれた。
私はサイダー、父はビールをご馳走になり、父と叔母夫婦は世間話に花を咲かせた。
従姉妹もおらず、大人の話に入ることもできず、特にすることもなかったので、私は居間の隅に置かれているテレビの前に移動し、ちょうどはじまったばかりの古い日本の白黒映画を見ることにした。
父の影響で、既に映画が大好きになっていた私は、何の気なしにその映画を一人、見続けた。
しかし、話が進む内に、いや、もしかすると始まって5分も経たない内に、なにかとてつもない強い想いがジワジワと胸に迫ってきた。
その時の気持ちを文字にすると、こうなる。
「マズイぞ…マズイぞ…。この映画、マズイぞ…(大汗)」
なんだかとんでもない映画を見ている…。しかも、怖すぎて途中でやめることも出来ない…。
得体のしれない、言葉にできない、感じたことのない種類の、怖さ、恐ろしさ、不気味さ…。
そして、それは鬼の面が登場しはじめる辺りから、最高潮に達し始める。
「鬼が、鬼が話している!」
いや、お面というのは分かっている。けれど、その薄明かりの中で照らし出された鬼の面相は、まるで生きているかのような表情を見せ、鬼という生き物が本当に存在しているように見えるのである。
そして、もう一度、鬼の面が登場する。
そこからの展開は、もう言葉にならない恐怖で全身が覆い尽くされ、ただただ画面を見つめ続けるしかない状態であった。
恐らく傍から見れば、夢中で白黒映画を見ている浴衣の小学生女子であろうが、実際は、恐怖で固まり、テレビ前から動くことができなかった小学生女子に過ぎない。
その夜から、約10年間、私は事あるごとに悪夢に襲われた。
あの鬼が、追いかけてくるのである。ものすごい形相で、追いかけてくるのである。
恐怖に震え、飛び起き、父や母の布団に潜り込んで朝まで過ごしたことも、1度や2度ではない。
ある意味、心の中に、あの鬼が住み着いたのだ。
あまりにもトラウマになったため、ある時期にはこの映画を見たことさえも「夢だったのかもしれない…」と思い込むほど、自分にとっては恐ろしく、深い体験だった。
しかし、大人になり、やはり本当にこの作品が存在することを知ったとき、「やっぱり、あの映画は本当にあったんだ!」と、驚いたくらいである。
一体何がそんなに怖かったのか。子供だった私は、一体どんな恐怖を感じ取っていたのか。
それは、大人になってもう一度この作品を見たときに分かった。
そこには、小学生女子にはあまりにも過酷過ぎる、人間というものの業、そして性というものが剥き出しに描かれた物語であった。
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「ワシは生まれてこのかた、美しいというものを……、真から美しいというものを、まだ見たことがない…」
美しい顔を汚したくないという理由で鬼の面をつけているという侍に向かって、主人公の中年女が、その顔を一目見せて欲しいと懇願する場面のセリフである。
戦で息子を亡くし、飢えと貧しさに襲われながら、生きるために人を殺め、追い剥ぎをして暮らしている主人公の女。もう若くはなく、白髪まじりの婆である。
人間の欲が剥き出しにされた過酷な世界で生きるその女が、「本当に美しいものというのがこの世に存在するのか」と問う表情は、ある種挑戦的でもあり、また畏怖を感じているようにも見える。
それは、まるで、「こんな世界に神や仏は本当に存在するのか」という神への問いかけにも思えるのだ。
元々は仏法の法話を基にしているというこの物語には、「バチがあたる!」「神も仏もない!」「悪行をすると畜生になる」といった、昔ながらの日本人の宗教観が何度も出てくる。
殺人、強奪、窃盗、戦、といった人間の悪行、食欲、性欲、睡眠欲といった人間の欲望、そしてどんな人間もひと皮向けば皆同じ、人間の業をまとった生き物であり、そこから誰も逃れることは出来ないのだと、まるで見ているものを煽るように突きつける。
それにしても、主人公の中年女を演じる乙羽信子の役者魂にはやられた。
当時、まだ40歳にもなっていない、今なら美魔女とでも呼べる宝塚上がりの人気女優が、白髪頭の汚い婆姿で、上半身裸をもろともせず、欲望に耐えられず古木に抱きつき喘ぐ姿は、大地真央や天海祐希には決して踏み込めない領域ではないだろうか。
特に、最後の10分弱、まるで何かが乗り移ったかのような鬼婆の演技は、姿も声も動作もすべてが恐ろしく、一度見たら誰もが一生忘れることの出来ないシーンである。
このコラムで映画シリーズを取り上げると決めたとき、絶対に避けては通れないと覚悟していたのが、この「鬼婆」と、数ヶ月先に掲載を予定している「サスペリア2」(まだ先ね!)である。
自身の映画好き人生を語る中で、あらゆる意味で、最も大きな影響を受けた作品といっても過言ではないだろう。
後日知ったのだが、海外でもこの作品のファンは多く、ビヨーク、サム・シェパード、フリードキン、ベネチオ・デル・トロなども、インタビュー等で「onibaba!」を熱く語っている。
人間の本質的な恐怖に、国境はないのである。
ちなみに、冒頭で出てくるタイトル文字は、監督と親交の深かった岡本太郎が書いている。
林光の感性溢れる音楽とともに、日本映画の素晴らしい才能と生々しい恐怖を、残暑とともに是非味わって頂きたい。
♪~今宵、あなたの最良な暇つぶしになりますように…m(_ _)m
・ 地面の穴が無性に怖くなる度! ★★★☆☆
・ 一般オススメ度! ★★☆☆☆
・ 一生お面をつけたくなくなる度! ★★★★☆
・ 10歳以下の子供が見たらトラウマになる度! ★★★★★
『鬼婆』(1964年日本)
監督&脚本:新藤兼人
撮影:黒田清巳
音楽:林光
出演:乙羽信子、吉村実子、佐藤慶、殿山泰司、宇野重吉、他
(あらすじ)
戦乱に荒れる南北朝末期。働き手である息子を戦に取られた貧しい農民の中年女は、息子が戻ることを信じ、まだ若い息子の嫁と二人で広大なすすき野原に暮らしていた。生き残るために、迷い込んできた落ち武者たちを襲い、野原の大穴に死体を捨て、その武具や装飾品売ることで生活していた女二人。
ある日、息子と共に戦に駆り出された若い男八(はち)が突然戻ってきて、一緒に逃げてきた息子は、殺されたと告げる。
息子、そして夫の死に絶望する二人。だが、八は次第に二人の生活に入り込み、ついには息子の嫁と逢引を重ねるまでになる。
八と嫁の逢引に激しい怒りと嫉妬を覚えた女は、自分も八に迫るも相手にされない。
そんな時、鬼の面を着けた一人の侍が迷い込んでくる。侍は中年女に道案内を頼むが、途中で大穴に落とされ息絶える。死体から鬼の面を剥ぎ取った女は、八と嫁の逢引をとめる為、夜な夜な鬼の面を付けてはすすき野原に現れ、八に会いにいく嫁の邪魔をしていたのだが、ある日大雨が降り…。
2件のコメント
怖い! たぶん見れない!霊より人間が一番怖い!
でも、次のサスペリアの紹介も楽しみにしています。どんなに怖いの?
私にとって「エクソシスト」や、あるいは「呪怨」とは違う意味で、「これあかんやつ」的な映画がある。新藤兼人、この人がまさにそれっ!確か、「原爆の子」だったと思う。最初の5分ほどで、「あっ!これあかんやつや。」と察知し、チャンネルを変えた記憶がある。もう高校生になっていたと思う。著者は、回避するには幼すぎたか…。そりゃぁ、トラウマになるよねぇ。私のトラウマ作品は、「復讐するは我にあり」と「楢山節考」だ。どちらも今村昌平。この二人の作品は、心と体が元気でないと見られない。心臓を彫刻刀でえぐられるような気持ちにさせられるので、この「鬼婆」も、そんな絶好調な時に見ることにします。そういえば、デルトロがすごくうれしそうに、新藤兼人監督と対談してる番組を見たことがある。
この人、とにかく監督が好き!って言うのを全身で表現してた。
勝手に思うんですけどね、北野武はきっとこの二人の世界観に共感してて、そういう作品を作りたいんだけど、作れてない感じがします。勝手に思ってるんですけどね…。
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