salitoté(さりとて) 歩きながら考える、大人の道草ウェブマガジン

白線の裡側まで

2011-08-6
モノの値段と人の値打ち。

かれこれ12年、家に来てもらっている馴染みの出張鍼師がいる。わたしは小さい頃からランドセルで肩コリになるほどの凝り性で、6歳からずっと鍼と共に生きてきた。仕事や恋愛に切れ目はあっても「鍼師との関係」だけはこれまで一度も途切れたことがない。大阪、神戸、京都、東京、どこに移り住もうともその土地、その土地で運命の鍼師とめぐり合えたのは「求めよ、さらば与えられん」のごとし。やはり心の底から探し求める情熱と追い求める執念の先に光明は差すのである。

で、その出張鍼師。大阪にいた頃は10日に1度は家に来てもらっていたので、3年半前、わたしが「東京に行く」というと「ああ、これで稼ぎがまた減ってまうなぁ。ここ最近、多川さんと並ぶ上客が2人とも死んでもうてなぁ」と心底賭け値なくショックだったようで、縁起でもないほど寂しがってくれた。なので、久々に再び大阪に戻ってきたと電話すると「これでワシもちょっとは景気よう(よく)なるわ」と、相変わらずゲンキンな喜びようである。毎度呼び出しの電話をすると囲碁か麻雀の相手をしにやってくるような邪魔くさそうな口ぶりで「しゃあないなぁ」とやって来ては、打ちたい放題打ち倒し「どや、堪えたか」と、今日はこの辺にしといたるわと肩で風を切って帰っていく。今年に入り10kgのダイエットに成功したらしく、確かに体はひとまわり細くなったのはいいが、その分余計に持ち前の顔のデカさが際立って、さながらフクロウのようである。が、本人はブカブカになったパンツを見せて、「どや、痩せたやろ」とやたら得意げにご満悦のようだ。

一昨日もそんな感じで鍼仕事にやって来たわけだが、そいつの厄介なところは、こっちは今まさにドツボに響いてうめき倒している最中に「多川さんは、どう思う?」と深刻な質疑をかましてくることである。それこそ熱にうなされてる病人か歯医者でガリガリ歯を削られている真っ只中に、今の政治の混迷について、終わりなき原発問題について、はたまたこの秋の大阪知事選W選挙について質問してくるような、とにかく何とも言えないやつなのだ。「ごめんやけど今、自分のことで頭がいっぱいやねん!」とぞんざいに打ち捨てても一向に構わず「ほな、これはどう思う?」と次から次へひと言では答えられない難問をぶつけてくる。その質問というのは、こうである。

「10万の仕事を請けた後に100万の仕事の話が来たとしたら、多川さんならどうする?」って、おまえはサンデル教授か。とはいえ、人に「どう思う?」と問われたら「こう思う」と力説せずには気が済まない性分なので、そこから鍼師とわたしの白熱教室が始まるわけである。

どうも唐突にそんな質問をぶつけてきた背景には、鍼師の奥さんが盲目でいつもお世話になっているヘルパーさんの効率重視、利益優先の仕事のやり方に対する怒りがあり、昨日も自分たちが先にお願いしていたのに、上得意の利用者の予約が入ったからと、あからさまに値踏みされ断られたのだという。しかも、「時給の金額」を理由に突然予約をキャンセルしてくるヘルパーさんはその人に限らず、これまで何度もそういう苦い思いをさせられてきたらしい。

で、そんなヘルパーさんの道徳倫理を問い正そうと、出してきた質問が「10万の仕事の後に100万の仕事、どちらを取るか」。物の順番、人の礼儀、商売の筋道としては、先に請け負った方を取るべきだと思う。しかも、一度引き受けた仕事は病で倒れるか死ぬか捕まる以外「できませんでした」は済まされないのがフリー稼業の掟である。ただし、業種によっては100万の仕事を外注にアウトソーシングすることも可能だろうし、10万の方を別の業者に委託して100万の方を自分が請け負うこともできるだろう。 わたしなら、どうするか。たぶん、どうにかして100万の仕事を請ける術はないか必死で画策、這えずり回り、それがどうにも無理となれば地団駄踏んで悔しがり、泣きの涙で100万の仕事を未練たっぷりに断るしかないと断るだろう。そして、その後しばらくは立ち直れないほど打ちひしがれ、その苦渋の決断を人に「アホやなぁ」と呆れられればなおさら落ち込み、それでも1人か2人「まあ、それでよかったんちゃうか。わたしも、結局そうするわ」などと言ってくれようもんなら「にんげん、そういうもんやんなぁ」と一気に心軽やかに「損して徳とれ」みたいな日本人としてのあり方を熱く語りながら「いやぁ、ほんま今日、あんたと話せてよかったわ〜」と、もう一杯おかわりして終わるくらいのことだろう。無論、損得勘定で言えば、100万の仕事に飛びつく方が賢いし儲かるし嬉しいに決まっている。10万の信頼を踏みにじったとしても、100万の仕事がどんどん入るよう立ち回って行けたらそっちのほうがよっぽど効率的で合理的で発展的だとも思う(どないやねん)。でも、わたしもそうだが、ほとんどの人はそうあっさりと割り切れるものではないのではなかろうか。なぜなら、儲からずとも報われ救われた経験、出会い、自分というものを、これまでの仕事を通じて得ることができたから、たとえやせ我慢であっても、本当は喉から手が出るほどお金が欲しくても、人の前にあっては「お金がすべてじゃない」と、そこはぐっと堪えて天を仰ぎ見れるわけである。

ところがその鍼師の奥さんを袖にしたヘルパーさんのこれまでの行状をよくよく聞くと、人としての倫理感とか、プロとしての責任とか、どうもそういう次元の問題ではなさそうなのである。「もっと時給のいい店が見つかったんでぇ、やめさせてほしいんですけどぉ」と語尾だけ垂らしてさっさとやめていくバイト君のようなスタンスで、ただ単にその職種がコンビニや居酒屋ではなく介護ヘルパーというだけのようなのだ。そのヘルパーさんにすれば、同じ人の世話をするのであれば、そこに費やす自分の労力をより高く買い上げてくれる人の方がいい。だから、そうしたまでのことでそこに何ら逡巡も迷いも葛藤もないから「時給が安い」ことを堂々と言い放って断れるのだろう。同じ働くのならちょっとでも給料の高い会社で働きたい、同じモノを作るのならギャラのいい仕事がしたいと思うことは自由である。だから、そのヘルパーさんがとりわけ非常識で非道徳な「心ない人間」だとは言うつもりはないが、ただ世の中には、その程度の欲を全面に押し出しても「まあ向こうも商売だから仕方がない」で済ませられる分野と、済まされない分野がある。医療、教育、福祉、介護の現場で、ことあるごとに「割に合わない」とか「効率が悪い」とか「そうなると追加料金をいただかないと」とか「こちらも商売なもんで」などと言われたらどうだろう。分かるけど、それは「違うやろ」と憤りを覚えるのが日本人の感覚としてはあるのではないか。

鍼師の話を聞けば聞くほど、そのヘルパーさんの人間性にひずみがあるというよりも(多少はあるかもしれないが)、その役割と責任、必要性の大きさに比べ、社会的にも経済的にも報われない介護福祉・ヘルパー業界の実態の方がよほど根深い問題を孕んでいるように思えてくる。人と人との信用を大事に積み重ねてこそ得られる社会的評価や人から必要とされ頼りにされる喜びに「仕事のやりがい」を感じるような精神を保つには、やはり食べて行くには困らない収入の土台が必要で、常勤ヘルパーの30代男性で給料20万程度、手取りは10万台という現状を聞くと、そこにさらに「人としての倫理感」や「仕事の責任感」を求めるのは酷な気がするのである。おそらく過酷で報われない労働環境が改善されなければ、真に人の役に立ちたいという若い人材も集まらないだろうし、高齢者施設での虐待事件も増えるだろうし、これからますます高齢者が増える中で、自分の親を安心してまかせられる施設や介護者を見つけることもままならない世の中になっていくだろう。いや、もうすでにそうなのかもしれない。

と、そんなことを、こめかみに鍼を突き刺され、イタタタ、イタタタとうめきながら考えさせられたわけだが、たとえヘルパー業界の現実がいかに過酷で劣悪な環境であっても、その鍼師の腹の虫はおさまらないらしく、仕事として、ビジネスとして、プロとして云々という以前に、人を値踏みするとか値踏みされるとか、そういう人を人とも思わんやり方が「一番嫌いなんや!」といきり立っていた。まあ、その気持ちはわかるけど、わたしが東京に行くとなると「これで稼ぎが減る」とか、戻ってくれば「これでちょっとは景気がよくなる」とか、さんざん人のこと金勘定してから「よう言うわ」と、チクリと針先を向けてやった。

しかし、介護ヘルパー業界のみならず、今の日本のどの業界でも、背に腹は代えられない苛烈な価格競争と過激な値段合戦で首の締め合いをしているのは事実である。たしかに物の値段は「安い」に越したことはないが、それが企業や作り手の創意工夫と努力による賜物なのか、それとも大資本や市場原理に買い叩かれた人々の犠牲によるものなのか冷静に見極めるべきだと、激安の街・大阪にいるせいか、ことさら「安い」ということに底知れない恐怖を感じてしまう。安く安くと買い叩いている物の値段は、そのままそっくり自分の値打ちを下げることになる。大阪には「豆腐1円!」「もやし1円!」「牛・豚・鶏肉グラム1円!」とビッグマグナム級の安売りで知られる「玉出」というスーパーチェーンがあり、その外観も内装も陳列も何もかもがえげつなくド派手で悪趣味で、さすがのわたしも立ち入る気にはなれない。ある時、そこの店長がスーパーの店先に出て仕入業者と値決め交渉している場面に遭遇した。「おう、それやったらええわ。別にこっちはおまえんとこじゃなくても全然かまへんしのう」とミナミの帝王かナニワ金融道の1シーンさながらのガラの悪い大阪弁にもうんざりさせられたが、そういうあくどいヤツらは昔からどこにでもいる。それより何より危機感を覚えるのは、普通に考えたらあり得ない「1円」の代物に何の疑問もなく群がる主婦が大勢いることである。

ご意見・ご感想など、下記よりお気軽にお寄せ下さい。

2件のコメント

「安く安くと買い叩いている物の値段は、そのままそっくり自分の値打ちを下げることになる。」

この言葉には、しびれました!

心に 刻まれました。

いつも、精進させてもらって、ありがとうございます!

by 秀虎 - 2011/08/16 5:57 PM

めっそうもないです。こちらこそ、いつも力強いリアクション、励みになります。

by 匿名 - 2011/08/16 6:44 PM

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Ritsuko Tagawa
Ritsuko Tagawa

多川麗津子/コピーライター 1970年大阪生まれ。在阪広告制作会社に勤務後、フリーランスに。その後、5年間の東京暮らしを経て、現在まさかのパリ在住。

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