2017-06-5
私の東京周辺物語8
〜濃くてうすい横浜・元町の思い出2〜
念願の海の近くの街、横浜・元町に住んでいたというのに、思い出はそれほど多くない。
おそらくそれは、強烈な出来事があったからだ。
ひとつは前回書いた、ラクの大手術。
そして、もうひとつは、友との別れ。
彼女と出会ったのは、大学生のとき。将来、雑誌のようなものをつくる仕事がしたいと思っていた私は、大学の図書館のトイレに貼ってあった「いっしょに同人誌をつくりませんか?」みたいな文句のチラシに誘われ、書かれている住所へ赴いた。事務所があるというビルは古くて薄暗く、バブルな花の大学生が集まっている気配は一ミリもなかった。それでも、「もしかしてだまされる?」なんてことは思わなかった気がする。なんてったって、愛媛から出てきた田舎ものは疑うことを知らない…。住所が間違っていないかと不安になる程度だ。恐る恐るグレーの重たいドアを明けると、モクモクとしたタバコの煙に迎えられた。煙の向こうには、少し派手めな男女数名がいた。
「貼り紙をみたんですけど…」というと、「おーおーおー! 中入り〜」「どこの大学〜?」「何回生〜?」…とあっという間に関西人らしく人懐っこい会話にとりかこまれた。
そこには、関西の大学生有志が「なんかおもしろいことをしようや〜」と、やはりいかにもバブルっぽい思いつき(いや、思いつきでもないか。この後この集まりはちゃんと会社にもなったのやし)で集まっていた。主要メンバーは某大学のウインドサーフィン部の仲間たちで、その中に彼女もいた。
貼り紙をみて来た人は他にいなかったけど、地味すぎるうちの大学にはない華やかさとやんちゃさがあって、なにか始まりそうな予感にわたしはワクワクしていた。
実際、このふざけていそうでそうでもない集まりは時代の後押しもあってか、スポンサーを見つけてきて「関西大学生大運動会」を開催し、公約どおり「JIDAIJIN(次代人)」という大学生による大学生のための冊子を発行した。ネットもない時代、海外の大学生の声を載せようとファクスでやりとりもしていた。わたしもいくつかの記事を担当したと思う(内容はすっかり忘れてしまったけど><)。たしか関西の大学の近くの書店を回って、冊子を置いてもらえるよう営業のような真似もした。
彼女は、当時、登場したばかりのMacintoshを使ってデザインを担当していた。いつも周りを笑いに誘い、お酒もタバコもたしなむひとつ下の“小悪魔”が似合う女の子。ちょっとかっこつけてて、いつも本気で、本質的にいいかげんでサボりグセのあるわたしは、いっしょにいると、少しの緊張感があった。
わたしをはじめ、無責任な大学生たちは、その後、その集まりから自然と離れていった。主要メンバーは残り、制作プロダクションのような仕事を担うようになっていた。
彼女は、就職後もそのプロダクションの仕事を手伝っていた。
わたしは卒業して実家に戻った後オーストラリアに渡り、帰国後上京。メールもなかったから、その間、どうやって連絡をとりあっていたのか記憶にないけれど、彼女とはつながっていた。
就職先とプロダクションの仕事を背負い、寝る暇もないという彼女に、「なんでそんなにがんばれるん? 生き急いでるみたいやで」と言った覚えがある。
数年後、彼女がカメラマンになるという夢を叶えるため上京した。
いっしょに不動産屋で分厚い物件の紙をめくり、いっしょに物件を内覧し、住む場所を決めた。
わたしはただつき合っただけだけど、彼女は「魚見さんがいてくれてよかったわ〜。ほんまに頼もしいと思ったわあ〜」と照れながら言った。
そして、わたしは一人前の編集者になるために、彼女は一人前のカメラマンになるために、この東京で揉まれながら、それぞれの日々を送った。
彼女がカメラマンのアシスタントで働き始めて、数ヶ月経った頃だろうか。近況報告しようと会うことになった。待ち合わせの場所で、一瞬、別の人と見間違えたかと思った。シルエットがすっかり変わっていたからだ。華奢だった彼女の体が丸くなっていた。
思わず「どうしたん!?」と聞いた。
どうやら、アシスタントは食べる時間がなく、隙を見つけて一気食いすることやストレスでひとつのものを食べ続けてしまうことが原因のようだった。
考えてみれば、彼女にとってのはじめてのひとり暮らしでもあるのだ。
わたしも大学でのはじめてのひとり暮らしのとき、食生活がひどく荒れた覚えがある。
お互いに少しずつ仕事にも慣れ、わたしも彼女もひとり立ちをした。
ときどき会うと、彼女は機関銃のようにしゃべった。
「ゆっきーと会うと、なんか知らんけどものすごいしゃべってしまうねん」
ひとつ年上のわたしをずっと「魚見さん」と呼んでいた彼女がいつのまにか「ゆっきー」と呼ぶようになっていた。
サービス精神旺盛な彼女の話に、いつも顔が痛くなるほど笑った。
彼女は、有名アーチストの撮影を担当したり、自分の作品も撮っていた。
空の写真だった。
吸い込まれそうな透明な青い空と滋養のある深く青い海の作品が気に入り、購入した。
彼女はとても喜んでくれて、オフィスにもってきてくれた。
そのとき、「ちょっと胸のしこりが気になるんだよね」と言った。
すぐに良くなると思った。だから、手術したときはお見舞いにも行かなかった。
退院後、彼女と会った。
透明感を増した彼女の近くには、そのとき彼女が必要としている人と、彼女を必要としている人が集まっていた。
わたしも彼女のそばにいたかった。
それから病気になる前よりも、たくさんの、濃厚な時間を過ごしたはずなのに、なにを話したかがあまり思い出せない。
ひとつ。
沖縄の海でいっしょにシュノーケルしたとき、海の中では話せないから、いろいろジェスチャーしたら、彼女が思い切り笑った。マスク越しのその笑顔がほんとうにかわいかった。そして、海から上がって「ゆっきー、人魚みたい」といってくれたんだ。
彼女が旅立った知らせは、横浜・元町の部屋で聞いた。
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