salitoté(さりとて) 歩きながら考える、大人の道草ウェブマガジン

〜日常は、劇場だ!〜「勝手に★ぱちぱちパンチ」

2013-09-2
『身体騒動記 最近編 ~アイアンマン・血をめぐる戦い①』

そうして、こうして…。

やっと、今回の入院の話へと入るのである。
前置きが長すぎて、もう忘れていたと言われても仕方がないのだが、いかんせん話したかったのはこちらがメインである。

と言う訳で、去年の夏。
成人してから2回目の入院をすることになった。
今回は、内科的な治療という訳ではなく、まあ、外科である。
体内にできた良性の腫瘍を切り取ることになったので、前回とは違い、手術という恐怖の目的がメインにあった。
プロフェッショナル”手術の流儀”というものを全く知らない中、診療から入院、手術、退院までの一連の患者という役割が、突然私に降り懸かったのだ。

「へぇー!世間の皆さんはこんな経験をしながら、手術というものをうけているのか?」

そこには、今まで知らなかった数々のカルチャーショックが待ち受けていた。
つまり、いかに自分が世間知らずな人間だったかということを思い知った体験でもあった。

まず、何と言っても一番始めに驚いたのは、手術が決まったときに書いた、結構な量の契約書や誓約書へのサインである。その殆どは、ある種のリスクがあることを承知するという内容であり、病院側も万が一のための本人承諾であろうが、恐らく大きな病院ならば年間何人かの訴訟的なものが出てくるのであろう。
たった一回の手術に、こんなにも沢山の書類にサインしなければならないなんて、全くもって知らなかった事実である。
そして、次に驚いたのは、

“手術は、一人ではできない!”

と言うことである。
知らないひとは知らない、だが、知っている人は知っている。
しかし、私は知らなかった。
このことが、今回最もショックなことのひとつであった。

実は、2回目の診療で手術が決まり、隣の別室に移って主任看護士から手術と入院の説明を受けていたときである。

「手術室は別階ですので、手術当日はこちらの食堂で付き添いのご家族の方が待機となります。」
「書類のサインは、ここ、ご家族の方はこことここ。」
「ご家族は手術室での立会いはできませんが、終われば病室へ一緒に行ってもらいますからね。」

等々。
淡々と話を進めていた看護士に、私は何気なく言った。

「えと。立会いとか、なしでいいです。」

看護士の動作が一瞬止まり、意味がわからないとでもいうようなハテナ顔でこちらを数秒見た。

「え…?」

「あ、あの一人で大丈夫です。親も高齢で地方にいるし、病気がちなので。あと。保証人のサインも、友達のでいいですか?」

言葉を発する度に、看護士の顔がみるみる曇り、目の動きは止まり、少し鼻の穴も膨らんだように見えた。

「‥誰も‥来ないの?‥手術の日に?」

「…はぃ‥。」

「サインが友人?!」

「…えぇ…駄目ですか?…」

看護士の深刻そうな声に戸惑いつつ、母も父もそれぞれに別に住んでおり、健康の問題もあるので、手術のためにわざわざ来てもらう必要はないかなと考えていることを伝えた。
でも、どうしても付き添いが必要なら、友達で仕事が空いている人に来てもらうことは出来るが、それもちょっと申し訳ないので、できれば頼まないですむ方がいいかなと思っているとも。

すると、それまで黙って聞いていた主任看護士のみならず、後ろで作業していた数人の看護士たちが集まり、ちょっとした騒ぎになった。
そして、主任看護士はもう一度、諭すようにこちらを見つめ、ベテラン生徒指導の教諭ばりの剣幕で矢継ぎ早に質問した。

「誰も来ないってどういうこと?」
「担当の医師の先生は、そのことを知っているの?」
「本当に家族に相談したの?」
「自分の言っていることがわかっている?」
「友達に立ち合いや付き添いをさせるということは、万が一、命に関わる決断が必要になった場合に、その責任をその友達にまかせられるの?」

等々。
そして、主任看護士は立ち上がると、

「とにかく、先生に言ってくる!」

と、告げ口をする学級委員長のような勢いで立ち去り、隣の診療室へと向かった。
看護士のあまりの勢いに、心のギアが急激な反省モードに切り替わりつつあった。

(もしかして、手術ってそんなに大変なことなのかな…)

ちょっとした出来心で万引きをしてしまい、捕まってしまった中学生は、きっと、こんな気分なのではないだろうか?
ボソボソと隣の診療室の話し声が聞こえる中、丸イスにひとり座り、ムクムクと夕焼け空を覆い尽くす雨雲のような不安と気弱の雨粒が、今まさに私を包み込もうとしていた。

(まあ、確かに体にメスを入れる訳で、何百万人にひとりは麻酔から冷めない人もいるというし…)
(もしかすると急激な体調の変化で、大した手術でもなかった筈が思わず帰らぬ人となることが有り得るのかも…)
(保証人や付き添いは、万が一の時に何らか判断をさせるためにいるんだな、きっと…)

結局、医師のところから戻って来た主任看護士は、

「やはり出来るだけご家族の立ち合いをお願いします。どうしても本当にダメなら友人でもいいですが、何かあったときにその友人が、すぐさまご家族と連絡を取れる状態にしておいて下さい。」
「けれども、もう一度、キチンと状況を家族に本当に来れないのか、話し合って見て下さい。手術という事態を理解しているか。あなたからきちんと説明してください」

と、なんとも哀れむような表情でこちらを見ながら、キッパリと言いきった。
困惑と戸惑いと不安が頭の中をぐるぐると廻り、重い気分で病院を後にした。

(ちょっと切って、1週間ほど入院するだけだと思ってたけど、なんか全然予想とは違う展開になってる…)

仕方なく、その夜実家の母へ電話し、出来るだけ負担をかけたくないのだがと前置きしながら、状況を説明した。
すると、他人様になによりも迷惑をかけるのが嫌いな母が、

「誰にも頼れないときに、頼るものこそ家族でしょう!?」

と、なかば怒りながら二つ返事で上京してくれることになったのである。
この一連のやりとりの中で、最もズキュンと私の心に刺さったこと。それは看護士の、

「万が一、命に関わる判断を友人にさせるつもりか?」

という一言だった。
確かに、こちらは気軽に手術の付き添いを頼んだとしても、万が一の状況が発生し、友人にそんな判断を負わすことがあるとすれば、それは大変な責任を課すことになるだろう。自分が逆の立場になったときの事を考えればわかる。
考えれば考えるほど、非常識極まりないことのような気がしてきて、なんだか、とんでもないことを考えていた自分が恥ずかしくなってきた。

普段、元気で親元を離れて社会人として暮らしていると、まるで世界は自分の周りだけで動いているような錯覚をしてしまう。まるで、自分ひとりで生きているような気になっているのである。
しかし、いざ病気や事故などで一気に社会的弱者の立場に立たされたとき、人は自分と言う人間が社会と、つまり家族を含めた周りの人間と、どんな風に繋がっているかを再認識させられる状況に置かれる。今の自分がそうだ。

”手術はひとりではできない”のは、”自分の命は自分だけのものではない”

と言われているような気がした。
つまりそれは、

”自分は、ひとりだけで生きてきたのではない”
“人は決して、自分ひとりでは生きてゆけない”

という、当たり前だけれど忘れている真実をそっと思い出させてくれたのである。
家族を含む沢山の人々と関わり、関わられながら、今の自分がいるということを再認識させられたのだった。

とにもかくにも…。

こうして、手術立ち合い問題は無事解決した。
しかし、実はもうひとつ、乗り越えなければならない大きな、大きな問題があった。

それは、”鉄分”不足である。

近年、手術をする場合は、輸血によるリスクを避けるため、自己採血といい予め自分の血を採取し保管しておくのであるが、血液検査をした結果、担当医が心配そうな顔でこう言った。

「アラキさん、極度の貧血です。手術まで1ヶ月もないので、自己血液の採取は難しい。万が一、手術中に大量出血があった場合は、輸入の血を輸血することになります。基本的には問題ないとされていますが、あまり推奨していません。一旦、貧血の治療をしてから、数ヶ月後に改めて自己採血をし、手術をするという方法もありますが?」

すでに勤務先に3週間の休暇の打診をしていた私には、そんな選択肢はなかった。

「いえ、大丈夫です。何かあっても輸血の血で結構です!職場の休みは変えたくないので、絶対に手術は予定どおりしたいです!」

意気込む私に、担当医はもう一つ、条件を言った。

「わかりました。しかし、このままでは無理です。あと1ヶ月で、貧血の数値(ヘモグロビン値)を改善しなければなりません。現在は8.0ですが、最低でも前日までに10.0ないと、手術は中止となります。」

ちなみに成人女性の正常値とされるのは12.0~15.0である。
自分が貧血気味だとは思っていたが、まさか治療が必要なレベルとは思いもよらなかった。

「8.0という数値だと、普段の生活でも支障が出てきていませんか?息切れしたり、体がダルかったり…」

思いっきり、心当たりがあった。
ここ数年は、確かにほんの少し歩いただけで息切れがし(太ったせいだと思っていた)、立ち上がるときには頻繁に目眩に襲われていた(寝不足だと思っていた)。月のモノがやってくる時はいくら呼吸をしてもなんだか息苦しく、大きく開けた口にウチワを向け、仕事中の同僚の目も気にせず、パタパタと空気を送りこんだりしていた。今思えば、多分、無意識の内に酸素不足を解消しようとしていたのだろう。
休みの日も起き上がれないくらい体がだるく(老化だと思っていた)、1日中ベッドで寝ている日も珍しくなかった。
そのすべてが、“貧血”のせいだったとは!

「心臓もやや肥大してます。爪も典型的な貧血の爪ですね」

担当医曰く、貧血の人は、血液が酸素を運ぶ量が少ないため、心臓が何とかしようと必死に働く。そのため、心臓が肥大する傾向にあるという。また、爪が反り返るのも特徴の一つらしい。

自分の爪を見てみたがはっきり言って良く分からない。私が見る限り、ごくごくノーマルに見える爪だった。ただ、祖母が“星”と呼んでいた、爪の表面に出来る白い斑点が人差し指にあった。それはラッキーなことがあると言うお告げだと教えられていたが、どう考えても今はラッキーな状況とは言えないだろう、ばあちゃん…。(-_-;)

とにかく、貧血と判明した今、何とか手術に持ち込むために大量の”鉄分”を摂取し、ヘモグロビン値を上げなければならない。
もし、手術が中止されるようなことがあれば、業務の都合上勤務先の休みがまとめて取れるのは恐らく1年以上先になってしまうのである。折角上京してきてもらう母にも申し訳ない。
絶対に達成しなければならないプロジェクト。それが、ヘモグロビン値10.0なのである!(まるで、テレビタレントのダイエット企画のようだ。)

しかし、実は正直に言うと…。この時点で、私はまだこう思っていた。

(たった2.0か!それくらい、簡単に上げられだろう。)

今思えば、なんと無知で、無恥で、愚かなことよ。
体のことも、鉄分のことも、何にも分かっていなかった私は、“鉄分摂取”の手強さを全く理解していなかったのである。
まさか、ここから約1ヶ月、この2.0の数値を巡る果てしない地獄のような鉄分との戦いが待ち受けているとは、予想だにしていなかった。

自分の体を変えること。
とかく精神的なことにしか重きをおかぬ自分が、初めて本気で、自分の体と向き合うことになったのである。
それは、鉄分をめぐる“The long and winding road”の始まりであった…。

(『身体騒動記 最近編 ~アイアンマン・血をめぐる戦い②へつづく』)

白玉を作る時、真ん中をギュっと押さえるとヘモグロビンにそっくりになりますね。(ちなみに私はぜんざいには餅派です)

ご意見・ご感想など、下記よりお気軽にお寄せ下さい。

1件のコメント

経験の一つ一つが何かを教えてくれるのですね。
私も貧血になってしまったので、次回の貧血との闘いをぜひ参考にしたいと思います。

by kiki - 2013/09/04 9:24 PM

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アラキ ランプ
アラキ ランプ

東京在住。映画と文学と旅行が好きな典型的文化系社会人。不思議なものと面白いものに目がなく、暇があってもなくてもゆるゆると街を歩いている。そのせいか3日に1度は他人に道を聞かれる。夢は、地球縦一周と横一周。苦手なものは生モノと蚊。スナフキンとプラトンを深く尊敬している。

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