salitoté(さりとて) 歩きながら考える、大人の道草ウェブマガジン

白線の裡側まで

2012-03-10
あの日から1年。

3月に入り、毎晩のように被災地の今を伝えるNHK特集「明日へ」が放送されている。生まれ育った土地、かけがえのない家族、親友、仲間、命がけで守ってきた会社、店、これしかないと打ち込んできた仕事、子どもの頃から変わらずそこにあった町、風景、人々のつながり、積み重ねてきた人生、何もかもすべてを根こそぎにされたひとり一人が、一日、ひと月、半年と耐えてきた耐え難い時の連なりをカメラは淡々と映し出す。

花が好きだったという大槌町の83歳のおばあさんは、見知った人は誰も居ない仮設の5畳半一間の部屋で、空き缶に花を飾りひとり暮らしている。震災以来、人に会うことが嫌になり、ボランティアの呼びかけで仮設のお年寄り同士が集まるお茶会もずっと断ってきたが、師走のある日、初めて人の中に入った。けれど、誰とも口を聞かず、話の輪に入ろうともせず、じっと黙ってお茶をのむ。震災後、避難所で人と会い、人と話すたび、誰も彼もが亡くなったことを知らされた。それがたまらなくつらかったという。人に会うと、あの人も亡くなった。この人は夫を、息子を、娘を失ったことを知らされる。
「知らなかった」
「いいんだ、いいんだ」
そんなやりとりがいたたまれず耐えきれなかった。おばあさんはカメラを見ず、空を見つめて言った。
「涙こぼしてもこぼれないような、嫌な感じだね」
どんな言葉もその人の悲しみには届かない、何の慰めにも励ましにもならない、何もしてやれない空っぽな自分が嫌だったのか。
大晦日、テレビの紅白を見るともなく流しながら、焼いた餅となますを黙々と口に入れ、ひとりぽっちで年を越す。記者の問いかけに溜めていたものを少し吐き出すように答えた。
「1年たっても何も変わらない。ずっと(震災は)続いてる」。

仮設住宅でひとり暮らす67歳の女性は、まだ表情が明るい。取材カメラにも「寒いから中に入れ」と気さくに声をかける。昔から料理が大好きで、いつも近所の仲間を家に呼び、手料理を振る舞うのが楽しかったという。それが、震災後、得意だったはずの料理が上手くできなくなった。
「今の言葉でいうとトラウマか? 何ウマだ?」ずっとこうして、時々すっとぼけたことを言っては人を和ませてきた、幸せに生きてきた人生が感じられる、愛らしいおばあちゃんだ。

もう1人、仮設に暮らす60代の男性は、津波で家と仕事を失い、無二の親友を亡くした。見ず知らずの高齢の女性ばかりの仮設暮らしは、誰とも口を聞かない毎日だ。仕事もなく、ただ起きて食べて寝るしかない空しさをまぎらわせる唯一の相手といえば、酒。「酒で体を悪くしてそうなるか、自殺すっか、それしかねえばな」と、ぽつり吐いては酒を飲み、ひとつ嘆いてまた飲んで、言葉の継ぎ目に一升瓶で酒をつぐ。年末、千葉で働く30代の息子が仮設を訪れ、こたつを挟んで親父と向き合う。こいつら子どもに迷惑だけはかけたくねえ、だから「早く死ぬしかねえ」といつも以上に酒を煽る親父とそれを黙って「しょうがねえ」と見つめる30代息子。どうしようもない、誰のせいでもない、いくら悔やんだところでなんも変わらない。だけどなんでこんなことになったのか。そんな思いだけが後から後から降り積もる。どうしようもねえ、どうしようもねえ1年が終わり、どうしようもないまま年だけが変わる。

同じ東北被災地でも、同じ被災者であっても「何がどれほど失われたか」という被害の差によって復興の困難さはそれぞれに違う。受けた傷は同じであっても、痛みの堪え方、表し方、癒えるまでにかかる時間はひとり一人違う。震災直後はひとつにまとまって耐えられた恐怖や不安、誰もが同じに思えた現実のつらさが、時が経つにつれ、自分ひとりのものに変わっていく。そういう個々の差を浮き上がらせるのが1年という時の重みなのかもしれない。
ひとり一人が置かれた現実、ひとり一人の心の傷は違う。でも、だからこそ、すこしでも力が残っている、力が出せる人は、自分のことなど後回しに、すぐさま立ち上がり、町のため、人のため、ふるさとの復興のために全力を尽くす。気仙沼大島にも、そんな男たちがいる。

震災後、連絡船が断たれ孤立した気仙沼大島では、「おばか隊」と名乗る地元有志の男たちが、島の復旧復興をめざし活動を続けてきた。自分のことはほったらかしに、住民の声や要望を聞き、行政とのパイプ役となり、物資の搬送、配給、がれきの撤去作業、あらゆる仕事をこなし、支援ボランティアと共に奔走してきた。そんな彼らの活動も、半年、1年が過ぎようとする今、現実の壁に行き詰まりを見せている。自分の仕事も生活も見通しが付かないまま、それでも島のために働く自分たちはいったい何なのか。それは、ただの自己満足ではないか。そんな自分自身に対する疑問や葛藤を抱えたまま、それでも「おばか隊」としてできることをやり続けたい彼らは、支援ボランティアのリーダー男性に「とりあえず義援金や支援金を頼りに、なんとか自分の生活の建て直しと島のために働くことを両立させられないか」と、相談を持ちかける。

リーダーの男性は、「義援金頼みの活動は続かない」と言い放ち、「おばか隊」の活動を社会的経済活動として取り仕切るリーダーの存在が必要だと、現状の問題点を指摘する。この活動を本業にする覚悟がないまま、自分の今後の見通しも立たないまま、島のために働き続けたいという彼らに、その男性は「それは自己満足だ」と言い放った。「島のため、人のためといっても、人が動くのは自分がそうしたいからだ。自分自身に余裕がないのに、誰かのため、島のためと言った時点で、それは贋物だ」自分たちが行き詰まっている本当の理由、核心を突かれ、黙ってうつむく「おばか隊」だったが、それでも、その表情は何か納得したような、少し気が楽になったようにも見えた。

わたしは、このリーダー男性の言葉を、一昨日から東北被災地でボランティア活動をしているはずの、しかもそんな自分の行動を「自己満足なのか、何なのか」グラグラ、ウダウダこねくり回している弟に聞かせてやりたいと思った。というのも、つい先日。弟から「8日からまた石巻にボランティアに行ってきます」というメールが送られてきたのだが、その文面がやけに湿っぽく、「あのアホ、死ぬんじゃないか」と危ぶまれるほど感謝の言葉で締めくくられていたからだ。一応念のため電話するとありにく弟は不在で、嫁のしずかちゃんが「そうやねん」とほとほと呆れた口ぶりで、「パパが一番心配や」と弟の面倒さをぼやいてくれた。
「ボランティアに行くのはええことやし、行ったらええと思うけど、普通に行ってほしいねん。それをなんか知らんけど『おれがなぜボランティアに行くのか』とかわけのわからんこと言うて、そうかと思えば1人部屋にこもって泣いてたり、ほんまもう、お姉ちゃん何とか言うたって」と、そんなような状態らしい。その数日後、弟と電話で話すと、どうも仕事を休んでボランティアに行くことを職場の上司やまわりの人に「ただの自己満足やろ」と非難され、何のために被災地へ行くのか、なぜ行きたいのかと自分自身がわからなくなり、一層混乱を深めている様子であった。
「自己満足と言われたらそうだが、でも、それだけじゃない」という自分の思いを「おれはな、おれはな」と必死でしゃべってくるのだが、言葉より先に真心だけがあふれ出してくるので、聞く方は必死で汲んでやらないと何が言いたいのかさっぱりわからない。はっきりわかるのは、しずかちゃんも溜まったもんじゃないということくらいだ。

その気仙沼大島のリーダー男性のように、ボランティアを本業として被災地の復興をサポートし続けている人でも、自分のしていることを「自己満足だ」と言い切るのだ。そう言い切れるのは、数々の支援活動経験、様々な被災地の人と向き合ってきた経験があるからこそなのかもしれないが、でも、ボランティアの基本はそうなのだろう。政府の貧困支援対策にも携わり、ホームレスや生活弱者の自立支援活動を続けている湯浅誠さんも、何かのインタビュー記事で、支援活動を続ける理由を「貧しいのはその人が怠けているからだという社会のあり方が気に食わないからだ」と語っていた。英語の「ボランティア」とは本来、志願という意味であるように、それは誰のためでもなく、自分自身が“そうしなければ嫌だから”する。それでいいのだ。ということを、帰ってきた弟に、面倒だがまたきつく言ってやらねばならん。

そんなわたしは震災から1年。自分自身は仕事も生活もそれほど変わってはいない。ただ、あれからずっと思い続けているのは、明日は我が身であるということ。そして、自分がこの東京で感じた辛気くさい自粛ムードの嫌さ、不謹慎とか被災地のことを考えろとか、緊急事態になると暗黙の自己統制が発動する世の中に感じた嫌さ、メディアやネットから流れ出てくる生やさしい言葉に憤りながらも、その違和を表す言葉すら持っていなかった自分に対する嫌さ、あの嫌さはいったい何なのかを問い詰め、考え続けることだけが、心底全力で向き合い続けることのできる「わたしの3.11」だと決めた。

どれほど親しい間柄であっても、その人の根源的な痛みや苦しみは分け合うことができない人間の孤独と無力さを、あの大槌町のおばあさんは「嫌な感じだ」と切り立った言葉で表した。それは見事に辛辣な批評だ。わたしも、どんな境遇に陥ろうとも、心に刺さった棘は自分で抜き出せるように、それがどんなに嫌かを嫌ほど誰かに説明できる言葉を自分の中に備えたいと思っている

ご意見・ご感想など、下記よりお気軽にお寄せ下さい。

2件のコメント

ボランティアを無償の奉仕としてすることはとても難しいです。
お金じゃなくても何か得るものがあってしまうので、そうすると無償ではないなーと。
高校生の頃、社会事業大学に行きたかったので、何かボランティアをした経験を書かないとならなくて、YMCAの少年部に入ったのですが、その時に「あ、これ無償の奉仕じゃないや」と思って「自分、偽善者だ」と思ったのを覚えています。結局、ボランティア経験は書きませんでした。
今回の震災復興の件に関しても、老人福祉、障害者福祉にしても、基本的に社会福祉的活動には普通に労働に対する然るべき金銭が支払われるべきだと思っています。そうしないと弟さんのような真面目な人が悩んでしまいます。お金が分かりやすく解決してくれる、こともある、のではないかと自分は考えます。

by 間 黒男 - 2012/03/20 10:14 PM

被災地で活動して、いろんな人と話して自己満足であろうがなかろうが現地で、ありがとうと言って貰えた事に自分は大変満足しています。それで良いと思った。凍え死ぬ事もないな僕の旅 土手っ腹をぶち抜かれちゃたね

by カツヒロ - 2012/03/20 10:16 PM

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Ritsuko Tagawa
Ritsuko Tagawa

多川麗津子/コピーライター 1970年大阪生まれ。在阪広告制作会社に勤務後、フリーランスに。その後、5年間の東京暮らしを経て、現在まさかのパリ在住。

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