salitoté(さりとて) 歩きながら考える、大人の道草ウェブマガジン

白線の裡側まで

2010-11-17
わかりやすいニュースのわからなさ

ニュースも政治も経済も、何かにつけて「わかりやすさ」が好まれる昨今。
もちろん、人も機械も世の中も「わかりやすい」に越したことはない。

家族構成・経歴・職業・勤務先・業務内容、素性は「わかりやすい」方が、家もお金も借りやすく、スムーズに生きやすい。どこに住んでいるのか、何で食べているのか、何を食べているのか「わかりにくい人」より、見るからにそれと「わかりやすい人」の方が無難で安心できる。信用も置ける。
けれどそういう「わかりやすい人」の話や考え、もっともな生き方を聞いて刺激になるか、元気になれるか、また会いたいとやみつきになるかというと、必ずしもそうとは言えないのが人の心のわからなさ。

例外として、石田純一や松岡修造など「わかりやすさ」が持ち味という人もいるが、やはりそこにも、なぜそんなにわかりやすいのかが一般的に「わかりにくい」という逆説の論理があることを、念のため付け加えておきたい。

「わかりやすさ」を求める心もあれば、「わかりにくさ」を愛でる心もあるのが人間ちゃん。それなのに、どうも近頃「わかりやすさ」だけが過剰にもてはやされ、わかろうとする努力がないがしろにされているような気がしてならない。。

ワイドショーならまだしも、事実を伝えるべき報道ニュース番組までもが「わかりやすさ」一辺倒。もちろん、国際関係や政治問題など得てして複雑で難解な話をわかりやすく解説してくれるのはありがたい。
が、それを報道する側のプロが一般視聴者と同じように、いとも易々と「わかりにくい」と言ってのけていいのか。それこそ、どこかの店で買い物中、その商品の使い方がわからず尋ねた店員に「そうですよねぇ、わかりにくいですね〜」と同調されて、誰が「わかってくれてる〜」と喜ぶか。
「ええから、店長呼んでくれ」となるのがオチではないか。それこそ一般の常識として。

たとえば、先頃、2人の日本人化学者(鈴木章氏・根岸栄一氏)ノーベル化学賞受賞のニュースに日本中が沸いたときも、鈴木氏にインタビューする某ニュース番組・キャスターは、世界的化学者にお聞きするにはあまりにも稚拙な質問を投げかけていた。

「発見したときのお気持ちは?」
「受賞の報せを受けた瞬間のお気持ちは?」
「奥様に伝えたいことは?」
…って、レコード大賞とノーベル賞の区別もつかないのかと、観ているこちらが申し訳なく恥ずかしい気持ちになった。曲がりなりにも自分も取材をさせていただく立場なので、限られた時間内で、その人の言葉を引き出す難しさは、重々わかる。けれどそれにしても、「気持ち」「気持ち」って。極秘入籍した俳優が会見を去る瞬間、「今のお気持ちは!」と引き留める女性レポーターか。

と思いきや、最後はなぜかキリッと向き直り、誰に向けてか「報道の人間宣言」。「こういう大きなニュースのときだけでなく、人を幸せにする化学の力というものを私たちは伝えていかなければならないということを、報道の人間として、あらためて強く感じさせられました」いや、言ってることは正しい。その通りだと思う。でも、三打席見送り三振で戻ってきて、ベンチに向かって「よっしゃ、当てに行こ!」と気を吐かれても・・・
悪いけど、あんたに言われたくない話。

そんな「わかりやすさ」偏重のメディアの中でも、とりわけ癇に触るのが、主婦感覚がウリのコメンテーター。増税や政治とカネの話題となると、何とかのひとつ覚えみたいに「考えられない!」と怒りを露わにしてくれるが、「考えられない!」のなら、なぜ出てくるか。今回の事業仕分け第3弾についても「特別会計がわかりにくいから、なくせばいい」などワケのわからないことを堂々と、自分の言葉で意見していた。
特別会計がわかりにくい? って、それって、わかろうとしていない、わかっていないだけじゃないのか?

往々にして、「わかりにくい」は「わからない」の隠れ蓑だったりする。「わからない」と言うより「わかりにくい」と言った方が格好がつく。
「わからない」など間違っても言えない席で、難解なトピックスについて意見を求められたとき。「どうもわかりにくいですね」と弱った表情を見せることで、あたかも「わかっている」雰囲気を演出できたりする。
実に使い勝手がいいと同時に、ほんとはどうだか怪しい言葉である。

そのせいか、ニュース番組に付き物の「街の声」では、「わかりにくいですねぇ」という人をよく見かける。それもメディアが仕掛ける「わかりやすさ大好き!」キャンペーンということか。

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Ritsuko Tagawa
Ritsuko Tagawa

多川麗津子/コピーライター 1970年大阪生まれ。在阪広告制作会社に勤務後、フリーランスに。その後、5年間の東京暮らしを経て、現在まさかのパリ在住。

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