salitoté(さりとて) 歩きながら考える、大人の道草ウェブマガジン

白線の裡側まで

2013-01-9
鉄拳「振り子」に思う
ささやかな仕合わせ

思えば前回、「今年は選挙があるせいか年の瀬の感が乏しいですね」などと抜かし上げておきながら、自分は思いっきり年末よろしく正月めでたくサボりまくりで、殊の外、更新が滞ってしまった。
「マイペース」とは、なまけ者の言い訳であると肝に銘じ、2013年、心新たに書き初めさせていただきます。

しかしながら、さて、こういうめでたい年頭に何を書けばいいものか。
自分の中を引っかき回しても、これを読んだ人が「わたしも頑張ろう!」と前向きな気持ちになれるような崇高な決意に満ちた思いや考えは、悪いけどひとつもない。そもそも、新年の節目にピシッと背筋が伸びる意気高い抱負が持てるような人間であれば、毎年毎年飽きもせず、正月早々会う人ごとに「今年は正念場やでぇ」と、冴えない笑いを吹き替けるわたしであるわけがない。かといって、ちょっぴり素敵、ほっこりハッピーな話は、悲しいかなどうも虫が好かない。そこで、やはり、思ったことを思ったままに。
2012年の終わりから2013年の始まりにかけて、わたしの中に響き渡ったささやかな感動を書き出してみることにする。

事の起こりは、親友から送られてきたある動画。鉄拳のパラパラ漫画「振り子」である。you tubeで300万回再生を記録し、世界中が感動の涙に包まれたこの漫画作品によって、新境地を拓いたお笑い芸人・鉄拳。年末には『情熱大陸』で再ブレイクを果たした鉄拳の素顔が放送されていたので、ご存知の方も多いかと。

チクタク、チクタク・・・振り子時計の振り子が揺れる。無情なまでに規則正しく人生の時は進んでいく。そこに淡々と描き出されるひと組の男女の「いい時」「悪い時」。

見た目はひねたヤンキーでも、性根はやさしく純情なバイク好きの硬派の男子高校生。そんな彼に、町の不良に絡まれているところを助けてもらった明るく元気でまっすぐ素直な女子高生の彼女がひとめ惚れ。「女なんかめんどくさい」と振り向きもしない彼にお構いなく、屈託のない彼女はキラキラした笑顔で、押しの一手で猛烈アタック。外見は強面だが、内面は押し切られることを快よしとする受け身の彼。晴れて2人は付き合い始め、放課後、制服姿でバイクに2人乗りで海岸線をぶっ飛ばす、まさに青春の“いい時”を過ごす。やがて若い2人は結婚し、夫婦になり、可愛い一人娘に恵まれ、父と母になる。が、そんな「いい時」と対をなすように、結婚すれば生活のしんどさが、会社を起こせば経営の苦しさが、子どもができればさらにお金が必要な生活の厳しさが、朝がくれば夜がきて晴れが続けば雨が降るがごとく、あたりまえに現れる。
いい時は単発だが、悪い時は悪いことにずるずる続く。長引く不況の煽りで経営難からモーターショップは倒産。何とか再就職は果たすも、自分より年下の上司たちに使われ、叱られ、なじられる毎日にやりきれず、酒を飲んでは当たり散らす夫。そんな矢先、何があっても、自分がどんなにひどいことを言おうがしようが、いつも黙ってそばに居てくれた妻が突然、病に倒れ・・・

動画を送ってくれた友人のメールには「3秒で涙腺アウト」とあったが、わたしは、結婚したての妻がニコニコ嬉しそうにスーパーのレジ打ちをしている場面になぜかたまらない気持ちになり、ただでさえ腫れぼったい瞼がパンパンに腫れ上がるほど、ここぞとばかりにひとり泣きじゃくった。
おそらく、動画のストーリーとは関係のない自分の心の荷物をどっさり乗せ込んでのことだろう。

ただ、友人もわたしも、純心な夫婦愛とやらに泣けるほど夢見る少女じゃないのは、言うまでもない。それこそ映画やドラマや小説でロマンティックに感動的に啓蒙的に綴られる愛と恋とかには虫酸が走るわたしである。だからこのパラパラ漫画にここまで胸打たれたのは、さらには世界中の人々が感動したというのは、この漫画が表現しているのは「夫婦愛」という限定された関係性ではなく、人の心のより所、人は何によって生きるのかという普遍のテーマを表しているからだろう。たとえこの夫婦が、母と息子でも、姉と弟でも、男同士、女同士の友情であっても、きっと誰もが同じように、「これが人生だ」と泣けてくるに違いない。

人は何で生きるのか。生きられるのか。それは「あなたがいてくれたから」あるいは「あんたが居ったから」と思える存在がいるからで、そういう人と一緒に過ごせた時間があるから、人は生きられる。どんなにお金はあっても、裕福で何不自由ない暮らしが約束されたところで、たった一人、そう思える存在がいないだけで、人生はどこまでも暗く、空しく、退屈で、無意味に思えるのが人の心というものだ。そのくせ、あったらあったで、ないものを欲しがるうっとうしい輩でもある。でも、わたしは、この「振り子」を見てあらためて気づかされた。他人から見たらどこが幸せなのか、何がええのか、ようやるわと疑われるような相手、生活、人生でも、それが自分の人生だと思える人に出会えたことほど仕合わせなことはないということを。

喜びも悲しみも、富める時も貧しき時も、病む時も健やかなる時も、幸せな時も不幸せな時も、チクタク、チクタク、悲喜こもごもに2人の時は進んでいく。一緒に進んできた時間が自分の中に刻まれて在ることで、ひとりじゃないと生きていける。仮に、その時間そのものが幸せとは程遠い、むしろ今思い返しても何でわたしがこんな目に遭わなあかんのかとはらわた煮えくりかえるような時であったとしても、だ。

この「振り子」が胸を打つのは、名もなく、華もなく、大したことは何もない時を生きて、死んでいく人間そのもののささやかさが、たまらなくいじらしく、ありがたく、情けなく、美しいから。それが真理なのか、希望なのか、幸福なのか、はたまた宗教なのかはよくわからないが、それくらい普遍的な何かを、言葉じゃなく教えてくれる鉄拳の「振り子」。もし、まだご覧になっていない方はコチラを。
http://www.youtube.com/watch?v=XPBfaMsA97o
(長々と説明するより、見れば済む話でした)

ということで、この鉄拳の「振り子」を見て以来、わたしが何より大切にしようと心に誓った、“ささやかな仕合わせ”。といっても、わたしが思うところの “ささやかな仕合わせ”とは、取るに足らない些末な言い合い、諍いを繰り返す生活そのもののことである。「一緒に居る仕合わせ」といったところで、実際には言い方ひとつが気に食わない、話の返しやリアクションがおもろない、録画ビデオの早送り・停止のタイミングが悪い、自分が食べようと買ってきたお菓子を勝手に食べた、何してくれてんねん!とか、どこまでもみすぼらしく、貧乏くさく、次元の低い諍いを明けても暮れても繰り返しているだけに過ぎない。風呂桶の水垢みたいに、どっちが悪いともどっちの落ち度とも言えないものが日々積み重なるくそまずい日常の明け暮れこそが、ささやかな仕合わせのエッセンスなのである。

しかし、まあこの「振り子」の女の子ときたら、好きで一緒になったとはいえ、結婚しても働き通し、経済的にも精神的にも休まることない苦労のし通し。どこをとっても現代の女性が憧れるライフスタイルではない。むしろ、そんな苦労などしたくないのが大方の本音だろう。けれど、わたしも40歳を過ぎ、自分自身の過ちや失敗はもちろん、色々身近な女性たちの生き方の選択、あるいはいつ見ても波瀾万丈な女社長の取材などを通して、はっきり気づいた。「苦労」というのは「したい」「したくない」の問題ではなく、その人の能力と器量に合わせて与えられるものだということに。

裕福な家に生まれて苦労知らずで育ったお嬢さんでも、夫の会社の倒産を機にリヤカー引いて商品を売り歩く生活をさほど苦労とも語らず「だって仕方がないじゃない?」のひとことで笑い飛ばせる女性もいれば、今まで一度も外で働いたことがないのに、夫がつくった借金を返すために訪問販売や保険の外交を泣きの涙でやってみたら、これが意外に「天職」で社長にまで上り詰めた女性もいる。その素晴らしく順応性に富んだ女性の生き方を見ると、苦労がイヤとか苦労したくないとか、そんなことは大上段から選んで決めることではなく、己の器量の良し悪しにかかっていると言わざるを得ない。
もし苦労はしたくないというのであれば、「したくない」ではなく、「わたしは苦労を糧にできるほど女の出来が良くないので・・・」と申し訳なく述べるのが本筋ではないかと、「振り子」の女性の生き方に照らし合わせ、知らず知らずに勘違いして生きている自分を見つめ直すわけである。と、意外に新年にふさわしい真っ当な決意に至れたかも。

ちなみに、苦労の耐性に強い女性の筆頭は、深窓の邸宅で蝶よ花よで育てられたせいで、世の辛さも生きる苦しみも「こんなの初めて!」と浮世離れした感性で飲み込んでいく朝丘雪路タイプか、夫の借金だの倒産だの浮気だのそんなものは小さい頃に味わった貧乏や浅草ストリップ小屋の芸人時代の苦労に比べたら屁でもない筋金入りの苦労人・泉ピン子タイプか。たぶんどちらかではないかと、今年はそのあたりの研究もぼちぼち進めていくつもりである。

ご意見・ご感想など、下記よりお気軽にお寄せ下さい。

3件のコメント

多川さん、いつもの巡航速度のコラム、良かったです。私は、「鉄拳」のほうは、自分の心が擦れすぎていて、泣けませんでしたが、多川さんのコラムには、思わず、目頭を熱くしました。
私のような擦れた読者に支持されているというのは、多川さんにとって、ここちいいかどうか、わかりませんが、今年も、たくさんのコラムで、心を潤させてください。

by 株彦 - 2013/01/09 10:36 AM

人間の器というのを考えるときがあります。背負える量を考えて、神様はタスクをくださってるのね。
そう考えると、しんどい時もあるし、楽しい時もあるし…だから、私のタスクのサジ加減は絶妙で神様なかなかやるじゃん、という感じです。
今年も更新楽しみにしています。いつもありがとう。

by キャスバル - 2013/01/09 11:45 AM

器に合わせた人生のタスクだとしたら私の神様はなかなかいいサジ加減か⁉しんどい時と楽しい時の割合が絶妙だ。
今年も読み込むよー。よろしゅうにー。

by チャーリー・セクストン - 2013/01/09 1:02 PM

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Ritsuko Tagawa
Ritsuko Tagawa

多川麗津子/コピーライター 1970年大阪生まれ。在阪広告制作会社に勤務後、フリーランスに。その後、5年間の東京暮らしを経て、現在まさかのパリ在住。

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