salitoté(さりとて) 歩きながら考える、大人の道草ウェブマガジン

〜日常は、劇場だ!〜「勝手に★ぱちぱちパンチ」

2010-10-21
町中の眼遊詩人 ~後編~

その町中の眼科専門の診療所に着いたのは、診療開始とされている時間から約5、6分過ぎであった。
平日である。ごく普通の、どこにでも見かける眼科である。
すりガラスの扉をゆっくりと開け、まだ眠い目をヒリヒリさせながら入ろうとしたそのとき、我が目を疑うかのような光景が広がっていた。(いや、既に目はおかしくはなっていたのですが…)
超・超・超満員であった!!!

そこは行列の出来るラーメン店以上の活気で満ち溢れていたのだ。
何と、世の中にこれ程眼科を必要としている人たちがいるとは衝撃である。
待合室のイス、ベンチはすべて埋まり、立っている人もいる。診察室の前にもイスが並び、そこにも人がビッシリと埋まっている。半分は60代以降の高齢者だが、中には若い女性や子供もいて、ひっきりなしに人が出入りしている。
スタッフや看護師らしき人が、狭い医院の中を忙しそうに駆け回っているのだが、数えると、医師2名、看護師3名、よく分からないがスーツ姿で機械操作をしながら患者さんを誘導している中年男子1名、受付スタッフ3名、計9名もいた。(そんなに眼科って儲かるの?)

私の順番は18番目だった。多分、他の人たちは9時よりも前から来て、順番待ちをしているのだろう。もう来ることはないと思うが、もし機会があれば、私も絶対診療開始前に来ることにしようと心に誓った。

待っている間よく観察してみると、この医院は目の治療以外にも、どうやら視力回復のコースのようなものもあるらしく、何人かの患者は四角い機械を数分間覗きこんでは、しばらくして何事もなく立ち去っていくという光景もあった。「あれがなんらかの洗脳マシンだったらどうするのだろう?」といった私の妄想を諸共せず、どんどん人が覗き込んでは去っていく。
他にも、コンタクトの相談やいろんな病名などの専門用語が飛び交い、眼科の守備範囲の広さを初めて知ったのである。

そうこうしている内に、いつの間にか自分の番号の近くまで進んでいることに気づいた。手際がいいのか、眼科の診療というものがそういうものなのかは不明だが、約20分ほど待ったところで、自分の番号が呼ばれた。思ったよりも早かった。
扉はないが、小さな別室になっている治療室へ入ると、50代半ばと思われるふくよかなエビス顔の女性医師がカルテを見ていた。
こちらを見ると、ふっくらとした頬をさらに横に膨らませながら(多分笑顔)、忙しさを微塵も出さずに言った。

「は~い、どうしましたぁ~?」

びっくりするほどつややかで高い声だった。ちょっとした声優さんの声に聞こえなくもない。声だけなら20歳そこそこでもいけるかもというくらい可愛い。

「実は、昨日から目が痛くて。何か入ったか、或いは傷つけたかしたみたいです。チクチクして、今はしみてる感じもします…」
特に、じっとしているときよりも、まぶたを開閉するときに痛みが増すようだとも付け加えた。
そんな必要はないのだが、自然と同情を買うような口調になっている自分に少しツッコミたくなった。

「はぁ~い!それではぁ、見てみましょうねぇ~。写真を撮りまぁ~すっ!」

まるで、語尾の最後にハートマークがついていそうな喋り方に、こちらもツッコミたくなったが、もちろんガマンした。
言われるまま、顕微鏡のような形の診察台の上に顔を乗せると、両目に強烈な光が当てられる。自分が単細胞生物の一種で、その構造を高等生物に覗かれている、そんな気になった。
しかしその美声のエビス顔の医師は、間延びした可愛い声とは対照的に、仕事は大変手際よく、アレよアレよと言う間にパチリパチリと写真を撮った。恐怖を感じる暇もない。

「はは~ん、分かりました!」

確信に満ちた表情でそう言ったかと思うと、急転直下、その医師はいかにも不幸が舞い降りた人間に、警告と慰めを与える天使のような劇的口調で、こう言った。

「アラキさん」
「…はい」

「 “涙の下水道に、まつ毛の赤ちゃんがはさまって、悪戯をしています” 」
「 は? 」
(詩人?シェイクスピア?もしかするとヅカ系?)

「その悪戯を、やめさせなければいけません。今から、赤ちゃんまつ毛を救出します!」
「ぁ、はい…。(お願いします)」

なんのこっちゃ?と思いつつ、とりあえず、なすがまま流れに乗って、心でお願いしてみた。
医師はピンセットを取り出し、私のマブタに近づけたかと思うと、すぐに離れた。
「ん?やりなおし?」と一瞬思ったが、それは全くどこにも触れていないような感じで、あっという間に終わったのだった。
どうやら、ものすごい早業で、まつげの赤ちゃんは無事救出されたらしい。

結局、ことの次第はこうだ。
昨朝私が顔を洗ったとき、まつ毛が抜け眼球に入り込んだ。通常はそこで目が痛くなり、鏡を見て自分でとったり、涙が大量に出て流れ出るものなのだが、今回入り込んだまつ毛はとても細く小さく、肉眼では見えないほどの赤ちゃんまつ毛であった。しかも、ヒトの目には目頭の下マブタの端に水分量を調節する穴があるのだが、偶然にもその穴に細い赤ちゃんまつ毛がスルリと入り込んでしまったのである。
しかし、いくら細いとは言っても、通常のまつ毛と同じく根元は太く、先に行くにしたがってだんだん細くなるという形状のため、細い部分から入り込んだはいいが、途中でつっかえてしまい、流れきらずに一部はみ出たまま止まってしまっていたのだ。
そして、私が目を開閉するたびに、はさまったまま外にでている赤ちゃんまつ毛の根元が、マブタや白目、黒目に触れ、眼球を傷つけ続けていたのだ。

ヒィ~!そりゃ痛いよね。眼球も、赤ちゃんまつ毛も。
とにかく、赤ちゃんまつ毛の悪戯は終わり、涙の下水道は、今や完全に開通したのであった。めでたしっ!
私は、一日5回点眼の2種類の目薬をもらい、一週間のアイメイクの禁止を申し渡された。
後日、医療関係の友人にこのことを話すと、「そんなことって…あるん?!(汗)」と呆れられたのだが、あるものはあるのである。

しかし、そんなレアな症例よりも、私にとってはあの女性医師のエビス顔からでる異常に可愛い声と、詩的表現の強烈な印象が、今もって忘れられない。
今、世間では駅中(エキナカ)が流行りときくが、どっこい町中(マチナカ)も、まだまだ負けてはいないのである。思いも寄らない詩人(あるいはエビス様?)がひっそりと潜んでいるのである。

町中の吟遊詩人たち、次は一体どんなヒトにめぐり合えるのだろう。

では、またその機会を待ちながら、今日も目薬をさして目の治療に励もう。いやいや、そんな言い方はダメだ!あの医師の患者として、申し訳ない。
では、今日も “涙の湖にホロ苦い妙薬の友を呼び込んで、傷心の黒目と白目に慰めの愛の力を貰おう!”(あー、さむっ!(>_<))

その一週間後。
やっとアイメイクを再開した初日、私は思いっきりマスカラブラシで左黒目を突き刺した。そして、またもやその美声の医師のもとへ通うことになった。もちろん、今度は診療開始前に並んだのは言うまでもない。

付き合い長くなりそう・・・。

『何がまつ毛に起こったか?』 主演:ベイビー・まつ毛

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1件のコメント

なんちゅう目にあったんですか!おもろすぎる・・・。乙女全開の表現の中に、
下水道て・・・。いやぁ、なかなか起こり得ないまつげベイベーのいたずらに、
なかなかお目にかかれない女医さん。ほんと、いつも不思議な体験するよねぇ、
アラキランプさんは。なにはともあれ、大事に至らなくって良かったですねって、
マスカラブラシが左目直撃って、何やってんのぉ~(爆)・・・お大事に♪

by umesan - 2010/12/10 10:55 PM

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アラキ ランプ
アラキ ランプ

東京在住。映画と文学と旅行が好きな典型的文化系社会人。不思議なものと面白いものに目がなく、暇があってもなくてもゆるゆると街を歩いている。そのせいか3日に1度は他人に道を聞かれる。夢は、地球縦一周と横一周。苦手なものは生モノと蚊。スナフキンとプラトンを深く尊敬している。

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