salitoté(さりとて) 歩きながら考える、大人の道草ウェブマガジン

そらのうみをみていたら。

2016-02-8
なんでだす?

NHKの朝ドラ「あさが来た」もあと2カ月…。
明治維新後、生活が、商売が、女性の生き方が大きく変わっていく時代のさなか、おてんば娘の主人公あさがそれまでの常識や制限に屈せず、次々と新しいことに挑戦していく姿に、わたしも元気をもらっている。

そのあさの口癖が「なんでだす?」。
子供のころは
「なんで凧をつけて飛べへんの? なんでどす?」
「なんでオナゴは相撲をとったらあかんの? なんでどす?」
「なんでオナゴは学問をしたらあかんの? なんでどす?」
(※あさが大阪に嫁いでからは「なんでだす?」に変わった)
となんで?を連発していた。

そういうものだからと済まされてしまうことにも、「なんでなんで?」と周りに疑問を投げかけ、そのたびに「なんでやあらへん」「もう“なんで”はあきまへん」と叱られる。

なんで、“なんで”はあきまへんのやろうか。

ある日、電車に乗っていると『超一流の雑談力』という本の宣伝広告があった。なんと、そこにも「なぜですか?」と聞いてはいけないと書いてある。

そういえば、朝ドラの影響かこのところ、やたらと同居人が聞いてくる。
「なんでパンには強力粉? 薄力粉だとどうなるの?」
「なんで玄米よりも、白米のほうが粒のサイズが大きいと思う?」
「なんで調味料のふたは、ペットボトルみたいにとれやすくないんだと思う?」

……。

知っていることなら得意げに答えるが、たいした内容でなくても答えられないことが続くと、だんだん腹が立ってくる。答えられない自分が悔しくて、つい聞いてくる方に矛先が向いてしまう。

そんなこんなを思い倦ねていたら、思い出したことがある。
ずいぶん前のことだと思うが、筑紫哲也氏のニュース特番で、高校生から「なぜ人を殺してはいけないのですか?」という問いかけがあり、その番組に出演していた知識人たちが答えられず、波紋が広がった。この番組を見ていたわたしはものすごくビックリした。勝手に心臓の音が大きくなり、その音が体に響くのが怖かった。

この質問をすること自体に問題があるという声もあがった。 “なんで”はあきまへん、だ。

さて、大人になって女実業家として活躍している「あさが来た」のあさ。先週も、女性が外で働く機会が少ない時代、女性を銀行員として雇いたいと男たちに持ちかけて大反対されていた。そしてあいかわらず「なんでだす?」と問いただしていた。
でももう、「なんではあきまへん」とは言われない。「女は信用されない」「女は数字に弱い」「お尻を触られたりしないか心配だ」など、反対した男たちの言い分を聞き、辛抱強く器量のいい女性を選び育て、男の色目からも責任持って自分が守るからと説き伏せた。

あさの時代の常識を問う「なぜ」と、先の高校生の哲学的な「なぜ」、そして同居人の雑学的な「なぜ」はもちろん、質も内容もぜんぜん違う。

けれど「なぜ」を向けられると、ときに悔しく、ときに傷つき、ドキドキと怖くなるときもある。
一方で、あさのように物事を、考えを変える、なにかを突破する力がある。

こんなに気にしてしまうのは、職業柄、「なぜ?」を人に向けることが多いからだ。相手に答えのあることなら歓迎され喜ばれるが、なにか、そこにあるものを突破してみたいという気持ちで投げかけることもある。

ちなみに、自分が投げかけられてドキドキ怖くなった先の高校生の「なぜ人を殺してはいけないか」。
このsalitoteで聞いたみたことがある。
高校生のような勇気がなく、まどろっこしい質問になっているのが情けないが…。
平野啓一郎さんスペシャルインタビュー「なぜ人を殺してはいけないか」

この「なぜ」は、なにかを突破できただろうか。
まだ、わたしは答えをもてずにいる。


連続テレビ小説 あさが来た Part1 (NHKドラマ・ガイド)より

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魚見幸代
魚見幸代

うおみ・ゆきよ/編集者。愛媛県出身。神奈川県在住。大阪府立大学卒業後、実家の料理屋『季節料理 魚吉』を手伝い、その後渡豪し、ダイビングインストラクターに。帰国後、バイトを経て編集プロダクションへ。1999年独立し有限会社スカイブルー設立。数年前よりハワイ文化に興味をもち、ロミロミやフラを学ぶ。『漁師の食卓』(ポプラ社)

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