2011-01-24
カレーなる人々 ~スパイス王国へようこそ! その④暴風の中で…前半編~
店内に入ってきたその男性は、ジーンズにTシャツ、黒ブチ眼鏡というラフな格好で、手にはマンガ雑誌を持っていた。察するに、近くのデザイン事務所に勤務し、ちょっと遅めのランチにやって来たといった風だった。
男性は店内を一瞥した後、我々が座っているカウンター側に、ひとつの空席を空けて座った。他方のカウンターにも空席はあったのだが、もしかすると、まだ自分と同じような遅めのランチを食べに来る客が続くと思っていたのかもしれない。
店主がやってきて聞いた。
「ご注文は?」
男性は、壁にかかった手書きのメニューを見ながら、思案している。
どうやらは初めての来店だったらしく、店主にいくつか質問し、肉やお米、量や辛さを選ぶシステムであることを、説明されていた。
そして、男性は落ち着いた声で、『ビーフ、玄米、大盛り』を注文し、最後にこう聞いた。
「辛さはどれくらいまであるんですか?」
汗と地獄の苦しみに身もだえしながらも、満腹のお腹をだましだましカレーを口にしていた私と友人は、そんなやりとりを静かに聴いていた。
「えー、10倍までです」
食えるものなら食ってみろ的な挑戦的な響きはなく、あくまでもウチは10倍まで準備してますよ、なんせこだわってますから!といった少し誇らしげな響きで答える店主。
すると、なんと男性はこう答えた。
「じゃ、10倍で…」
一瞬、店内の空気が変わった。
私たちの手も止まった。
店主の顔も固まった。
(今、10倍って言ったよね…)
(ヤ、ヤバイよ、10倍は!死ぬよ…)
私と友人は、まるで映画『続・猿の惑星』に出てくるミュータントたちがテレパシーで会話できるように、お互いの気持ちが手に取るように分かった(気がした)。
人は極限の状態では、眠っている未知の能力が発揮されるのかもしれない。
にしても、辛さ10倍!!!
2倍でこれほど苦しんでいる友人からすると、もう想像するだけで、アゴの骨がくだけそうになるくらいの苦しみに感じるだろう。
きっと口の中は激痛で感覚は麻痺し、舌は何倍にも膨れ上がり、水や氷でさえ無能なものと成り下がるのは目に見えている。話だけでも、頭がクラクラし、今にも気を失いそうだ。
店内の景色が、まるで魚眼レンズで覗いたかのように歪んで見えた気がした。
(今からでも遅くない!やめるんだ!黒ブチくん!!)
(言ってあげた方がいいのかな。でも、この店主を前に…何も言えないよ~)
頭の上に、目に見えるふきだしが出ればどんなにいいだろう。でも、それも恐いか…。
しかし、オタク店長は怯まなかった。
やや驚いた様子ではあったが、すぐさま自分を取り戻し、
「ハ、ハイ!10倍ですね!!」
と、小学生のような活舌のいい張り切った返事を返した。
そして、意気揚々と、めったに出ないであろうMAXカレーの調理へと向かった。
フライパンにルーを入れ、肉を入れ、数種類のスパイスをガンガン投入している。
心なしか後姿の背中が、思い切り辛く出来る喜びに打ち震えているようにも見える。
振り返りスパイスを探すその瞳には、今やオタク魂の心火が宿っているようだ。
そりゃそうだろう。10倍カレーを正々堂々と商品として作れるなんて、カレーにこだわり、毎日パニックになりながらも続けてきた、おたくカレー人生の極み、ここにアリ!である。
リズミカルに振られるフライパンの動きに合わせて、私の頭の中で店主の心のメロディーが響いてきたように感じた。
「♪ウ~キウ~キ、10倍10倍、ランランッラ~ン!」
きっとスパイスの雨は、さぞかし美しく店主の心に降り注いでいるだろう。
もう、元には戻れない。またしても、カレーの黄色いレンガの道が導く世界へ、今一人の男性が向かおうとしている。
しかしながら、この男性は、果たして本物のウルトラ級超辛党なのか。あるいは、単に世間を甘くみた無謀な若者にすぎないのか。
ここの店主は確かにオタクだが、冷静に考えても10倍カレーを注文するお客も必ずやカレーオタク、或いは辛党オタクであるはずだ。2倍、3倍ならいざ知らず、人は冗談では10倍カレーを注文しない。それ相応の覚悟と自信がなければ、普通のランチで10倍は頼まない筈である。
めったなことでは見れない、おたく店主対お洒落黒ブチくんの真剣勝負!
こんな機会は二度とない!なんとしてもこの結末を見届けないことには、決してこの店を出まい!そう心に誓いながら、私たちは黙々と食べ続けた。
10分ほどで、ついにそのカレーは姿を現した。
見た目は、私たちのカレーとそれほど変わらない。同じように湯気とスパイスの香りが立ち上がり、三角錐状の特大に盛られたいかにも美味しそうなカレーである。(もちろん、その辛さを考えなければであるが…)
運んでくる店主の額に、いつもより汗の粒が多く光っているように見えたのは気のせいだろうか。
この時、すでに心のBGMは『キル・ビル』のテーマソングに変わっていた。
店主が静かにカレー皿を持ってくる姿は、真っ白な着物を着、子分たちを連れて歩いてくるルーシー・リュウに見えなくもなかった。
運ばれてきたカレーを見た男性は、そのボリュームに少し驚いたようであった。
が、いかにも落ち着いた様子で、まず持って来たマンガ雑誌を開いた。そして、左手でページをめくり、右手にスプーンを持った。
~時は来た、それだけだ…~
遥か遠く、宇宙から、そんな声が聞こえた気もする。
カレーの神様の呟きか、はたまた勝負の世界の格言か。
静まり返る空気の中、男性はゆっくりとカレーを口に運んだ…。
これから一体、何が起きるのだろう。
私たちは、自分たちの生き地獄の苦しみもしばし忘れ、静かにことの成り行きを見守ったのである。
(~その⑤ 暴風の中で…(後半)編 <最終回>へつづく~)
現勤務先近辺では最高レベルのナンを出すインド料理店のチキンカレー。あの森永卓郎さんもお気に入りだそうです。
2件のコメント
「♪ウ~キウ~キ、10倍10倍、ランランッラ~ン!」(爆)
カレー屋店主冥利につきながら、作る店主の姿が目に浮かぶようですぅ。
すでに心のBGMは『キル・ビル』のテーマソングに変わっていた。(爆)「やっちまいな!」的な店主の姿も目に浮かぶようですわぁ。
黒ぶち君の運命や、いかに!
も~~ 最終回早く書いてください。
気になるやんかいさ~~♪
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