salitoté(さりとて) 歩きながら考える、大人の道草ウェブマガジン

そらのうみをみていたら。

2013-12-5
ランキング1位

母が22歳のとき私は生まれた。父は隣町に住む同級生。
その時代ではそれほど珍しくはないだろうが、母が今の私の年のとき、もう私は22歳になっている。
一方の私はなかなか結婚もしないで、親を心配させていた。
せめてものお詫びにふたりが還暦を迎える年、お祝いにと3人で旅行に行くことにした。
家族旅行は私が高校に入ってからしていない。20年前から実家は魚料理屋を始めたこともあり、休みをとれなくなった。
仕事というのはえらいもので、漁師のときはたとえ漁に行ける天候でも用事優先で休んでいたのに、客商売になるとそれは絶対にしない。わざわざ来てくれる客のことを考えれば当然のことだが、それまでとのギャップに少し驚き、改めて店を持つということの覚悟を知った。

今もそれは変わらないが、幸い弟が後を継ぐべく、ともに働いていることもあり、このときばかりはしっかり準備して、両親は店をまかせることにした。(どちらか片方が休むことはあるが、両方が店をあけるのはこのときが初めて)

旅先は、父が前から行きたかったという石川県。瀬戸内海では味わえない寒ブリが食べたいという。
あまりにも親孝行らしいことをしたことがなかったので、ここは大いに意気込んで奮発しよう。ネットで調べて、宿泊先を「プロが選ぶ人気度ナンバーワン」を連続受賞している和倉温泉の旅館・加賀屋に決めた。
私は東京から小松空港へ。両親は大阪まで飛行機で飛んで、それから金沢まで電車を乗り継がないといけない。地方から地方へ行くのは思った以上に不便。実家のほうは車社会で、電車に乗ることはないのに大丈夫だろうか。心配をよそにふたりとも無事に金沢のバス停に到着していた。

いよいよ加賀屋に到着すると、たくさんの仲居さんが出迎えてくれた。旅館内には伝統芸能の歌劇団や美術館があり、お土産屋さんは大きな駅構内ぐらいの広さと品揃え。作りも豪華絢爛で、お風呂も相当に広い。まるでテーマパークだ。日本が元気で、社員旅行や組合の旅行が今よりずっとずっと盛んだった頃の雰囲気がそこにあった(あくまでイメージです)。実際、団体客が多く、お風呂もお土産やさんも大変ににぎわっていた。
しまった…。今更気づいても遅いが、人気なのはその時代の浮かれ気分をいまなお続けていられる努力からか。しかも私は団体客が大の苦手だ(恐らく両親も)。
いやいや、せっかくはるばる愛媛から時間をかけてきたのだ。メインは食事、寒ブリだし。プロが選ぶナンバーワン。料理に期待だ。

と、ここまで煽ったらお気づきだろう。
冷静に考えればわかる。これほど大人数を収容する旅館だ。器や品数、盛りつけが立派であっても、一度に提供する料理には限界がある。
見栄をはってしまったばかりに、結局、父が楽しみにしていた、その土地だからこその寒ブリには出会えなかった。唯一、よかったことと言えば、土産話ができたこと。弟に聞くと両親は近所の人たちに「娘とあの加賀屋に行ったんよ。ほやけどな……」と盛り上がったらしい。

時は流れて、先日。思い立って旅行に行くことになった。
連れが秋田の乳頭温泉に行きたいというので、またまたネットで調べると、昨今の人気宿ランキングで1位になっている鶴の湯温泉がヒットした。ランキング1位にはもちろん、人気の理由がある。けれど「なぜ1位なのか」が好みに一致しなければ、大変残念なことになる。還暦旅行のことがあって以来、私は念入りにネットをチェックするようになっていた。有名な混浴露天風呂は日帰り客がいるときはごった返しているようだが、宿泊客のみが利用できる時間になると、それなりにゆったり楽しめるようだ。調べてみればみるほど、秘湯のなかの秘湯然とした趣を感じられる。よし、ここにしよう。予約を入れると約350年前のたたずまいを保存した、囲炉裏のある人気の本陣(お部屋)は半年先までいっぱいだったが、6畳の小さなお部屋は空いていた。
アクセスは秋田新幹線で田尻湖駅へ。想像以上になにもない。人もいない。ほんとにこの先に人気の場所があるのか、疑いたくなるほどなにもない。そこから路線バスで約1時間。山の奥へ奥へと入って行く。11月下旬ではあるが、すでに雪も積もっている。よくも昔の人は車こんなところまで歩いて温泉に入りにきていたものだと、心底感心する。

宿に着いても、やはりそれほどの人はいない。まだ到着していないのか、お湯に浸かっているのか。
ネットでは多くの人が「タイムスリップ」というワードを使っていた。
まさに。周辺には鶴の湯以外にはなにもなく、各部屋にはテレビもなく電波も届かない。「温泉に入る」しかない。
いや、温泉に入ることだけ、していればいい。

外気温が低いからか、温泉の質の特徴か、いくらでも入っていられるお湯から出ると強烈にお腹がすいていた。
囲炉裏で焼かれた岩魚に、山芋鍋。そして素朴な山の幸の総菜たち。白いご飯をこんなに美味しいと思ったのは何時ぶりだろうか。

結局、露天風呂や食事する場所で老夫婦や、若いカップル、親子連れ、外国人客、女性グループ(若年から中年まで)、一人客などいろいろな人たちと一緒になったけれど、それぞれがこの雰囲気を壊さないように場を味わっているようで、とても心地よい距離感だった。その美しい交わりに、心のこりもほぐれた。
いつかここに両親を連れてこよう。

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2件のコメント

土地の料理、そして酒は、その土地で口にするのが一番と聞いていたし、実際そんな経験をしたこともありますが、その土地とは何を意味するのか、それほど詳しく考えたことがありませんでした。気候、風土、方言などのほかに、流れる時間も、「その土地」の意味を形成する大切な要素になり、料理や酒の味を決めていくことを知りました。タイムスリップした先こそ、厳かな真の時間だったのかもしれない。都会の空虚な騒がしさの中に流れる時間があらゆる食味に幸いするとは、思えません。和食が世界遺産だとしたら、日本に流れていた時間もまた、大きな価値あるものだといえるのでしょう。

by 落ち葉 - 2013/12/07 12:26 AM

この温泉にはいくつものお湯がありました。どの湯場でも入り口にはきちんと長靴(雪があるので移動は貸し出しの長靴なんです)がきちんと揃えて並べられていて、脱いだ浴衣などは籠にきれいに収められています。当たり前の風景のように思えていましたが、出発前にもう一浴びしようと湯場に行ったところ、長靴が脱ぎ捨てられて、浴衣も籠からはみ出んばかり。よほどズボラな(私も相当ですが)人だとも思いましたが、どこかひっかかりを感じて中に入ってみると、お湯に浸かっていたのは、とっても笑顔の可愛らしい金髪の女性。ああ、そういうことかと合点がいきました。このような習慣も日本のとっても美しいところだと思いました。

by admin - 2013/12/09 1:36 PM

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魚見幸代
魚見幸代

うおみ・ゆきよ/編集者。愛媛県出身。神奈川県在住。大阪府立大学卒業後、実家の料理屋『季節料理 魚吉』を手伝い、その後渡豪し、ダイビングインストラクターに。帰国後、バイトを経て編集プロダクションへ。1999年独立し有限会社スカイブルー設立。数年前よりハワイ文化に興味をもち、ロミロミやフラを学ぶ。『漁師の食卓』(ポプラ社)

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