2016-12-10
私の東京周辺物語5
〜自由が丘で迷走 その1〜
路面店が立ち並ぶ狭い道に車が通り、落ち着いて歩けない。商店街らしいところもなく、飲食店や雑貨屋は小綺麗ではあるけどどことなく、ツンとしている(あくまで個人の感想です)。なんてたって、公園がない。どうしてこの街が吉祥寺と並ぶ人気なのか…。
井の頭公園に住んでいるとき、友人に会うために何度か訪れた自由が丘に、わたしは何ひとつ惹かれなかった。
それなのに。
のちにわたしは、あんなに好きだった井の頭公園を離れ、自由が丘に住むことになる。
しかも、その自由が丘で4回の引っ越しをすることになるとは…。
振り返れば、あの日からはじまっていた。
2001年9月11日。
夕食を食べながら好きなドラマを観ていたとき、突然、画面が変わりビルに飛行機が突っ込んだ。
「編集の仕事がしたい」「犬と暮らしたい」「公園の近くに住みたい」「雰囲気のいいお店でおいしいご飯を食べたい」「気に入った映画に合うカクテルをつくってくれるバーの常連になりたい」…
なにをして生きたいか、実現するためにどうしようか。
そんなことだけで頭がいっぱいの平凡な生活に、あの日の出来事はやっかいなものを持ち込んだ。
“世界平和”
あの日から体の内側に生まれたザワザワしたものをなんとかしたくて、当時よく行われていたピースウォークや、紛争のある地域の様子を伝える人たちの集まりに参加したりした。
なにも、なにも変わらなかった。
いや、自分のあまりの無力さが歯がゆく、体の内側のザワザワはどんどん大きくなった。
そんなとき友人が大病を患った。
退院した彼女を見舞うと、命と向き合い透明感を増した彼女はすぐにわたしのザワザワに気づいた。
そして彼女は自分たちでもできることがある。アート活動で平和を祈ると言った。
わたしのザワザワは、その言葉に強く引きつけられた。
そして、彼女の住む自由が丘に引っ越すことにした。
上京してから現在までで12回の引っ越しをしたが、あの井の頭公園の家を出るときほど、悲しい気持ちになったことはない。
けれど、わたしのザワザワは悲しみさえも飲み込んだ。
昔の写真を見返していて出てきた、井の頭公園の家の前の道路の写真。
2件のコメント
そうでしたか、知りませんでした。知らなくて当然ですが、知らなかったということに初めて気づきました。吉祥寺も自由が丘も知っていますが、人はまったく異なる理由で街に向かい、まったく違う人に会うのだということ。そんな当たり前のことに気づきます。それなのに同じ街にいて。そして、まだお会いしていない頃、吉祥寺で自由が丘で、すれ違っていたかもしれないという不思議。
こちらに来て、もう20数年も経つのに、なかなかなじめないのは何だろうと、書いてみて改めて思いを巡らせています。東京は(神奈川も)まったく異なる理由で街に向かっているのも、そのひとつかもしれません。
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