salitoté(さりとて) 歩きながら考える、大人の道草ウェブマガジン

白線の裡側まで

2011-10-23
ホームレス・応援団・
チンドン屋に学ぶ、日本のデモ。

ギリシャ、中東アラブ世界、ロンドン、NYウォール街、世界各地で反政府デモや抗議デモが続いている。こうした欧米のデモを見るたび、まざまざと感じさせられるのは彼らの「ノリの良さ」である。
もちろん、中東世界の反政府暴動などは「ノリ」がどうとかいう次元ではないが、たとえば、反戦・反核・反捕鯨、反毛皮など、自分たちの主義主張を世に知らしめる欧米のデモ行進などを見ると、日本で言えば地元の「祭り」に出かけるような気軽さと賑やかさと盛り上がりが見て取れる。
そもそもデモ行進に、ディカプリオやアンジョリーナ・ジョリー、レディ・ガガといったビッグスターが登場するという時点で、見逃せないイベントだ。「今度のデモ、○○も出るねんて。行かへん?」みたいなフェス気分でぷらっと出かけていって、やいやい訴え騒いで、その場で意気投合した仲間と飲んで帰るような、そういうライフスタイルとして浸透してる感がある。何しろ欧米には、フランス革命から始まったとされる民衆主義・デモクラシーの長い長い歴史がある。民衆・大衆が徒党を組んで国王一家を宮廷から引きずり出し、ギロチン台に送るという鮮血と戦慄の革命を民衆の手で成し遂げてきた実績がある。さらには教会や日曜学校などを通して、小さい頃から自分たちがめざすべき世界のあり方と現実社会のギャップを考え、どうすれば理想世界に近づけるのか、そのために一人一人はどう行動すべきかを話し合う集会活動に慣れているというのも大きいかもしれない。わたしが日本の抗議デモに、今ひとつノリきれないぎこちなさを感じるのは、どうも慣れないことをやっている感じがするからだ。

先日、世界同時デモを主催する日本の若者グループのニュース報道を見たが、彼らもまた「慣れていない」がゆえにすべてが手探りなのである。
FBやtwitterで参加者を募り、FBつながりでメキシコ人、イスラム人、モロッコ人などデモ慣れた外国人に協力を求め手伝ってもらうというネットワークづくりは完璧なようだが、「何しろ(デモは)初めてのことなので・・・」と、プラカードや拡声器などデモグッズの手配や準備、警察への届け出はもちろん、メッセージに何を書いて訴えるのかという肝心の主旨もあやふやな感が否めない。さすがにレポーターもはかりかねるものがあったのだろう。何を今さら失礼な質問をぶつける。「すいません、このデモはいったいどういう主旨の抗議なんでしょうか?」
が、そこは言葉を知らないどころか言葉の真意を汲み取る術を持たない今どきの若者である。自分が失礼な物言いをするのも平気なら、されることも平気なのだ。「で、きみら何がしたいの?」みたいな不躾な問いかけにもムッとするどころか「何でもいいんです。一人ひとりが今、気になっていることや思っていることを主張しようというアクションなので」ときっぱり。それっきりレポーターは料理番組のアシスタントのごとく「今、これは何を作っているんですか」「ダンボールでプラカードですか」などと、見ればわかることを聞くともなく聞く無難な振りに終始していた。
そうして、殺してやりたいほど憎い相手は誰なのか、何に対して憤怒の炎を燃やしているのか、何を革命したいのか、どこを占拠したいのか、おのれの主張が叶わないときには断固どうする構えなのかといった核心はまったく見えないまま、彼らのアクションは事なきを得たようである。

何もやらないより、やった方がいい。思いがあるならアクションすべきだ。でないと世界は変わらない。確かにそうかもしれない。ただ、やるなら、デモという大衆を巻き込んでの手段に訴えるのであれば、訴えるべき相手をこけおろす「文句のつけ方」、街頭の人々の気を引く「話し方」「賑やかし方」「盛り上げ方」をしっかり練習し体得する必要があるのではないか。
それこそ全共闘時代を生き抜いてきた団塊世代がボランティアでサポーター役でもなんでもなって「デモのやり方」を教える機会や場を作るのもひとつかもしれない。

そういう意味からすれば、年季の入った熟練のデモを見せてくれるといえば、大阪のホームレスのおっさんたちである。ダンボールに書き殴っている文字も、「仕事くれ!」「殺す気か!」「大阪市は人殺し!」と、しゃらくさい英語など皆無だ。しかも拡声器を持った「頭」が弁達者で、独特の節回しで大阪市の連中を滅多斬りにこけ落とす演説が街行く人々の耳目を集め、笑いを誘うのである。以前、中之島の大阪市役所の前で、市役所幹部連中をずらっと一列に並ばせ、ホームレスのデモ隊が徹底抗戦という名の「漫談」を繰り広げている場面に出くわした。そこには、笑ってはいけないスリルと緊迫感が漂っていた。

「おまえらいっぺん、わしらの暮らし味わってみぃ!こんな立派な建物の中でのほほんとええ給料もうて、ええ家住んで、ええ服着て、おまえらの人生で大したことないのは嫁はんくらいやろ!」
一斉にうつむきながら微妙に肩を震わす市役所のお偉いさん。と、すかさずデモ隊を支援するNPO職員風のおばちゃんまでが息の合ったコンビネーションを発揮。「何笑とんねん!」
続いてマイクを握ったおっさんは「お前らにわしらの気持ちがわかるか」と浪花節の糾弾炸裂。「わしら、ほんまミノ虫みたいにして生きとんねん。寒うて寒うて死にそうになりながらな、新聞にくるまってや。けどな、言うとくぞ、わしら人間やぞ!いつ死ぬか、もう死ぬか、もうすぐ死ぬか、明日死んでるか思って生きとんねん。おまえらそんな暮らしやってみい!おう、どないやねん、イヤやろが!」と、ぐでんぐでんの名調子で凄んだ後、一拍置いておっさん。「わしもイヤじゃ!」
これには市役所連中も辛抱たまらず握った拳で口を押さえ必死で笑いをかみ殺す。そんなこんな小一時間の演芸デモを繰り広げたホームレス部隊は、口々に「流れ解散!」「流れ解散!」と連呼しながら、真っ赤に燃える中之島の夕日を背に、散り散りバラバラ、そこらへんに消えていくのである。わたしは、おさんたちの主義主張の正当性はともかく、デモを行う者として、聴衆に聞かせる声の飛ばし方、節回し、落とし方を心得ていることだけは確かと見た。

欧米のデモでは、突発的に人々が輪になって何やら歌い踊り、自然発生的にアグレッシブでエキサイティングなグルーブ感が溢れ出しているが、ああいう即興で瞬発的に自分をアピールすることに、およそ日本人というものは恐ろしいほどの小っ恥ずかしを覚える生き物である。けれど、そこに「練習」というプロセスが入ると、ド肝抜くようなひょう変ぶりを見せるのも日本人なのである。それこそ祭りに向けた準備のごとく、夜な夜なみんなで集会所に集まり、頭やリーダーの音頭に合わせ声を出し、太鼓を鳴らし、笛を吹き、型を覚え、振りを付け、来たるべき本番に向け闘志の炎を燃やすプロセス、ひとつひとつの動き、所作を自分のモノにしていく道さえつけば、あんなに恥ずかしがって泣いてた○○君でさえ、何かに取り憑かれたように魂の叫び、狂気の絶唱、狂乱の舞いで群衆を沸かせることも不思議ではないのである。それこそホームレスのおっさんたちの名調子も、何年も何十年も貧しさを訴える暮らしの中でいやでも鍛えられ身についた一芸といっていいだろう。

これから先、原発問題、経済格差、失業雇用問題など、若者たちが声を荒げて政府社会に打って出なければならない時代になるとすれば、それ相応の練習・訓練、稽古をつけてやることも必要ではないだろうか。というのも、わたしの自宅マンションからは、創立百年の伝統と哀愁がにじむ工業高校の様子が手に取るように丸見えで、つい先日まで高校の屋上で練習する学ラン姿の応援団の姿をベランダから眺め見ていて気づいたのだ。やっぱり声を張る、声を出す、拳を突き上げ何かを訴えるアクションには、それ相応の型の練習が要るもんだと。そう、「型」と「道」を重んじる日本の伝統、調和の美を精神の基盤に置く日本人の気質には、デモといえども応援団や祭りのような「一糸乱れぬ暴れっぷり」が一番よく似合うのではないか。というようなことを、平日の昼の日中、学生の側からすれば「いつもベランダで煙草吸ってるおばはん」は、ふと思って見たりするのである。

欧米の民衆蜂起のスタイルがデモであるなら、日本の民衆デモクラシーの原型はやはり「祭り」じゃないだろうか。訴えたいことはバラバラでもかまわないから、節と拍子とかけ声だけは威勢良くキッチリ合わす。そしてとにかく日本人のアクションのはじまりは、FBではない。何はなくとも「太鼓」である。太鼓に笛の鳴り物に、ヴィヴィッドな旗に幟にクレイジーな衣装、そこに七五調の名演説に紙吹雪のように舞い散るチラシ。浪花のホームレス、花の応援団、そしていわゆる旅回り一座のチンドン屋スタイルも大いに参考にしてみてはどうかと、新たなデモ首謀者の皆さまへ訴えかけるものである。

ご意見・ご感想など、下記よりお気軽にお寄せ下さい。

2件のコメント

こんばんは。子どもを寝かしつけた後、こっそり読んでます。今回も独特な観点に大笑いしました(笑)

by mako - 2011/10/25 4:56 AM

ちんどん屋!
なるほどねぇ(^^)
あれ、確かに デモ隊だわ(^^)

みんなで集まって、何かに向けて闘う事…

武士道…大和魂……潔い…などなど…
昔から、日本人(侍)は、タイマンが似合ってると思う(^^)
…ただの、島国根性の様な気もするけど…

個人的に「デモ」がヘタクソな日本人の方が、俺は好き!

by 秀虎 - 2011/11/04 7:09 PM

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Ritsuko Tagawa
Ritsuko Tagawa

多川麗津子/コピーライター 1970年大阪生まれ。在阪広告制作会社に勤務後、フリーランスに。その後、5年間の東京暮らしを経て、現在まさかのパリ在住。

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