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ノンフィクション作家 佐野眞一さん スペシャルインタビュー(第1回)

第1回 3.11 瓦礫と化した死の街で。

日本のメディア王・正力松太郎、ダイエー創業者・中内功、満州阿片王・甘粕正彦。日本を旅した知の巨人・民俗学者の宮本常一、はたまた東電OL殺人事件の被害女性・渡辺泰子、そして最近ではソフトバンク社長・孫正義に至るまで、ノンフィクション作家・佐野眞一さんが狙うターゲットは一見幅広く思える。
けれど、その根底には一貫して流れる血脈のようなテーマがある。
それは、その時代にしか生まれ出なかった人間の凄まじさ。
「なぜそこまで…」と戦慄し絶句するような苛烈な欲望もあれば、
「なぜそうまでして・・・」と胸を打つ人間らしい情動もある。
佐野さんは言う。「おれが興味があるのは、その内部にたとえようもなく
烈しく恐ろしく過剰なものを抱えた人間」なのだと。
佐野さんへのインタビュー当日、あの大震災が起こり取材は延期となった。
おびただしい事実から人間の真相をあぶり出すノンフィクション作家として、
すぐさま東北被災地に向かい、すべてが瓦礫と化した無人の街に
立ち尽くした佐野さんが見た、日本とは、日本人とは・・・・。
多川 このインタビューをお願いしていたのがちょうど3月11日、大震災の日でした。佐野さんは、その後すぐ大津波に飲み込まれた三陸海岸の被災地へ向かわれたそうですね。
佐野 震災の1週間後、18日だったかな。車をチャーターして、南三陸町、陸前高田市、大船渡市、宮古市の田老地区を4日間ぐらいかけてまわって、帰ってきて原稿を書いた。(『g2(ジーツー)』vol.7 4/15発売号掲載記事)そのときは興奮でもないけど、でもやっぱり一種のハイ状態だったんだろうね。あれから何度も津波の夢を見る。その記事にも書いたけど、たぶん、生涯忘れられないだろうな。
多川 阪神大震災やアメリカの同時多発テロなど、これまでも数多くの惨状を目の当たりにされてきた佐野さんの取材経験をもってしても、今回の震災は想像を絶するものだったと・・・。
佐野 現場に行って、息をのむ、言葉を失うっていう体験は同じなんだけどね。たとえば阪神大震災のとき、神戸・長田の焼け跡で夫婦が焼けた土をふるいにかけてる姿を見た。中を覗くと、白っぽいものが見えた。人の骨なんだよ。骨になった我が子を探していたんだよね。NYの同時多発テロでも、突然大きな音が響いて、煙が上がって、30階、40階のビルの窓から、人がパラパラパラパラ落ちてくるという証言を聞いた。たとえ現地に行かなくてもね、そういう凄まじい映像を観れば、誰でも言葉を失う。
多川 言葉を失うような現実を前に沈黙する。でも、その沈黙から振り絞るように出される言葉に語らしめられる現実もあるのかと・・・
佐野 あなたたち女性だからよくわかると思うけど、阪神大震災からちょっと経った頃かな。歌人の河野裕子さん(享年64歳)が「毎日歌壇」で、ある女子中学生の和歌を取り上げた。
—圧死せし 友を悲しむ私は 生きて暗夜に 生理始まるー
それを読んだとき、もう何とも言えず胸が詰まった。おびただしい死の中でね、未来への生を歌った歌なんだよね。でも、今回の津波現場には、この歌に象徴されるような「生々しさ」がまったくないんだよ。一瞬にして奪われ、消し去られるわけだよ、人の命が。声もなければ熱もない、人が生きていた形跡すら感じられない。何もかも瓦礫と化した……「死の街」だった。
現地をまわって2日目、陸前高田から盛岡まで帰る途中、道に迷ってしまって陸前高田の中心部にもう一回戻ったんだ。
その日は満月で、煌々たる月灯りに照らされた廃墟に佇み思った。上田秋成の『雨月物語』か、ポール・デルボーが描く怪奇の世界。地獄の黙示録を見てるようだった。
多川 だからこそ現地に、現場に行かなければ書けないものがある?
佐野 そうだね。’95年の阪神淡路大震災、’99年の茨城東海村の臨海事故、’01年のアメリカ同時多発テロ。あるいは、’05年のJR福知山線脱線事故、これまで多くの被災地や大事故の現場を取材してきた。ノンフィクション作家の本能で、誰より真っ先に現場へ、とね。だけど、実は今回はどうも気が進まなかった。というのも去年、心臓を患って大手術をしたものだから、現地で倒れでもしたら大迷惑だと。でもそんな自分の体のことなんかどうでもいい。何が何でも行かなきゃならない気力が沸き上がった。その大きな要因は石原慎太郎だよ。
多川 佐野さんいわく “てっぺん野郎” 石原慎太郎ですね(苦笑)。
佐野 そう、3月11日は石原が、任期満了で引退するかどうかの発表の日だった。俺はずっと石原のことを書いてきたから、新聞社から山ほど取材を求められ、ずっとテレビを観てたんだよ。それが急遽、四選出馬を言い出した。しかも「国家破綻の危機を救うため」なんて偉そうなお題目を掲げて。でも、まだそのときは地震は起きていない。震災前、日本はどうだったか。ここはしっかり振り返っておかなきゃいけないと思う。
あの激震に襲われる前、もはや民主党政権には終焉ムードが漂っていた。そこに慎太郎が幕末の志士気取りで出馬表明すると「やっぱり石原はリーダーシップがある」と早合点する連中もたくさんいたかもしれない。俺は思わないけど。
多川 その後に出た「天罰発言」。わたしは「天罰」という言葉そのものは、確かにそうかもしれないと重く受け止めました。それこそ自分たちの社会のあり方、生き方を含め足もとを見つめ直すには、ここまで打ちのめされなければわからないのかと・・・。ただ、それをおっしゃる「あなた」が問題なんですよね(苦笑)。
佐野 「津波で日本人の我欲を洗い落とす必要がある」って、そもそも50年前に我欲を絶賛した小説でデビューしたのはどこのどいつだと。天罰に関して言えば、関東大震災のとき、永井荷風が詠んだ有名な一節がある。
「帝都荒廃の光景哀れといふも愚かなり —中略— 近年世間一般奢侈驕慢(しゃしきょうまん)、貪欲飽くことを知らざりし有様を顧れば、この度の災禍は“天罰”なりといふべし」ってね。
でもね、荷風は許される。なぜ許されるかというと、荷風は世俗的な地位・権力・欲望とはまったく無縁の世捨て人なんだよ。それに比べて石原は、どうだと。たぶんそういう石原のように、もっともらしい言説がはびこっているのが今の世の中なんだよ。これほどの大災害を前にしたとき、テレビ向けの評論家の繰り言があまりにも空虚に映るのは、震災前の日本には軽く薄っぺらい言葉や言説しかなかったってことなんだよな。
多川 「頑張ろうニッポン」「ひとりじゃないよ、ひとつだよ」と言いたい気持ちは誰でもある。ただ、そういうマスコミ的なキャッチフレーズは平時であれば聞き流せても、これほど凄まじく痛ましい現実に打ちのめされたときには一番聞きたくないと思い知らされました。今回の震災では、携帯電話がつながらない中、twitterやメールなどのインターネットが安否確認や情報伝達に大いに役だったわけですが、その一方で、「何か言わなきゃ」「何か言葉にしなきゃ」と、とめどなく溢れ出る言葉の空しさも痛感させられました。
佐野 ジャーナリストでも評論家でも誰でも、言葉を失う、息をのむという体験はものすごく重要なことなんだよね。なぜなら、それでも言葉にしなくちゃいけないわけだから。その「言葉にできないもの」を伝える言葉は、その人間の中から振り絞るようにして出されるものであって、誰もがわかりやすい表現なんかじゃない。それぞれひとりひとり違うんだよ。おれが今見ている風景は、津波にのまれた人が最後にみた風景だなと思った瞬間に、目の前がぼやけてくる。そういう言葉、表現に触れたとき、人は想像する。そこにある言葉にならない痛み、苦しみ、何とも言えない悲しみを。
多川 東北は、古くから津波の脅威と闘い続けてきた歴史がある。「海は恐ろしい、海が憎い。でもそれ以上のものを海は与えてくれた」という漁師の方の言葉に深く打たれました。ああ日本人はずっとそうやって生きてきたんだと。
佐野 この大震災が我々に見せたものは何かと言うと、俺は古代が見えたと思うんだよね。東北地方では、古くから地震のことを「なゐ」と呼んでいて、語感が不気味なんだよね。それに三陸地方の方言では津波のことを「ヨダ」、「ヨダが来た」って言うんだ。これもおどろおどろしい響きだよね。
多川 魔物か妖怪か、なんとも奇怪な響きですね。
佐野 今回の震災の死者は3万人を超える。これもよく言われているけど “3万人の死” なんてあるはずもなく、あるのは “ひとりひとりの死” 。そして“ひとりひとりの死” は、“ひとりひとりの言葉の死” なんだよな。だとすれば、その事実の重みに耐えうる言葉は「みなさん今日も避難所で頑張っています」とか「子どもの笑顔はいいですね」とか、そんなわかりやすい表現じゃない。言葉にならない沈黙を伝えるのは、“大文字”のメッセージではなく、自分が歩いて、見て、拾い集めた断片を丹念に積み上げる“小文字”のノンフィクションだと、おれはそう思うんだ。
撮影/編集部
008 ノンフィクション作家 佐野眞一さん Interview
第1回 3.11 瓦礫と化した死の街で。 2011年5月20日更新
第2回 消費されない言説、消費されない人間。 2011年6月3日更新
第3回 孫正義という人間を書いた理由 2011年6月17日更新
第4回 日本人の精神文化は復興できるか!? 2011年7月1日更新

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5件のコメント

佐野眞一氏とはもっと格調の高い人物かと思っていた。

今回の橋本氏に対する記述やその意図を読んで恐ろしい思いがした。
一人の人間をターゲットにして本人には何の責任もない生まれる前のル
ーツまでもを抉り出し深く傷つけるとは、常識的な感性には耐えられな
いほど異常にも、非情にも思える。

読む者にペンの恐怖をしっかり植えつけた。
今、突出している人間を餌食にして網をかけじりじりといたぶりながら
追い詰めていく残酷劇を見世物にして稼ぐ、卑劣な週刊誌の本質と手を
組み、人間の優しさ心の温かさも常識も失い、過去の各賞も泥にまみれ
るような企画と意図に手を貸すとは。

書いて表現する能力は時に人の息の根を止めるほどの暴力になるのだと
実感した。
私は無党派で選挙は誰にと言う思いもなかったが、これほどの悪意を持
ってこの人間の将来を破壊したいのなら維新に投票すると決めた。
学校のいじめ問題と質的には違いがない。
嫌いな奴は苛め抜いて殺す。

このようないじめ社会がまかり通る日本は落ちたものだと思う。
戦争中の中国人、朝鮮人を差別した日本人が復活した様に思えて気色の
悪い話だ。

本当の意図は出る釘はぶちのめしたいのであろうが物言わぬ国民はじっ
と見ている。この記事が橋本氏の行く手を阻む事に成功すればそれと同
時に佐野眞一氏の人間性も地に落ち泥にまみれる。すでにまみれている。

by 貞助 - 2012/10/18 11:50 PM

物言わぬ一人の日本人である。普通の一個人が、声をだすということは、普通
はない。ただ見るだけの存在にすぎない。大きな声つまりマスメディアにおける
表現は、国民の総意ではない、もし、己の表現が、代弁していると思うなら、
メディアにおいては、評価されると思うが、現代のネット世代では、それは、
あまりに滑稽である。自らの創作活動よりもノンフィクションのほうが、共感
も得やすい、時代に沿っているという観点からしか、表現出来ないのでは、文才
が、あるいは、反社会的な言動を持つなら大きな声を発するなら世間の耳目を
集めやすいとは、思う、迎合的ブンヤだと感じる人もいるかもしれない。
断定は、できないが、一個人としては、言葉として、整った書き方でも、とても
橋下氏の件については、彼を書くことによって、さらに存在感が増す。作家として、彼を評価したいのか、それとも下げたいのか、血脈をとおして、可能なのか
それ以前に生活保護の闇のほうが、あなたの作家としての今までの継続テーマと
して、面白いと思う。彼を標的にした源は、佐野氏の深い闇として、とらえかねない。これが、一国民の捉え方になる。大きな声を上げるのは、若い世代であり
老骨に鞭打ちながら記すべき対象とは、思えない。テーマは、いまの日本には、
山ほどある。あなたの作家としての今回のやりかたは、作家人生の終焉とも
感じる。一個人としては、もっと取り組むべきものが、あると思う。
そちらに期待するものである。

by 平民 - 2012/10/19 2:29 AM

以前からニュースステーションでのこの作家のコメントは、最初から結論ありきの偏った発言内容に,TV局(朝日放送)もよくこんなコメンテーターを起用しているなと思い続けて半年ほど経った頃である。
今回の低俗週刊誌の仲間に陥った週刊朝日の橋下市長に関する暴露・冒涜記事もこの作家ならやりかねないと納得させられた。

また週刊朝日の対応も、橋本市長の記者会見に出席せず、一日たった今日の時点で編集長は正式にお詫びをする旨意思表示し、連載も検討中・次回の記事でお詫びの文書を流すと!
どこまでこの号を発刊するにあたり編集長たるものが関与したのか、日本全体の人間・日本人の劣化がこの件からだけでも強く感じられる不愉快な一件である。
橋下大阪市長を結果、応援したくなったのは私だけでしょうか?

by 匿名 - 2012/10/19 1:20 PM

佐野さん、不当な権力とマスコミ操作による不遇、耐えてください。
佐野さんが書きたかったことを全て、読むわけでもなく、都合の悪い点だけを抉り出して、締め上げ、恫喝する手法は、私には、とても不快でした。橋下さんの弁護士としての強引な論法にも辟易しましたし、追従するマスコミにも、誇りのなさを感じました。
まるで、映画の冒頭だけを見て、不愉快だから、上映禁止だと叫ぶ、ナチスや、旧日本軍や戦前の特高のようではありませんか。
批判をするなら、連載が終了して、内容をよく吟味してからにすべきではなかったのでしょうか。
週刊朝日のセンセーショナルな商業主義的な見出しが、引っかかったのかもしれませんが、同じ、物書きの端くれとして、今回、佐野さんに、起きた事件は、看過できないと思いました。
いつの時代でも、国を悪くする人は、善人の顔をして登場するものです。

佐野さん、今は、語れないでしょうけれど、ひそかに、応援している人間もいることを忘れないでください。

by 株彦 - 2012/10/22 9:57 AM

佐野さん、いつ記者会見を開いて、自分の真意を発表するのですか?

by 123 - 2012/10/24 6:03 PM

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ノンフィクション作家 佐野眞一さん スペシャルインタビュー(第1回)




さの・しんいち
1947年、東京都生まれ。早稲田大学文学部卒業後、出版社勤務を経てノンフィクション作家に。「戦後」と「現代」を映し出す意欲的なテーマに挑み続けている。97年、『旅する巨人—宮本常一と渋沢敬三』で第28回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。09年には『甘粕正彦 乱心の曠野』で第31回講談社ノンフィクション賞を受賞。その他『遠い「山びこ」』『巨怪伝』『東電OL殺人事件』『沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史』『誰も書けなかった石原慎太郎』など多数。

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