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写真家・鬼海弘雄さんスペシャルインタビュー 第1回 ハミ出す覚悟があれば、誰でも表現できる。

第1回 ハミ出す覚悟があれば、誰でも表現できる。

浅草に30年以上通い続け、そこで出会った人々を撮り続けた鬼海弘雄氏の写真集「東京ポートレイト」。 そこに写っているのは自分と同じ、ただの無名の人々である。けれども、その1枚1枚に写し出されているのは、ただならぬ尊厳に満ちた人間というものの存在なのだ。ひとり一人の貌、眼光、皺、皮膚、身体つき、姿勢、構え、服装、全てが混然一体となり、その人となり、個の人生を物語る。そこに見る誠実さ、正直さ、真面目さ、厳しさ、空虚さ、弱さ、狡さ、胡散臭さ…それは自分でもあり、自分が知る誰かに似ている。「高そうなカメラだな」と呟いた男、子供のころから目立ちやがりやでよくいじめられたが…と話す男、昨夜つい酔っぱらって喧嘩をしてしまったという男、大工の棟梁、笑うおばあちゃん…
ひとり一人の肖像に添えられた鬼海さんの言葉に、それぞれの人々が踏みしめ噛みしめてきた情感が浮かび上がる。写真は、抽象イメージに逃げず、具象で人間の威厳を表すことの出来る唯一の表現だと語る写真家・鬼海弘雄さんに聞く「表現とは、何か」。
今回は、列車で旅するパリ〜ノルマンディ紀行とともにお届けします。
“東京”ポートレイト
多川麗津子 (以下多川) わたしはとくに写真に興味があるわけではないので、本当に失礼ながら、鬼海さんのお名前も作品も存じ上げておらず、申し訳ない限りです。
鬼海弘雄さん(以下鬼海) いえいえ、多くの人がそうですから、お気になさらず。
多川 いや、そんな、何と言っていいか(笑)。で、今回、ひょんなご縁で鬼海さんの写真集「東京ポートレイト」を拝見し、心をワシ掴まれました。ひとり一人の生きてきた道のりや人生の紆余曲折が現れ出たようなポートレイトで、写真そのもののインパクトもさることながら、わたしはその写真のキャプションに物凄く惹きつけられました。あのキャプション、言葉が加わることで、イメージが物語に変わる。イメージがドラマになる。この一言を捻り出すには相当な労力を費やされたのではないかと…。
鬼海 そりゃもうあのキャプションの言葉ひとつに、写真を撮るのと同じくらいのエネルギーを費やしましたよ。
多川 30年以上、浅草に通い続け、そこに生きる人々の肖像を写した写真集「浅草ポートレイト」ですが、最初からこれほど迫力ある作品が撮れるというような予感や確信はあったんですか。
鬼海 最初は「人物を撮ってみよう」というだけのことだよね。でも、撮り続けるうちに、「この穴を掘っていけば世界の中心に行けるんじゃないか」という確信というか思い込みができてくるわけですよ。ポートレイトを見た人は「浅草にはこんなにユニークな人がいっぱいいるんですか」と驚き感心されたり、それこそ「大阪に行けばもっと面白い人がいっぱい撮れるんじゃない?」とか言う人もいたりするんだけど、ぼくは全くそういう「変わった人」や「面白い人」を探して撮っているわけじゃないからね。
鬼海弘雄
多川 「大阪ポートレイト」とかならもっと強烈な人物が撮れるんじゃないかとか、ね。でも、そういう目線でやってしまうと、人間図鑑みたいな週刊誌の連載でやればいいことですわ。なんというか、一箇所にじっと腰を据えて、「今日の人」を待ってる鬼海さんがいて、そこに偶然現れた人がいて、それが1枚の写真になるわけで、その「待ち」と「出会い」の間合いが大事なんじゃないかと。
鬼海 まあ、ひとつの所にじっとしてれば金もかからないしね。
金がかからないということは、わたしにとって非常に重要なことなんです。
多川 もっともです(笑)
鬼海 なんで僕がインドに撮影に行くかというと、滞在費がそれ程かからないからですよ。パリやNYなんかになるとそうはいかない。物を考える、思索を深めたいというときには、「いくらかかるか」みたいなお金の心配はできるだけ少なくして、何かこうたっぷりとした時間の中に身を浮かべないと。
多川 確かに(苦笑)。それにしても、わたしはなぜ鬼海さんはこれほど言葉にこだわるのかということが不思議だったんです。
鬼海 そりゃそうでしょ、考えるには言葉がどうしたって必要になる。考えなしで写真なんて撮れないですよ。
鬼海弘雄
多川 いや、写真は視覚でとらえるものなので「見れば分かる」、言葉は要らないというようなカッコイイことをいう人もいるじゃないですか。でも、それは違う。見た印象、受けた衝撃、胸の中にこだまするこの感動は何なのかと考えるには絶対に言葉が必要になるし、その言葉がないと「まじ、すごい」「カッケー」「チョーやばい」みたいな、その時その時の流行のフレーズを使わざる得なくなる。
鬼海 イメージだけでいい写真もあるんですよ。おしゃれな店やきれいなモデルやファッションの写真は、いかに魅力的なイメージに撮るかが問題で、それはそれでいい。でも、僕が撮っているのは金にならない写真だからね。金にならない写真を真剣に撮る意味はどこにあるのかというと、それは写真を見てくれる人の想像力をどれだけ揺さぶれるか。それしかない。それは写真に限らず、詩でも文学でも音楽でも同じ。あなたの見る力、あなたの読む力で、物語を立ち上げて下さいというのが表現であって、だからこそ見る人の感性を貫くような「何か」がなければ表現とは言えないんじゃないかと。
多川 写真も小説も音楽も、1回でわかるようなものはおもしろくない。想像力が動くというのは、その表現によって「わからなくなるもの」が生まれるからじゃないかという気がします。たとえば、鬼海さんの写真、ひとり一人のポートレイトが投げかけてくるのは「ここに写っているのは誰か? 」という問いかけ。もっと言えば、人間というものの“わからなさ”かもしれません。そういう深々としたわだかまりというか、しこりのような思考の種を植えつけるものが表現なんでしょうね。
鬼海 想像力が動く、動き続ける。つまりそれは「考えさせられる」ってことですよ。何度読んでも飽きない本物の根拠は、そこにあるわけですよ。
多川 ということは、それを表現する側、撮る側は、徹底して人が考えないようなことを考えなければならないってことですよね。
鬼海 それはもう、わたしのような凡庸な者が表現などという大それた事を成そうと思えば、考えて考えて、考え抜くしかないでしょう。だって写真なんて誰でも撮れるんだから、人と同じことを考えていたら人と同じ写真しか撮れないでしょう。仕事でも何でもとことん真剣に難しい方へ難しい方へ思考の先を持っていかないと。大事なのは、どこまで難しいところに行けるか。「なにやってんだ、オレは」というような無為な時間にどこまで耐えられるか、だよね。
多川 鬼海さんのエッセイ「眼と風の記憶」(岩波書店)にも、「特別な才能のない者が表現の世界で“遊ぶ”のだから職業として成りたたなくても仕方が無いと思っていた」と、いわば表現の世界で生きていくためには食えない覚悟が必要だというようなことが書かれていますが、やはり鬼海さん自身も写真で食えない時期を耐えてきたということでしょうか?
鬼海 耐えてきたというかね、今もきついですよ。
鬼海弘雄
多川 笑...なんでしょうか、国内外の美術館で展示会をされているような有名な写真家の方からそういう言葉をもらうと、ものすごく心強いです。そんなすごい人でも食えないなら、自分など食えなくてあたりまえみたいな気にさせてもらえます(苦笑)でも、その食えない覚悟というのは、写真家を目指されたときからそう思ってこられたわけですか?
鬼海 だってわたしみたいな才能も能力もない者が「表現したい」という欲を持ってしまったわけでしょ? だから、それで身を立てるなんてとんでもないと、おこがましいことだと思ってましたよ。
多川 おこがましいというのは、心の持ち方ですよね。あきらめとは違いますよね?
鬼海 物を書いたり表現したりするのは、ストレートで東大に入れるような頭のいい人がすることだという頭があったからね。でも、哲学者の福田先生(福田定良)と出会って、先生に教わったんだよね。「人間が生きている中で一番贅沢な遊びは、表現することだ」と。その先生の言葉が自分の中でどんどん膨らんで、錯覚しちゃったんだよね。自分も何か表現できるんじゃないかと。
でも、絵や芸術の才能もなく、物を書くほどの知識も頭もない。でも写真ならカメラとフィルムがあれば何とかなるんじゃないかと。でも、撮り始めるとどうしても写らないんだよ。自分を表現しようとしているうちは写らないんだよね。
多川 「写真がいかに写らないかを知ったときから、写真家になったような気がする」という鬼海さんの言葉に、表現するということは、とことん自分と向き合わされる作業なのだとあらためて感じさせられました。自分を表現するとか、自分の思いを伝えたいとか、自分に何か“ある”と思っているうちはダメなんでしょうね。自分には「表現しうるものなど何もない」という厳然たる事実を自分で突きつけ、うちひしがれ、それでもやめない。そういうどうしようもない矛盾と葛藤にどこまでも悶え続けられることが、ある意味、表現者の才能というか、性のような気がします。
鬼海 圧倒的に苦しい時間があっても、それでも何で続けられるかというと、そこで自分の中を掘り下げて考えるから。何の意味もない無為な経験が自分の内側に蓄積されないとやってこない「時」というものがあるんだね。
多川 鬼海さんは写真家として成功するためにどうすればいいかとか、それこそどうすれば稼げるかというようなことは考えないでやってこられたのかどうか。というのも、今はどういう表現分野であっても、ビジネス的なセンスがないとダメなんじゃないかという節もあったりして、自分のスタイルを貫くというのはどういうことなのかと。
鬼海 それは既存のシステム、写真業界であれば写真業界のこれまでの枠組みの中でどの位置に行くか、どういうスタンスを狙うかというような話だよね。ではなくて、自分などは最初から写真家の世界とはかけ離れた所で、ひっそりとしぶとく自生する野性植物のように撮り続けることしか考えていませんから、ビジョンとか言われてもそんなものはないとしか言いようがない。端っからはみ出していれば、誰に認められなくても、自分がやり続ければいいだけ。「誰でも表現できるはずだ」という人の感性の出し所はそこにあるんだよね。
多川 もっと言えば、好きなことをやろうと思えば、ハミ出たところで悶悶とやり続けるしかないってことですね。
鬼海 そう、だから、誰でも表現できるということの本質は、自分の肉眼で見る、自分の頭で考え続けることでしかない。それが、成功した人の考えや言葉をマネしなくても自分で取るべき方向を判断できる、唯一の道じゃないかと思うわけですよ。
鬼海弘雄
撮影協力/大庭佐知子・Luigi Clavareau
“東京ポートレイト”
東京ポートレイト

鬼海弘雄
クレヴィス


2,400円+税

人と町の体温、むき出しの存在感を写し取る。ライフワークの決定版写真集。
40年以上にわたって、強烈な存在感と詩情をあわせ持つ浅草の人々を撮り続けた「PERSONA」、人の営みの匂いを写し出す町のポートレイト「東京迷路」「東京夢譚」、鬼海弘雄のライフワークであるこの2シリーズから精選した作品に未発表写真を加えた、氏の集成ともいえる写真集。
017 写真家・鬼海弘雄さん Interview
第1回 ハミ出す覚悟があれば、誰でも表現できる。 2014年1月6日更新
第2回 被写体は、自分の分身。 2014年1月25日更新
第3回 言葉がなければ、写真にならない。 2014年2月5日更新
第4回 写真表現の筋道。 2014年2月25日更新

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1件のコメント

鬼海さんとは、もう、30年は会っていません。当時N新聞社に勤務していた私は鬼海さんと1、2度仕事をしました。その時期、鬼海さんと写真家のAさんが、鬼海さんが撮影したインドの写真(確か、アサヒカメラに発表)について激論を交わしたのを覚えています。2人とも信念を曲げない。凄かった。鬼海さんは記憶にありますか。

言葉にできない写真は写真ではない。
その人の心を動揺させられない写真はダメ。
写真の先を想像させなければいい写真とは言えない。
いい写真は人の心を止める。そして動かす。

全くその通りの言葉です。
私の写真はそこまで到達していません。でも、撮れないと諦めることを諦めずに撮り続けます。

鬼海さんの次のテーマの写真を楽しみにしています。

by 風 - 2014/04/18 11:04 PM

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写真家・鬼海弘雄さんスペシャルインタビュー 第1回 ハミ出す覚悟があれば、誰でも表現できる。




きかい・ひろお

1945年、山形県生まれ。法政大学文学部哲学科卒業後、トラック運転手、遠洋マグロ漁船乗組員、暗室マンなど様々な職業を経て写真家になることを決意。以来、写真表現の追求に身を投じ、1973年より浅草で出会った人々を撮り続けている一連のポートレイト群『PERSONA』、独自の視点で町を写し出したシリーズ『東京迷路』『東京夢譚』で、一躍その名を知られるようになる。『東京ポートレイト』はこの2シリーズから精選した写真に未発表写真を加えたもの。また、故郷の山形に通底するイメージを長期にわたって追い続けるインドとトルコのシリーズも継続中。

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