salitoté(さりとて) 歩きながら考える、大人の道草ウェブマガジン

白線の裡側まで

2013-11-10
独白。白線の外側へ

前回の更新を最後に、突然ぱったり姿を消して10ヶ月。
この間、わたしの生活、仕事、人生は信じがたいほど様変わった。
こうしてこれを書いている今も、激変の波は延々おさまることなく、自分の立ち位置を見失ったまま「こんなことになった自分」に成りきることに精一杯の毎日だ。

ここまで色んな事がありすぎると何から話していいのかわからないが、一番手っ取り早く、わたしの大変だった事情を察してもらうには、やはりこれを先に言うべきだろう。
そう、わたしは現在、パリに居る。旅行や留学や転勤などではなく、これまでの人生を振り捨てて、まるごと根こそぎ移り住んでいる。

無論、わたしはフランス語はおろか英語も話せない。それがあろうことか日本語が話せないフランス人と生活を共にしている。といっても、ほんまにどこまで共にできているのかどうかは謎である。なにしろ互いに互いの言葉がわからない者同士ゆえ、相手の考えていること、思っていること、腹の中にあることをちょっとちょっと探り出し、引っ張り出す会話の糸口もなければ、突っ込んだ「話」になるとまったく話が噛み合わず、外人と喧嘩するためにパリまでやって来たような日常だ。

が、そんな言葉も文化も違う「わからんヤツ」と生活を共にする覚悟を決めたのも、そのためにすべてを捨ててパリに行こうと決心したのも、他の誰でもない、わたしである。そのくせ、ささいなことで衝突するたび「やっぱり無理や!」「帰らせてもらうわ!」と、いともたやすく自分の覚悟を投げ捨てるのも、このわたしだ。この数ヶ月、ほとほと思い知らされた。
自分の覚悟ほどアテにならないものはないということを。

まあ、そんなわたしのあてどない逡巡や感傷はさておき、一体全体、何がどうなってこうなったかというと、前回のコラムに登場した“外国人”と成るようになったからである。世間一般的には、長年連れ添ってきたパートナーを捨てフランス男に走ったひどい女という見方もあるだろうし、スポーツ新聞的に言えば、オウムの指名手配犯・菊池直子じゃないが「肉欲逃亡」「愛欲逃亡」など、よくぞそこまで俗に卑猥な見方をする人もいるだろう。

実際、「女を売りにするようなことはしない女性だと思っていたのに、りっちゃんには失望した」と軽蔑的な言葉を投げられたりもした。女を売りにしたつもりなど毛頭ないし、売れると思ってやったことなど一度もないが、そう言われてしまったら「売れるもん売って何が悪いねん!」と居直るしかない。ただ、そういう「考えられない言葉」を言われてしまった現実にあらためて、今回のことがいかに自分には考えられない事件だったかと、人生何があるかわからんもんやと他人事のように納得してしまうわたしである。

何しろわたしは、これまで12年間、一緒に力を合わせて生きてきたパートナー、わたしにとってはただもう「おーちゅん」としか呼べない唯一の存在、切っても切れぬと信じてここまできた2人の人生、疑うことなくずっとそばにいると信じていた未来を断ち切った。これがあるから自分でいられると信じてきた仕事も、必死に積み重ねて来たキャリアも、そこで培った人とのつながりも、友人たちとの日常も、もっと細かい話で言えば、母親が嫁入り道具に持たせてくれた思い出も重量もヘビー級のタンス、おーちゅんとの12年間の生活の中で、引越すたびに買いそろえた家具やインテリア、おーちゅんが作ってくれた棚やテーブル、いつの頃からかずっと「わたしの部屋」の住人と化しているなじみ深い小物や雑貨に至るまで、大事に大事にしてきた人、物、生活を、わたしは自分で手放した。わたしは、時にそういうことをする、してしまう人間なのだ。

思い起こせば、昔、大好きなおばあちゃんの手をふりほどき、泣いてわたしの名を呼ぶ声を振り払い、それでも「行かなあかん」と目をつぶって走り去った忘れられない記憶がある。

あれは、わたしが8歳で弟が6歳の夏祭りの日。当時、離婚したばかりの母親は別の男性と同棲し始め、二人して小さな店を営むようなしどけなく乱れた生活を送っていた。夕方になるとそいつと2人で店に出かけ、毎日帰宅するのは明け方過ぎで、夜はずっと子どもだけの留守番だった。母親自身、そんな自分のやましさは重々わかってはいたのだろうが、それを自分の母親や身内の叔母など、人に言われたくなかったのだろう。

わたしと弟は、「カネばあちゃん(祖母の呼び名)に家を教えたらあかんで」ときつく言い渡されていた。離婚して以来、消息不明のわたしたちの居所を突き詰めようと、カネばあちゃんは、町内の子供達がこぞって集まる夏祭りの日に狙いを定め、わたしたちが来るだろうと盆踊りの人の輪をじっと眺めていたという。
踊りの輪の中にいたわたしは、ふいに「りつこ!かつひろ!」と呼ぶ声にはっと振り向くと、怒っているのか泣いてるのかわからない初めて見る物凄い形相のカネばあちゃんが立っていた。「おまえら、今、どこに居っだ?(居るのか)」と隠岐弁で迫り来るおばあちゃんは弟の手をつかみ「家はどこだだ?おかあさんは何しちょっだ?」と詰め寄ってきた。
わたしはとっさに「かっちゃん、行くでっ」と一目散に駆け出した。

「待てな、おまえら、なんで逃げっだ!」
わたしはぎゅーっと目をつぶり、耳を塞ぎ、カネばあちゃんの呼ぶ声を振り切って逃げた。玄関先で何も知らずにキャンキャンほたえまくるポメラニアンの愛犬ルルちゃんを弟と2人くしゃくしゃになで回しながら、大泣きした。

特におばあちゃん子だった弟は胸が張り裂けるほどつらかったに違いない。いまだに、酒を飲んで酔いが回るとあの祭りの日、大好きなカネばあちゃんから逃げた罪悪感と後悔を「人生で一番つらかったこと」だと語り出す。
「あのとき、オレな、オレの手をつかんでたカネばあちゃんの手を振りほどいてん。こうやって、振り捨ててん。それが今も忘れられへん」

大好きな人の手を振りほどき、泣いて呼ぶ声を振り切ってまで駆け出した先に何があるのか。そこまでするほどのものは何もないということも、とうの昔に知っている。それでも、そうせずにはいられない時がある。

もしわたしが、おーちゅんとフランス人、どっちを選ぶ、どっちを取る、どっちが好き、どっちがいい? というような比較や計算ができる人間なら、もう少し考える「間」も「余裕」もあっただろうし、こんなことはしなかったかもしれない。が、わたしは、そうした。その時、そうしたいと思った自分を取ったのだ。

あの夏祭りの日、わたしはおばあちゃんよりお母ちゃんが大事だから、好きだから、愛しているから、おばあちゃんを振り捨てたのか。違う。わたしは、ただ、そうした方がいいと思った。だからそうしただけのことだ。

事実を見れば、おばあちゃんを捨てて、おかあちゃんを取った、ということになるのかもしれないが、人の心はそんなにきれいさっぱり割り切れるものではない。自ら捨てると決めたとしても、なんで捨てた、なんで、なんでの嗚咽まじりの悔恨は一生消え去ることない。

パリに来てから、語学学校で知り合った60歳くらいの日本女性にこの話をしたとき、その女性は、わたしがなぜそこまで大事に思うパートナーを捨ててまでフランスに来たのかが理解できないといわんばかりに「でも、そのパートナーの方より、今のフランス人の方を好きになったから、そうなったんでしょ?」と訊いてきた。

「いや、どっちが好きかと言われたら、その時点では、おーちゅんの方が好きですわ。ただ、おーちゅん以外に、一緒に生きてみたいと思える人間が現れよった。そんな思いも寄らないことが自分の人生に起こった。となれば、来た波には乗ってしまうでしょ、普通」と、わたしは真面目にそう答えた。

編集者として出版社に勤めた後、若い頃から好きだったフランスで新しい自分の生き方を見出そうと自らの決意と努力でパリに来たその女性にしたら、「来た波に乗ってやって来た」というわたしの動機はふざけていると捉えられたのかもしれない。「でも、愛しているのは今の方なのよね? 」と、どうしても納得がいかないといわんばかりに首を傾げ、しきりと他人の愛の深さを問うてくる。

そんなレベルや度合いを比べられるようなものを躊躇なくあたりまえに「愛」と呼べる、その女性の年甲斐もない疑いのなさにカチンときたが、ここでめんどくさい議論をするのも何なので「はあ、まあ、そうなりますかねぇ」と気のない返事で流しておいた。正直、わたしは、どっちを愛しているとかどっちが好きかとか、そんなこと「どっちゃでもええやんけ!!」と、どついてやりたくなるくらい寛容で大雑把で気の短い性格の持ち主なのだ。

だから、このたびの自分のエピソードを、ありきたりな恋愛小説的な「愛」の次元で捉えられては非常に困る。何しろ舞台が「パリ」だけに、下手に筋書きだけ話すと「愛に生きる女」みたいな気色悪いイメージを持たれる危険も多い。たとえそれがシャルル・ド・ゴール空港で彼女を見た瞬間、恋に落ちた辻仁成と同じアムールの国といえども、どーでもいい2人だけの「愛」を真顔でうっとり語るような面白くも何ともないフレンチ風味の日本人に仕上がってしまうことほど恐ろしいことはない。
たぶん、そんなしょうもないことをひたすら大阪弁で考えてるから、いつまでたっても外国語が脳に入らないのだろう。

そういえば一時、人や物に対する執着を捨てることで、気持ち、生活、人生を新しい風向きに変える処世術として「断捨離」なる言葉が流行ったことがあるが、わたしはなぜかその「捨てる」ことで心が解き放たれ、あるべき自分、あるべき生活が見えてくるというコンセプトそのものに馴染めなかった。
人が何かを捨てなければならない時。それはもう人の意志など及ばない力によって「捨てさせられる」から「捨てる」のではないか。大阪弁でいえば、「捨てる」とは、「放下す(ほかす)」。
この<放下す>という語は、もともと禅家から出た言葉で、ものごとを放り投げて無我の境に入ることだという。
だから、「捨てないと新しいものは入ってこない」などという自分都合の断捨離は、「得るもの」を狙っている時点で、軽佻浮薄なポジティブシンキングと言い捨ててもバチは当たらないだろう。

なんと言うか、「一度きりの人生だもの。後悔だけはしたくない」みたいな潔い決意が持てればいいが、わたしはそこまで自分に厳しくプレッシャーをかけるようなしんどいことはしたくない、ぐうたらな正直者だ。むしろ、「後悔でも何でも自分でしたことならあきらめがつく」と、自分だけには甘い。

もし、踏みとどまっていたら、「あのとき、彼と生きる道を選んでいたら今頃…」と、疲れたとき、体調が悪いとき、抵抗力が衰えたときに疼き出す腐った歯根の痛みのような鬱陶しい後悔のさざ波にぐらぐら揺れることになるだろうし、一歩踏み出したとしても、「自分が失ったものは何だったのか」「確かにあった生活を捨ててまで手に入れたかったものは、これか…」などと、取り返しの付かないことをやってしまった後悔の荒波が一挙に押し寄せてくるのは折り込み済みである。

人生は選択の連続というが、それは即ち、後悔の連続でもある。どっちにしても「後悔」するのであれば、結局、わたしたちが選べるのは、どっちの後悔がマシか、自分に合うかということくらいだ。少なくとも自分は「やってもた!(やってしまった)」後悔の方が慣れている。なぜなら、自らやってしまった後悔は、5年、10年、時が経てば、「ほんま悪いことした」「アホやったわ」「せやけど人間、やってみんと、わからんもんなぁ」「わかるやろ!」などと、ボケて、とぼけて、突っ込んで、腹をよじって泣き笑える日がくることを、「学ぶ」ということを知らないわたしはアホほど知っているからである。

と、この10ヶ月の休止中にわたしに起こったこと、わたしがしたことは、ざっと大まかに以上である。
これからはここパリで、国が変わろうが、言葉が変わろうが、暮らす男が変わろうが、土台変えようがない、変わりようがない自分を大切に、しばらく、やれるとこまでやってみるつもりでいる。こう言うと何だが、わたしはもう何も決めない、と決めた。だから、“つもり” 程度でもう十分。先のことは一切、考えない。考えたところで、人生何が起きるかわからない、というよりも、わからないのは人生ではなく、おまえじゃ! ということが嫌と言うほど分かったからだ。だからこれからは、この話をした後の締めは、煙草の紫煙をさもワケありげに見つめながら、こうつぶやいてみるのもウソ臭くていいかもしれん。

「わたし、何かあったら、何するかわからん人間やねん」。

最後に、今回は敢えて「フランス人」としか記さなかったが、奴の名はルイジという。たぶん次回以降、度々この名が登場してくることになるだろうから、もし良かったら覚えておいてもらったら幸甚です。

ご意見・ご感想など、下記よりお気軽にお寄せ下さい。

6件のコメント

月並みですが、ご無事で安心しました。どんどんコラムアップして下さい。
今回の件、なんだか、男の私から見ると、「素敵」です。

by 株彦 - 2013/11/11 3:00 PM

株彦さま いつもすいません、ありがとうございます。大変長らくご無沙汰しておりましたが、これを書き出すのに10ヶ月もかかってしまいました。でも、これを書いたことで無理矢理にでもひと区切りついたので、これからはどしどし更新させていただきます。「どこがパリやねん!」という下世話でショボイ自分と悪戦苦闘の日々を(苦笑)

by Ritsuko Tagawa - 2013/11/11 9:20 PM

「わたし、何かあったら、何するかわからん人間やねん」。

そう、うそぶくのがいい。

だって、多川麗津子だもん~~~笑

これからも、ファンです!

by まりりん - 2013/11/15 11:42 AM

多分「自分らしさ」を損なうのが、イヤだったのかなあと感じました。それは「愛」とは違いますよね?試されたのは「愛」ではなく、「多川麗津子」さん自身。あなたは賭けに勝ったのだと思います。

はじめて拝見させて頂きましたが、素敵なコラムですね。

by 撃ち負かされた句読点。 - 2013/11/19 10:10 AM

一度触れたことのある、この独特な浪速のニオイ…
そうそう、この感じこの感じ。この目線、この口調、この考え方、この行動力。このなまり。(笑)ってめちゃ懐かしくもあり、そして改めてファンになった。
まさかこのコテコテの風をパリ〜で吹かせていようとは…。
とにかく素敵!
中身さておき、風貌は、似合うぜ、巴里!

世界のどこにいようと、楽しみにしてるから、地球の果てからでもときどきリツコ節を送ってください。
こんなヤツもおんねんな。と疲れた時に読みに参ります。(笑)
りっちゅんの言葉、目線、ほんとに好きよ。

by ふるやん - 2014/03/05 5:44 PM

久々にコラム見て驚いたよ。劇的な人生歩んでるね。
何をしでかすか分からない自分わかるよ〜。私もそうだもん。
何でこんな選択したか今だに謎な自分がいるし
後悔もしてる時も多々あり。
人生一度だしと割り切っても割り切れないときも多いけど
自分の決めた選択に後悔しても仕方がないので、取りあえず進むしかない。
「もう何も決めない、と決めた。」今の自分にもピッタリのフレーズだよ。
決めない方が今は生きやすいんだよね。人生思っているようにいかないから。

またコラム読んで他にもオモロイ人生歩んでるヤツおるって
パワーもらうね。

by サイトーユカ - 2014/03/16 5:54 PM

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Ritsuko Tagawa
Ritsuko Tagawa

多川麗津子/コピーライター 1970年大阪生まれ。在阪広告制作会社に勤務後、フリーランスに。その後、5年間の東京暮らしを経て、現在まさかのパリ在住。

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