salitoté(さりとて) 歩きながら考える、大人の道草ウェブマガジン

白線の裡側まで

2011-10-11
インスピレーションの源泉
スティーヴ・ジョブズ

明るく輝く星ほど寿命が短いというが、世を照らす天才もまた、かくも早く逝ってしまうものである。世界を変えるほどの才能を与えられた人間は、世の人々のために天賦の才を余すことなく与え続けるという絶対の使命に生かされるというが、それほど重大な天命を背負う一生は「できるだけ短く」というのもまた天の思し召しというものか。
ちなみに地上で最も長生きする生き物といえば、貝・くらげ・イソギンチャクらしいが、揃いも揃ってじーっとフラフラ何がしたいのかわからない生き物であることに皮肉な世の真理を見せられた気がした。

まぎれもなく21世紀の歴史にその名が刻まれるであろう天才、Apple創業者・スティーヴ・ジョブズが56歳にして惜しまれつつこの世を去った。
わたしはパソコンを使い始めて17年余り、ずっとMacユーザーではあるものの、その生みの親であるスティーヴ・ジョブズに対して、今までそれほど特別な興味や感情を抱いたことはなかった。その独創的イノベーションや驚異のプレゼン術、ベンチャー思想について書かれた数々のジョブズ本も一冊も読んだことはない。けれど、そういうわたしですら、その存在が失われたことに衝撃を受け、大げさに言えば「彼がいなければ今のわたしはなかった」といえるほどの感慨を抱かされたわけである。それは、iMac、iPod、iPhoneというapple製品を手にしたことで、明らかにそれまでの自分の生活にはなかった便利さ、楽しさを実感している自分がいるから。そしてジョブズがいなければ起きなかったであろう時代や社会の変化が、とりもなおさず自分自身の変化であるからだろう。

そもそも大体、ネットがつながらない、Macの調子が悪いとなれば思い余ってパソコンを叩いてしまう、iPhoneなら思わず振ってしまうようなアナログ体質なわたしでさえ、今ではそれを「なくてはならない」ものとして、何となくクール&スマートな時代の波に乗ってる気になってるわけである。あんなに拒んでたくせに、いまではすっかり、そんなわたしのどうでもいい進歩もまた「普通の人々にコンピュータを届ける」というジョブズが成し遂げた革新の一例であったと、その偉業の大きさを今さらながら噛みしめるものである。

マッキントッシュが登場する以前、80年頃までは「コンピュータ」といえば、大企業や研究機関など一部の業界のみで使われる大型凡用コンピュータかプロユースの専門機器で、それゆえ「キレイ」「カッコイイ」「カワイイ」と感性を刺激されるようなモノではなかったし、「これからはコンピュータの時代が来る」と煽られても試しに勢いで買えるような価格でもなかった。そんなわたしのハートに火をつけたのは、’98年に登場したポップ&キュートなスケルトンカラーのルックスで一大ブームを巻き起こしたiMacである。パソコンは会社にあれば十分、家に帰ってまで一緒に居たくないと冷たくあしらっていたわたしも、まわりの身近な友人たちもこぞって「これを機に」と買いに走った。何よりそれが今までのコンピュータと違った点は、そいつが街に飛び出したことである。それまで客の目には触れないようレジ奧のストックや棚に隠して置かれていたコンピュータが、iMac以降、ショップやカフェ空間にディスプレイされるようになった。普通の人をその気にさせるには、ストリート的な遊び、ファッションとしての洗練、デザインとしての美しさが不可欠だということを、そういう世界とは程遠い「コンピュータ」で知らしめたジョブズという人は、稀に見る「遊びを知ってる経営者」だったのだと、今さらながらその存在が失われたことが悔やまれる。

60〜70年のカウンターカルチャー、ヒッピー文化全盛期、映画・音楽・アート・写真・デザイン・出版・ファッションなど様々な芸術活動によって「世界は変えられる」と信じた若者たちの中に、ジョブズがいたということも、亡くなった後に彼について書かれた過去の記事などを読み初めて知った。わたしは、その時代の音楽やファッションは好きだが、ヒッピーの思想やムーブメントについて深く掘り下げて調べたことも考えたこともなく、ラヴ&ピース、フリー&イージー、長髪、いちご白書、ロック、フリードラッグ、フリーセックス、コミューンみたいな「単語」レベルのイメージでざっくり雰囲気を掴んでいる程度の認識しかない。ただ、汚い大人たちがつくった醜い世界を芸術表現の力によって変えていけると信じたあの頃の熱情、夢、理想を失うことなく、その熱いままの感情や青々とした夢想を「人のためのコンピュータを創る」というappleのビジョンに注ぎ込んだのがスティーヴ・ジョブズだとしたら、学ぶべきは「革新的ひらめき」や「経営手腕」といったノウハウではなく、「青春の火を絶やすな!」という熱い男のROCKな生き様のような気がする。

2005年のスタンフォード大学卒業式でのジョブズのスピーチも今、追悼の動画としてネット上に流れているが、その中で心に止まったのは、ジョブズが自らの生い立ちを振り返り語られた「点と点をつなぐ」という話である。
生まれてすぐ養子に出されたこと、大学を中退しドロップアウトしたこと、自分が作った会社をクビになったこと。それが、ジョブズの人生に置かれた3つの点である。けれど、そうした望むはずもない運命、青春の蹉跌、人生の失敗、敗北、挫折があるからこそ今の自分があると、ジョブズは優秀な前途ある若者たちに「失敗を恐れるな」と語りかける。

「先を読んで、点と点をつなぐことはできません。後から振り返って初めて、それが一本の線になるのです。したがってあなた方は、点と点が将来どこかでつながると信じなければなりません。点がやがてつながると信じることで、たとえそれが世の中の常識や皆が通る道から外れても、自分の心に従う自信が生まれます。これが大きな違いをもたらしてくれるのです」

ジョブズの「3つの点」の中で、何よりジョブズに影響を与えた大切な始まりの「点」。それはまぎれもなく自分の生い立ちだろう。ジョブズの生みの母は未婚の大学院生で、生まれる前にすでに弁護士の裕福な夫婦に引き取られる手筈になっていた。ところがジョブズが生まれたとき、その夫婦は「女の子を希望していた」ため縁組みを辞退。そこで養子待ちのリストにある夫婦(ジョブズの両親)に電話し、こう尋ねた。

“We’ve got an unexpected baby boy. do you want him?”
(予定外の男の赤ちゃんが生まれてしまいました。あなた方はその子を希望しますか?)
They said “Of course”

この両親の言葉、決断が、ジョブズの運命を変えた。この両親の生き方に、人は何によって生き、生かされるかということをジョブズは深く教わったのだ。でも、それは若いうちはわからない。天才・ジョブズでさえ「20代の頃は、教育も政治も社会も、すべての問題はコンピュータで解決できると思っていた」という。それが点と点がひと筋の生き方に見えてくる40代を過ぎる頃には「コンピュータやテクノロジーがなくても、素晴らしい人間は育つ。人間にとって最高のガイドは親だ」と語っている。しつこいようだが天才でさえ、振り返り、立ち返り、気づかされるのだ。凡人の自分など、むしろ前など見ず後ろだけ見とけ!みたいなものかもしれない。

スティーヴ・ジョブズは、コンピュータというものの概念、価値、あり方を変えた。それは確かに天才的なインスピレーションから生まれたものかもしれない。でもその源泉は、誰しもがそれぞれに生まれ持ったルーツにある。逃れられない自分の運命、感情、記憶から逃げるのではなく、そこで自分が感じた反発や反応こそが自分自身のインスピレーションとなるのだということを、ジョブズの遺言として深く心に刻みたい。

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Ritsuko Tagawa
Ritsuko Tagawa

多川麗津子/コピーライター 1970年大阪生まれ。在阪広告制作会社に勤務後、フリーランスに。その後、5年間の東京暮らしを経て、現在まさかのパリ在住。

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