salitoté(さりとて) 歩きながら考える、大人の道草ウェブマガジン

白線の裡側まで

2016-09-1
ネコと居た夏。

連日、歓喜に沸いたリオ五輪にスマップ解散の衝撃、あの人この人悲喜こもごもの話題・ニュースがむせ返る中、気づけば「愛は地球を救う」24時間テレビのサライの大合唱に締めくくられて夏が去く… 日本は今頃、概ねそんな感じでしょうか。それにしても、お久しぶりです。

こちらパリの8月といえば、何はなくともバカンスの季節。
バカンスのために1年があり、終わった尻から来年のバカンスに向けた1年が始まる。いわば、フランス人にとってのそれは、岸和田人にとっての「だんじり祭り」さながら燃えたぎる熱い血潮、いや、もはやバカンスを取るために生まれてきた魂そのもの。歌こそ命の美空ひばり、坂田三吉・将棋人生、横山やすし・漫才人生、辰吉丈一郎・ボクシング人生に通じる「今年もバカンス、ゆえに、我あり」という生存理由そのものかもしれない

おそらく、わたしの勝っ手な見立てでは、街から一斉に人も車も消え失せてパン屋もタバコ屋も商店も軒並み閉まる夏のパリに残っているのは、「人も車もいない静かなパリが好きなのさ」とこまんしゃくれた理屈だけは達者なパリジャンか、行きたい気持ちもお金もあるが肝心の体力が衰えた老人か、あるいはそもそもバカンスなどという風習も余裕も端っから持ち合わせていないアフリカ系、アラブ系、アジア系、東欧系などわたしも含む世界各国移民のみなさんというところだろうか。

それにしても、年間5週間の有給バカンスが憲法に定められているこの国。とはいえ、フランスとて、財政難、経済不況・失業率の増加が叫ばれて久しいが、それはそれとして、「バカンスだからバカンスなのだ!」といわんばかりに、経済・交通・流通・サービス、あらゆる業界ビジネスがほぼ1ヶ月近く休眠状態に入っても「やっていけてる国」を見せられると、やろうと思えばなんでもやれる、休もうと思えばガッツリ休める、ということなのだろう。但し、その間のひとの不便・迷惑・面倒を、この国のように誰も気にしなければの話だが。

そして、そんな誰もいなくなった8月のパリで、いったいお前は何をしていたか。何をしてるもカニをしてるも、生まれて初めての「ネコ」の守りに不惜身命、心砕いて骨の折れた夏であった。
犬と違って吠えもせず、朝夕散歩の必要もなし、トイレも決まったところでちゃんとする、昼間はずっと寝ていると、軽く見ていたわたしが甘かった…。

そのネコというのは、他でもない。日本へ里帰り中の親友ハトちゃんから預かった猫。その名も「ネコ」。だが、このネコというのが、ただものではなかった。うちに寝泊まりしてからわずか10日のうちに、ワイドショーを騒がせた昭和の女優並みに2度も“逃飛行”を繰り返す奔放かつアバンギャルドなタマだったのである。

1度目の失踪は、ルイジがアジア出張へ旅立ったその日。
わたしはてっきりハトちゃんが持参したネコ愛用のカゴの中で寝ているものと高をくくり、別段ネコの様子を気にして見ることもなく、いつも通り自分の机でパソコン作業に没頭していた。そして夕方5時を回った頃、そろそろエサの時間とカゴの中を覗いて見ると、中は空っぽ。

「ん? ネコ、どこや…?」と、部屋の中を見渡すも、どこにもネコの姿は見当たらない。
家具の隙間、クローゼット、食器棚、お菓子のカゴまでくまなくひっくり返し、一度その音を鳴らせば一目散に飛んでくるエサの音をシャカシャカさせても現れず…。
あかん、完璧に、おらん。

ということは、外に逃げた。それしかない。

ネコが失踪したであろう時間帯、窓のある寝室・キッチンのドアは締め、リビングのふたつの窓はわずか3cmほどの隙間しか開かぬよう固定していた。つまり、どこからも飛び出しようがない密室状態。いったいどうやって… 。

考えられるとすれば、ルイジが出発した朝。ドアを開けてスーツケースをエレベーターに詰め込んでいるそのすきに、玄関のドアからそろりと堂々外に出た…か。

とにかく、こうなったら、久方ぶりの日本でしばしパリの現実を忘れくつろいでいるハトちゃんのやすらぎに水を差す緊急速報「ネコがおらん!」を打つしかない。
すると、ハトちゃんが言うには、ネコにはGPSチップが埋め込まれていて、最悪、行方不明になったとしても、GPSで居場所は突き止められると。
ただ、そのGPS探知の方法がわからないから、パリに戻ったらネコの主治医に問い合わせて見つけ出せる。「だから、りっちゃん、そんなに気にせず、いつものようにワインでも飲んどいて」それはもう預けたハトちゃんの精一杯の気持ちと受け取った。

が、そうはいっても相手はネコ。外で車にひかれたり、とんでもない場所でとんでもないことになっていたら、GPSで居場所がわかったところで、どうしようもないではないか。
ああ、どうしよう、はぁ、どうしよう…

パパからもらったクラリネットを壊して出ない音がある少年のように、うろうろ、おろおろ、気が気でないまま夜は更けて、「頼む、戻ってこい、ネコ!」と念じながら床に就き、ようやく眠りこけた深夜明け方。
遠くからかすかに耳をなでる「ミャア、ミャ…」の声に、夢か… いや、ネコやっ! と奮って飛び起き、勇んで家の中を見渡すも、その気配も姿もない。

いや、この声は外から… 中庭!

ホシの居場所を確信したわたしは、一目散にアパートの階段を駆け下り、鬱蒼と緑に覆われた真っ暗な中庭に出た。ルイジの石油発掘ジャングル探検用のヘッドライトを額に光らせ、右手にはキャットフード入りのタッパーをマラカスのように振り鳴らし、左手には、塀や壁をぶっ壊して救出せねばならない万一の場合のカナヅチを握りしめ、そんな自分のダサさも、「こんな夜更けになにやらすねん!」のアホらしさもかなぐり捨て、草の茂みや花壇の奧を搔き分け踏み倒し探し回るが、どこにも、おらん…。

あかん、落ち着け。もう一遍、その「ミャ」の鳴く方へ、耳を立てる。
すると、その「ミャ」の聞こえる先は、アパートの地下倉庫。
いったいどこからどうやってそんなところに潜り込んだのか…
「ちょっと待っとき、じっとしときや!」と言ったところでわかりもしないネコにしかと釘を刺し、一段飛びに4階まで駆け上がり地下室の鍵を取りに戻ってドアを開けると、おった! ネコが、思いっきり何食わぬ顔で。

「ああ、よかった」全身から力が抜ける安堵、さんざん心配させやがっての怒りこもごも込み上げる目の前の「おまえ」に対する感情をここぞと押しつけ抱きしめようとするわたしの両手を、酔客をあしらうホステスのごとく「あ、そういうのは、ちょっと」と冷ややかに、しなやかに、するりと交わすネコ。

さっきのさっきまで、ミャオミャオ助けを求めていたくせに、いざ助かったら、それか。そう来るか。そこがイヌとは違う、君の名は、ネコなのか。
まるで、警察に通行止めを誘導されながらウィンドウを開け、自分は完全に部外者の安全圏から他人事を確認して通り過ぎるドライバーのように、
「何かあったんですか?」と一瞥下し、首を傾げてすり抜けるネコよ、おまえというやつは…

そんな初めての失踪から2日間は、ただ単にちょっとドキドキして疲れたのだろう、大人しく丸まって寝くさっていたネコ。

そして、無邪気に無防備に寝ている姿、クネクネと柔らかくまとわりつく肢体、水晶みたいに妖しく光るキャッツ★アイに見つめられると、なし崩し的にほだされて、またもや気を許すわたし。逃亡の可能性のある窓辺には金輪際近寄らせないと誓ったのに、やたら外を見たいとミャオミャオねだるネコの気持ちを満たしてやろうと、煙草を吸いにキッチンの窓におもむく度、その窓際のバルコニーに座らせ、「ほれ、ちょっとだけやで」と外の世界を眺めさせ楽しませてやったのが間違いだった。

窓から見えるアパートの壁のひび割れ、時折灯りが点いたり消えたりする部屋の窓、夜風にさざめく木々の葉音、木立ちの中からやおら飛び出す鳥のはばたき、乳色の石壁の割れ目に蠢くゴマより微小な虫の動き… わたしの眼からすれば、そこまで真剣に「見る」に値しないような風景、瞬間、物体にいちいちピクピク反応し、窓辺から首をせり出し面白そうに夢中に見つめるネコ。この分ならちょっとくらい目を離してもそこに居るだろうと、風呂の湯を確かめようと一瞬、その場を離れ戻ったとき、すでに遅し。
またしても、うそみたいに、ネコがおらん!

ハトちゃんがネコを預けに来た日、ふたりでこのキッチンの出窓で一服しながら「いくら猫とはいえ、この高さ(日本で言えば4階)から飛ぼうとは思わんやろ」と笑い飛ばしていたものを、まんまとおまえは飛んだんや…。
となれば、頭に浮かぶ最悪のイメージ。それは、窓下に落ちて無残に横たわるネコ…  ない、やめて、それだけは、勘弁して! と拝みながら庭に駆け下り恐る恐る目を見開いて見渡すも、石畳の上にネコらしきものは幸いにして横たわっていなかった。

となると、また地下倉庫か?
もはや、手術に赴く執刀医のごとき手際でヘッドライトを額に装着、右手には「メス」ではないが、エサの入ったタッパーをシャカシャカ振り鳴らし、左手にカナヅチを握りしめた出で立ちで、静まり返った夜更けの庭に立ち尽くすわたし。

すると天空から降り注ぐ「ミャー」の声。まさか… と意を決して見上げれば、わが家のキッチン窓の対角線上にある隣人宅のキッチン出窓の軒先で立ち往生するネコ一匹。
しかも、時刻は深夜3時半を回った頃。
こんな時間にそんなところでつま先立ちでミャーミャー言われても、ああ、ネコよ。
やれやれ見つかったで終わらない救出作戦の面倒さに、はぁとひと息、やるしかないやるせなさに、しばしうなだれる。

まあ、作戦といっても、やるべきことはただひとつ。熟睡中のお隣のフランス人夫婦に「こんな夜分に、誰!?」 と起きていただく、それだけだ。
案の定、ブザーを3回押しても返事がない。

しつこく長めに鳴らした4回目、何ごとかと囁き合う声と足音とともに「どなた!?」の声。こんな夜分に申し訳ございません、隣の者ですがと詫びながら、「うちのネコがそちらのベランダに…」と言い終わる間に、「待って、今、行く!」と、只今起きたてボサボサのムッシューが頭からTシャツをかぶりながらドアを開け、親切にも招き入れてくれた。

「あの、お宅のキッチンのベランダに…」と、ムッシューが「えっ、どこ、ここ?」とキッチンのドアを開けると、窓の外から月明かり浴びてこちらを見つめる、まさに「we get you!」なキャッツ★アイ。

「おった!アレですわ」
「oh〜la-la〜(仏語の「あちゃ〜」), アレかいな」

みたいなやりとりもそこそこに、ほんまにほんまに「ごめんやして」の拝み腰でキッチンに入り、失礼して窓を開け、ミャッと身構えるネコをギャッと取り上げ、それをガシッと神戸製鋼ラガーマンのごとく小脇に挟んだわたしは平謝りで一目散にわが家の玄関ゴールへ走り込み、無事トライを決めた夜明け前の午前4時。

そんな二度の失踪&救出プレイはもう二度と勘弁と、わたしは翌日、さっそく猫用のリードを買いに走った。そして、キッチン窓辺で「煙草でも…」という何気ない日常に、嫌がるネコの首根っこをつかみ、ニャーッと噛まれ、引っかかれ、どつきまわして無理矢理にでもリードを付けるひと仕事が増えたことはいうまでもない。
「逃げるなよ」とリードの先を握りしめ、張り込み中の刑事さながらの緊張感で紫煙をくゆらせ「外を見る」ネコを見張るひとときを繰り返すだけで終わる1日。

「犬は人につく、猫は家につく」と言うが、確かにこの3週間、ネコを見ていて感じたのは、「家」すなわち、自分の場所、時間、習慣への徹底したこだわりと執着である。屋根裏のアトリエのようなハトちゃんのアパートの天窓からおもむろに外に出て、屋根づたいに移動しながら好きな角度で下界を眺め今日という日を過ごす時間。そういうときが過ごせる場所こそが、一度ついたら二度とは離れぬこのネコの「家」なのだろう、きっと。だからこいつは、勝手も造りもまったく違う他人のわたしの家に預けられても、外の空気を感じながら外を見るひとときがそこにある居心地を、土台得られない場所でも同じようにしつこく求め続ける。それって、まるでわたしじゃないか。
生まれた育った場所と同じ居心地などありえもしない異国にいながら、自分が自分でいられるモノ、時間、環境、生活を何とかどうにか再現しようと無駄な葛藤と抵抗を繰り返しては、それが叶わぬ現実のもどかしさにふて腐れ、もうええねん、もうええわと自分のカゴに丸まってじーっと寝腐り、次の闘いに備え、言葉の爪を研ぎ、飛びかかる力を養う。一緒に居る人にとっては、もしかしたら猫より迷惑千万なものかもしれない。

何をそこまで身をよじってウロコを散らし、川の流れに背いてでも元いた場所に戻ろうとする鮭のごとき執着は、またかのケンカ、あてどもないファイト!しか生まない。が、なんというか、そういう自分でもよくわからないグチャグチャな感情、ムチャクチャな欲求、ハチャメチャな論理がそこらじゅうに散らばった日常が、わたしにとっては何より慣れた暮らしだったりもする。「もうない」「もういやや」「もう、たくさん」といいながら居続けることで「どうでもええわ」といえる無の境地が生まれ、今日のところは見逃してやる仏の心も芽生えたりする。たぶん、そういうヤケクソな暮らし方しか知らないからだろうが、わたしにとっては、そういう人間と人間のどうしようもなさに溢れかえっている場所が、「家」すなわち「生活」という認識なのだ。
転々と住む環境は違えても、たとえ、そこに居る人間は違えども、慣れた自分の暮らしを貫こうとするネコを見ながら、「生類、みな、形は違えど、そんなもんや」と我が意を得た心地がした。

8月も終わる頃、遅ればせながら照りつける太陽に、35度を超える夏日が続いたパリ。ルイジは東南アジアから、ハトちゃんは日本からそれぞれパリに戻り、わたしとネコの3週間のふたりぽっちの生活も、ひと夏の思い出になった。嫌がるネコを無理矢理抑えリードを付ける一悶着もなく、ネコのリードを握りしめてヤツの動きに目を光らせる必要もなく、「はいはい、何個しましょ」と黒糖かりんとうに砂糖をまぶす駄菓子屋のオバハンのようなぞんざいな手つきでネコ砂をかきまわしウンコをよそって捨てる手間もなくなった。
いたらいたで面倒くさい、いなきゃいないでぽっかり寂しい、面倒なものが嫌いで好きで、居なくなったらどんなに楽かと思うものでも、いざなくなったら、懐かしい。
ネコのいなくなったキッチンの窓辺でひとり煙草を吹かしながら、自分勝っ手に思いめぐらす、どないやねん。

あれは3年前、わたしが、長年一緒に暮らしたおーちゅんと別れ、ルイジと暮らすパリへ旅立つ時、腹の底から振り絞るように、最後におーちゅんは言った。

「オレな、親兄弟との暮らしより何よりも、りっちゅんとの暮らしが好きやったわ」

わたしも、そう思って、そんな暮らしが大好きで一緒にいた。それなら、なぜ手放したのか? と問われるといまだに答えは見つからない。ただ、今にして思うのは、おーちゅんが好ましく馴染んでくれたわたしこと“りっちゅん”との暮らしは、わたしの血となり肉となり骨の髄まで行き渡っているおかあちゃんとかっちゃん(弟)との3人の毎日を彷彿とさせるような居心地の良さ、そのものだった。今にして思えば、わたしが最も慣れ親しんだ涙と笑いの生活劇場を、おーちゅんが1人見事に、わたしの脚本以上に立派に演じてくれたのかもしれない。それは、おーちゅんにとっても新鮮なしんどさだったかもしれないが、それ以上に、多川劇場の舞台が性に合うというようなことをよく言ってくれていた。たぶん、新たな家族を持ち新しい人生を歩んでいるおーちゅんにとったら、あの頃の暮らしは、「オレ、どうかしてたわ」というものかもしれないが、それでも、そのとき一緒に生きた「生活の記憶」は一生消えない刺青みたいなものだと、わたしは自分の人生でいやというほど知っている。だからかどうかはわからないが、言葉も文化も何もかも違う外国でこれまた特殊な性格の外国人相手に、「多川生活」に慣れろ、なじめ、やればできる! とやっきになって悪足掻いているわたしである。

昔は確かにあったが今はない、けれど、形は変われど、ここにあると思い込める「ひと」、「とき」、「ところ」。そういう「記憶の家」がないと生きていけない自分。
好むも好まざるも、一度心に懐いた記憶から離れられない人間の不自由さを思わされる夏の終わり。家に付くのが猫ならば、わたしが付くのはわたしの記憶。郷に入れば郷に従え、といわれても、わたしが入りたいのは、わたしの郷、いや業、むしろGO…  まあ、ネコもわたしも生きとし生けるもの、きっと、何かしら自分の性根に合うものに「付けない」ことにはやりきれないものであることには変わりはない。

そういえば、今夏、世界を席巻した話題といえば、場所情報を駆使してあんな所やこんな所に現れるポケモンを捕まえるスマホゲーム「ポケモンGO」。
先週末、遂にフランスにも上陸するや瞬く間にセンセーションを巻き起こしているらしい。
きっと、あのネコの中では、パリ17区のアパルトマンを舞台に、逃げた「おいら」を血相変えて捕まえにくる「ひと」をあざ笑う失踪&捕獲ゲーム「タガワさん Come!」がひと夏のブームだったに違いない。
そして今また、NYに旅立ったハトちゃんに別の人の家に預けられているネコ。
新たに置かれた慣れない場所で、今頃ヤツは虎視眈々と「わたしらしく、ネコらしく」過ごす抜け道を狙っていることだろう。

失踪前のネコ

見つめるキャッツ★アイ

緊迫の一服。

救出後も悪びれる様子ゼロ

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1件のコメント

ハトさんが(正確には違っていたと思うけれど)猫にネコと名付けたところからネコのことを知ってはいたし、その姿も写真の中では見てはいました。
が、ネコがどんな猫かというところはこれまでは想像するしかなかったわけです。パリでハトさんには会えたけれど、ちょっと普通の人は連れて行かんけど、と言って連れていかれたノル駅の裏辺りのインドレストランで、積もる話もどうでもいい話も楽しい話も興味深い話もいろいろしたけれど、それはネコがやってくる前だったですし。
な訳で、拝読してやっぱりネコは猫だったってことを知りました。
大いに笑いました!
ネコと似たようにただものとは思えないハトさんが、今度はどこへ行くのか分からないけれど、是非、率先してネコとの生活を申し出て、なにか一つと言わず波乱が起き、こうしてコラムになる日を楽しみにしています!

by 墨子 - 2016/09/04 2:15 AM

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Ritsuko Tagawa
Ritsuko Tagawa

多川麗津子/コピーライター 1970年大阪生まれ。在阪広告制作会社に勤務後、フリーランスに。その後、5年間の東京暮らしを経て、現在まさかのパリ在住。

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