salitoté(さりとて) 歩きながら考える、大人の道草ウェブマガジン

白線の裡側まで

2014-04-27
理解はしても腹は立つ。
異文化バトルの平行線

桜の花に浮かれることも酔い浸ることもなく春も過ぎて、こちらにきてようやく1年が過ぎようとしている。フランスの春夏秋冬を一巡して、日本に居たなら自然にもたらされた四季折々の節目が巡ってこない違和感にもようやく慣れてきた頃か。慣れたと言えば、言葉が話せない不便、苦痛、悔しさ、もどかしさにもすっかり慣れたおかげで、まったく語学習得に進歩が見られないのは痛いところである。こうなったら「何年住んでもしゃべれないヤツ」として、一生ヘラヘラ笑ってごまかしながら生きていくのも人生じゃないかと、そうならないために努力するより、そうなってしまったときの身の振り方を先に決めた方が早いような、何が早いのかよくわからないが、このままいくと、「やっぱり、あかん。大阪弁以外、しゃべられへんわ」のオチにもたれこんでしまう可能性もなきにしもあらずである。

桜のない春とはいえ、花の都パリだけに、もちろん桜の花は見られれば、広場や公園、街の花壇には色とりどりに優雅でロマンティックな花々が咲き誇っている。ただ、何というか、その色、姿形、様相、印象、趣、風情、存在感が、日本のそれとはどうも違う。桜が違うというよりも、日の光も空の色も雲の形も風の匂いも街の装いも、それを取り巻く背景が全然違うよその地で見ると、こちらの見方も心持ちも違ってくるものなのかもしれない。

それこそ「咲いて散るのが花ならば…」と、刹那の桜に人生の儚さや空しさをなぞり、詠い、乗せ込むような湿った感情はいずこへと、桜に移す情緒の出しどころに困ってしまう。大体からして、「さ・く・ら」の三文字の響きに発情する記憶や思い出、石清水のように染み出してくる情感こそが自分にとっての「桜」であり、そんなわが国固有の感情を「Les cerisiers en fleurs (レ スリジェ オン フルール)と千度聞いても「なんやったっけ?」みたいなフランス語に置きかえようとする方が間違っている。それは語学習得も同じで、自分が大阪弁で思うより先に口に出てしゃべっている言葉をそのままよその国の言葉に言いかえようとしても無理な話であるのと同じく、たとえ桜は桜でも、もはや別物として見た方が余計な苛立ちを感じずに済む。
その方が賢いということに、この1年、やいのやいうるさくもがき苦しんだあげく、ようやく思い至った。なんというか、「違う、違う、そうじゃ、そうじゃな〜い」(鈴木雅之より)と、苛立ち、怒り、嘆き、ムカつく気持ちは変わらずとも、そこからちょっと進んで、その「違い」が何なのか、どこから来るのかを突き詰めたい研究心が沸いてきた感じだろうか。

で、ここからが前回のコラムで最後にちょろっとぶちまけたバトルの顛末である。そもそも今回のケンカの発端、「Sorry」を言わない云々については、簡単に謝罪すると慰謝料賠償金が恐い欧米諸国の常識として、西洋人ならそうであろうと思われるかも知れない。けれど、それは社会のルール・常識であり、個々の人間同士の付き合いはまた別ではないかとわたしは願ってやまない。なぜなら、わたしがルイジに口やかましく「SAY!」と迫る「sorry:ゴメン」は、どっちがいいとか悪いとか、そんなことはどっちでもいい人の世の情けの部分なのだ。謝ったからそいつが悪いとか、そいつに非があるとか、責任問題に発展するとか、謝るだけで済んだら警察要らんわとか、そういう情け容赦ない金の絡んだ話ではなく、「ごめん」と言えば済む話に「ごめん」と言わないヤツの論理にはらわた煮えくりかえるのである。

バトルになったのは、ルイジが運転中に「危ないっ!」と急ブレーキを踏んだシーン。わたしはこういう場合、運転している人は助手席の人に対して「ごめんな」というのが当然の心情と心得ている。もし、自分が運転していて同じような場面になれば、真っ先に口を突くのは「ごめん」だ。
たとえそれが乱暴な車の横入りや急な車線変更という運転者の不注意やミスではないにせよ、ヒヤッとさせた、ビックリさせた、危ない思いをさせたなぁ〜 のいたわり合いで「ごめんな」と言う。

そして、その「ごめんな」を次いで、「いやいや、悪いのはあの車や。ほんま、信じられへんわ!」と、あなたのミスでも何でもないよと言うのは、自分ではない。それは他人が思うこと、言うことではないか。しかし、ヤツの場合、「あなたのせいではないよ」という他者の心に触れもせず、いきなり「自分のせいではない」と、みずからの正当性を主張してくる。
それが欧米社会か欧米人の考え方かルイジの性格なのか、どっちもミックスされてるのだろうが、そこだけは一歩も譲れぬ、「ごめん、堪忍、ごめんやでぇ」で絡み、睦み、和み合う大和の心か浪花の心か。
けれど、ひとこと言うたら終いの「sorry」を頑なに拒むヤツの主張は、こうである。

「今、自分が急停車を余儀なくされたのは強引に車線変更をしてきた別の車のせいである。いわば、危ない目にあったのはあなたも自分も同じ被害者である。よって、わたしには謝らなければならない必要性はない。
わたしはあなたに「Are you OK?」と言った。それで十分ではないか。それをなぜ、故意にしたわけでもない行為に対して謝罪しなければならないのか」

お分かりいただけるだろうか。こんな正論ぶった主義主張をようわからん英語でまくしたてられることがどれだけ人の神経を逆なでするか。
これがわが子なら「そんな偉そうな屁理屈言う口はどの口や!えっ、もう一遍言うてみぃ!」と、鬼の形相でほっぺたつねり上げてボコボコにしばきまわしてやりたいほどである。

しかも、その上、何が許せないかといえば、そこまで人を怒らせておいて、「怒り=悪」つまり「悪=わたし」という論法で攻めてくるところである。

「Why are you angry so much?」なぜ、あなたはそんなに怒るのか?
「No need to get so angry for us.」わたしたちに怒りは必要ない。
「You have to control your anger」あなたはあなたの怒りをコントロールしなければならない

いやいやいやいや、違う、違う、全然、話が違う。だいたい、そもそも、先に怒らせたのはどっちやねん!と、怒鳴りまくればまくるほど、ただのヒステリックな怒り性の女みたいな絵ヅラになっていく、この不条理な敗北感は何なのか。
あげくに、「Angry person is not necessary in my life」(僕の人生に、“怒り人間”はいらない)」とか、僕にはもっと考えなければならない重要な案件が沢山ある。こんな“Little thing””であなたと口論している時間はないなどと、くるっときびすを返し、突然あっさり交渉を打ち切ってくる冷淡非情な態度。

こうなると、もはや事はわたしだけの問題ではなく、明治の開国以来、日本が舐め続けてきた西洋に対する屈服と敗北の歴史を重ね合わせ、「これか、これがおまえらのやり方か!」と、最初の一発手を出してしまったあげく、さらにドツボにはまって最終的には殴ったわたしが「殴ったことは悪かった」と、そこは「sorry」と謝罪させられるハメになる、昭和の日本を地で行くようなこの展開…。

これが相手が日本人なら、「価値観が違う」「性格が合わない」「やってられるか」で終われるが、やはり相手が端っから「違う」と分かっている外国人相手だと、ここで引き揚げるわけには行かない。なぜなら、二度と負けたくはないからだ。そのためには、まず敵を知りつくすことだと、きゅっと肚の縛りを結び直し、気を取り直し、仲直りしたかと思えばまたのバトルを繰り返す日々である。。

しかし、なんだろう。こうも「違う」相手と共に暮らしていると、相互理解というものは、実は、どこまでいっても分かり合えないことをとことん分かることではないかと思うに至るわけである。なぜなら、わたしがたとえ流暢な英語で、日本人の「ごめん」に込められた心の機微、人付き合いの理を説明したとしても、そういう文化や考えは理解できても、自分自身に至っては「なぜそれを言わなければならないのか」と、やはりルイジにとっては「分からん」ものは「分からん」ものではないだろうか。

だから互いにこれから先、深まるものがあるとすれば、なんぼ言うても「分からんもんは分からん」あきらめしかない。
と、「分からんもんは分からん」と書いて、ふと思い出してしまった。

わたしの母の従兄弟で、わたしたちには叔父にあたる「加賀屋のおっちゃん」が隠岐の島でひとり暮らしているのだが(隠岐は各家々に屋号があり、通常、名字でなく屋号で呼ぶ)、13年前に母が亡くなった年に弟と2人、母が死ぬまでもう一度見たいと願いつつ叶わなかった隠岐の海に散骨に訪れたことがある。その時、遭遇したのが、加賀屋のおっちゃんと一緒に暮らしていたアイーダさんかアリーンさんか、とにかく「ア」の付く名前のフィリピン女性であった。加賀屋のおっちゃんは、その5〜6年前に浮気した女房(叔母)が出て行って以来、男やもめの生活で、長女の娘の方は高校を出てすでに家を出ており、やや知恵は遅いが素直で愛嬌のある長男の「テツ」とふたり暮らしであった。おっちゃんの話によると、その頃、隠岐の島にはフィリピン女性の出稼ぎが増えていて、ただでさえ娯楽のない島内の男たちは足繁くフィリピンパブやスナックに通うようになったそうだ。アイーダさんは、おっちゃんの馴染みの店のシンガーで、客として頻繁に通ううちにそういうことになったらしいが、フィリピンにはアイーダさんの仕送りと帰りを待つ夫と子どもがいることも、「わしは、そいで、かまわん思っちゅうだ」というのがおっちゃんの考えであった。

おっちゃんはおもむろに、テーブルの上に置かれた飲みほしたビール瓶と箸をつけぬままのごはん茶碗を「見てみぃな」と指し、「毎日、こいだ(これだ)。なんぼ言うたてて(言っても)、わからんもんはわからんだなぁ」と舌打ちひとつ。「ごはん」と「ビール」は一緒に出すな、一緒に食えるか!と何度言って聞かせて怒鳴っても、毎回一緒に出してくるアイーダさんの「わからなさ」が「わからん」と苛立っていた。

フィリピンでは、米は野菜や豆と同じ扱いで、アイーダさんにとったら、ごはんは「主食」ではなく、ただの「一品」なのだということも、おっちゃんは知った上で、それでも、他のことは大目に見ても、ビールとごはんを一緒に並べられることだけは酒飲みとしては言語道断、あってはならないことくらいの憤りであった。
文化風習の違いだと分かってはいても、その違いに腹が立ってかなわない。わたしが今、朝まで飲んで話せるのは、加賀屋のおっちゃんかもしれない。

「わかるもんは、言わんでもわかる。言わなわからんもんは、なんぼ言うてもわからん。そいだてて(そうは言っても)、言わんようになったら終わっけん(お終いだから)、わからんでも言わなならんだ(言わなければならないものである)」

今でもアイーダさんと続いているのか、フィリピンに帰ってしまったのか、「こげ(こんな)わからんもんでも、居らんより居ったほうがいいが(いいだろうが)」という、寂しくも情けなく優しい加賀屋のおっちゃんの何とも言えない胸懐が、隣の家の婆さんが唱える念仏のように仕方なく響いてくる。

ご意見・ご感想など、下記よりお気軽にお寄せ下さい。

2件のコメント

わー! 多川節健在で嬉しゅうございますm(_ _)m
パリの風にヤられて日本語忘れていやしないか、時々ファンとしては心配になるのです。また更新楽しみにしています。「5時に夢中」あたりに投書しておきますm(_ _)m

by 笠原メイ - 2014/05/03 3:15 PM

多川っち、覚えてるかな。清原です。
パリに居るんやね(笑)
メールしてみよと思いながら久しぶりに『さりとて』読んだらパリって(笑)
出会いてわからんよね。

by 清原久美子 - 2014/06/18 12:15 AM

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Ritsuko Tagawa
Ritsuko Tagawa

多川麗津子/コピーライター 1970年大阪生まれ。在阪広告制作会社に勤務後、フリーランスに。その後、5年間の東京暮らしを経て、現在まさかのパリ在住。

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