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そらのうみをみていたら。

2011-01-31
不安が溶けた『玄牝ーげんぴんー』

『光男の栗』(こちらは河瀬直美さんはプロデューサー)に続いて、河瀬直美さんの監督最新作『玄牝ーげんぴんー』を観た。
吉村医院という愛知県・岡崎市にある産婦人科の1年を記録したドキュメンタリー。吉村医院は半世紀にわたって自然なお産に取り組んでいる。産院の裏庭には江戸時代のかやぶき古民家「古屋」があり、そこで安産のために妊婦に薪割りや板戸ふきなどの古典的労働をすすめている。

正直いうと、この作品を観るのは、少し抵抗があった。
「自然分娩」というテーマに、勝手に、そういう思想をいいとするおしつけがあるのではないかと身構えてしまったところがあったのだ。「自然分娩」そのものに対してではなく、ナチュラル思考のお仕着せが苦手という意味で。

もうひとつ、私は出産に対して、不安がある。私に限らず、いまは出産に対して不安を抱えている人はほんとうに多い。その不安の要因はひとそれぞれ。
この作品にも出てくるけれど、子どものとき、保健体育の授業でみた生々しい映像に恐怖を覚えている人もいれば、病院の効率主義でつらい出産をしたことがトラウマになっている人も、死産した人もいる。不妊の人もいるだろう。
私の場合は、自分に残された時間への不安。

結果からいうと、自分勝手な頑なさも、うしろめたさもぜんぶぜんぶ、受け止められて、溶けて行った。

私がこの作品で心をとらえられたのは、生々しい人間の生き様。
ともすると聖者ともとらえられる吉村先生を、ひとりの人間として向き合い、映している。吉村先生ご本人が劇中でもいっている「人間の矛盾」や「死ぬものは死ぬ。生きるものは生きる。それは自然や神様が決めること」という事実が、あるがままに届けられる。

上映後のトークで、河瀬監督は「私はフィルムを信じているんです」と言った。

いま、約20kgもある重たい16mmフィルムでドキュメンタリーを撮る人はほどんどいないという。デジタルでもっと便利に、いくらでも撮れるからだ。

そのカメラの撮影時間は最長で10分。河瀬監督は、フィルムを使うことは覚悟をすることだという。そして、フィルムでしか表現できないものがあると。

作品パンフレットに河瀬さんの6歳の息子さんが描いたイラストが載せられている。その中に、カメラを持つ母、河瀬さんのイラストも。それは、大きなカメラを持つ母ロボット。きっと息子さんは、普段は自分だけの母が、カメラを持つとガンダムのように強く大きくなって(ガンダムは知らないか…)、カメラの先にいる人たちの深い尊厳を守っているようにみえるのではないだろうか。

人もモノも、土地も、信じるものとの関係を築くことが、自分をたすけ、生きる糧になる。「移行期的混乱」のいま、そこに向かって行くことができるだろうか。覚悟と勇気をもてるだろうか。でも、それしか行きたい道はない。


『玄牝ーげんぴんー』ぜひおすすめです!

タイトルの『玄牝ーげんぴんー』とは、老子のことば。「谷神不死。是謂玄牝」—谷神(こくしん)は死せず、是を玄牝と謂う。
大河の源流にある谷神は、とめどなく生命を生み出しながらも絶えることはない。谷神同様、女性(器)もまた、万物を生み出す源であり、その働きは尽きることがない。老子はこれを玄牝—“神秘なる母性”と呼んでいる。

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魚見幸代
魚見幸代

うおみ・ゆきよ/編集者。愛媛県出身。神奈川県在住。大阪府立大学卒業後、実家の料理屋『季節料理 魚吉』を手伝い、その後渡豪し、ダイビングインストラクターに。帰国後、バイトを経て編集プロダクションへ。1999年独立し有限会社スカイブルー設立。数年前よりハワイ文化に興味をもち、ロミロミやフラを学ぶ。『漁師の食卓』(ポプラ社)

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