2011-09-3
島田紳助引退からのやくざ考。
平素から、芸能ゴシップ情報の収集には余念がない下世話な習性に由来してか、何なのか。世俗の垢に薄汚れた身を洗い流そうと出かけた温泉旅行の度、天のおぼしめしとばかりにもたらせるビッグな芸能ニュース。3年前の秋、箱根温泉旅行の帰りに立ち寄った蕎麦屋では「著作権譲渡をめぐる五億円の詐欺容疑で小室哲哉容疑者逮捕」の速報をゲット。そして先週、「いやぁ温泉なんか箱根以来3年ぶりやわ〜」と女2人でいそいそ出かけた淡路島湯けむりツアー。海を眺める露天風呂で身も心もゆったり&すっきり生まれ変わった面持ちで、ホテルの部屋で酒盛りしながら上機嫌に浸っていると、テレビ画面にピピピと波打つ「島田紳助さん引退、緊急記者会見」の速報テロップ。もし、わたしが自然をこよなく愛するネイチャーメイドな性分であれば、旅先で思いがけず遭遇するギフトは、世にも美しい雲や虹、流星群やオーロラみたいな話にもなるのかもしれないが、自分の場合、なぜかいつも俗臭たっぷりの芸能ニュース。呼び込む力というのは、確かにあるもんである。
その島田紳助(敬称略)引退の理由とされる「黒い交際」。実際の真相がどれほど黒いかは知るよしもないが、週刊誌やネットに流れる情報によれば、過去のTV番組での発言をめぐる右翼団体とのトラブルを十年来仲良しの元プロボクシング王者・渡辺二郎被告(羽賀健二がらみの恐喝未遂罪で実刑、上告中。しかもわたしの地元中学の先輩・・・)に相談。渡辺二郎被告経由で、ひと肌脱いで仲裁してくれたのが山口組暴力団幹部Bさんらしく、そのご縁とご恩をきっかけに相当親密なつきあいが始まったということである。
しかしながら、この島田紳助引退ニュース。いまひとつ触手が伸びないというか、持ち前の芸能ワイドな好奇心がまったくうずかない。なぜなら、島田紳助に対して特別白いイメージなどまったく持っていなかったからである。だから、今さら「黒い交際」だの「闇組織との関わり」を明るみに出されても、もっと知りたいモチベーションが沸かないのである。言えば、AKBやKARAや少女時代に今さら「整形」を暴露されても「やっぱり」としか思えないように。
「何を今さら」といえば、芸能界とやくざ社会のつながりもそうである。それこそ昭和の銀幕スターや歌手の自伝には大抵その筋の方々との交流秘話が綴られていたりする。ある女優の手記には、映画の撮影ロケ地でのトラブルを納めてくれた親分の手腕と度量に感服した思い出とともに、せめてものお礼にと舞台に招待するも一度たりとも姿を現さず、以来何十年も楽屋にそっと偽名で花束を贈るだけだった親分の人となりが語られていた。だからといって、そうした存在組織との交流はしかたがない、別にいいじゃないか、とは言えないところに日向に生きる者と日陰に生きる者との超えてはならない一線があるのだと思う。「堅気衆には決して迷惑をかけてはならない」という極道任侠の伝統が失われた今、島田紳助と若頭Bさんとの交流関係がいかに語られようと、そこに聞けば切ない残侠渡世のやるせなさを感じさせられる逸話などまずないだろうから、これ以上、週刊誌やスポーツ紙を買いあさり調査に乗り出す気がしないのだ。
同じ「黒いニュース」であっても、今年4月、5年余りに及ぶ刑期を終えた山口組司忍六代目出所のyahooニュースを見た瞬間、仕事を投げ出しここぞとデバガメ根性丸出しに週刊誌を買いに走った。府中刑務所を出た司六代目、そのまま名古屋の自宅に戻るのかと思いきや、まず真っ先に向かったのは山口組総本山を構える新神戸。歴代組長の墓所である長峰霊園だった。こういう伝統を重んじる律儀さ、襲名披露や兄弟盃など武士のしきたりを受け継ぐヤクザの儀式というものに、わたしは滅法弱いのである。
そういえば 自分が子どもの頃、ニュースや巷の会話に出てくる山口組の親分といえば故・田岡一雄組長だった。田岡組長が三代目襲名時は、組員わずか30人。そんな神戸の弱小組織だった山口組を10年足らずで日本最大の全国組織に発展させたのが、極道界の首領、不世出の親分と言われる山口組田岡三代目なのである。その田岡組長の娘である田岡由枝さんの著書「おとうさんのせっけん箱」には、田岡組長の大きく、深く、やるせないやさしさが綴られている。「山口組の抗争」が連日報道されていた昭和50年代当時、学校でも友達に避けられるようになった由枝さんが、あるとき思い切ってお父さん(田岡組長)に「山口組って、何?」と訊ねた。そのときの田岡組長の言葉がいたたまれない。
「山口組は、親睦団体や」
「親睦団体って何?」
「まあ、学校のクラブやサークルみたいなもんかな」と言われても、それならなぜこんなに社会の敵呼ばわりされるのか。わけがわからんという顔で見つめる由枝さんに、田岡組長はこう語った。
「あのな、由枝ちゃん。人間てな、いや男いうもんはな、弱いもんや。弱いから、淋しいから、ひとりでおられへん。そやからみんなで集まって、嬉しいことは大きうして、哀しいことは小そうしようとするんや」 善か悪かと問われれば、ヤクザは悪である。ただ、そういう陽の当たらないやさしさに触れると、悪は悪でも人間であると、胸の芯が震えてしまうのである。
前々回インタビューした佐野眞一さんが「同じ悲惨な労働でも、炭鉱からは歌や小説が生まれたが、原発からは何も生まれない」と話されていた。「やくざ」と「暴力団」も同じことが言えるのかもしれない。やくざには、そうするしか生きられなかった人間たちの歴史がある。その始祖は、戦国時代末期の下級武士や浪人、半農博徒など「かぶき者」と呼ばれる反社会的・反権力的集団で、明治時代になると没落士族や鉱山・港湾・土建・漁民・農民・職人などがそこに加わったという。やくざと呼ばれる集団は、いつの時代も苦渋労働を強いられ、社会的に疎外された極貧階層が形成してきたという。(ちくま文庫『やくざと日本人』猪野健治・著より )感情の部分でとらえれば、やくざの「任侠道」とは階級コンプレックスの極致といえるのかもしれない。
世の不条理や矛盾に著しく屈折しながらも筋だけは通すやくざの生き様は、映画・ドラマ・小説にもなれば歌にもなるが、「暴力団」となるとそこに一片の筋も情緒も感じようがない。高齢者や障害者を狙った公金不正受給、戸籍売買、臓器売買など、金のない弱い者から絞り取れるだけ絞り取る貧困ビジネスのほとんどは暴力団がらみであることを見ると、それはもはらひたすら巧妙かつ残忍な新たな闇ビジネスを生み出すシステムでしかない。悪は悪でも憎みきれない人間やくざなど、今は昔の話なのだろう。
などと、紳助引退から端を発し「やくざとは何か」について思い巡らす週末の昼下がり。週刊実話の別冊付録「山口組直系幹部85人総覧」をめくりながら、気づけば噂の「Bさん」を指で探すわたしである。
※「やくざ」は放送禁止の差別用語ですが、今回は「暴力団」という言葉ではあがなえない人間の部分を書きたかったので、敢えてそのまま表記しました。
2件のコメント
[...] 島田紳助引退からのやくざ考。 – salitoté(さりとて) 歩きなが…を今さら」といえば、芸能界とやくざ社会のつながりもそうである。それこそ昭和の銀幕スターや歌手の自伝には [...]
島田紳助がヤクザなのか、ヤクザト付き合いがあったのか知らないが、あの人の考え方はチンピラそのもの。
ただ、ヤクザだったにしろあの顔付き、態度、物言い、どれを取っても三下がいいとこ。
あんなの永久追放して二度と復帰させるべきじゃないね。
尊大、無礼、小心、無教養が服を着て歩いているようなもの。
この際いっそ、そのお世話になった親分さんの子分にしてもらったらどう?
だって芸能界引退してまで義理立てするほどホレてんだろ。
実際のとこは、ヤクザの仕返しが怖いから関係ないってシラを切れなかっただけだってことは皆知ってるよ。もうズブズブの関係だったからね。
で、実はもう子分になっちゃってたりして…。
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