2010-10-23
怒!元祖テレビっ子のTV論
昭和45年生まれのわたしにとって、永遠のアイドルといえばキャンディーズとピンク・レディー。永遠のスターは山口百恵と沢田研二。ちなみに永遠の刑事は、Gメン75と特捜最前線。ついでに、永遠の黄門さまは東野英治郎である。黄門さまといえば、前々から黄門役の里見浩太朗のご隠居とは思えぬ現役バリバリの剣豪ぶりが気になってしかたがない。東映太秦仕込みの刀さばきはさすが見事とはいえ、敵と見ゆるが斬りかかり、助さん、角さん下がってなさいと自ら殺陣を演じてしまう里見浩太朗。見える姿はご老公でも、見せる心は永遠に熱き若武者、助さんなのである。
と、水戸黄門の話はこれくらいにして。今日の本題は、TBS新番組「解禁! マル秘ストーリー ~知られざる真実~」に観るテレビ文化の終焉。というより「このままでいいのか!テレビの人!」という個人的なクレームである。
番組内容は、ピンクレディー、天地真理、小柳ルミ子、岡田有希子、森昌子、美空ひばりなど、懐かしのアイドル&スターの秘められたストーリーが今夜遂に明かされる!という芸能ゴシップ・ドキュメンタリー。わたしの記憶のステージで今なお輝くスターたちの秘密に迫りたい一心で、ついつい観てしまった2時間スペシャル。
が、その内容のモザイクがかった衝撃度の低さときたら…。さんざん煽りに煽り、ジラしにジラし、覚悟はいいかと「解禁」される真実のストーリーが、揃いも揃って腰くだけの猫パンチ。「知られざる真実」など意味深なタイトルが聞いて呆れる、知ったところでどうってことない安全・安心なプチ情報、こぼれ話の寄せ集めでしかない。
まず、「何を今さら〜」と憤ったピンクレディーの真実。デビュー前に決まっていた名前が「白い風船」で、当初はレコード会社の期待も低くフォーク路線で売り出すはずだったが、音楽プロデューサーの飯田久彦、作詞家の阿久悠先生、振り付け師の土居先生のズバ抜けた才能と大胆な発想、奇策によってピンクレディーが生まれた。ってな誕生秘話、「ピンクレディー物語」を読んで育った昭和のちびっ子ピンク世代にすれば、周知の事実。知っててあたりまえの常識の範囲。ったく、なめられたもんである。
そして、18歳の若さで命を絶ったアイドル・岡田有希子。封印された真実が今!と解禁されたストーリーが、「発売されるはずの新曲があった」って…そらあるやろ。じゃなく、その発売予定の新曲があったことに、彼女のどんな真実が秘められているというのか。そこからわたしたちは何を汲み取り、何をどう思い至ればいいのか。というより、作り手のテレビの人は、この事実にどんな真実を見たというのか。それが見えないところが、この番組の致命的な欠陥ではないか。
制作する側の伝えたい「真実」がどこにも見えないのは、それを追いかけ、発見し、掘り下げ、この番組を通して考えたかった作り手がいなかったということではないか。昭和歌謡全盛期を華やかに彩ったスターの時代とはいったい何だったのか。そこに当時の日本人はいったい何を見ていたのか。どんな欲望、願望、希望、夢があったのか。昭和のスターのみならず、過去に生きた人間の人生をあえて振り返ることで見えてくる真実があるとすれば、時代に生きるしかない人間の宿命 ではないか。漠然とでも、おぼろげにでも、「その時代に生きる宿命」を知りたい、感じたい、考えたい人が多いからこそ、NHK「龍馬伝」がとくに30代、40代の心を捉えているのだと思う。
もちろん、ここまで多くの人が夢中になる番組の魅力には、福山雅治がかっこいい、伊勢谷友介がかっこ良すぎる、役者陣の演技が絶妙、ストーリー展開にキレとコクがある、脚本、演出、演技、美術、衣装が素晴らしいということは当然ある。でも、その世界に強烈に引き込まれるのは、そこに作り手のいきいきとした思いが息づき、作りたいものを作りたい最高に贅沢でアグレッシヴな創作意欲がうらやましいほど、悔しいくらいにみなぎっているからではないか。「解禁!知られざる真実」にそれがあるか?あるかいな。
確かに、大河ドラマは予算・環境・人材、すべて準備万端、余裕綽々一年かけて作りあげる超一流の大舞台。そんな大物と比べられたら困ると片腹痛いかもしれないが、それなら尚のこと、ニッチでマニアックな小物の意地を見せてもらわんと、どこにも見どころがないゆうことになりますやろ。
大物でも小物でも、高級ベンツでも軽トラでも、走る道路はみな同じぜよ!上手いもん、下手なもんの差が出るゆうたら、どんだけ道を知ってるか。動かす人の差ぁやないですろうか。
龍馬がこの番組を観たら、きっとそう申し上げるに違いない。
この出演者のVTRとエピソードを揃えれば、そこそこの中高年ならほいほい懐かしがって観るだろうという勝算はあったのかもしれない。そんな思惑通り観てしまった人間がここにも1匹いるのだから、視聴率はまずまずの数字がとれたのかもしれない。でも、このキャストで、このタイトル内容で、この時間帯なら取れるんじゃない? みたいなおためごかしの発想で数字が稼げたちょろい時代は20世紀で終わっているということを、ブラウン管の産湯に浸かって大きくなった元祖テレビッ子を代表して、下からキツく申し上げたい。こんな子どもだましの生ぬるい番組ばかりでは、ひとり暮らしの寂しい老後、観る番組がないではないか。どうしてくれるのかと。真剣に考えあらためていただきたい部分である。
最後に一点。そう言われればそう見えなくもないぼやけた心霊写真みたいな番組の中で、そこだけ「ヒッ!」と怖じ気づいた真実があった。それは、天地真理VS小柳ルミ子、因縁のアイドル時代。
同じ事務所でデビューも同期、同年齢の真理ちゃんとルミ子。国民的プリンセスとして新曲発表に3万人のファンが押し寄せるほど爆発的な人気を誇っていた真理ちゃんは、事務所の社長、レコード会社、TV局のみんなから蝶よ花よと可愛がられ、衣装も待遇もまさにお姫様。一方、そんな真理ちゃんの影に隠れ悔しさと怒りをたぎらせていたルミ子であった。
そんなあの頃の暗黒時代を振り返るナビゲーター役として久々にテレビで観た小柳ルミ子58歳。ヘアもメイクもスタイル、ネイルの先まで卓越したプロ根性を見せ付ける渾身の美貌を死守。
かたや現在の天地真理。すでに芸能界を引退し、「隣の真理ちゃん」の愛らしさは見る影もなく、デジタル画像で映し出すにはあまりにも酷な、劣化著しい姿であった。
ラストはこれまたお定まりの「涙の再会」であったが、実際、知られざる真実があるのはルミちゃん側で、当の真理ちゃんは「ごめんなさい、わたし、ルミちゃんがそんなつらい思いをしてるなんて、ちっとも知らなかったの」と泣きじゃくり、哀れなまでに詫びるのみ。
40年前の光と影が反転したふたりのコントラストに浮かび上がる、無知で無垢な天地真理の鈍さ、百戦錬磨のルミ子の凄さ。
そんな昔日の恨み辛みは水に流し、「お久しぶりね」と互いの今を喜び合おうという再会の場に、燃え立つような深紅のスーツで現れた小柳ルミ子、そのココロは・・・
「マリちゃんに会いに行くんじゃない。勝ちに行くの」
メラメラ燃える情念の赤に、ルミ子の執念とプライド、女の仁義なき闘い・完結編を見る思いがした。ま、それはわたしの単なる深読みストーリーであるが、その人の真実とは、良くも悪くもそれを見た人が「見たもの」でしかないような気がする。
真実のない生というものはありえない。
真実とは多分、生そのものであろうーカフカ
1件のコメント
池波正太郎先生のエッセイ「食卓の情景」の一節で、齢70になる母君が、たしか最上のぐじを食べたとき「こんなにうまいものを食ったらもう死んでもいい、でも死んだ後にどんな面白いテレビがやるかとおもうと悔しい」と嘆いた一節を思い出しました。
テレビ番組はいつから輝かなくなったのでしょうかね。
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