salitoté(さりとて) 歩きながら考える、大人の道草ウェブマガジン

白線の裡側まで

2017-07-4
思うより語られる
ブログ時代の悲しみに…

先月、大阪で小さな劇団の役者をやっている弟の最後の芝居を見るために日本に帰っていた。
弟の劇団の舞台公演はつねに、3年か5年に1度あるかないか。今回も前回から数えて5年振りの公演だったが、たとえ気持ちはあっても、パリからの渡航費と滞在費を考えると、「頑張りや」とひとことエールだけ送ってやれば十分なような気がしないでもない。それでも、なぜ帰ろうと思い立ったかというと、次はいつとも知れない弟の舞台を誰より心待ちに楽しみにしていたおかあちゃんが、いつもそこにいたからだ。

いざ公演となれば、近所のおばちゃん友だち仲間を総動員して、お百度参りかという勢いで、昼夜3日全回ぶっ通しで観に行かんとする母親がいたことを、この期にして弟が思い出さないわけがない。だから、舞台となれば否応なく胸に去来してくるおかあちゃんの話がしたかろう、そして、それができる唯一無二の人間はこのわたし、多川の姉ちゃん以外に誰かいるかと、一人胸を叩いてそうすることにしたわけである。

最後の舞台ということで、劇中には、1人ひとりの役者の持ち味やエピソードを紹介する場面が、さよならの代わりに盛り込まれ、それぞれの役者が劇団での思い出を振り返る場面もあった。

この劇団で芝居をやって、忘れられないこと。
末期ガンの母親が、車イスで芝居を観に来てくれたこと。
劇団の美術照明スタッフさんらが母親を抱きかかえ、なんとか舞台を観られるようサポートしてくれたこと。
そして、その3日後に、母親が亡くなったこと。

舞台の上では、スポットライトに照らされた弟が、ナレーションにあわせ手や表情を動かし、その情景と気持ちを表している。泣いているのか笑っているのか、思いっきりくしゃくしゃの笑顔で。

そんなもん見せられたら堪らんに決まっているわたしの隣では、一緒に観に来てくれた中学からの友人、お母ちゃんのことも弟のことも身内のように知り、さらに彼女自身も最愛の祖母を亡くしたばかりの友が、わたしと同じように、いや、それ以上に大粒の涙を流していた。芝居の筋、内容、役者の演技、それはさておき、わたしら2人にとっては、泣かせる舞台であった。

のっけから、なぜそんな身内の涙話をつらつら書いてしまったか。それは、なぜかというと、歌舞伎役者市川海老蔵の妻、小林麻央さんの死去にともなう追悼番組、ワイドショー、ニュース記事に、何とも言いにくい引っかかりを覚え、考えてしまったからである。
たとえば、もし、わたしが弟のその場面を、赤の他人の一観客として見ていたらどうだろうと。泣きはせずとも、そんなことがあったのかと、ほろりと深くうなづきながら温かい拍手を送るだろう。けれど、だからといって、舞台に登場してくるたび、そんな母の面影や思い出を大層なことのように見せられたら、なんぼ忘れられんゆうても「もうええわ」となるのも、人の心ではなかろうか。

小林麻央さんが乳ガンの闘病生活に入り、そして彼女の訃報が流れて以来、ネットニュースを開けば、麻央さん、海老蔵、ふたりの記事を見ない日はなかった。しかも、それら記事の情報元はすべて、麻央さんのブログ、そして逝去後は、もっぱら夫の海老蔵のブログ。もはや、麻央さんが旅立ってからというもの、海老蔵が日に数回更新する寂しくやりきれない胸の内をその都度ニュースが報せてくるありさまだ。

34歳という若さで、幼い子どもを残して旅立たねばならなかった小林麻央さんの無念、一心に自分を支えてくれた最愛の妻を失った歌舞伎役者・海老蔵のやり場のない寂しさ、喪失。それはもう語られずとも誰しもが深く悼み入ることである。けれど、メディアが彼らの悲しみを語るとき。それは、まるで、今まで誰も経験したこともない最高レベルの珠玉の悲しみがそこにあるかのような仰々しい口ぶりで、わたしたちが失ったものの大きさを並べ立てる。

麻央さんが海老蔵と結婚し、歌舞伎界に嫁ぐまで、サブキャスターとして出演していた「ニュースZERO」の追悼特集では、共に番組を務めたキャスターや同僚たちがスタジオに集まり、在りし日の麻央さんの思い出話に涙する時間を放送していた。日本でもっともけがれなく美しい心、これ以上ない夫婦愛、家族愛、姉妹愛をわたしたちに教えてくれた天女の麻央さんが月にお帰りになってしまわれたような語り口で。

いや、誰もがそう語るように、本当に、素直でやさしく思いやりのある愛らしい女性だったのだろう。そして、おそらく、その生涯で人を悪く思ったことなど1度もないような邪気も灰汁も癖もねじれも歪みもない、そんな人もいるものかと、百万遍生まれ変わっても自分はこうはなれない、というか、ならないだろう、違いを痛く考えさせられもする。

ガンに冒された自分をありのまま公表し、その闘病生活を綴った麻央さんのブログが、同じ病気と闘う人々に勇気と力を与えたこと。それは、誰もができることではない、麻央さんだからこそできたことであり、彼女の意志の力であり、生きた証だと思う。けれども、だからといって、追悼特集で彼女の人生を振り返り、彼女が残したもの、伝えたかったことは何なのかをわたしたち1人ひとりがあらためて深く胸に刻みつけなければならないほど、それほどまでに小林麻央という女性は、世の中の誰もがその存在の大きさを認め、不世出の才能に唸り、功績を讃え、語り継がれるべき人物だっただろうかという素朴な疑問が、わたしの頭を悩ませるのだ。

英国の公共放送BCCのインタビューで、
「(アナウンサーになる)夢を叶え、愛する人と出会い、愛する子どもに恵まれた幸せな彩り豊かな人生だった」と彼女自身が自らをそう語っているように、愛し愛される幸せに満ち溢れた人生を送ったひとりの女性、小林麻央。それが、わたしたち一般人が自然に認識している彼女の存在の大きさであって、それ以上のかけがえのなさ、存在の大きさを感じられるのは、彼女が愛し、彼女を愛した家族、近親者、友人、深く交流のあった方たち、そして彼女のブログに心励まされた読者の人たちに限られる。それが、あたりまえの世の常識ではないだろうか。
そういう世間一般の目で見たときの存在の大きさと、メディアが投げかけてくるスケールが、あまりにもチグハグと合わないのだ。
彼女の美しさ、強さ、可憐さ、純真さ、夫婦愛、究極の家族愛を物語る特集番組やニュース記事、それはもう、小劇場でひっそりやってこそ真に伝わるひとり芝居や詩の朗読を、ユーミンスペクタクルばりの豪華巨大な演出セットによって東京ドームで見せられたような、本来あるべき姿にそぐわない見え方にしか見えない。わたしの目がおかしいとしても、やっぱり、おかしい。ゆえに、自分は、人の死を前に思うようなことではない、言うべきことではないバチ当たりは重々承知の上で、それにしても「過ぎる」と、こんなにも思ってしまったのである。

なぜ、そんなおかしな話になるのか。それは、彼らを語るときになくてはならないのが「ブログ」だからではないか。ブログ読者のつながりの中にある前提は、どこまでも肯定し合い、認め合う共感。味方しかいないことが前提の空間。それがブログだ。そしてそれが、何百万という膨大な読者を抱える人気ブログであれば、その絶対的な数は、そう思わない人を黙らせる力になる。

個人のブログ、とくに麻央さん、海老蔵のような芸能人のブログ空間に集う人たちは、通り一遍のお悔やみだけでは立ち去れない、共感によって結ばれたつながりがある。亡くなった彼女がどれほど愛すべきひとであったかを物語る思い出やエピソードを語り合い、失った存在の大きさを確かめ合い、そのひとが残してくれたものを大事にありがたく心に刻みたい。いつまでも、忘れないように…

それは、話を戻せば、最初にわたしが弟の公演になぜ行こうと思ったかという身内の気持ちだ。亡くなった母親のことを、顔合わせればそればっかり語っても尽きることない底なしの悲しみの井戸にいるのは、わたしと弟だけ。それ以外、誰がそんなところにじっと悔やんで居れようか。
世の誰しもが、海老蔵ファミリー、歌舞伎仲間、歌舞伎ファン、ブログ読者であるかのように、その汲めども尽きせぬ悲しみの井戸の底に共に浸ることなどできるはずがない。なぜなら、わたしたちは皆、誰とも共有できない井戸を生まれながらに持っている、そういう人としての孤独と悲しみを共有してこの世に生きる者同士だ。だから、どんなに冷たかろうが寂しかろうが、そこは、わきまえなければならないと思うわたしの頭が古いのか。今は、そういう分かちがたいものまでも分かち合える、シェアし合える、つながりあえる時代なのか…

ブログにあふれる悲しみ。それは、なんというか、祭壇、棺の前に並ぶ家族親族、生前深く関わりのあった御友人が並ぶ最前列の心である。その名はよく存じ上げているので「ご焼香だけでも…」という一般参列者の人々が、最前列の悲しみと同じだけ深い悲しみを共有できるわけがない。逆に、ひとことお悔やみ申し上げて立ち去るべく最後列から、おいおい泣きじゃくりながら飛び出してきた者が「最後にお顔を〜」と祭壇に駆け上がってきたら、どうか。「なに、この人!」とつまみ出されるのがオチだろう。

けれど、それはリアルな世間の当然であって、ブログ、FBやインスタグラムというネットの世界では、むしろ、いきなり最後列から祭壇まで駆け上がってシェアしてくれた方が喜ばれる。そういう、もうひとつの世界に、わたしたちは生きているのだ。

喜びも悲しみも、幸せも不幸せも、家族の大切さも、子の可愛さも、女の幸せも、母となる偉大さも、ひととして生まれた限り、大なり小なり誰もが知って余りあることを特別なことのように語られ、見せられ、つながりあう素晴らしさ、正しさを武器に過剰に増大する共感の波は、もう誰にも止められない時代ですよ。
それをここまで見せてくれた、教えてくれた、伝えてくれた存在。わたしにとっては、それが麻央さんと海老蔵と言うよりほかはない。

寂しい、寂しい、会いたい、会いたい。

日々刻々とブログに打ち出される亡き妻への思い、嘆きを聞けば、それはどんなにか寂しかろう、辛かろうと悼み入る。けれど、果たしてそのつぶやきに、たとえ妻も子どももいない者であっても、どれほどの人が、誰もが人として持って生まれた自分の悲しみを重ね合わせることができるのだろう。

誰の小説だったか思い出せないが、あたりまえにそこにいた人間がいなくなる寂しさを思うとき、いつもその小説の情景を思い浮かべる。
それは妻を亡くした夫が、夕焼けの空、庭の木々、風の音、自分がどれほどのものを失おうとも何も変わらぬ日の明け暮れに、どうしようもなく悟らされる妻の死。そういう文章だった。

その季節になると、「まだ早いだろう」というそばから、成るが早いか庭の木に実った桃を嬉しそうに「いいじゃないの」と摘みとる妻の日常。
そんな妻が亡くなり、葬儀も終わり、集まった人たちも去った誰も居ない家の縁側で、桃の木を見つめる夫。
実りに実り摘まれるのを待つ桃。それを照らし出す夕暮れの名残りの光り、静々と耳をなでる木々の葉音に、私(夫)は初めて、もう、妻はいないのだということを、知る。

そこには、寂しい、会いたい、愛しているという言葉は出てこない。
けれど、わたしたちは、みな、等しく知っているはずだ。
真に語られるべきことは、語らずして、語られる。そこまで 伝えられずとも、伝わるべきことは伝わるということを。

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Ritsuko Tagawa
Ritsuko Tagawa

多川麗津子/コピーライター 1970年大阪生まれ。在阪広告制作会社に勤務後、フリーランスに。その後、5年間の東京暮らしを経て、現在まさかのパリ在住。

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