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〜日常は、劇場だ!〜「勝手に★ぱちぱちパンチ」

2012-03-13
『歯医者狂想曲』~第四楽章(最終章)~ ☆後編☆

この世に、女王(クイーン)と名の付く人物はそう多くないかもしれない。
しかしわが国にも、そのクイーンの称号にふさわしい、一人の女王が存在することをご存じだろうか。
彼女はこの東アジアの片隅で、その才能と技術を駆使し、日々一般ピープルの口腔内をせっせせっせと削っては修復している、誠に勤勉かつ気取らない(そして少々恐い)美形のイケてる女王なのである。
このシリーズの最後は、我が生涯に出会った中で、最も卓越した技術を持つこの歯科医の話で締めくくりたいと思う。

では、いざ!

6.『女王(クィーン)』

前回、火サス(=火曜サスペンス劇場)並の歯科医の失踪という非日常的な事件に遭遇した私であったが、それから約1年ほどの月日がたった。
いつものように、そろそろ前歯が気になり始めた私は、早速例の歯医者へ予約を入れることにした。そう、あの失踪した歯科医(前回、-最終章☆前編☆-『5.坊ちゃん』参照)がいた、鍼灸院併設の歯科医院である。

約1年ぶりに訪れたその歯科医院は、以前と特に何も変わった様子もなく、待っているとすぐに名前を呼ばれ、診療台へ案内された。
前回の治療から1年近く空いた為か、治療の前にまずは助手さんが口腔内のクリーニングをするとのことだった。普段の歯磨きだけでは取れない歯垢を除去するという。
特に、何の抵抗もなく受け入れ、診療台に横たわり言われるままに口を開けた。

しかし、始まってみると、これが結構痛いのである。
ガリガリグリグリと歯の根元を削るような音を立て、いわゆる磨きモレの多い場所を延々と掃除する。
普段、自分では割と丁寧に磨いているつもりでも、特に利き手側の上下の犬歯辺りは磨き残しが多いのか、念入りに掃除されている気がした。
しかも、助手さんは若い女性とは言え、仕事がノッてきたのかだんだんと力が強くなり、最初は優しく押さえていた口元も、気がつけばかなりの力に変化してきている。

ハッキリ言って痛い!ゴム手袋の指の感触もジワジワと口の中に広がりだし、これ以上続けば「オエっ~!」とえずいてしまうかと思うくらいのツラさになってきた。

(ちなみに関係ないのだが、我の年上の兄は、本人曰く物凄い「えずき症」だそうで、一度昼食後に行った歯医者の治療で、案の定えずき、食べたチキンラーメンをすべてその場でリバースした(つまり吐いた…)そうである。今でも、あの歯医者の腕にぶら下った麺とチキンラーメンの匂いが忘れられないと言うが、どう考えても絶対に同席したくない状況である。ていうか、えずくのが分かってるなら治療前にラーメン食べるなよ!と言いたい…)

とにかく、何とかえずきを我慢しクリーニングが終わると、助手さんはとても真剣な顔つきでこう言った。

「アラキさま。比較的キレイに磨けてはいますが、やはり部分的に磨き残しのある所もございます。歯の正しい磨き方を詳しくお教えしますので、そちらを守って次回からお越し下さい。キチンと磨くことが出来れば、歯周病などの予防にもなりますし、今まだ健康な歯のうちに正しく磨くことが大変重要なんですっ!」

なんとなく、その熱心な言い方に必要以上の真剣さがあるような気がしたが、その時はあまり深く考えなかった。
助手さんは、歯ブラシと人間の口型模型を持ち、丁寧に磨き方を教えてくれた。そして、特に磨き残しが多く発生する場所を指さし、歯ブラシをどのような角度でどのように動かせば磨き残しを少なく出来るかを解説した。

(はいはい、これを毎日ね。結構時間がかかるなぁ。サボらず出来るかな~)

心の中でそう思いながら、正直その助手さんの熱心さとはかなりの温度差がある軽い気持ちで聞いていた。
しかし後に、その考えが“ブラウニーに黒蜜とカラメルをかけ、栗きんとんを添え、上からパウダーシュガーを真冬の富士山頂のごとくかけまくったデザート”位に甘かったことを知る。

助手さんの熱心な歯磨き講座が終わると、次はいよいよ前歯の治療である。
レントゲンを取り終え、先ほどの助手さんが、さらに真剣味を増して私をまっすぐに見てこう言った。

「アラキさま。今日から新しい先生になります…」

助手さんの何かを諭すような目線に、少し動揺した。

(はぃ…?)

「……とっても厳しい先生ですので、頑張って下さい」

(えっ?な、なに?き、厳しいって、なに?)
(歯医者で厳しいって、どういうこと???)

助手さんの少し揺れ動く黒目の奥の水晶体を感じながら、何か得体の知れない未知の恐怖が密かに忍び寄ってきているように思えた。
一体何が起こるのかと不安に駆られ始めたその時、心の準備もないまま、突然、超明るいメジャーコード全開のアルトボイスが響き渡った。

「こんにちわぁーーーー!!」

白衣に身を包んだ、華やかな女性が目の前に立っていた。
大きな瞳を縁取るロングワイドまつげに、茶髪の巨大お団子ヘアー。
白衣でなければ、助手さんと間違ってしまうかもしれない程若く見える。結構な美人だ。

「初めまして、Fで~す。よろしくお願いしますね~!」

歯科医とは思えない明るく軽やかな声とは裏腹に、何というか人を圧倒するような存在感とオーラが体からにじみでている。何やら、只者ではない感じ…。
失礼ながら歯科医と言うよりも、元ヤンキーでレディース総長、今は更正して立派な歯科医になりました!と言われた方が深く納得出来るくらいの迫力とカリスマ性がある。
その証拠に、その歯科医が来た途端、先ほどの助手さんの顔つきが変わり、一気に緊張したのが分かった。
差し出された名刺を受け取りながら、

「あっ、よ、よろしくお願いしますぅ…(汗)」

と言うのが精一杯であった。
歯科医は早速、先ほど終わった私のクリーニングの結果を助手から聞きだし、

「今のところ大きな問題はなさそうだけど、歯磨きを毎日言われたとおり練習して下さい。必ずもっとよくなりますから!次回、来たときに必ずチェックしますのでね!サボったら…分かりますよっ!」

そう言って、長いマツゲをバシっと一回伏せた。

もう…、恐かった…。
既に、心は緊張しまくった助手さんと同じ位置にあった。
まだ出会って数分だが、既に上下関係が完全に成り立ってしまった。
助手さんの、あの熱を帯びた真剣な態度の意味がようやく分かったのだ。

(今日帰ったら、必ず言われた通りに歯を磨こう!)
(時間をかけて、隅々まで磨いて、歯ブラシの角度を変えて、絶対磨き残しがないようにキレイにしよう!)
(でないと次来たとき、この先生に怒られる~!(>_<))

一瞬にして、そう心に誓った。
何か、とてつもなく懐かしい恐さだった。
なんだろう、この感覚、この感情。

あっ!と思いついた感覚があった。
そうだ、部活だ!
練習をサボるとなぜかすぐにバレて、厳しい顧問の先生に怒られたあの感覚!
怒られたくないから、何かを必死にする。
頑張ったことを、努力したことを認められたいから、必死にやる。
そんな、大人になって以来長く感じることのなかった、尊敬する強者に対してビクビクする感覚。そんな感覚を、久しぶりに味わっていた。

そして、歯科医は前歯の治療を始めようと私の口の中を覗き込み、いきなりこう言った。

「歯が白いですね。保険の範囲内では同じ色がないかもしれない…」

ちょっと、鳥肌が立った。
普通の歯医者なら、材料を詰める段になってから初めて認識する問題であり(~第二楽章~『3.優柔不参』参照)、一瞬見ただけですぐに分かるなんて。やっぱりこの人はスゴい!
歯科医は続けて言った。

「とにかく今日は保険の範囲内の材料で詰めます。色がどうしても気になるのなら、次回詰め替えするときまでに何とかもっと白くて良い材質のものを探してみますね。もちろん、保険内で!」

そんなことを言ってくれた歯科医は今まで一人もいなかった。そしてこれからも、そう多くいるとは思えない。
歯科医に対する信頼度は、一気に大気圏を越え、小惑星まで到達した。
(“探査機はやぶさ”は“小惑星いとかわ”到達までに2年以上かかったが、私がこの歯科医信頼に要した時間は数分、いや数秒だった)

いつものように前歯を削り、乾かし、材料を埋める作業が始まった。
普通なら、歯茎に麻酔を数本かけ、時間をかけて細かく細かく前歯の表面を削るのだが、削り始めてものの数分で、その歯科医は前歯から器具を離してしまった。
細かい作業のため器具を変えるのかと思いきや、なんとそれで削り作業が終了だったのである。
しかも麻酔なしで、全く神経に触らず、痛みも皆無であった。

(えぇーーーーーーーーっ!!もう、終わりっ?!)

私は驚愕した。
信じられない。こんな短い時間で終わるなんて。どれほど薄く、表面だけを削ったのだろう。いつもは麻酔が効くまで、何度も痛くて削るのを中断してもらうのに!
そして、詰め物を詰め、表面を磨き、殆どの歯科医が手こずる前歯の溝を作る作業も、あっと言う間であった。もちろん、詰め物の色も迷うことはなかった。

サクサクと、ものすごい短時間で私の前歯は再生された。
とにかくすべてが、的確で正確で、何もかもが速い!
ものすごく繊細な技術とセンスとスピードだ。
治療中の様子も、一流職人のようなキビキビした雰囲気と態度であった。
助手さんへの対応も厳しく、指定した器具を手渡すのに時間がかかると、ちょっと声が荒くなる。そうすると余計に助手さんは緊張し、器具を落としたりする。
その姿は、まるでヤンキーにビビる中坊…。い、いやいや、上司に緊張する部下そのものであるが、しかしながらそれはこの歯科医が仕事に真剣であるが故の行動なのだ。(助手さん、分かってね!)

さらに私が感動したのは、最後の噛み合わせのチェックのときだった。
実は、私はこの噛み合わせの調整というものが、ものすごく苦手なのだ。
経験のある方はわかると思うが、歯科医に、

「どうですか?噛み合わせは?」

と聞かれても、正直自分ではよく分からないのである。
あの色付きのフィルムをギシギシと歯で擦り噛んでは、歯科医自身が見て分からないことを私が感覚だけでわかる筈ないよ!と思いながら、いつも適当に、

「高いような…」
「なんか、まだひっかかる感じが…」

などと言ってお茶を濁すのが常であった。
しかし、この天才歯科医は違った。
いつものように噛み合わせの感じを聞かれ、曖昧に「はぁ、ちょっと…(分からない…)」と答えると、

「そうですか。今、右の端が少し高くなっているので、逆に左に隙間が出てちょっとうまく合わない筈です。今からもう少し削るので、それで合う筈です。噛んで見てください。違いが分かりますか?」

ほー、なるほど。
そう言われると右が高い。言われなければ、その微妙な違いは私には認識できなかっただろう。
そして、再度高い部分を削ってもらった後、フィルム上の紙をもう一度カミカミした。

おー、なるほど。
先ほどとは歯の当たり方が違う。とってもフラットだ!
すると、こちらが何も言う前に、その歯科医は清々しく言い放った。

「揃いましたね!もう違和感はないと思います」

(おーーー!その通り!その通りでございます!女王さま!)

私は激しく感動し、心でそう叫んだ。
間違いない!この人は、歯医者になるために生まれてきた、歯の世界からの使者だ!
まさに、『ザ・女王(クイーン)・オブ・デンティスト』ここにあり!である。

女王は、その広い見識でもって、自国(口腔内)の問題点をハッキリと確実に理解し、そしてその素晴らしい手腕を持って混乱を収め、事態をコントロールし収拾するのである。

“everything is under my control!”(すべては彼女のコントロールの下にある!)

私は完全に、この女王の民と化していた。

その後も、私は新たに見つかった治療の必要な歯のために、しばらく女王の元に通い続けた。
もちろんその間、毎日毎日、歯を磨いた。
必死で歯を磨いた。
次の謁見までに、少しでも歯をキレイにしたい!

すべては、女王のために。
すべては、女王に怒られないために。
すべては、女王に認められたいために。

部活のテニスラケットを歯ブラシに変え、素振りを100回するような熱心さでもって歯磨きをこなした。女王の民としては当然である。
おかげで、治療に行くたびに女王に誉められた。

「よく出来ていますよ!その調子で、今後も続けてくださいね!」

「はい!!(^_^)/」

小学生のような元気な即答に、自分でも笑えた。
でも、全然苦じゃない。女王が喜ぶのなら、それが、民としての喜びであり義務なのであるから。(汗)

あなたもいつか、ふいにこの女王と出会う日がやってくるかもしれない。
断言しよう!もしもそんな幸運が訪れたあかつきには、あなたは生涯、この女王についていくことを決心するに違いない。
そして気がつけば、自らせっせせっせと鏡に向かって、日々歯磨きの鬼と化している自分を発見することになるだろう。
うん、間違いない。女王、恐るべしなのだ。合掌…<m(__)m>

女王のイメージ図(モリディアーニ彫刻風) あくまで主観です…

ご意見・ご感想など、下記よりお気軽にお寄せ下さい。

2件のコメント

おお~、〆は女王様でしたね。はぁ~、すっきりした(笑)

by mamamiyu - 2012/03/14 1:01 AM

おもしろかった~!
そんな王女様に お会いしたいわ。

by kiki - 2012/03/16 6:38 PM

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アラキ ランプ
アラキ ランプ

東京在住。映画と文学と旅行が好きな典型的文化系社会人。不思議なものと面白いものに目がなく、暇があってもなくてもゆるゆると街を歩いている。そのせいか3日に1度は他人に道を聞かれる。夢は、地球縦一周と横一周。苦手なものは生モノと蚊。スナフキンとプラトンを深く尊敬している。

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