salitoté(さりとて) 歩きながら考える、大人の道草ウェブマガジン

白線の裡側まで

2012-09-7
生まれた町の記憶劇場。

先日、ウソかホンマかホンマかウソか、虚構と現実の間に見え隠れる人間世界の奇怪さをうつした寺山修司『幻想写真展—犬神家の人々』を見てきた。

タイトルの「犬神家の人々」の意味はさだかではないが、確かにそれらの写真には、スケキヨのマスク面、珠代の美貌、松・竹・梅子の業深き三姉妹、波立つ海面からにょっと突き出た2本足・・・という「犬神家の一族」さながらに、怖ろしくも美しく、怪しくも真に迫り、惨たらしくも笑ってしまうヴィヴィッドな“わけのわからなさ”が炸裂していた。

ー日常の中から真実を切り撮るのではなく、限りなく嘘の世界を作り込むことで、実在しない<現実>を写し出すー 寺山修司の写真世界。その悪意と皮肉に満ちた奇想と挑発的なアプローチが、いつの時代もイカしよるなぁと心酔させられた。

そんな、いつ見てもあざとく鮮やかな寺山修司の世界だが、中でも見惚れてしまったのはそこに記された寺山修司の一文である。

「わたしは少年時代の写真を再撮影することに興味を覚えている。写真を写真に撮るということには記憶を編集したい願望が潜んでいる。
そして、人間がほんとうに自由になれるのは、自らの記憶から解放されたときではないだろうか」

ちょうどその写真展の前日まで大阪に帰省し、20年ぶりに生まれ育った町を歩き、「思い出」の棚卸し作業を行ってきたばかりのわたしは、まさに記憶から自由になれない我が身の不自由さを思い巡らせていたところであった。それだけに、まるで当たると評判の占い師に「あなたね、自分の記憶に縛られてるの。でも、それがあなたなの」と言われたような、「当たってる〜!」の快感だった。

今回、大阪滞在中に宿泊したホテルというのがJR新大阪駅のすぐ近くで、そこはわたしが激動の幼少期から小中高大学、結婚して家を出るまで棲みつきなじんだホームタウン。オフィスビルやホテルの高層ビルと格安の生活感あふれるスーパーや飲食チェーンがやいのやいの建ち並び、路地裏には飲み屋・スナック、キャバクラ・風俗店のネオンが瞬き、所々にラブホテルが点在する便利で猥雑でいかがわしく賑やかなわが町をおよそ20年ぶりに歩き回り、つくづく、いちいち、悟らされた。こんなとこで育ったら、そらこうなるわ、と。

田舎道にありがちな「まむし注意」同様、あたりまえに目にする「変態注意」、薄暗くいかがわしい路地裏の細道や高架下の抜け道も、なじみがあるとやけにノスタルジックな気分になり、目に映るすべてに重苦しくもアホらしい昔の記憶がよみがえるものである。

昔も今もやっぱりイライラする「開かずの踏切り」、普通の大人は腰をかがめなければ通れないあまりにも低すぎる「けた下制限160cm」の高架トンネル、大抵同級生か先輩後輩の店が並ぶ商店街。風にたなびく質屋ののれんを見れば、高1の時に1000円でギターを買ったこと、離婚したとき婚約指輪を質に入れたことなど、めくるめく過去の記憶がショートコントのように次々登場し、頭の中が異様にやかましかった。

駅前の商店街には、幼い時分にお母ちゃんと買い物に行った市場が・・・と思いきや、やはり時代の波には逆らえず、いかにも安そうなスーパーに様変わっていた。けれどその場に立てば「そういえば・・・」と思い出されるあの頃のわたし。

市場の漬け物屋のたくあんの樽の縁に付いている甘辛いヌカを、こっそりもぐもぐ食べてるところを店主のおっちゃんに見つかり、その場でお母ちゃんにしばき回された4歳のわたし。

その市場に、ひとりおつかいに「うどんの玉」を買いに行き、帰りに市場の薄暗い裏口のトイレで用を足していると、目の前になぜか一枚の写真が。おそるおそるピラッっとめくると、そこに写っていたのは、まるで共食いしているみたいに上下逆さに重なり合う世にもいやらしい裸の男と女。何も知らない子どもといえ、本能的にイケナイものを見てしまった恐怖にヒッ!と固まった瞬間、水洗タンクの上からつつーっとタイガースカラーの巨大な蜘蛛が降りてきて「ぎゃーっ!!」と拭くものもとりあえず一目散に逃げ帰ったはいいが、肝心の「うどんの玉」を便所の洗面台に置き忘れてきてしまい、お母ちゃんに「あんたほんまのアホちゃうか!」と冷ややかにののしられ、その晩は「うどん」代わりにマロニーたっぷりの「うどんすき」を涙とともにすすり上げた6歳のわたし。

友だちと道端でローラースケートの練習中、度々出没する変態のおっさんがイチモツ振り回し追いかけてきて、ギャーギャー必死に逃げ回ったおかげで乗れなかったローラースケートに乗れるようになった10歳のわたし。

とまあ、酔いも回った飲みの席でしか通用しないお下劣な変態ネタだけは小中高大、なんぼでも出てくるわたしのメモリー。いまさら引っ張り出したところで何の気づきも学びも教訓も見出せない記憶のクズどもに、ぷっとこみ込み上げるものを抑えきれないわたしであった。とはいえ、20年の時の流れは悲しいもので、子どもの頃はあんなに賑わっていた商店街はまだらにシャッターが閉まり、中途半端にみすぼらしく寂れていて、わたしが憶えているなじみの顔は誰ひとり見えなくなっていた。

手焼きせんべい屋「ねぼけ堂」のじいさん&ばあさん、買い物帰りに必ず立ち寄った回転焼きとクリーム珈琲の店「かどや」のじいさん、朝の8時から考えなしにひたすらジュージューホルモン焼いていた肉屋のじいさん。ハイジのおじいさんみたいに無口で頑固で、ちょっと傷やおできをいじると「あなどるな!」と烈火の如く怒られたかかりつけの林医院の先生。小学校から通い詰め、鍼の何たるかを叩き込んでくれた「はり灸」の松井先生、物干し竿のような手作りの棒で「どや!」とぐりぐりツボを突く指圧の宮本先生など、記憶の町の住人たちはみんなあの世へ逝ってしまったのか、どっこい100歳近くで生きているのか知るべくもない。

しかし、それにしても、とりわけその人がいなければ今の自分がなかったといえるほどの深い関わりがあったわけでもなく、つねに思い出し涙するほど特別な感情を抱いた存在ではない、言ってみれば通りすがりのエキストラの皆さんのような人々のことを、なぜ、ここにきてこんなに思い出してしまうのだろう。

もしかしたら自分は、こんな目に遭った、家や親がこうだった、こんなことを言われた、あんなことをされた、つらかった、苦しかった、憎かったと恨みがましく執拗に思い出すメインの記憶以上に、サブカル的でストリートな雑多な町と人の記憶にほだされ、慰められ、生きてきたのかもしれない。

人は誰しも、深く刻み込まれている傷や苦痛、忘れたくても忘れられない鮮烈な出来事、家庭や肉親に抱き続けた反発、葛藤、怒り、憎しみ、悔しさという感情の記憶は憶えようと思わずとも憶えているものである。そして、ことあるごとにそれを取り出し、ほじくり返し、いじくりまわしてしまうものである。ということは、そういう思い出される回数の多い、自分の中で引っ張りだこのメインの記憶は、その時々の自分の感情によってひねられ、ねじ曲げられ、多分に歪められている可能性が高いのではないだろうか。

かたや、市場の漬け物屋のたくあんのヌカを盗み食いしたとか、それこそ、うどん、エロ写真、クモ、ローラースケート、ヘンタイ、何のつもりかキ●玉モロ出し、ひえー!ぎょえー!うぎゃー!みたいな最低な記憶のクズはことさら思い出すこともないので、意外とありのまま純なまま自分の中に吸収され、まったく意識されない無意識の領域で、案外自分という人間の思考や感性に多大な影響を与えているといえるのではないか。
歴史とは記録されていないことに真実が隠され、記録されていないことも歴史の一部というように、記憶は自分の歴史であって、はっきり刻まれ記録されていない雑多な記憶にこそ、自覚していない本質が隠れているものかもしれない。

主婦の友だちはよく、子育てをしていると、おぼえていないはずの幼児期の記憶がよみがえってくるという。あるいは、日頃、おんな友だちとなんやかんや上手くいかない恋愛、結婚、仕事、人生について、わかっちゃいるけど変えられない自分について話すたび、必ずやわたしたちがその因果の「因」として話し込むのは「だって子どもの時からさぁ・・・」という、今さら言っても始まらない、そうは言っても終わらない、過去の記憶に他ならない。

人間がほんとうに自由になれるのは、自らの記憶から解放されたときではないだろうかー。寺山修司の言う通り、わたしたちはみんな記憶の虜囚なのだ。そして、20歳のピークからだだ下がりに衰える現実の記憶力とはうらはらに、やたらと昔の記憶がいきいきと活気づく42歳の秋である。

ご意見・ご感想など、下記よりお気軽にお寄せ下さい。

5件のコメント

私たちの高校の同期は、もう20年近く、毎月第二金曜日に集まってはぐだぐだと飲んでいます。ところが、高校生は三年間、すでに、グダグダ飲み会は20年、高校時代の思いでなんて、あるのかないのか、あるいは、そんなことがあったのかさえ、忘れてしまっています。
まさしく、日々、関係が更新されていると、思い出や記憶からは、知らず知らずのうちに開放されているのかもしれません。
あまり、本編とは関係なかったかも知れませんが・・・

by 株彦 - 2012/09/08 4:53 PM

そう、まさに株彦さんのおっしゃる通り、そういう時間と記憶の関係性をぐだぐだ考えてしまったわけです。遠ざかるほど思いが募る、みたいなもんでしょうか。年寄りが何度もおんなじ昔話をする気持ちがわかった気がします。そうはなりたくないけども(^_-)

by richun - 2012/09/08 5:58 PM

久しぶりに会った幼馴染と、雑多で猥褻な会話で盛り上がってるみたいに笑いました。

多川さんの文章、グングン引き込まれます!
面白い。

by まりりん - 2012/09/08 8:08 PM

まりりんさんへ 昔の友だちと飲みながらしゃべるように書いたアホ話なので、同じノリで受け止めてもらえて感激です!読んでいただいてありがとうございます。

by richun - 2012/09/08 8:47 PM

まりりんこと、アトリエコーナスの白岩高子です。
笠谷さんがFBにアップされたのを拝読して、、、1人声をあげて笑ってしまいました。
シェアさせて頂いたら、笠谷さんのコメントで多川さんもconers写真集に関わっておられたこと知りました。
なんて、素敵!
有難うございます。
機会がありましたら、コーナスにもお立ち寄りくださいね。
お待ちしています。

by まりりん - 2012/09/08 10:17 PM

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Ritsuko Tagawa
Ritsuko Tagawa

多川麗津子/コピーライター 1970年大阪生まれ。在阪広告制作会社に勤務後、フリーランスに。その後、5年間の東京暮らしを経て、現在まさかのパリ在住。

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