2017-02-5
私の東京周辺物語6
〜自由が丘で迷走 その2〜
上京して4回目の引っ越し先は自由が丘。事務所も渋谷、吉祥寺を経て自由が丘に移した。独立して6年が経っていた。
仕事は、健康ブームにのって順調だった。スタッフは数名になっていた。
自由が丘にやってきたのは、友人のアート活動を手伝うためだ。
大病と向き合った友人の純粋に、わたしは寄り添いたかった。いや…それは無意識の建前だ。純粋であることにあこがれていたんだ。なにもない自分を、意味のあるものにしたかった。
当たり前だった「生きる」ことが、かけがえのないものだと思う日々。
自由が丘の事務所には、純粋を求める色とりどりの人たちの熱量が集まった。人は自分にないもの(反対のもの?)を欲しがる。
その思いが強いほど、濃厚で激しい。
いつのまにか、わたしはその熱量の沼に吸い込まれていった。いや…それは無意識のいい訳だ。きっと、逃げていたんだ。何から? かけがえのないという思い込み。不条理。罪悪感。なにもできない自分。できると思う傲慢。
熱量が違ってしまった連れ合いとの距離ができ、自由が丘で2度目の引っ越しをした。家を12時間以上空ける日々が続いていた。ひとりぼっちの愛犬ラクが会陰性ヘルニアという病気になった。
直感的に、自由が丘から離れようと思った。たまたま訪れた横浜・大さん橋のスコンと抜ける空と、軽やかな海風が熱を少し冷ましてくれた。横浜の元町に移ることにした。
2件のコメント
自由が丘、ひばりヶ丘、緑ヶ丘、美しが丘…、丘の上にはなにか、ある気がします。「長い坂道の落葉の丘に、優しいあの人は、住んでいるのです」といったのジュリーです。「丘の上にあるめずらしい家、毎日いろんな人が訪れる」といったのは泉谷です。やっぱりいつか丘の上に家を建てたい。ちっぽけでいいから。文を拝見して、そんなことを思いました。関係ないけど、あるんです。投稿できずにいます。約束を破りました。申し訳ない。
次に住んだ元町は、港が見える丘公園のすぐ近くでした…(苦笑)。
待つのもわたしのお仕事です(といったのは、誰でしょう…笑)。
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