salitoté(さりとて) 歩きながら考える、大人の道草ウェブマガジン

白線の裡側まで

2011-04-9
怒れる女神の黙示録

東京の桜も満開の見頃を迎え、何となく一時の非常事態の混乱はおさまってきたように感じる。でも、なぜか自分の頭の中は、ますます混乱を深めている。それはこの震災の意味について、やたらと考えてしまうからだ。なぜ起きたかの原因ではなく、なぜここまでのことが起きなければならなかったか。ここまでのことが起きなければ気づけなかった自分の間違いは何だったのか・・・と日本の歴史を古代神話の昔まで振り返って考えあぐねた末、これは日本のおふくろ様の怒りではないかと。そのような考えに至ったのである。

今回、恐ろしく怒り狂った海も大地も、日本人にとってはすべて「母なるもの」。すると男の神さまは雄々しくそびえる山だけかと思いきや、それも東北のマタギの世界では意外にも女なのである。マタギたちは猟に入る前には女断ちをし、女が繕った下着や女がこしらえたモノは身に付けず、女の匂いを消して入らねば山の女神の怒りに触れるという。それほど山の女神は恐ろしく嫉妬深いらしい。
さらに、日本神話の祖先神、最高神とされる天照大神(アマテラスオオミカミ)は太陽の神さまである。しかも太陽の神が女というのは、世界でも日本だけだという。井沢元彦氏の『逆説の日本史』によれば、太陽崇拝というのは全人類に共通してあるものの、ギリシア神話で云えば絶対神はゼウス、太陽神はアポロンというように、自然神というのはつねに絶対神の従者でありサブ的なポジションにある。つまり「おてんとさまに顔向けできない」と太陽そのものを絶対神として拝むような太陽信仰は日本だけで、しかもそれが女神であるというのは世界中見渡しても日本以外に見当たらない。アポロンにしてもエジプトのラーにしても、太陽神はみな男神というのが世界の常識なのだ。

ではなぜ日本だけが、自然神を女として崇めるのか。伊沢氏の説によるとその謎を解く鍵は邪馬台国の女王・卑弥呼にあるという。「天照大神のモデルは卑弥呼である」という伊沢氏の説はかなりミステリアスで面白いが、その話は長くなるので今回は省略して話を進めると、そう、日本民族はなぜ自然の神々を女に見立てたのか。神というものは古今東西つねに破壊者である。旧約聖書に出てくるモーゼもインドのシバ神も、堕落した人間への怒りによって人間が営々と築き上げてきたすべてを一瞬にして無残にも破壊し尽くす。日本人にとっての神は、多くの恵みを与え、突如として奪い去る自然。そこまではわかる。ではなぜ、太陽も海も山も、母なる女神なのか。それは、何も悪いことをしなければこんなにやさしく温かく慈悲深いものはないが、ひとたびその逆鱗に触れれば凄まじい怒りでもってすべてを破壊するもの・・・の象徴といえば女。古代の男たちは全員一致で深くうなづき、怒れる神を女神としたのではないか。と考えると、日本というのは生まれながらに「おふくろが一番」「母ちゃん、ごめん」の「おふくろ信仰」の国だったのではという仮説が浮かぶのである。

女が怒る。それはどういうときか。それは一番嫌いな「ウソ」をつかれたとき。ないものをあるかのように、あるものをないかのように見せかける偽造、偽装、粉飾、欺瞞。人を騙す「ウソ」もイヤだが、それより何より自分を偽り、飾り、ごまかすような「ウソ」を女は断じて許せない。だから世のおばちゃんたちは「ヅラ」に対して極端に牙を向き、うるさいのだ。

今こうして日本の女神の怒りに触れたということは、日本人は「ウソ」にまみれた国家、政治、経済、生活を続けてきたということなのかもしれない。本来の自分たちにはそぐわないアメリカ型資本主義、自由主義を受け入れ、自分たちの柄じゃない自由と繁栄を手に入れ、自分たちの手には負えない原子力エネルギーを贅沢とカネの道具のように扱ってきた。身の丈に合わない理想を求め、身の程知らずの価値感をこねくりまわす軽薄なウソの上塗りに、日本の女神は怒り狂ったと見なければ、わたしは、この震災の正しい原因にたどりつけないように思う。

さらに恐ろしいことに、たとえ悪いのは男であっても、女の怒り、女の憎悪の対象は、つねにその男を悪の道に誘った女に向けられる。ということは、大地が轟き海が荒れ狂うほどの怒りの矛先は誰かと。それはこの国を動かしてきた男たちを生み育ててきた女どもではないか。年齢や運命に逆らうことを自由とはき違え邁進し増長してきた女の罪深さにここまで怒りを覚えるというのは、女神ゆえの鋭さ、同性に対する残酷なまでの厳しさというよりほかない。

そうであれば、これはきっと、女たちひとり一人が自分の価値感を否が応でも転換しなくてはいけないときが来てしまったということだ。そこに気づかなければ、男どもはまた間違った方向に復興の道を求めていく。「今まで通りじゃなくてもいいし、貧乏下げても何とか一緒に働いてやっていけば何とかなるよ」と言ってやらねば、男というのは勝手にひとり責任感を背負い込んで「そうするしかない」と本来の自分とは違う方向へ自ら進んでいく不自由でやるせない生き物だと思う。うるさく言って聞かせて褒めてやらねば普通の男は動かない

国を動かすのは男、男を育てるのは女。ダメな政治をつくったのも、カネがすべての社会をつくったのも元を正せば女の、母親の責任だと、全女性たちは今一度わが身に照らして考えなければならないのではないか。自然の女神に守られた国の根本原理は、ダメな亭主にかしこい女房。そういうものではなかったかと深くうなだれながら、自分に問い続けるわけである。

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1件のコメント

とても興味深く読ませて頂きました。
男は単純。女性の求めるものをかなえるために一生懸命になる生き物。
男の価値観を目覚めさせてくれるのは女性なのでしょう。

by 男 - 2011/04/10 4:11 AM

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Ritsuko Tagawa
Ritsuko Tagawa

多川麗津子/コピーライター 1970年大阪生まれ。在阪広告制作会社に勤務後、フリーランスに。その後、5年間の東京暮らしを経て、現在まさかのパリ在住。

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