salitoté(さりとて) 歩きながら考える、大人の道草ウェブマガジン

白線の裡側まで

2011-09-14
自己犠牲と自己実現

子どものため、家族のため、守るべき大切なもののために自分を犠牲にする生き方はいやだと、ずっと思って生きてきた。けれど最近、それは自分より大切なものがあることだと肯定的な考えに変わってきた。そして、たとえそれが傍目には犠牲に見えたとしても、人は心底したくない、イヤなことはしないものではないか。犠牲と言えども、それはその人が欲する生き方であって、それもひとつの自己実現なのではないかと、わたしの弟の働き者の嫁・しずかちゃんを見ていると、いつもそんな疑問が沸いてくるのである。

しずかちゃんは17歳で、高校を卒業して就職したばかりの19歳のわたしの弟と「できちゃった結婚」で母親になった。以後、わたしはことあるごとに、まるで農家の嫁かと見紛うようなしずかちゃんの働きぶりに圧倒され続けてきた。
妊娠中も出産してからも、しずかちゃんが1日として家でじっとしているのを見たことがない。出産間もないある日のこと、またしても「自分は本当は何がしたいのか」などと生ぬるい自問自答を繰り返し転職しようかどうしようかと苦悶しながら駅に向かって歩いていると、向こうから「おねえちゃ〜ん」と自転車に乗って手を振りながらやってくるヤクルトおばさん。しずかちゃんである。

「あんた、何してるの?」
「ヤクルトで働いてるねん」
「子どもはどうしてるの?」
「乳児も預かってくれる託児所付きやから、大丈夫やねん」

しずかちゃんの両親は小学生の頃に別居し、しずかちゃんは強面の職人の親父とイキのいい兄ちゃん2人という荒々しい環境で育っただけあって、我慢強いのはもちろんのこと、「なぜ、わたしがこんなことを」「どうしてわたしだけがこんな目に」みたいなプライドや自意識とは無縁の苦労を苦労とも思わないタイプで、いわば柔道部か空手部のマネージャー(サッカー部とかではなく)を自ら買って出るような気徳な性格の持ち主である。
とかく託児所・保育園不足で働きたくても働けない女性の労働環境が問題視される昨今、赤ちゃんも預けられるからと当然のように「ヤクルトおばさん」の世界に踏む込んでいける17歳のしずかちゃん。その類い希な「こだわりのなさ」を前にすると、真っ当な社会問題すらどこか贅沢に思えてしまうほど。わたしは、ただただ感心するばかりなのだが、当の本人はいつもケロッと「しゃあないわ」のひとことで、傍目に思うほどつらそうでも、さほどイヤそうでも、さしてやりきれなさそうでも何でもなさそうなのである。

近所に住んでいることもあり、その後もちょくちょく道端ででくわす度、新たなバイトやパートを掛け持ちで奮戦している様子で、そのたび「かなわない」と呆気にとられるわたしなのだが、先日も近所のスーパーで「おねえちゃん」と呼び止められギクッと振り向けば、しずかちゃん。弟は一応公務員とはいえ、マンションのローンに息子二人の教育費など、しずかちゃんが働かないと家計はなかなか苦しいらしく、10年以上前にしずかちゃんはユーキャンの通信講座で医療事務の資格を取り、近くの病院で契約社員として働いている。それだけでも十分働いているではないかというのはわたしみたいななまけ者の考えで、働き者のしずかちゃんは月月火火木金金と、たえず働く手を休めない。聞けば、平日は医療事務の仕事、土日は「牛丼のすき屋」でアルバイト、その日はちょうどアルバイトの帰りなのだという。

「あんた、そういうとこ、ほんまにえらいよなぁ」と褒めると、「なんもえらないわ。わっちゅん(甥っ子)が高校受験やろ? アホやから公立危ないし、私立になったら大変やからちょっとでも稼いどかな」と至極当然あたりまえの口ぶりである。いや、まったくその通り。ものすごく理にかなっている。「わかりやすい」というのはまさにこういうことなのだと感動すら覚えた。
「わたしなんか、自分がああしたい、こうしたいだけに必死やのに、あんたは家族や生活のために働いて、したいこともせんとえらいわ」というと、
「そんなおねえちゃんが思うほど、したいことなんかないねん。家族が元気でたまに美味しいもん食べられたら、それだけでええねん」
そのあっけらかんとした答えに、はたと気づかされる。ある意味、わたしなんかよりずっと人生の標的が絞り込まれていると。

「そうやな、あんたも若くして子ども作ったくらいやから、したいことはしてしまった感がなきにしもあらずやな」
「そうやで、おねえちゃん」と、ふふんと軽く笑いながら、肉やら野菜やら総菜やらレトルトやらお菓子やら、産地や成分など細かいことは一切気にせず買い物カゴを満杯にして豪快にレジに向かって進んでいくしずかちゃん。ガシッと地に足がめり込むほど頑丈なしずかちゃんの生活力を前にすると、人間というものはありのままの現実をありのまま生きている分には、人生何が起ころうともそう易々と折れたり腐ったり壊れたりするものではないような、そういう大雑把な人間理解でいいじゃないかとさえ思えてしまうのである。

ご意見・ご感想など、下記よりお気軽にお寄せ下さい。

2件のコメント

今まで、いろんな仕事して、ずっと働き続けとるけど
犠牲になるとか、稼いで来てやっとるとか、思った事は
一度もない!
子供を育てる為に、当たり前だと思う。
そんな事 気にした事ない!

…でも…

なんと、昨日の夜! 前から ちょいちょい言うんやけど
メシ作ったっとるとか、洗いもんしてやっとるとか
子供は手伝って当たり前とか…
そんな 愛のかけらも無い言葉を聞いた、今まで、1番
手伝った長男が…キレた…

どーも、嫁は、犠牲になっとると 思っとるらしい…

残念…

by 秀虎 - 2011/09/16 6:48 PM

身に沁みて、目に浮かぶほどよくわかります。嫁さんの愛のかけらもない言動、わたしも持病の「女の発作」ですわ・・・ 

by RICHUN - 2011/09/17 1:40 PM

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Ritsuko Tagawa
Ritsuko Tagawa

多川麗津子/コピーライター 1970年大阪生まれ。在阪広告制作会社に勤務後、フリーランスに。その後、5年間の東京暮らしを経て、現在まさかのパリ在住。

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