2014-10-5
中世と“ペペ”の間で。
何千年の時を経ても依然頑として変わらない石造りの街は、吹きすさぶ嵐、天を裂く稲光り、降りしきる雨、そして永遠に光りなど現れぬかのような暗鬱な空の下にあってなお、世の暗さも世情の変化も諸ともしない圧倒的な美しさを見せつける。 幾千年もの歴史の重層が厳然と在るこの国で、逆立ちしても叶わない羨望と畏敬の念を抱かずにいられないのは、「古いもんが偉い」といわんばかりの建造物、そこに漂う時の重さを思わずして思わされる光景に出会うときだろうか。そして、ここパリの生活で、何かにつけて立ちはだかるのは、変わらないにも程がある“中世”の壁である。
そもそも、“中世の薫り漂うヨーロッパ”と、わたしなどが知った風に口にするこの「中世」というのがいつかといえば、ローマ帝国が滅びた5世紀、王侯貴族文化がはじまったフランク王国時代からベルサイユの薔薇でおなじみのルイ14世ブルボン調時代、15世紀あたりまでということになる。
日本で言えば、聖徳太子の時代から藤原氏の全盛期を経て、鎌倉幕府、室町幕府あたりまでがヨーロッパの中世にあたる。
そんな遥か昔の建物、小径、街並みが、文化遺産や名所旧跡としてではなく普通に在り続けているのはフランスに限らず、ヨーロッパのどの国もそうだろう。
そして、世界中の旅人を魅了してやまない中世の面影が色濃く残る美しい街には、棲みついたものにしか知るよしもない、未だ中世から続く様式・形式美を頑なに守り続けているめんどくささも歴然と在る。
たとえば、ここフランスのフランク王国の時代から続く、パピエ(紙)文化もそのひとつ。何でも、中世の昔から王族貴族達の約束事や契約事はすべて書面を交わすことが常だったことから、この国は、いまだにインターネットや携帯電話の解約ひとつも一から文面を考え「お別れの手紙」をしたためなければならないという伝統を重んじている。それが最近「お別れのメール」になったというだけでも、革新的なことなのだ。
先日も、ノルマンディに列車で出かけた友人が、いい加減にもほどがあると憤慨していたフランスの鉄道。週末の行楽客で混雑する車両に乗り込んだ彼女は、指定券に記された「7号車」を目指し、 床に座り込む乗客の群れを押しのけながら、やっとの思いで「6号車」までたどり着いたところで、えっ!? 。そう、その列車はそこで行き止まり。7号車など初めからなかったのである。 信じられない怒りに立ち尽くす彼女を、「ふっ、おまえもか」と迎える同じく「7号車」の指定券を手にした乗客達。そばに立つ子どもまでもが「よくあることだよ」と苦笑するありえなさに、心底思い知る「フランス」。だからといって、指定券に支払った料金はどうしてくれるのかと、裏切りの列車のツケを払ってもらうべくパリに到着するや窓口に向かった彼女をさらにあ然とさせたのは、「ご迷惑をおかけしました」のひとこともなければ、指定券に裏切られた乗客たちに対処する案内もアナウンスも専用窓口もない、鉄道会社の対応である。指定券にある車両がなかった苦情を申し立てる彼女に、窓口の駅員はまるで日常業務の一環のように慣れた動作で、「この紙に必要事項を記入して、この宛先まで郵便で送って」と、まるで何かの懸賞キャンペーンのように一枚書面を手渡すだけ。またしても紙(パピエ)の洗礼である。
5分到着が遅れただけで到着ホームに「本日、列車の遅れにより、ご迷惑をおかけしましたこと誠に深くお詫び申し上げます」のアナウンスが鳴り響き、遅延証明を手にした駅員が頭を下げて待ち構えている日常に慣れた日本人にはことさらに、この素っ気ないほどライトな対応が信じられない。
なんで、そんなことができるのか、しつこいかもしれんけど、と、よその地に生きる空しさ、切なさ、歯がゆさを噛みしめるのである。
社会の基底を流れる中世の時の流れの重みとは裏腹に、こと商売・サービス・ビジネスという人の信用を基盤とする現代のビジネス分野、それを現す「人」となると責任感フリー、罪悪感ゼロ。ウソみたいにのけぞるほど軽い「おフランス」。 たとえば、届いたらラッキーみたいな信用のなさが有名なフランスの郵便事情。たとえ追跡番号を付けていても「パリの郵便局に到着・配達中」という表示を最後に姿を消すなんてことも珍しいことではない。だからといって郵便局に苦情を言ったところで、知らぬ存ぜぬ、何の解決にもならないことがあたりまえ。その後、何週間も1ヶ月以上も経過してから、送り先でも何でもない途方もない場所から出てくるような杜撰な管理体制、いい加減な対応は、電気・水道・ガスの修理からインターネット、ケーブルTVの配達設置、家屋の修繕工事に至るまで、どれも似たようなもの。大体からして、指定の訪問日時に業者がきっちり来るというあたりまえのことが、「パールフェッ!(完璧だわ)」「シューペール!(すごいわ)」と褒めちぎるようなことだとは、ここに来るまで知るよしもなかったわたしである。
ヨーロッパの中でも、来るもの拒まず多くの移民を受け入れているフランス。そして、建築・土木・物流・配達・流通・通信・生産・サービス、あらゆる産業の基盤を支える労働者の多くは、それこそフランク王国とは縁もゆかりもないアフリカ、中東、東欧、南米、様々な国からやってきた移民たちの仕事というのが、この国の様相である。今では、わたしも何の因果かフランス移民の末席に居座らせてもらっているわけだが、何というか、このいい加減な社会システムがそんな移民のせいなのか、はたまた、フランス人元来の気質・性格によるものか、そこまではわたしもつかみ切れてはいない。が、おそらく、ここまできたら伝統と移民がミックスした共和のひとつの形といっていいような気がしないでもない。ただ、ここで暮らして痛感させられるのは、異なる国の異なる個と個が共に生きるために何が一番必要かということである。それは、こう言っては何だが、歌の世界にあるような愛やイマジンではないことだけは確かだ。まったくもってルーツの異なる人と人がそれでもどうにか折り合いつけて生きていかねばならない社会にとって最も重要な心構えは何か。それは、できようができまいが、使いもんになろうがならまいが、その人間が生きる糧を得られる仕事を分け与えること。たとえそれがいかに不便だろうと、いかに面倒だろうと、どう考えても損だろうと何だろうと、そいつに付き合っていく、やるせない覚悟でしかない。
ただ、こういっては何だが、自分がそうであって「然り」と思うことが「然りではない」、むしろ「異なる」ことが当然のような社会というのは、どうにもあてにならないものである。というわけで、今回の話の主人公は、そんなフランスで絡まされた信用もクソもへったくれもない異なヤツ・ペペである。
来る日も来る日も薄暗い雨曇りの6月の終わり。淀みに淀んだ心の憂さを晴らそうと、太陽の光をもとめポルトガル旅行を計画していたわたしとルイジ。が、結果的には、そこまで腐った気持ちは晴れることもなく、さらに膿み腫れ上がらせるような“ペペ”にしてやられた今年の夏。
ペペとは、南アメリカの内陸にあるボリビア出身で、家族親族ぐるみでフランスに移住し、仕事は内装工事の請負を生業とする、まあまあ気はいいやつである。妻子を養う出稼ぎのため日本の建設現場で働き、川崎に住んでいたという彼は、片言ながら日本語が話せるだけに、わたしが初対面から気兼ねなく話せる外国人のひとりであった。 それこそ、わたしが日本に帰る折りには「ぺぺ、何が欲しい?」と、ペペのお土産リクエストを訊き、ペペ的に心の琴線をかき鳴らされたという堀内孝雄と和田アキ子のCDをわざわざ大阪第三ビルの胡散臭い中古AV・DVDがひしめく地下2階をうろつき回り、「本人が歌ってます!」というあたりまえんやんけ!みたいなベスト版を買ってきたこともある。いわば、それなりにフレンドリーなつきあいをしてきた相手だった。
当初は、「ぺぺ、ぺぺ」と、何か大工仕事が必要とあれば「ぺぺ」を呼び出すルイジを見て、バカにしつつ小突きつつも可愛がっている後輩のような存在か、あるいは、コロンビア育ちのルイジにしたら同じ南米育ちでスペイン語で話せる同郷のルーツを持つ者同士、何かしら通い合うものがある仲なのかと思ったりしたが、しばらく見ていると、そのような情やきずなは一切ない間柄であることが見て取れた。何しろルイジが彼を呼ぶのは、棚を作る、壁を塗る、剥がれた床を修復するなど、人工作業が発生したときだけで、ペペと飲みに行ったり、ペペに何かを相談したり、ペペをディナーに招いたりという友人同士のつきあいはまったくないからである。
となると、わたしのこれまでの常識では、お抱えの業者さん、いつも家に来てもらっている馴染みの大工さんということになるが、そうなると当然あって然るべき「贔屓の理由」がペペにはない。それこそ彼に頼めば間違いない、他に頼めば無理なことでも彼ならやってくれるという期待に応える腕も技術も度量もなく、抱え込む理由は、ただひとつ。安く使える、それだけだ。 ただ、そこだけ取ると、ルイジというのは「人間には、敵か家族か使用人の3種類しかいない」という極端な人間観を持つ田中真紀子のような人物か、ということになる。
確かに、それに近い食えなさは多分にあるとはいえ、このぺぺとの関係性において、ペペを使うことで生じるリスクの大きさを考えれば、どっちが上も下もなかったりするのである。
なぜなら、仕事を仕事とも思わず、指定した時間に来ない、何度もやっている作業を毎回初めてのようにいちいち聞いてくる、指示したことと違うことをする、そんなおのれのミスをやり直すことを追加作業と受け取るようなぺぺの出来の悪さに懲りもせず、金を払って怒鳴りまくっているルイジ。
それは言わば、どっちもどっち、ズブズブなぬかるみに咲く“平等の花” なのだ。
事の起こりは、ポルトガル旅行を前にしたある日。どうせなら、この10日間の旅行中に、かねてより老朽化による汚れや破損が目立っていた自宅のトイレとバスをリフォームする案がルイジから持ち出された。
それはまあ、そうしてくれたらありがたい話だが、誰に頼むのかと訊くと「ペペに」というではないか。それでなくとも信頼も実績も期待も可能性もオール・ゼロのぺぺに、自宅のバスとトイレのリフォームを依頼することの危うさを察したわたしは、しつこく大丈夫かどうか念押しした。
しかし、当のルイジは、キッチンのリフォームもペペに頼んだから大丈夫と言い切ったあげく、手前勝手に未来のイメージを膨らませるのみ。
「ポルトガルから帰ってきたら、夢のようなバスルームが僕たちを待っているなんてさぁ、フ・フ・フ、What do you think?」……
「アホか」としか思いようのないポジティブな英語を聞き取りながら、不安以外思うことなど何もないこのわたし。 そして、ここからが、ほんま腹立つペペ新悲喜劇の幕開けである。
確かにペペは言われたことしかできない。だから、あなたの理想のイメージを設計して、ペペを上手く使いこなしてほしいというルイジ。 わたしにすれば、そんな頭と腕があればそれで飯食ってるわ!みたいなお門違いな仕事を簡単に丸投げしてくるルイジに対してまず、煮えくりかえった腸を振り回す勢いで飛びかからねばならず、さんざん怒鳴り散らしてヘトヘトになったところに、今度はぺぺという、また別の、新たな異文化をひっさげたボリビア人との埒のあかない夏の甲子園が始まるのだ。
数日後、わたしとルイジは、日本で言えば「コーナン」か「コメリ」か、パリ郊外にある自宅のリフォームならおまかせの大工用品店の大規模店舗「ルロワメルラン」に出向き、トイレ便器、便座、洗面台、タイル、セメント、水道蛇口、シャワーヘッドなど、リフォーム工事に必要な設備道具を選んで注文したのだが、その間、終始、沸々とわたしの胸に沸き起こる素朴な疑問。 「なぜ、客のわたしが、発注作業までやらなければならないのか」
このペペの物語の底を流れるわたしの怒りは、「なんで、わたしが、そこまで…」という不当な責務に対するジレンマに他ならない。
しかし、そんなわたしの苛立ちを察する、汲む、忖度することを知らないルイジは、さらに一層「なんで、そこまで」というムチャなことをわたしに振ってくる。
言うに事欠いて、天井と床面に必要なタイルの正確な数を「How many do you need?」と、欲しいだけ買ってあげるよと言わんばかりにさも親切そうに訊いてこられたときには、フォンテーヌ・ブローの噴水さながら、脳天から煮えたぎったミソが吹き出しそうになった。 悪いが、職人でも大工でも内装コーディネーターでも何でもない普通の女性が、天井の面積から割り出した正確なタイルの注文枚数など、誰がわかるか?
「わかるわけないやろ、このボケがーーー!! 」と腹の底から絶叫したところで、当のルイジは虎の尾を踏みしめながら「この虎は狂っている」と、欧米人がよくやる「Wow ワーオ」と肩をすくめるポーズで、これでもかと火に油を注いでくる。そして、むやみに音の反響だけはいいだだっ広い店内に、お里が知れる巻き舌の大阪弁の怒声が空しく響き、そこらのフランス人の客達が「quoi?クワッ(何?)」と一瞬振り向くだけ。こんなに人はいっぱいいるのに、わたしをわかってくれる人は誰もいない。「コーナン」「ニトリ」「コメリ」では一度たりとも感じたことのない、ああ、無情。ルロワメルランのソリチュード(孤独)… ほんま、やってられへん。
そうして何とか発注した商品を、これまたペペとふたりで取りに行ってほしいというルイジ。なぜなら、商品代金をカードで支払わなければならないから、どちらかが付いていかないといけない。しかし、自分は時間がない。だから、わたしに行ってくれ。内容はすべてペペに伝えてある。わたしはカードを持って支払いさえ済ませればいい。とてもsimpleでeasyなことだとヤツは言う。しかし、これまでの数々の修羅場経験から、ヤツの言葉通り「easy」に済むはずがないことはやってみなくても分かりきっている。
何しろ、言葉がままならないフランスで、しかも「注文したはずの商品が注文されていなかった」みたいないい加減さが売りのフランスの店舗で、発注した商品をすんなり確実に受け取るためには、どれほど気合いとエネルギーがいることか。ああ、こういう小心な気苦労を、「too much」余計な思考と捉える栗色の瞳を持つキミと一緒にいる情けなさに、これから共にルロワメルランに挑むパートナーがペペという頼りなさが相まって、軽い目眩をおぼえながら、仕方なくペペに待ち合わせの時間と場所を明記したSMSメールを送る。
ややあって、ペペから届いた返信は、「何時か?」「わたし、どこに行く?」という、やっぱり予想的中の愚問であった。
そんなどこまでもしんどいペペと、ルイジに渡されたフランス語だらけの発注書を眉間にしわ寄せ必死に見ながら、ルロワメルランで1点、1点、商品を確認し、受け取りと支払いを済ませたのだが、その間も、注文していた便器が在庫切れなど、数々の細かい困難にぶち当たったことは言うまでもない。
だからといって、そこでぺぺが内装工のプロとして、店員に明確な指示を与えるなどということなど、あるかいな。 店員に何か問われる度、何を言ってるのかいまいち分からず慌てふためくわたしと、言われていることはわかっても何をどうすればいいのか考えることができない半笑いのぺぺ。そんなわたしとペペの買い物風景は、傍から見れば、右も左も分からない移民ホヤホヤの“新婚さん”にしか見えないだろうと思うと、「わたし、何してるんやろ...」の極致であった。
しかし、このルロワメルラン。パリから車で1時間、渋滞すると2時間はかかる郊外にあり、その日もお決まり通りパリ市内を抜ける幹線道路はダダ混みで、片道2時間、往復4時間の長時間ドライブを余儀なくされた。 他の誰でもない、このペペとふたりっきり会話を弾ませることも、わたしにしたら苦痛以外の何ものでもない。 それこそ英語もフランス語もボロボロのわたしが言うのもなんだが、片言の外国語で何時間も一緒にいられるのは、言葉じゃない何かが通じ合う、話さなくともシンパシーを感じ合える者同士、いや、たとえそんな気の合う何かを持つ者同士でも、かなりもどかしいものではないか。
ピクリとも動かない高速道路の車内で、何ら通じ合うものも共感するところも共通の話題などあろうはずもないぺぺとの時間をやり過ごすには、寝る。それしかない。わたし今、寝てまっせ〜とばかりに、これ見よがしに頭を垂れてうつらうつらの気配をアピールするわたしだが、それでもなお、返答を求める質問を次から次へと浴びせてくるペペ。“通じないやつ”というのはとことん通じないものである。
前を走る車を見ては、「ニッサンのきれいクルマ、あるね、いっぱいキレイよ。日本で乗ってた、名前忘れた。何?」
青春18切符のことかいな、「日本、電車で行く、一番安いやつ。いろんな所、電車行く、あれ、何?」
腹でも減ってるのか、「ラーメン、東京でおいしいところ。よく行ったね。いっぱい人、来るよ。 知らない? すごく有名よ。知らない?」……..
半日がかりの引き取り作業を終え、疲れ切ってうなだれる帰りの車中、なにが楽しくて、ペペを相手に日本語パズルゲームをしなければならないのか。 「いやや、いやや、もうイヤやぁぁぁぁー」の限界に達したわたしは、ペペが口を開くとすかさず、「知らんわ」とはね返す策に出た。 しかし、人の意を介さないことだけは天下一品のペペ。そんなこちらの意には一向に気づかず、傷つかず、挫けない。自分より日本のことはよく知っているに決まっているわたしに、躊躇なく「知ってる?」と聞いてくるペペの屈託の無さ、大らかな無粋さにわたしは精も魂もほとほと疲れ果てた。これがバイトなら「休憩」に出たまま姿をくらますキツさである。
そしてポルトガル旅行の前日、重量幕下級に肥え太ったむやみに巨大な南米ラテンな作業員ひとりを引き連れ、道具は持たず、コーラにオレンジーナ、休憩のお菓子だけはしっかり携え、工事作業にやってきたペペ。
これもまたわたしの常識では考えられないことなのだが、バスルームの工事を請け負った彼が自宅の現場に来たのは工事初日のこれが初めて。 事前にやって然るべき寸法計測の現場確認。それもやるのは、わたしたち。
もっと言えば、ルロワメルランにタイルやセメントやら便座やらの什器搬入物を引き取りに行ったときも、ペペはそれを運び入れるカートも何も用意しておらず、一緒に搬入作業をしなければならないわたしが必要と見て自ら購入。 引き取れといわれれば引き取りに来る、ペンキを塗れといわれればペンキを塗りに来る。何も持たず、何の用意もせず、何の備えもなく、身ひとつで、ただその日、その場にやって来て、それをする。「人に言われたことだけをする」。それが、インターナショナル・ペペの仕事の流儀なのだ。
郷に入れば郷に従えじゃないが、ペペに頼めばペペの次元に従い、このタイルをここに貼って、便座はここで、この色のペンキをここに塗ってと指示説明を千度繰り返し、紙に書いて壁に貼り、あとはそれをおまえが「やるだけ」という状態でポルトガルへと旅立ったわたしとルイジ。が、その旅行中、ルイジが携帯を手にスペイン語で何やら息巻いているのを耳にした瞬間、わたしは確信した。わたしが帰るまでに、ペペの工事が終わらないということを。
車が故障した、ペンキが乾くのに予想以上に時間が掛かった、ペペの聞くに堪えない言い訳など、もはやどうでもいい。終わらないものは仕方がない。 しかし、トイレと風呂だけは使える状態にしておいてくれ、きつく言い渡してパリに戻ったわたしの眼に飛び込んできたのは、まったく終わっていない自宅の現場。床には養生シートが貼られ、室内は壁をやすりにかけた後の粉塵に覆い尽くされ、廊下には建築現場さながらの道具と器材が置かれたまま。トイレと風呂は何とか使えるも、ドアも洗面台も取り外され、壁もまったく塗られていない、悪夢の途中。
それから延べ10日以上、毎朝8時になるとペペともう1人の重量級作業員がやってきて工事の続きをやるのだが、朝起きてから夕方まで、自宅のトイレと洗面ルームを占拠される家の住人は、たまったもんではない。
尿意のたびに彼らの作業の手を止めることも憚られ、つねに気兼ねしながら「トイレ」のことを心配しているせいで、普段にも増してトイレが近くなる始末。 いまにも漏れそうな極限状態で外された扉を立て掛けるという作業に四苦八苦、もはや寸出のところで「セーフ!」と腰を下ろすも、便器にはまだ便座がついておらず、尻から便器に落ち込む惨めさを味わったのも1度や2度ではない。
やっとこさ用を足し、さあ拭こかと一連の動作で壁に手を伸ばすと、丸ごと取り外されているトイレットペーパー。クソ〜っと尻をめくったまま、できるだけ尻の割れ目がくっつかないよう用心しながら、キッチンから聞こえるやつらの声に「今や!」とだっと部屋に駆け込み、ぎゃっとティッシュを握りしめ取って返すスリルと屈辱….。なんで、わたしがこんなことまでせなかんねん! もはやわたしも我慢の限界を超え、明日もまた続きをやろうというペペに向かって冷たく言い放った。
「もういいわ、あんた。終わってなくても、ペンキが塗れてなくても、どうでもいいから、とっとと片付けて帰ってくれるかな」
納期が守れないこと、自分の落ち度で客に迷惑をかけるということ、それが請け負った者としてどれほど恥ずべきことか、わたしは、そんなプロとしての「仕事の常識」をペペに問うつもりはない。ただ、今まで「ぺぺ、ペペ」とそれなりに親しくしてきた相手(わたし)が、自分のせいで困っている。困らせてしまっている。それをあんたはどう思っているのかと、そこをきつく問いたいのだ。
毎度毎度「ごめん、ペペ、トイレ使いたいねんけど」と作業の切りのいいのを見計らってトイレに駆け込んでいるわたしの姿を見れば、どれだけ自分が迷惑をかけているか、その都度申し訳ない気持ちでいっぱいになり、一刻も早く工事を完了せねばならない責任を感じて然りではないか。
分別つかず粗相をした犬でも、自分がしたことで飼い主が困っていたら、目を潤ませて情けなくシュンと痛み入るものよ。なのになぜ、おまえはそうも平然としていられるのか。おまえの感性とやらはいったいどこにあるのかのう、ペペよ。わたしがペペに問いたいのは、そういうことだ。
そして最後の最後まで、ひとことの詫びもなく、何もかも中途半端なまま、帰れといわれたから「わたし、帰る」と、ペペは普通に帰っていった。
こちらがどんなに声を荒げても、ちらっと弱った顔を見せるだけで一向に焦りもせず、奮起することもなく、落ち込むこともなかったペペ。彼が唯一必死になったのは、「今日中に終わらさないと金を払わないぞ」と発破をかけたときだけ。「お金をもらわないと困る」そらそうだろう。しかし、自分が困ることはわかっても、人を困らせることはわからないというのは、虫が良すぎる。わたしは、ひとの迷惑は感知せず、自分の迷惑だけには真っ当に反応するペペのわかりやすさをひとしきり憎みながら、そんなペペに大事な自宅のリフォームをまかせてしまった自分たちの愚かさを呪った。
しかし、このペペの信じられなさはひどいとしても、ここフランスで信頼して安心してまかせられる業者を探すのは、四十も五十も過ぎて運命の恋を見つけるくらい難しいといえる。だから、フランスの人たちは、日本ならあたりまえに業者に頼む引越・リフォーム・修繕工事という大工仕事は自分たちでやるのがあたりまえなのだろう。 それを物語るのが、職人大工のプロ御用達といわんばかりに充実したルロワメルランの商品群。素人にはどう選んでいいのか、いったい何に使うのか見当もつかない道具、ネジ、ボルト、配管、チューブ類など、その豊富な品揃えをひと目見ただけで、「ここでは、こんなことまで自分でやらなあかんのか」と、先が思いやられるばかりである。
そこでまた、ペペの言うことが言うことである。
「日本いるとき、こんなに、イロイロ、いっぱいの店、ないね。フランス、なんでもあるよ」
なんでもある。そらそうだろう。でもな、ぺぺ、なんで「いっぱいある」か、わかるか、ぺぺ。
それはな、ここには、あんたみたいなヤツがいっぱい居るからよ!
この有様で2週間。そこに住まう人の気持ちを気にしないぺぺ工務店。仕事が遅い。
人の生活より自分の生活第一!ぺぺ工務店。
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