salitoté(さりとて) 歩きながら考える、大人の道草ウェブマガジン

そらのうみをみていたら。

2018-03-5
映画『ひいくんのあるく町』を観て映ったもの

昨年末、独立研究者の森田真生さんが開く「数学の演奏会」に行った。お題は「読むこと、書くこと、数学すること」。
「読むことは書くこと」は下記のような話で説明をしてくださった。
コンピュータと人間の違いの一つは、コンピュータは他律的システムで動くものであり、人間は本来、自律的システムで動くものだということ。ある一つの入力をすれば、必ず命令どおりの出力がなされるのがコンピュータ。一方、人間は、ある一つの入力に対して、個々によって出力が異なる。それは人間が、外から入ったものを刺激にして、自分に反応しているからだという。つまり、入力された刺激に対し、自分の過去との対話によって出力される。

自律的な人間を、コンピュータの模倣をして他律的に考えられるように訓練しているのが学校など。例えば、5+7=12 という答えが全員できるように。
5+7を考えることは、状況に依存していない。自分がどんなに落ち込んでいても、調子が良くても、辛い過去があろうとなかろうと、5+7=12だ。
このように(?といっていいのか、森田さんから聞いた説明を私が出力しているので、変換されていることをご了承ください)他律的システムを考えることが数学。情報状況から切り離されたところで、真実を極めること。
(他律的システムで動くことが得意なコンピュータで、自律的な人間の知性・心を作ることに対しての森田さんの考えもお話されていました)

…と数学の演奏会では、さらに数学的な思考を通して世界をみるということについて、多面的にお話してくださった。興味がある方はぜひ、参加してみてください。
森田真生さん公式サイト

うっかり話が逸れてしまったが、今回注視したかったのは「読むことは書くこと」という人間の特性について。これはもともと、「数学の演奏会」のゲストだった起業家・情報学研究者のドミニク・チェンが言及していることでもあり、森田さんがテーマに掲げ、先のような説明があった。

ドミニク・チェンさんのコラムでは、次のような表現がされている。
〝あるプログラマーの友人が昔、「誰かと話すことはその人を使って情報を検索することだ」というようなことを言っていました。つまり、人それぞれが色々な検索エンジンであって、同じ検索語でもAさんとBさんでは検索結果が変わるのが面白いと。〟
ドミニク・チェン 読むことは書くこと参照)

何かの本を読んでいる時、普段は意識に上っていない考えが出てきたり、なんとなく考えていたことが、明確になったりすることがある。おそらく多くの方が体験していることだろう。
これは、本に限らず、テレビ、ネット、映画、人でも。
つい先日も友人と話していて、わかったことがある。
話の途中、友人はこういった。
「ゆっきーって、コミュニケーション能力低いよね(笑)。お腹で考えていることと、口から出てくることが違ってる。付き合いが長いから、お腹で考えていることがわかるけど、あまり知らない人だと伝わらないよ。私に言われたくないと思うけど(笑)」
そう!彼女が言ってる通り、彼女もとてもコミュニケーション能力が高いとは言えない(笑)。むしろ、いつもは私が彼女にそう言ってるくらいなのにー。

私は「えー!」って返したけど、すぐに彼女の言葉を刺激に、自分と対話した。
そうなのだ。私は仕事柄、ついわりとコミュニケーションできる方、と自分に言い聞かせている感があるが、本当は自分の思っていることや考えを言葉にすることがものすごく苦手だ、、と薄々感じてはいた。特に、大事にしたい気持ちはほとんど、ちゃんと口にできた試しがない。というか、正直いうと言いたくない。そんな大切なことを言葉にできるか!って思ってるところがあるし、勢い余って、逆のことを言ってしまうぐらいだ(天の邪鬼?)。
でも、ここではっきりした。
それで
「でも、そうかも。なんか1年の振り返りとか、新年の抱負とか、何かの感想とか、自分の考えてることを話すの苦手かも。だいたい、ひと言にまとめられないし、私の思ってることとか、役に立たないと思うし」
というようなことを言ったが、やはりこれも腹で考えていることとは、少し(いやだいぶ?)違う。

その数日前にも、ある映画の試写会で感想を求められた。
『ひいくんのあるく町』は、本作がデビュー作という23歳の若手監督の故郷・山梨県の市川大門を、ある人物を通して見つめているドキュメンタリー映画。
その人物の名前はひいくん。監督が子供の頃から、いつも白いヘルメットをかぶって町を歩いている不思議なおじさん。
なんとなく気になっていたけど、普段何をしているか知っている人はあまりいない。でも、いつも楽しそうに歩いているひいくんを追いかける中で見えてくる町の「いま」。いつしかシャッターが目立つようになった商店街。病気で倒れたおじさん。。。

映画を見ている間、ずっと私の中にあったのは、自分の故郷のこと。子供の頃、全く声を出さない同級生がいて、変わっている、と思いつつも、どうして話さないのかよくわからなかった。彼女はいま、どうしているのだろう。いつも賑わっていたのに、いまはほぼ閉店状態になっている商店。どんどん減っていく人口。。
帰省しても、地元の人たちと顔を合わせることはほとんどない。私は故郷のいまが見えていない。きっとこのまま時が流れていく。故郷の変化を変えることができないだろう。でも…私はそれでいいのだろうか。
なにか喪失感を味わうような、そんな気持ちになった。

この映画の中に、私はいない。

だから、感想では「ほっこり、というよりは、切羽詰まった気持ちになりました」と言ってしまった。

これじゃ、全然伝わらなかっただろう。

「この映画のおかげで、どれだけ自分にとって故郷の大切かを考える機会になりました。できれば、監督が見つめたように、私も少しでも故郷のいま、これからを見つめたい」
せめて、このくらいのことを言いたかった。

『ひいくんのあるく町』は
3月17日(土)〜30日(金)まで、「横浜シネマリン」にて上映されます。

©水口屋フィルム

横浜シネマリン公式サイト
『ひいくんのあるく町』公式サイト

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魚見幸代
魚見幸代

うおみ・ゆきよ/編集者。愛媛県出身。神奈川県在住。大阪府立大学卒業後、実家の料理屋『季節料理 魚吉』を手伝い、その後渡豪し、ダイビングインストラクターに。帰国後、バイトを経て編集プロダクションへ。1999年独立し有限会社スカイブルー設立。数年前よりハワイ文化に興味をもち、ロミロミやフラを学ぶ。『漁師の食卓』(ポプラ社)

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