2015-10-5
「明日は明日の風が吹く」って
やばい?
「弟はやさしいけど、姉ちゃんのほうはやばいけんなぁ」
姉ちゃんとはわたしのことだ。
この台詞、いまの若者が使うと、わたしは「とても素晴らしい」ということになるだろうか。生まれ育った愛媛の双海町では、「気が強くてわがままな、いわゆるジャイアンみたいなタイプの子ども(あまり大人には使わない)のことを「やばい」と言っていた。
本来は、「危ない、不都合な状況のこと」を指すが1980年代頃から若者の間で「格好悪い」という意味で使われ、最近は「すごい」の意味が派生して「素晴らしい」という言い方をしている。
(先日発表された文化庁の「国語に関する世論調査」では、16〜19歳で91.5%、20代で79.1%が「とても素晴らしい」という意味で「やばい」という言い方をすると回答した。)
この数十年で、「やばい」は否定的な意味から肯定的な意味に変わっているというわけだ。
ところで皆さんは「明日は明日の風が吹く」という言葉はどういう意味として用いるだろうか?
実はわたしは小学校を卒業するときに、この言葉を色紙に書いた記憶がある。それが「目標」だったのか「好きな言葉」だったのか「座右の銘」だったのかは覚えていない。ただ、先のことをくよくよ心配しても始まらない…と、自分ではカッコいい生き方と思って書いた。
そのときはそれほど重い意味をもたずに書いたはずだ。さりとて、その後のわたしは、どこかずっと「明日は明日の風が吹く」と自分に言い聞かせるように進んできた。大学卒業後、就職するのを辞めて、愛媛の実家の手伝いをすると決めたときも、その後何のあてもなく東京に出てきて、アルバイト生活をしていたときも、なんとか入った編集プロダクションを辞めて29歳で独立したときも。引っ越しを何度も何度も繰り返したときも。この言葉は前向きで、執着せずに楽観的に進んでいく自分を肯定してくれた。
けれど、それは突然やってきた。
「わたしには何もない…」
それを強く感じたのは東日本大震災のときだった。
悲観しているわけではない。ただ「くよくよ考えたり、心配することって、大事なことだ」、と思うようになった。「明日は明日の風が吹く」って言葉が、カッコよく思えなくなってきた。そんな風来坊な生き方ってどうよって。
この言葉は音楽アルバムや漫画のタイトルになっていたりもするが、『風と共に去りぬ』のヒロインの最後の台詞の訳語が有名だ。元は“Tomorrow is another day.”しかし近年は「明日という日がある」という訳が増えているそうだ。
「明日は明日の風が吹く」は時代にそぐわないのかもしれない。
確かに「明日という日がある」というほうが、これまでを乗り越えて次があるという深みを感じる。そして「明日は明日の風が吹く」が軽薄に思えてくる。
なんて思ってしまうわたしは結局、やばい…!?
1件のコメント
人間なんてちっぽけなもの。どんなに頭を絞った答でも、予定通りにいきゃしない。
だけど考えること 想うこと 悩むこと 想いあぐねる中で否が応でも見つめる自分…見えてくる自分の芯
そんなのも悪くないかな
考えて 思案して 悩んで想い廻らせて…たどり着いた答を胸に、「明日は明日の風が吹く…」 最後はお天道様におまかせ
な~んて徒然に…
コメントする ※すべて必須項目です。投稿されたコメントは運営者の承認後に公開されます。