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株式会社リナックスカフェ 代表取締役 平川克美さんスペシャルインタビュー (第1回)

第1回 あると思っている「自分」なんて、ない。

「問題なのは成長戦略がないことでなく、
 成長しなくてもやっていける戦略がないことが問題なのだ。」
『移行期的混乱』の著者・平川克美さんは、今の日本が抱えている問題について新たな視点を投げかける。戦後から現在に至るまで、経済社会の変化を深く読み解きながら、その時代に生きた人びとの心情にまで思いを馳せる平川さんの同書は、「日本人の物語」を読むような深い感慨とともに今これからを考える道筋を与えてくれます。今まであたりまえに信じられてきたものが崩れ、失われ、変わりゆく「今」とは、いったいどんな時代なのか。それでも変わらないものとは・・・わたしたちが今、本当に見つめるべき、考えるべきことは何なのかをお聞きしました。
編集部多川(以下・編た)

メディアや雑誌などに登場するキャリア女性は、なぜか「自分らしく輝いている」イメージで語られることが多く、「自分らしさ」を仕事で表現することが幸せの条件のような取り上げられ方が目立ちます。それは仕事だけでなく、自分らしい結婚、自分らしい出産、とにかく「自分らしさ」をよしとするこの風潮に、すごく違和感を感じるのですが・・・

平川

自分らしくないことをやるほうが、いいんじゃないかな。僕はずっと「お前、向いてないよ」って言われることを選択的にやってきたような気がするけど。

編集部魚見(以下・編う)

そうなんですか?

平川

自分に向いていることは、やったって面白くないような気がしてね。向いてないと言われることには何か、直感的にやってみる価値があるような気がして、自分が何を求めているかなんてことを考える前にやり始めてたよ。

編た

本当の自分はどういう自分なのか。本当に自分がしたいことは何か。ことあるごとに、考えようとしてきた気がします。

平川

自分が何者かなんて、考えたってわからないでしょ?
自分のことが一番わからない。

編た

わたしは広告の仕事をしているのですが、たとえば人材派遣会社や大学系のコピーとなると必ず「なりたい自分になるため」「理想の自分を実現する」とか、ポジティブな夢のあるフレーズが求められます。

平川

広告をやってたの?

編た

はい、今も。

平川

広告は、欲しいと思っていない人にそう思わせて買わせるための手段だから。この本にも書いたけど、日本はもう「欲しい物」がない国になっちゃったんだろうね。それまでは、人々の生活に「ない物」「必要な物」がいっぱいあった。いわば、松下幸之助の「水道哲学」。蛇口をひねるとそこから水が出るように、大量生産・大量供給によって誰もが買いやすい値段にして、消費者の手に行き渡らせることが企業の使命で、物づくりの意義だった。70年代頃はまだみんな貧しかったから「ない物」がいっぱいあった。そういう時代は、需要と供給のバランスが上手くとれている。だけどもう、みんなに必要な物が全部行き渡っちゃうと、今度はそこに「付加価値」とかへんなものをくっつけて、「こんな暮らしステキでしょ」と欲望イメージを膨らませるしかない。

編う

そうですね。何を捨てるか考えてしまうぐらいですから。

平川

「自分らしさ」が問題になるということは、生きるための条件がすべて満たされたってことだよね。そこが満たされていない段階では、「自分」の内面にまで意識が向かない。どうやって食べて行くかがまず先だから。
この間内田くん(内田樹さん)と話したんだけど、日本は先進国の中でも自殺者の数が非常に多い。しかも、ここ最近は三十代の自殺が増えている。ところが戦争中は、実は自殺がいちばん少なかったんだよね。

編う

「死」と背中合わせの日常だと、「生きる」ことしか考えられないのか・・・

平川

そう、「いつ死ぬかわからない」激動の時代には、人は自殺しない。だけど、社会も生活も安定して、豊かで平和で満たされた時代になると、思うこと、考えることの矛先が自分に向くんです。他人と比べてどうかとか、過去と比べてどうかとか、生きるテーマがつねに「自分」になる。
たとえば給与ひとつにしても、他者と引き比べて、自分の価値に見合うだけの給料が欲しくなる。原理的に考えると、自分がもらうべき給料なんてどの程度が適正なのかよくわからない。だから、自分の価値を、他者と引き比べてお金で考えるようになる。すべての基準が金になっちゃう。そうやって自分を計量することにばかり腐心するようになる。
実は、自分をどうやって消し去っていくのかということが、楽しい人生を送るコツなんだけどさ、自分にこだわっていたら、そりゃきついよね。

編た

自分にこだわるというのは、やっぱり「自分らしさ」の呪縛かもしれないです。それは、自分の可能性や潜在能力はまだまだこんなもんじゃない!みたいな、やる気にもつながるのかもしれませんが・・・

平川

元サッカー日本代表の中田くん(中田英寿さん)、彼も自分探しの旅に出ちゃったよね。なんかね、「本来の自分」みたいなものがあるという認識や理解、そう信じていること自体が、間違っているんだよね。

編う

え、あると思っていることが?

平川

ないんだよ。本来の自分なんてさ。
じゃあ、多川さんはいつから多川さんなの? 魚見さんはいつから魚見さん?
自分はいつから、自分だと思った?

編う

小学生とか、かな?

平川

自分のことを自分だと思う意識が生まれたのは、物心ついたときでしょ。そのときの自分と今の自分と変わってる?

編た

いえ、中身はまったく変わってないです(苦笑)

平川

同じでしょ。じゃ、いったいその人間の思考パターンはいつ作られるんだと。物心がつくというのは、言葉を習得した後の話なんだよ。言葉を習得した後は、基本的には物まねなんだよ。自分が思うこと、考えることは、親や先生やまわりの人の言葉、新聞、本、テレビ、自分以外のものから聞いたこと、書いてあったこと、見たことを反芻して選択しているだけなんだよ。だから、本来の自分とは無意識のことでしょ。

編た

無意識にでも自分の好き嫌いや、自分に合う・合わない感覚みたいなものは、確かにいつからそう思うようになったのかはわからないです。持って生まれた性分だと思い込んでいるけど、それは言語を習得する以前につくられたものだということですか?

平川

人の言葉を聞いて、何かを思ったり、考えたりする以前に、自分というものはすでに出来上がってる。じゃあ、自分って何なのかというとその秘密は家族のなかにあるんだと思う。
言語の習得以前に、どういう家族の中で育てられたか、育ってきたかということが、その人をつくってしまうわけ。ということは、生まれてから大体3~5歳くらいまでの間にその人間のパーソナリティができちゃって、それから後は、人や物事に対して思うこと、感じること、好きなこと、嫌いなこと、同じようなことを考えて生きていくわけだよ。俺もそうだけど、人間は本質的には変わらない。

編た

ということは、根っからの自分なんて思い出しようがないから、結局、後から自分はこういう人間だと後付けするしかないのかも。

平川

そう、言葉がないし、記憶もないからね。でもね、言葉がないときに習得していることが、その人間をつくるんだよね。
もっと突き詰めれば、人をつくる「家族」というものは、その社会、その国のルーツでもある。人口学者のエマニュエル・トッドさんが言っていることだけど、世界では家族形態はおよそ7~8パターンに分けられる。日本は長子相続の権威主義型家族。長男が家を継いで、次男三男は結婚して外に出て行くパターン。イギリスやアメリカは絶対核家族。親と子は基本的に平等、子どもどうしは無関心で、家族というのはある時期たまたま一緒にいる個人、個人の集団でしかない。だから、ある年齢になると子どもは家を出て、大家族を形成しない個室文化になっていく。

編う

でも、今の時代はほとんど核家族だから、日本は欧米型のパターンに変わってしまったんですね。

平川

君らが育った頃は子ども部屋があったんだろうけど、それは日本の原型的な家族パターンじゃないんだよ。ちょっと難しい話になるけど、世界で社会主義革命が起こった国、ロシア、中国、キューバ、ベトナム、すべてひとつの家族パターンに限られる。それは、婚姻によって外からお嫁さんをもらって大家族を形成していく「外婚制共同体家族」。そういう家族パターンを持つ国でしか、社会主義革命は起こらなかった。

編た

それは、どういうことなのですか?

平川

経済学者のマルクスは、封建社会が壊れて自由主義のもとで、資本主義が発展し、その歴史的な帰結として社会主義が生まれると説いた。だけど、実際はそうならなかった。マルクスは、資本主義国であるイギリス、ドイツ、アメリカで最初に革命が起こるはずだと考えていた。ところがロシアで起こった。ロシアというのはまだ近代化していない前近代的農民国家だった。世界はマルクスが言ったように進まなかったしその理由を説明できなかった。誰もできなかった。
フランスの人口学者、人類学者だったエマニュエル・トッドは、世界に8つぐらいに分類される家族パターンのうち、社会主義というのは、ある家族形態を基にした社会だということを発見したんだね。

編た

家族という運命共同体の発展系が社会であるというような社会主義思想は、大家族的なパターンを持つ国でしか生まれようがなかったと。

平川

日本の家族パターンはドイツと同じ。だから日本とドイツは国民的な気質や文化が非常によく似ている。第2次世界大戦で日本、ドイツ、イタリアが同盟を結んだのは、政治的思想が非常に近かったというのもある。
つまり、国家というものも、思想やイデオロギーが先にあったわけではなく、まず家族があり、社会があって、その社会に合った政治体制がつくられたと言える。個人というものも、まず家族があって、そこで形成された自分があり、その自分に合った考えや生き方を選び取ったという成り立ちは同じかもしれない。
もっと言うとね、「自分探し」という価値感や発想も、ある家族パターンの中でしか生まれない。

編う

どういうパターンですか?

平川

イギリス、アメリカの絶対核家族パターン。個と個の集団でしかない核家族の中では、自分というものを確認する方法がないんだよ。だから兄弟、姉妹と比べて自分はどこが優れているとか、何が足りないとか、常に確認していないと自分が同定できない。自分であることができない家族形態のなかで育っているわけ。だから常にアイラブユーって言っていないと、抱き合っていないと愛されていることを確認できない。

編た

はぁ~。欧米人は愛情表現が豊かだと言われますが、そうしないといられない家族文化だったんですね。

平川

日本の場合、60年代頃までは、昔からの権威主義型の家族形態が色濃く残っていたから、自分が家族の中のどこのポジションにいるのかはっきりしている。長男であれば、この家や財産を継いで親の面倒をみるというポジションにいるから、自分は何者か、自分の使命は何かなんて考えようがない。
「自分は長男です」「家督を継いで家を守るのが長男の務め」で、それ以外の自分なんてない。「貧しい家の長男です」とか、「金持ちの家の長男です」とか、そういう差はあっても、基本は求められる役割を果たすことで精一杯だったんだよね。だから、日本人にとって「自分探し」というのは、まったくの異文化。自分の役割があたかも外にあるような、ここじゃないどこかに本当の自分があるような希望の持ち方は、日本人には似合わない。「自分探し」とは、ある意味、輸入されたイデオロギーだと思って置いて、いいんじゃないかな(笑)。


撮影/木村 綾
004 株式会社リナックスカフェ 代表取締役 平川克美さん Interview
第1回 あると思っている「自分」なんて、ない。 2010年12月12日 更新
第2回  「自分で考える」とは、自分を壊すこと 2010年12月17日 更新
第3回  移行期的混乱を生き抜くために。 2010年12月24日 更新
第4回  人間のつながりは、贈与なくして生まれない。 2010年12月31日 更新

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ひらかわ・かつみ

1950年東京生まれ。1975年早稲田大学理工学部機械工学科卒業。渋谷道玄坂に翻訳を主業務とする株式会社アーバン・トランスレーションを設立、代表取締役となる。1999年シリコンバレーのインキュベーションカンパニーであるBusiness Cafe, Inc. 設立に参加。現在、株式会社リナックスカフェ代表取締役。著書に『反戦略的ビジネスのすすめ』(洋泉社)、『株式会社という病』(NTT出版)、『移行期的混乱』(筑摩書房)、『経済成長という病』(講談社現代新書)、『会社は株主のものではない』共著(洋泉社)、『九条どうでしょう』共著(毎日新聞社)、『東京ファイティングキッズ』共著(柏書房)、『東京ファイティングキッズ・リターン』共著(バジリコ出版)などがある。

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