salitoté(さりとて) 歩きながら考える、大人の道草ウェブマガジン

白線の裡側まで

2012-05-24
またもやできてしまったと、
デキ塔・スカイツリー

世界一高い電波塔「東京スカイツリー」がめでたくグランドオープンを迎え、テレビもラジオも連日「スカイツリー」一色の盛り上がりを見せている。仕事中に流すラジオは「J-WAVE」だが、オープン初日は、何の因果か朝から激しく打ち付ける雨にもマケズ、行列必至の人出にもメゲズ、「世界一を肌で感じたい!」と駆け付けた9000人以上もの人々のにぎわいと熱狂の様子を六本木ヒルズのスタジオから延々興奮生放送。中でも、そのナビゲーターの無垢で無邪気なはしゃぎっぷり、オーバーな感動ぶりがいちいち癇に触って仕方がなかった。

オープニングセレモニーでは、墨田区ゆかりの世界一・王貞治さんのテープカットに始まり、その後、カールスモーキー石井さんやラジオDJ、リスナーの皆さんによる滝廉太郎の「花」の大合唱やパフォーマンスなど、結婚披露宴のような縁起のいいプログラムが順々に繰り広げられ、ご祝儀代わりに我慢して聞き流していたのだが、問題は、そこで飛び出してきた女性DJのひとことである。

「(スカイツリーができたことで)なんだか、すごく明るいパワーがもらえそうですね。」

パワー? いったい何のこっちゃ。「元気をもらった」とか「元気を上げたい」とか、その類か。「スカイツリー」の出現によって、東京の人々の想いが天に届きやすくなるとでもいいたいのか。それとも単にうっとうしいスピリチュアル星人なのか。滝廉太郎の「花」の大合唱に「ウルウルしちゃいました!」とか、何の宗教やねん。だいたい自然でも宇宙でも日食でもスカイツリーでも、自分にいいようにいいように解釈して何やら「イイコト」を引き寄せようとするこの種の酷薄なイマジンが、わたしは一等嫌いなのだ。
それでも、どうしても泣きたい、「わたし、泣きたかったんだ」と魂の浄化を図りたいのなら、大林組と日本のモノづくり企業の汗と血と涙のストーリーのひとつでも熱く語った後で、「すいません、ちょっとじんと来てしまって・・・」と目頭を抑えながら中島みゆきの歌を流すべきだろう。であれば、このわたしとて不覚にもほろりと情に流されることもやぶさかではない。
それをワクワク&ドキドキ諸手をあげてパワーがもらえるとか、新たな希望の歴史が始まる、東京が変わる、日本が変わるとか〜!! わたしはそんな何の逡巡も思索の痕も見当たらない前向きなフレーズには嫌悪する以外、いまだかつて心動かされたことは一度もない。

「スカイツリー」といえば先週末、首都高速をドライブ中、初めて高さ634mの姿形を間近に見たが、確かにあの異様な高さには反射的に「ほ〜」と驚かされる。が、あのデザインは正直、どうなのか。アートというには、毒々しさも過激な爆発力もとくに見当たらず、かといってモダン建築の前衛的試み、時代への挑発、クールな革新性みたいな強烈な刺激はないに等しく、お世辞にも美しいともカッコイイともカワイイともブサイクともキモイとも何とも言えないから「いい人」と言うしかない “魅力の無さ” が印象的だった。まさに、何かにつけて「どちらともいえない」主体の無さ、ことなかれ社会の産物とおぼしき無難な恰好である。ただし、そこには日本が世界に誇る先端テクノロジーの粋が結集しているだけに、作る技術はあっても「iPhone」が作れないクソ真面目な哀しさを見るようでなおさら切ない気持ちになる。

起死回生の新車デザイン、一世一代のオリンピックセレモニーや日本チームのユニフォームなど、とかくニッポンが全力を傾けたときにいつも陥る「日本の伝統と宇宙的近未来の融合」という食い合わせの悪いコンセプトが、「SF感溢れるガンメタリックな素材で和の阿弥陀模様を表現しました」みたいな「なんで?」としか思えない唐突なデザインにありありと見て取れる。希望と未来の塔というより、むしろ、「なんで、こうなったのか」と天を仰いでたちつくす「鉄のあみだくじ」のようだ。

そして何より、いまだにわたしが納得できないのは、スカイツリーの出自である。わたしは「東京タワー」があるにもかかわらず「スカイツリー」が必要だという触れ込みが、どうも信用できない。どう考えてもウソ臭い。見るべきものは、スカイツリーの高さでもなければ東京シティのパノラマビューでもない、こいつの足もとだということを言いたいのだ。

新聞ニュースの聞きかじり情報ではあるが、そもそもの建設計画の発端は、近年の超高層ビルやマンションの乱立により「東京タワー」1本では電波障害が起こる危険が避けられない放送各社の要望であったという。しかし、考えればヘンではないか。自分の身近で「テレビの映りが悪い」など誰からも聞いたことがないし、今やケーブルやインターネット、携帯電波でテレビが見られる時代に、総工費650億もかけて新たに電波塔を建てる必要性がどこにあるのだろう。

さらに、これは5年間の東京生活で個人的に調べたことだが、東京の人々は、大阪の人間よりテレビに対する愛着、執着が著しく薄い、ように感じる。
それこそ週末日曜日の真っ昼間、「たかじんの委員会」から「ミナミの帝王」再放送になだれこみ、ハッと気づけば5時半、貴重な休みをテレビで「つぶしちゃったわ」みたいな大阪らしいアホはここ東京には滅多といない。察するに、東の人はそこまでテレビに固執していない。事実、東京の知人や友人の中には「テレビがない」「テレビは見ない」という人が結構あたりまえにいたりするのだ。

数年前、大阪のマンションで、折からの強風にあおられ屋上のアンテナが折れたか曲がったか、いきなりテレビ画面が乱れ映らなくなったことがある。わたしは即座に「えらいこっちゃ」と玄関を飛び出し、大慌てで階段を駆け下りて1階の管理人宅へ押しかけたが、すでにそこにはマンション中の住民が集まり「どないなっとんねん」「いつ直るんや」の大騒ぎであった。その後、同じマンションで水道が止まるトラブルにも見舞われたが、そのときは住民一同、冷静沈着に事の次第を見守っていたので、大阪人がいかにテレビが好きか、その情熱、執念、必死の程がおわかりいただけるだろう。

けれど、それほどまでテレビ需要が高く、さらには東京以上に超高層マンションが雑草のごとく傍若無人に乱立しているにもかかわらず、大阪では新たな電波塔建設の話などどこからも聞こえてこないし、それ以前にそんな金はどこにもない。つまり、貧乏庶民の娯楽の王様・テレビを愛する人々がひしめく大阪ならまだしも、ただでさえテレビを見ない民度の高さを誇る東京都に、しかもこれからどんどん人口が減っていくこんな時代に、世界一の電波塔を建てる意義がどこにあるのか。経産省と経団連の意図があるのはうっすら感じるが、それ以外はまったく意味がわからない。

ちなみに、大阪の電波塔はよく「通天閣」と思われがちだが、実はそうではなく、それは生駒の山上に在阪放送各社の塔がまあまあ妥当な高さで人知れず適当に並び立っている。もちろん、わざわざそれを見に行く人など誰ひとりいない。「スカイツリー」に比べれば、高さもスケールも装飾もデザインもハイテク技術の先進性も何もかも、案山子か爪楊枝とおぼしき生駒の名もなき電波塔だが、もしわたしが電波塔なら、ひたすら電波を送る己の本分のみに集中し、何よりテレビが好きな人間に囲まれた「生駒の電波ツリー」でありたい。そっちのほうがよっぽど送り甲斐があるからだ。

と、東京都のテレビ電波の安定供給をめざして生まれた「スカイツリー」の必要性を掘り返せば掘り返すほど、そこにもまた「原発を稼働しなければ電力不足になる」という政府東電のロジック、メカニズムが根深く横たわっていることを勘ぐらずにいられない。当初は建設を反対していた住民も、それを受け入れることで将来的にもたらされる経済効果、商店街の振興や集客向上、税収増大、街の活性という “アメちゃん”をほおりこまれれば、次第に大人しく押し黙り、しつこく危機感を叫ぶ不穏な言葉はタブー視され、明るい未来を信じる前向きな言葉のみが空々しく充満し、押し流されていく。モノは違えど、またかのパターン。できてしまったものは仕方がないと目をつむり、こうなったらよくなることを願うばかりのお人好しの考えなしだ。

「スカイツリー」がそびえる押上地区は、東京大空襲で奇跡的に焼け残った古い家並みや商店街が狭い路地にひしめき合う下町エリアである。元は「業平橋」という由緒ゆかしい駅名も、あっけなく「スカイツリー駅」に改名され、江戸の下町風情は「ソラマチ」というショッピングモールに集約・回収されるお決まりのランドマーク開発によって、見どころいっぱいの観光スポットに仕上がったわけである。が、それによって得られるものと、失われるもの、そのどちらが未来に継ぐ希望になりえるものだろう。今までにない賑わい、儲け、眺め、灯りをもたらしてくれるのだから、「それはそれでいいじゃないか」という善意の解釈で一瞬の安心を手にした代償の大きさ、落とし前の恐ろしさを、わたしたちは世界で一番考えなければならない立場にあることを忘れてはならないはずだ。

バカ高い鉄塔を空に突き上げたくらいで、光り輝く歴史が始まるなら、平和で幸福な未来が開けるなら、日本全土に片っ端からいびつな塔をハリネズミみたいに突き立てればいい。ただし、いつか、高く高く伸ばした鼻はへし折られ、伸ばした爪ははがされるっちゅうことを忘れたら、死ぬほど高こぅつきまっせ・・・(『ミナミの帝王 劇場版』より)

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Ritsuko Tagawa
Ritsuko Tagawa

多川麗津子/コピーライター 1970年大阪生まれ。在阪広告制作会社に勤務後、フリーランスに。その後、5年間の東京暮らしを経て、現在まさかのパリ在住。

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