salitoté(さりとて) 歩きながら考える、大人の道草ウェブマガジン

白線の裡側まで

2012-07-6
禁断の美徳

先日、大阪の親友と電話で、反原発デモについて、原発による核の平和利用と安全保障の問題、さらには小沢夫人の絶縁状に見る豪腕・小沢のどこが豪腕やねん、大阪橋下市政の是々非々などについて大いに意見をぶつけ合う会話の締めのデザートとして、なぜか「女性向け官能小説って、どうよ?」と荒唐無稽な流れに至る。

「官能なぁ。ちらっと読んでみたけど、大概いつも同じパターンやろ?」
「せやねん。ほとんど不倫=禁断みたいなさあ。越えたらあかん一線を越えてこそ快楽があるみたいな話やわなぁ」
「けどさぁ、今のこのご時世に禁断の愛なんかあるか?」という彼女の素朴な問いかけに、う〜んと考え込んでしまう。

確かに、不倫、略奪愛、復活愛に再燃ラブと、それが一般的には「してはいけないこと」であったとしても、それらしいネーミングで自由に寛大に自分にいいように肯定できるフリー&ラブな時代に、禁断だの背徳だのいわれても今ひとつ罪悪の重みが感じられない。自分が人から許されざる愛の行為を打ち明けられたとして、そこでヒィーっとイスから転げ落ちパニックに陥る禁断のショックとなると、それこそ近親相姦か、あるいは舅・姑と、まさか豚・牛・羊と・・・みたいなことしかもはや思い浮かばなかったりする。しかも、それとて強要され脅されたのではなく、本人がいやいやまんざらでもなく臨んだ行為であるならば、「何考えとんねん」とツッコむのが関の山で、それが自分には考えられない愛の形であったとしても、犯罪ではない以上、個人の自由といわれればそれまでの話である。

そうか、今はもう「禁断」などないに等しい時代なのか。と、自由の底に蠢く淫らさに軽いめまいを覚えながら、「禁断かぁ、禁断なぁ...」とふと取り出したる一冊の書。女性とはかくあるべきかを問う折に触れ、手に取りめくる座右の書『女性の知恵』。発刊は今から36年前の昭和51年。つまりこの本のターゲットとなる未婚女性は、現在、還暦60代の主婦ということになる。そしてたぶんこの本の編纂者は昭和一ケタか戦前・戦中派かもしれない。なぜなら、音楽ダウンロードの時代に蓄音機の性能についてアレコレ示唆されるような時代遅れの知恵とアドバイスが700頁にわたりぎっしり綴られているからである。そして全編を通して貫かれているのは「貞操観念」と「羞恥心」。頑なに「守る」ことが美徳な時代の女性にすれば、婚前交渉すらある意味「禁断」なのである。

そんな冷蔵庫の中で無惨に干涸びてミイラ化した生姜のように使い途のない「女の知恵」だが、その第一章をめくると、いきなり「社会人の知識」と題して、政治、経済、国際問題に関する基礎知識の解説が始る。たとえば「中選挙区制と小選挙区制の違い」あるいは「日米安全保障条約について」、さらには「インフレになると物価指数はどうなるのか」等々、自分が今いる世の中のしくみひとつ知らない、知ろうとしない頭の程度では、次の「男女交際」の章に進む資格などないという手厳しい構成なのだ。

この本の編纂元「婦人教養研究会」の編集者が言うともなく伝えたいのは、素晴らしい男性をキャッチするためにどうすればいいのか、身勝手な男心がわからないなどとつべこべ抜かし上げる以前に、世間を知れ、公民の教科書からやり直せと、そういうことなのだ。まあ「婦人教養研究会」という名前からして、それほど自由奔放で恋多きセクシー美女の集まりなわけがない。そのせいかどうも全編の論調、とくに男女の章で繰り出される「男性とはこうこう、こういうものなのです」という男性観、恋愛観、結婚観の古臭さときたら、いちいち首を傾げたくなる。いかんせん女の人生=結婚という時代の「知恵」なので、女性が身につけるべき知識、教養、センス、マナーといっても、それらはあくまで「結婚」を目的としたもので、嫁となり妻となり母となれば女の人生それで十分、それ以上何になる必要があるかという有無を言わさぬ決めつけ方、選択肢のなさゆえの迷いのなさが今見るとやけに新鮮で痛快でもある。

中でもお気に入りは、男女交際を円滑に進める女性の会話センスについてのアドバイス。

ユーモアは下手なダジャレではありません。これはやはり知性とセンスの問題です。貴女がデートに遅れたとき、彼は「遅すぎるよ。この煙草の吸い殻をご覧。僕は肺ガンになっちまうぜ」と怒りながら言いました。そのとき、貴女ならどう返しますか? 「専売(心配)かけてすいません」では下手なダジャレです。そうではなく、しおらしく愛らしい笑顔をのぞかせながら「ごめんなさい。電車が遅れちゃって。でもやっと貴方に拝顔(拝ガン)できてホッとしたわ」・・・・・・

はいがん

意中の男性の心を射止めるには、ウィットに富んだユーモアセンスが必要という心がけはまあいいとして、肝心のユーモアがひどい、あんまりではないか。

大体からして今どき路上でバコバコ煙草吸ってイライラ待ってる男など風俗の呼び込みでもあまり見かけない世の中である。しかもそんな自分の無神経さに輪をかけて「肺ガンになっちまうぜ」って、知らんがな。まあシチュエーションは時代が時代なので仕方がないとはいえ、流せないのは「専売(心配)」と「拝顔(肺ガン)」だ。これのどこにレベルの違いがあるのか、20歳の頃から何度も読み返しているがいまだにさっぱりつかめない。

まあ、出してくる具体例はとんでもなくメチャクチャでナンセンスではあるが、書いてあることはなかなか鋭く本質を突いており、嫁、妻、女性としての心得、エチケット、マナー、料理、生け花、フランス刺しゅう、新婚旅行の汽車の中での恥じらい方から初夜の入浴時の作法まで、執拗に事細かく入念に「ああしろ、こうしろ」と口やかましく書かれている。しかし、なぜか新婚旅行の初夜の段になると文章のタッチも表現のトーンも一変、「婦人教養研究会」編集女史の内に溜まりに溜った何かが噴き出してしまったのか、どうも様子がおかしいのである。

<ハネムーンの作法>
2人だけで初めて落ち着ける部屋。夜の帳もおろされて窓の下の渓流はセレナーデを奏でているでしょう。あるいは寄せては返す波の音が、時にほのかな月光が山の端にかかっているかもしれません。世の中がまるで夢のように感じられ、言葉にあらわすことのできない感激が2人をすっぽり包んでいます。
「今日のこの感激を忘れずに、しあわせになろうね」「ええ、わたしもきっとあなたのよい奥様になりますわ」感激に燃えた熱い口づけに、あなたは静かに目を閉じてください。これが密月旅行です。

・・・・なんなのか、この生真面目ないやらしさは。もちろん一段落に「感激」と同じ言葉を3度も使うという文章表現の「禁断」にも職業的な恥ずかしさを覚えるが、正直、むしろ、逆に、ヘンな話、いまどき過激な官能小説より、こっちの方がよほどたまらんものがあったりする。それはおそらく、この2人の溜めのキツさ、抑制のしんどさが、今の自分にはありえない美徳とおぼしきものだからかもしれない。きっとこの男性はぴっちり七三分けの桜木健一か、女性の方はちょっぴりお固い知性派ながら、セミロングの髪をかきあげる仕草にふとした色気が漂う中野良子かなと、妙に昭和チックな想像が膨らむのである。

おそらく、何をやっても個人の自由で許される、勉強も恋愛も仕事も「いつか、いつかって、いつやるの? 今でしょ!」みたいなスピード感あふれる行動力が求められる時代に、あえて「禁断」というものがあるとすれば、それは何もしない、致さない時間をただただジリジリやり過ごす狂おしい我慢、灼熱の忍耐か。ってことは、今は美徳こそが最高に刺激的な背徳なのかも。知らんけど。

楽しいデートの心得。のっけから「デートにつきものは結婚です」という一文に「なんでやねん!」とずり落ちる。「男性は車道側を歩く」「日帰り旅行で伊豆海岸」「歩き疲れて、公園の木陰で小休止。ふと黙る男性。まさかプロポーズかしら?」となればゴールである。ちなみにこの本では、理想的な男女の交際として、お互いを知る交際期間3ヶ月、婚約期間3ヶ月、結婚準備期間6ヶ月の「三・三・六システム」を提唱している。

政治社会知識から男女交際の知恵、美容と化粧、おしゃれと装い、訪問接客のマナーと冠婚葬祭エチケット、料理に手芸、結婚、妊娠、子育てまで網羅した充実の内容で「おんなの一生」を幅広くサポート。とくに性生活に関する項目は必要以上に真剣に詳し過ぎて笑うしかない。。

ご意見・ご感想など、下記よりお気軽にお寄せ下さい。

2件のコメント

【高峰秀子様の流儀】を今、読み終わりました。
私も大好きな方でした。

今も、台所のオーケストラの本を大事に持ちます。
どれもこれも、とても美味しいお料理ばかりで、私の料理になりつつあるものも。

本を読み、高峰様がお幸せに暮らしていらしたことを知り、とても嬉しく思っています。特に斉藤さまがいらしたことを嬉しく思っています。

斉藤さまがいらして、心の中の小さな黒かった小石が、虹色に輝くように思えています。

本を読み、斉藤さまに一言お伝えしたく、名前を検索し、ココにたどり着きました。

突然のこのようなメール、お驚きだと思いますが、
松山様、高峰様に感謝の心を届けたく、
お二人を幸せになされた斉藤さまに感謝を伝えたく、送信いたします。

by Saliya - 2012/07/08 4:58 AM

働かざる者食うべからず!

主婦は、無給で働いている! と、良く言いますが、 結局 お金 を作れない以上、どーにかして お金を貰わなければ 生活が出来ない…
それを、結婚がゴール! みたいな考え方が 40代以上の主婦に多い気がする…

…この本が売れた時代のツケが、今の主婦のクビを締めてるのやろか…

働かざる者食うべからず!

by 秀虎 - 2012/07/09 12:23 AM

コメントする ※すべて必須項目です。投稿されたコメントは運営者の承認後に公開されます。


コメント


Ritsuko Tagawa
Ritsuko Tagawa

多川麗津子/コピーライター 1970年大阪生まれ。在阪広告制作会社に勤務後、フリーランスに。その後、5年間の東京暮らしを経て、現在まさかのパリ在住。

そのほかのコンテンツ