salitoté(さりとて) 歩きながら考える、大人の道草ウェブマガジン

そらのうみをみていたら。

2017-07-5
私の東京周辺物語9
〜落ち込むのもわるくない!? 上野毛でもがいた日々〜

気がつくと、仕事がなくなっていた。
紙でつくっていたものを、できるだけWEBへ移行しようとする動きについていけなかった。もちろん理由はそれだけではなく、いろいろなことが見えなくなっていたのだと思う。自分がどうしていきたいのかさえも。

そのわりに、WEBって、どうなの?
悔し紛れに、そんなことばかりいっていた。
そして、やっぱり悔しいから、自分でやってみようと思った。
salitoteは、そんなやけっぱちなところからスタートした。

広げていたものを小さくするため、オフィスをたたみ、縁もゆかりもない上野毛に引っ越した。ラクと暮らせること、仕事とプライベートが分けられる間取りであること、日当りがいいこと。そんな条件で見つけた物件だった。

引っ越した日は2011年3月3日。
一週間後に、東日本大震災がおきた。

テレビやツイッターから流れてくる言葉たち。
意味をもちすぎる空気がこわくて、メールや電話もできないでいた。
意味のある言葉に意義を感じていたのに、たわいのない言葉を心から欲した。
「おはよう」
「おやすみ」
「今日は雨だね」

そういえば…結婚しても、子どもが産まれても仕事ができる場所をつくりたかったんだった。そう思って会社を立ち上げてから、もう11年が過ぎていた。

あれ? なにもない…。
いや、面倒なものが多すぎる? 見栄。プライド。負けず嫌い。

虚無感のあと、急に焦燥感におそわれた。
面倒なものをなんとかしなければ…。
仕事も、いろいろ試した。婚活パーティーにも行った。愛媛に戻ることも考えてお見合いもした。

どれもこれも違うことはわかった。

それと、弱音をはけるようになった。
それは、嫌いなことだった。かっこわるいし、弱音をはいたところで何も変わらない。そう思っていたから。
けれど、ふと長年ともに仕事をしてきたカメラマンに「ひとりになってみると、大変だったなあって思う」というようなことを漏らしたとき、「魚見さんがそんなこというの珍しいね。うれしいけど」といわれた。

そんなとき、ある仕事が舞い込んだ。
非常に予算の少ない仕事だったが、自分で企画を考えて、その分野のスペシャリストといっしょにつくっていける。久しぶりの高揚感があった。これまで笑顔の下で、固い鎧をつけてファイティングポーズをとっていた営業の相手だったが、このときはじめて、仲間になれた気がした。たいへんなときだけど、いっしょにがんばろうという思いが、関わった人たちみんなにあった。

そして、この仕事はわたしに勇気を与えてくれる人との出会いを運んでくれた。なにを大切にしてきたのか、どういうふうに生きていきたいのか。自分でも見失っていたものを、その人は温かく美しい手紙で気づかせてくれた。

それから少しずつ、わたしは面倒なものを捨てながら、その奥に隠れている芽吹きを感じようとした。

日当りのよい上野毛の部屋では、まるで励ましてくれるかのようにハイビスカスが年中咲いていた。(女性の体を調整してくれるハイビスカスは会社の社花なのです)

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魚見幸代
魚見幸代

うおみ・ゆきよ/編集者。愛媛県出身。神奈川県在住。大阪府立大学卒業後、実家の料理屋『季節料理 魚吉』を手伝い、その後渡豪し、ダイビングインストラクターに。帰国後、バイトを経て編集プロダクションへ。1999年独立し有限会社スカイブルー設立。数年前よりハワイ文化に興味をもち、ロミロミやフラを学ぶ。『漁師の食卓』(ポプラ社)

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