salitoté(さりとて) 歩きながら考える、大人の道草ウェブマガジン

白線の裡側まで

2015-12-4
パリは燃えているか!?
ええ、自分なりに!

今年の年明けに起きたシャルリー・エブド襲撃テロ事件に絡んだことを書いたのが2月。それから春夏秋とあっという間に季節は過ぎ、ようやっと書きだしたらもう師走。しかも、またしても、事件である。
そう、先月13日、パリの繁華街と郊外のサン・ドニで130人が犠牲となる同時多発テロが発生。ちょうどその時、わたしはどこで何をしていたか。今回の襲撃で、最も多くの犠牲者を出したバタクラン劇場から歩いて15分とかからないルイジのギャラリーで、女同士しゃべりの花を咲かせていた。それこそ、イスラム過激派テロの脅威、緊迫のシリア情勢、切迫するヨーロッパの移民・難民問題などという国際社会の今とは程遠い自分たちの今だけを見つめて。
そして、その夜から発令された外出禁止令、喪に服す数日が過ぎ、すでに3週間余りが経過した現在。犯行現場となった劇場やレストランのある通りや広場は、犠牲者の死を悼む人々が持ち寄った花束やロウソクに覆われ、道行く人はそっと黙祷を捧げる。

それでも、普段のパリの街は今やクリスマスのイルミネーションの輝きに彩られ、観光名所のエッフェル塔周辺、凱旋門へと続くシャンゼリゼ通りには、縁日さながらの屋台出店が立ち並ぶ「マルシェ・ド・ノエル(クリスマス市)」が、重武装のいかついポリスが厳戒の雰囲気を醸す中、それはそれとしてそれなりの賑わいを見せている。駅前のキオスクに並ぶニュースや新聞、週刊誌には「街角の戦場」「戦争は始まっている」と、非常事態を煽る大見出しが鼻息荒く打たれているが、わたしの生活圏内では、デパートやスーパーや建物内に入るときには必ずバッグの中身を見せてセキュリティチェックをされる以外、オランド大統領のテロとの戦争宣言を受けて変わったことはさして何もない。それを言えば、あの東北大震災後、またたくまに近所のスーパーやコンビニの店頭から一斉に食料・水・トイレットペーパーなどあらゆるモノが姿を消し、節電のせいだけではない自粛と自省と自戒の重さに暗翳と街も人も沈み込んだあの時の方が、自分にとってはよほど身にこたえる異常事態だったといえるかもしれない。

ただ、このテロ事件の犠牲者のあまりにも唐突な最期に目を閉じ我が身を重ね、いやがおうにも思い知る、いつ何が起きてもおかしくはない世界に生きている実感。11月にしてはありえない異様な暖さに包まれていたパリの週末の夜、友人・家族・恋人、気の合う者同士ディナーやコンサートを楽しもうとその日その場に出かけた、その時そこに居た、それだけのことで殺されてしまう無念と無残が、美味しい楽しい自分の世界と背中合わせにあることを明日は我が身と戒めることしか、今ここでわたし自身が痛切に我が身に刻めることはない。
なぜなら、もし、わたしの興味や嗜好の一端が、その夜、バタクラン劇場でアンチにふざけたメタルロックを爆音鳴らしシャウトしていたアメリカのロックバンド「イーグルス・オブ・デス・メタル」に触れていたなら、このわたしですら虐殺現場の犠牲者のひとりになっていたかもしれないのだ。

ただ、こんなときにこんなことを言っていいのかどうかは別として、こういう事態にさらされると、生と死が皮一枚の日常を異常と断じて疑わない国と時代に生まれついた自分としては、なんでまた選りに選ってこんなときにここにいるのか、という自業自得のぼやきが正直口を突いて出てしまう。なので、そんな者がたとえ消えることないテロとの戦火が燃えているパリにいたとしても、特段深い考えや鋭い分析ができるはずもなく、誰も求めはしないだろうということで、今回は、その日その時そこに居ても思うことはその程度という自分の話に終始したい。

そう、そしてその晩。わたしは、テロ現場の至近距離で普通に飲んでいた。今年の春からルイジのギャラリーでオフィスシェアの名の下に、わたし1人の力では賄いきれない、というよりツッコミきれないルイジという人間の何たるかを共同研究してくれている同郷のハトちゃん、そして、世界的写真イベント目白押しの「パリ・フォト」シーズンめがけ日本から来ていたフォト・レビュアーのナツコの3人でギャラリー近くの韓国料理屋に行った帰り、「まだしゃべり足りへんなぁ」とまたギャラリーに引き戻って飲み直していたちょうどそのとき、パリの街に銃声が轟いた犯行時刻であった。そろそろ帰ろうかという段に何やら忙しく鳴るナツコの携帯メール。
「なんかパリでテロがあったみたい」という彼女のひとことに、まだまだのんきに「え〜、どこで?」と漫然と構えるわたしとハトちゃん。しかし、それが今、自分たちのいるギャラリーの目と鼻の先で発生し、しかもナツコの宿泊しているアパルトマンが襲撃現場の劇場から100mも離れていない至近距離にあることをgoogle mapで確認するや発令されるわたしたちの非常事態宣言、「ちょっと、あんた、笑われへんで!」。

そこから、わたしとハトちゃん、ナツコの3人は、明日の便で日本に帰らねばならないナツコの荷物を現場近くの彼女のアパルトマンに取りに行こうと大慌てでギャラリーの外に出た。その瞬間、ただならぬ人々の様子、途切れることなくうなりを上げる救急車とパトカーのサイレンに初めて知る、ただごとではない現実。テロ発生現場のレピュブリックの方向から、血相変えて走りながら逃げてくる人、今見てきた惨状を声高に教え合いどうにか家路につこうとする人、そして逃げる人の波とは逆方向に突き進むわたしたちを呼び止める目撃者の警告。
「あなたたち、何が起こったか知らないの? わたしは今、血だらけの死体を見たの。なぜあなたたちはそこに行くの? 行くなら自分の責任で行きなさい」と言われても、そういう彼女の予断を許さぬ緊迫感に圧倒されはするものの、「いやいや、まあ、とりあえず」と、見たことのないスピードで爆走するパトカーが行く方へ小走りに向かって行く、そうはゆうても「大丈夫」のココロとは何なのか。
たぶん、それはお金の心配とは無縁に育った裕福なボンボンの人の良さのごとく、生まれてこの方「平和」しか知らず、水と安全はただと信じて育った日本人ならではの無知な無防備さは大いにあるに違いない。しかし、それより何より根強い自信はどこからくるかといえば、こんな世界中を震撼させる歴史的大事件に巻き込まれるほど重大な運命が自分ごときに与えられているわけがない、自分はそこまで大したヤツではないという自覚と諦念である。生きるも死ぬも、幸せの絶頂も不幸のどん底も、成功の雲の上も落ちぶれた果てた井戸の底も、その極致を見なければならない人間というのは、その存在によって世の人々が知り得ぬ真実を知らしめる役割を担っている。自分は絶対そんな特別な運命にはない。という烏合の衆の自負が、何が大丈夫かわからんけど「大丈夫や」の笛や太鼓をどっこいズンドコ鳴らしているような、そんな気がしてならない。

しかし、こののっぴきならない非常時に、わたしが救われたのは、今まさに自分の置かれた状況、「とりあえずナツコの荷物を取ってギャラリーに戻るから、車で迎えに来て」というルイジへの伝言伝達のやりとりを、いとも円滑にスムーズにできたことである。というのも、このテロ事件が起こったのは、先にも触れた世界中の写真家・コレクター・写真関係者がこぞってパリに集まる「PARIS PHOTO」期間の真っ最中。ルイジのギャラリーとつながりのあるフォトグラファーや編集者、多くの写真業界関係者がどっとパリに押し寄せているその時期、わたしの家に寝泊まりしていたのが友人のフォトグラファー・TOBI(トビ)だった。

その夜、ルイジと連れ立ってセーヌ川辺の船上で催されるフォトブックフェアに出かけていたTOBIに、すぐさま事の次第と状況をメールし、ルイジに車で迎えに来て欲しいと伝言を託し電話を切ったわたしは、「そう、これ、これなんよ」の感動を噛みしめる。一を言えば十を悟り合える、こちらの意図を汲みつつ、ほぐしつ、流れるように話が進む連弾シンフォニーのようなやりとりを再度心の中でリピートする。
「とにかく、あれよ、今もうナツコのとこやから」
「わかった、とりあえずそっち向かうわ」
「ほんで着いたらまた」
「うん、電話する」

なんだろう、この、こっちが言いたいことを相手が言い、相手が言わんとすることをこっちが言う、互いに酒を酌み交わすがごとき2人羽織のコミュニケーション。そういうなめらかな意思疎通から遠ざかって2年と5ヶ月。異なる言葉と真逆の思考の隕石にぶつかりまくる銀河を旅する者にとっては、それは宇宙飛行士が見る地球のようにそこまで遠のかなければ見えてこない素晴らしさであった。

何しろ、こういう不測の有事が起こった際、起こった事態の大きさを凌ぐ混乱と衝撃をもたらす目の前の現実。そう、それは、ルイジ。つねに世界で最も危険な紛争、内戦地帯を仕事場とするオイルビジネスを生業とする彼は、自らも南米で拉致され捕虜生活2年の地獄から生還した類い希な悪運と幸運を持つヤツである。その一見ポッチャリ丸い外見からは想像も付かない壮絶な生と死の間をくぐりぬけてきたダイ・ハードなヤツの辞書に、「ま、大丈夫やろ」の楽観、「ま、ええか」の楽天、「ま、なんとかなるさ」のお気楽というような長閑な「ま」は1mm足りとない。そして、この極私的に発達した凄まじい危機感の塊が、一度何かが起こると、本来の危機よりも尚、危機的な面倒くささに発展するのである。もしTOBIがこの時ここにいなければ、わたしはおそらく、テロより何よりこいつとの闘いに持てる力のすべてを注ぐハメになっていたことだろう。この非常事態の最中、わたしがヤツに、ナツコの荷物を取りに行くため犯行現場のレパビュリック方向に歩いているなどとでも言おうものなら、「Honey、ハニー、ハニっ、ハニっ、ハニー! Don’t move Don’t go out!Stay there!I go there soon, OK!!!!」(絶対動かずそこに居て!すぐ迎えに行く!)」と、まるでわたしが火の中にいるナツコを助けようと燃え盛る炎の中に飛び込もうとでもしているかのような逸脱した解釈で、有無を言わさず一歩も外に出るなと迫ってくるに違いない。

そうなるともう何を言おうが人の話を聞く耳は完全封鎖。ひとりでに極限に達していくやつの危機感は止まらない。わたしは敵に囲まれた絶体絶命のヒロインで、おまえはそれを助けに来るヒーローか? というほど手に汗握るスリルと興奮に満ちた顔、口調、ジェスチャーで海外ドラマか映画でしか聞いたことのない英語をたたみかけてこられる。しかも、そういう時のヤツの英語というのがわたしの耳には思いっきり「上から」の命令口調にしか聞こえないのだ。「OK? OK ? って、さっきからおまえ何様やねん!」と、頭の毛細血管の1本や2本引きちぎらんばかりに怒鳴り散らすわたしの大阪弁のシャウトすら「助けて〜」の悲鳴にでも聞こえるのか。いよいよハニーは我を失ってパニックに陥っている、まずはハニーを落ち着かせなければと、またしても逆方向の理解の仕方で「ハニ、ハニ、ハニ、ハニ」と上からなだめてこられ、気が狂いそうになるこの状態。それを異常といわず何というか、知っている人がいたら教えてほしい…。

インターネットがつながらない、電源のヒューズが落ちた、排水溝の流れが悪い、そんな日常のちょっとしたトラブルにさえ、人質に脱出経路を教えるFBIかCIA捜査官みたいな口調で毅然と臨んでくるこいつの際立った危機感に、わたしは何度怒り死にかけたことか。
湯沸かし器が点かずお湯が出ない。「どうしよう」と電話するなり突如としてMAXで誤作動するやつの特殊な危機アラーム。
「ハニー!落ち着いて。これから僕の言うことを聞いて、まず湯沸かし器のあるキッチンに行くんだ」
いやいや、落ち着くのはおまえや。 「だからぁ、もう、そこに居るゆうてるやん!」「シィーシィー(沈黙を促すしーしー)オッケーイ, オーラーイ(既に上から目線)So ハニー、では、そのカバーの中心を見てごらん、するとキミは種火を見ることができる。それはどうなってる?」
「だからぁぁぁ〜、 消えてるゆうてるやんけぇぇぇぇぇーーーー!!!!」
ああ、もうイヤや、もうイヤや、もう勘弁の阿鼻叫喚の地獄というのはそう、つねに、身近な暮らしの中にあるのである。今回、一度何かが起これば必ずやそうなる救いがたい惨事に至らなかったのは、ルイジという人とわたしという人の間にもうひとりTOBIという鎹(かすがい)がいてくれたおかげというより他ない。

そんなこんなテロ事件直後の現場付近で、自分だけの回想と感慨を胸にナツコの荷物をスーツケースに詰め込み、わずか数百メートル先に戦場と化した劇場のある大通りを眺めながら通りに出たわたしたちの前に、「もう大丈夫だ」といわんばかりに現れたルイジ。それはもうサスペンス劇場「江戸川乱歩の美女シリーズ」天知茂ばりに額の3本ジワ、眉間の2本ジワがくっきりと「THEシリアス」を物語る面持ちでの濃厚な登場感であった。そうしてわたしたちはフランス特製・天知茂の車に乗り、ハトちゃんは彼女の自宅へ、その他のナツコ・TOBI・わたしの3人は無事ルイジ宅へ連行されたことはいうまでもない。

が、そんな車中も家に戻ってからも、ひっきりなしに鳴り続けるナツコとTOBIの携帯メール。彼らの安否を心配した日本の友人、家族、知人からの「大丈夫?」に忙しく返信する彼らを見ながら、未だ逃走中の犯人の行方、テロ事件の速報ニュースが流れるテレビを目で追いながらも、わたしがひとり動揺し、狼狽し、うるさく追求してやまないのは、なぜわたしには誰からも安否確認のメールがないのか、という一点であった。

「たぶん、まだりっちゃんの友だちは起きてないんじゃない?」
「きっと、りっちゃんの友だちはりっちゃんのことやから大丈夫と思って敢えてメールなんかしないんだって」と、やさしい彼らになぐさめられても、「いや、それにしても、どういうこと?」と、一晩中止むことのないパトカーのサイレンよりも、わたしの中に鳴り響くテーマ。それは「友情とは何か」。

「なんかさぁ、友だちって、何なんやろなぁ」と、今こんな時にそんなちっちゃい自分の物悲しさに固執しているおまえこそ何やねんの深夜3時半を回る頃。1人目の「大丈夫ですか?」のメッセージに待ってましたのガッツポーズ。「よかったね」と冷ややかに見つめるふたりをよそに、じっと見つめる携帯画面とPC画面。絶対来る、来ないはずはない親友たちからのメールを受信したその瞬間、あらためて知る大丈夫のありがたみ。いつ何が起こってもおかしくはない世界に生きているからこそ、かろうじて生きている限り、自分の世界だけに生きて何が悪いねん、と苦笑いで床に就くわたしであった。

このパリのテロ事件を受け、その痛みと悲しみを共有するトリコロールが多くの人々のフェスブックやtwitterのプロフィール写真に彩られた。そうした行為に対して、シリアの女性記者が投げかけた一石。パリの事件の前日にレバノンでは43人が死亡する自爆テロが起こり、ナイジェリアでは55人が死亡するテロが起きている。中東やアフリカではISによる相次ぐテロで日常的に多くの犠牲者が出ているのに、なぜフランスの人々の死だけが特別重要なのかという彼女の疑問。誤解を恐れず言うならば、わたしはそういう彼女のやるせなさもフェイスブックのプロフィール写真をトリコロールにした人々の思いも、個人的に知る誰かを思う気持ちに変わりはないと思う。彼女の友人がベイルートのテロの犠牲になったことも、日本の誰かがフランスに住む友人を思い、フランスを旅した、あるいは一時期そこで過ごした思い出を思うことも、それは突き詰めれば個人的な出来事ではないか。自分が自分の知り得る範囲の人々に感情移入するのは当然であって、一個人が世界の情勢に配慮した慎重かつ公正な言動などできるはずがないし、する必要があるのかどうか。それは、わたしが大切な人を失った悲しみに泣き暮れている葬式にやってきて、「世界にはおまえよりもっと悲惨な現実に泣いている人間がいる。その人たちのことを思っておまえは涙を流したことがあるのか。なんと利己主義なやつだ」と非難されてしまうようなものではないだろうか。

世界では今、何が起こっているか。確かにそれを知ることも大切だろうが、ひとりの人間が知り得る限りの現実に切実に何かを何処かを誰かを想うことも、それと同じくらい大切なことだと、わたしはわたしの次元でそう思うのである。

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Ritsuko Tagawa
Ritsuko Tagawa

多川麗津子/コピーライター 1970年大阪生まれ。在阪広告制作会社に勤務後、フリーランスに。その後、5年間の東京暮らしを経て、現在まさかのパリ在住。

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