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『さいごの色街 飛田』著者・井上理津子さんスペシャルインタビュー 第1回 是々非々、最後の遊郭・飛田。

第1回 是々非々、最後の遊郭・飛田。

大阪西成区の一角に現存する郭街・飛田新地。そこは今もなお、1958年の売春防止法施行以前、大正〜昭和の遊廓の面影が色濃く残る異界の地。
取材撮影一切禁止、一夜の快楽を買いに行く男の客以外立ち入ることの出来ない禁断の色街にひとり挑み、12年間もの取材を重ね出版されたノンフィクション『さいごの色街 飛田』。
著者であるライターの井上理津子さんは、その存在を否定することも肯定することもしない、できないと言う。知れば知るほど、考えれば考えるほど、「どうとも言えない」としか言いようのないこの街の妖しさとはいったい何なのか……。
編集部多川(以下多川) 井上さんは大阪出身ですか?
井上理津子さん(以下井上) 生まれは奈良です。大阪が長かったですけど。
多川 わたしはずっと大阪で、「飛田」という町の存在、それがどういう場所なのか、知るともなく知っていたつもりでしたが、この本を読んで「飛田」で生きるということはどういうことなのか、わかったような気がしました。
何より、取材撮影は一切禁止、客として遊びに行く以外、ただの興味やひやかしで立ち入ることのできない色街に女性ひとりで飛び込んで取材した井上さんの度胸と勇気に驚かされました。井上さんが飛田生まれの飛田育ちとか、あるいは、自分の親が関係者だとかならまだしも、まったく縁のない「外の人間」に対しては、相当ガードが固かったのではないかと…。
井上 それが、取材に12年も費やした理由ですね。

多川 「飛田」に取材に入る前に、井上さん自身は先入観というか自分なりの仮説みたいなものをお持ちでしたか?

井上 先入観といえるほど明確な思い込みはなかったというか、自分の中に具体的なイメージを持っていなかったという感じがします。
普通の世界とは違う「異境」のように語られるけど、でもそこに暮らして働いているのは自分と何ら変わらない、“今”という同じ時代を共有する人たちなわけで、なのに何が「異境」なのかが不思議でした。
飛田に最初に行ったのは25年くらい前、忘年会で。みなさんがおっしゃるのと同じ、映画のセットのような光景に圧倒されました。その後、新地内の「鯛よし百番」(大正時代の遊郭建築を
そのままの料理屋)の女性社長のインタビューをしたことがあって、そのときに通ったのを機にちょくちょく訪れるようになりました。
“怖いもの見たさ”の感覚だったのかな。ひとりでぷらぷら歩くだけでしたが。本気で取材しようと思うようになってから、その「鯛よし百番」の社長や周辺の人たちから、「飛田」の話を聞こうとしましたが、皆が皆、口を揃えて「“中”のことは知らない」と。「近くても“遠い”ところ」ともおっしゃる。「一体どういうことなんや」と知りたくなったわけです。
井上理津子
多川 飛田は日本に現存する最後の遊郭です。となると、こちら側の勝手な思いとして、歴史的建築や遊郭文化の名残として残さないといけないとか、残っていてほしいとかつい思ってしまうのですが、井上さんはどうですか?

井上 そこが、揺れるところですね。わたし個人としては、今現在の「飛田」の状況を否定も肯定もしないけど、でも、積極的に残さないといけない場所かというと、そんなことは絶対にないし、いつかはなくならないといけない場所だという気持ちは前提としてあります。なんでしょう、全面的に肯定はしないし、「受容」はしないけど、存在はエラいと思う…みたいな感じでしょうか。
多川 人としての倫理や道徳的には、あってはならないものだと思いますが、なんでしょうか、私は自分の中に「肯定」してしまう気持ちがあったりするんです。
井上 本が出た後、遊郭建築を愛好しているグループの方とお会いしたときに、議論になったんですよ。「遊廓というものが存在したからこそ、素晴らしい建築、意匠、デザインというものが生み出された。明らかに文化である」と。で、その後にまた法曹関係の方々と話す機会があって、若い弁護士さんたちに、こう言われたんです。「問題は、その建物、器の価値ではなく、そういう空間が何を生み出してきたか。遊郭という空間を人の営みの中でとらえた場合、それは決して肯定されるべきものではない」と。
彼らの言うことが正しいと思います。確かにそう思うんだけど、いや、でもね、という気持ちもあったりして、自分自身、揺れ続けています。著者としては、もっとパシッと答えを出せと言われるたび、もんもんとしてしまうんですね。
多川 その弁護士の方のように人道的な立場からスパッと正しいことを言われてしまうと、わたしも、そうかとうなだれてしまうでしょうね。もちろん全面的に「いいもの」だとも、守るべき「美しいもの」だとも思いませんが、でも、「大人の遊戯場として、あってもいいんちゃうの?」という卑俗な考えも捨てきれない自分がいて、確かに、揺れますね。

井上 最近、大和書房から「民衆史の遺産」シリーズに『遊女』の巻が出て、仕事でそれを読む機会があったんです。著名な歴史学者の先生たちの編によるアンソロジーなのですが、「遊女」という言葉でくくると、同義語の女郎、売春婦、売女、淫売・・・と別次元の美しい存在のように感じられる、“言葉のマジック”を感じたんですね。

多川 哀れさや悲しみとか?
井上 私は悲しいというニュアンスで一元的に語りたくはないんですが、男にとって都合がいい“美しい存在”にすり替わる気がしたんです。
多川 その“遊女”という言葉と、井上さんが見た飛田の女性たちの実状にギャップを感じてしまった?

井上 そうですね。もっとも、そのアンソロジーは「苦界に身を沈めた女性だけでなく、芸に従事する女性一般をさす」として「遊女」という言葉を使っているとのことだったんですが、ちょっと微妙だなと。

多川 井上さんの本にも、飛田遊郭の歴史がかなり詳しく書かれていましたが、遊郭そのものの社会的な位置づけや遊女たちの事情は、時代によってかなり違いますよね。

井上 大正の終わりから昭和初期にかけては、飛田に限らず、各地の遊廓は観光資源だったんですよ。当時は、当然合法だったし宿泊施設も乏しい時代なので、旅館に泊まるより「遊廓のほうがいいですよ」みたいな。旅館の部屋に会席料理が運ばれてくるのと同じように、女性が出てくる。「飛田なら、いくらでヤれる」とか「どこそこは色白の女が多い」とか、その種のガイドブックもたくさん出ていたんです。今で言う旅行本と同じようなノリで。
多川 けれども、そこにいる女性たちは、昔も今も変わらず、そんな大らかなノリでは決してないということですよね。
井上 ええ。その当時、飛田の女性の4人のうち1人は性病を羅患していたし、命からがら逃げ出そうとした女性も決して少なくはなかったんですね。飛田は、彼女たちの逃亡を防ぐために、4.5メートルの壁で包囲されていましたが、つかまると命の保障がないことを覚悟のうえで、その壁を乗り越えようとした女性もいたようなんです。それが実情なのに、どこが美しいのか、と。

井上理津子
多川 当時の遊女たちのほとんどは貧しい農村から売られてきた女性たちですよね。現在は、どうなんでしょう。その、自主的に身を落としてきた人もいるのかどうかが、謎なんですが….

井上 どう思います?
多川 たとえば、それ以前に風俗の仕事をしていて、ホストに入れあげたか何かで借金が膨らんで、よりえげつない本番オンリーのところに落ちていくような末路を考えたら、少なくとも客の管理や給与体系などはしっかり確立している「飛田」はまだましなんじゃないかとか・・・・。

井上 ただ、私が取材した限り、彼女たちは、他の風俗に行くか、飛田に行くか、自ら選んできたわけではない。意思決定なくそこに来ることになった人たちだった。
多川 たとえば「借金」にしても、法的に精算する方法もあるし、そこから自分の生活を立て直して再建していく道も探そうと思えば、あるわけじゃないですか?

井上 あると思うんですけど、そういった社会のセーフティーネットからはみ出さざるを得ない人たちがいるということです。行政の福祉サービスも社会システムとして弱体化しているから、どれだけそれが彼女たちひとり一人の生活再建に機能するかはわからないですしね。
多川 この本に登場するお姉さんたちは、もし別の選択肢があれば、今の生活から抜け出す道を選ぶと思われますか?

井上 たぶん、他の選択肢があるということに気づけないように、システムづくりがされているんじゃないでしょうか。

多川 ここ以外に選択肢はないという前提のもとに、生きているということ?

井上 おそらく。
そう、たとえば、わたしたちだって時には「やってられない!」と思うような理不尽で過酷な仕事とかあるじゃないですか? この間、OL歴30年の友人と話していたときに、彼女がポロッと云うんですよ。「これだけ理不尽な目に遭わされて、それでも我慢しなきゃならないのなら、飛田のお姉さんにでもなりたいような気もする」って。

多川 女性ってよく言いますよ、そういう捨て鉢なこと。

井上 えっ、そう? 多川さんも、そっちタイプ?

多川 ですねぇ、たぶん(苦笑)。それこそ仕事でやりきれない訂正や無理難題を押しつけられて、あげくに原稿料を叩かれたりすると、やってられない気持ちになる。それがたとえば、何十分か自分を与えることで、相手も喜んでくれて、「ありがとう」とか言われて時給1万円がもらえるとなると、それもアリだと吹っ切れそうな…。たぶん、女性はみんなあるんじゃないですか? そういう自分の中の火種が弾け飛んでしまうような瞬間が。

井上 いやぁ、あるような気はするけど、それを「する」かどうかが、本当に「ある」ということのような。そういう「気」にはなっても、やっぱり、そこ止まりなのが私たちじゃないかって。

多川 そうですね。想像の先には行けない。

井上 そう、そうなのよ。

多川 この本には、強烈な飛田イズムを持った人たちが登場しますが、中でもわたしが心酔してしまったのが「まゆ美ママ」。若い頃から新地やミナミのホステスをして水商売で叩き上げ、20代の若さでデートクラブを経営。最盛期には飛田で3軒の料亭を経営していたという経歴の見事さもさることながら、まゆ美ママのひと言ひと言が、素晴らしく身もフタもなく痛快で、圧倒的な説得力(笑)。

井上 まゆ美ママ、かっこいいですよねぇ(笑)。同世代なんだけど、言う事にいちいち迫力があるからひと世代上に見える。なんて言ったらいいのかな、“男前”なんです。ほんと今ここで一緒にしゃべりたいですね〜。

多川 しゃべれるものなら、しゃべりたいです!飛田に来る女の子は100%借金を抱えていて、つねに「お金」のために人生を狂わされてきた実状を鑑みて、井上さんが「お金って、そんなに大事ですか」と訊いたときのまゆ美ママの返しとか、もはや横山のやっさんの域ですよ。
井上理津子

「お金って、ものすごい力持ってます。お金があったら大概の問題は解決します。夫婦ゲンカもしませんわ。やさしい気持ちになれる。お金がないときに人に親切にしなさい言われてもできへん。生理ナプキンひとつ買えないで、人のことを思う余裕ないでしょう? そういうことなんですよ」

「そら風俗という選択をしないで人生を送れたら、女性としては幸せだと思いますよ。でも何かの事情でやむを得ず風俗の世界に飛び込んだのなら、(風俗の仕事を)ポジティブにとらえて、頑張って1円でもたくさん儲けるほうが言いに決まってますやんか」
(筑摩書房「さいごの色街・飛田」より抜粋)

井上 まゆ美ママのその確固たる商売哲学と圧倒的なパワーを別の世界で発揮したら…とか、取材中、わけがわからくなることも多々ありました。ただ、本を出してからあらためて考えたことなんですが、「仕込み教育のために、どつきまわします」と涼しい顔で言うまゆ美ママにしても、「殺されるか思うほどどつきまわされますねん」と言う飛田の女性にしても、そんなふうに言うようになるまでの個々の“歴史”があったわけだ、と。あまり好きな言葉ではありませんが、ふと「弱者」という言葉が浮かんできたり…。

多川 決まった時間に起きて、電車に乗って会社に行って働いて、決まったお給料もらって…という普通の社会生活からはみ出した世界でしか生きられないということが果たして「弱者」なのかどうか考えるところです。あたりまえの社会では発揮できない何かを持っているという点では「強者」とも言えるのではないかとか…。もっといえば、自分たちが普通と思っている社会。普通に幸せだと思っている暮らしや生活、価値感が万人にとって幸せなのかどうか。
たとえば、大阪のホームレスの人々を公園や路上から一斉退去させて、南港の簡易施設に入れと言っても、誰も入らない。屋根付きで雨風凌げて、暖房もあって、とりあえず寝食は不自由しないのだから、路上に比べたら幸せじゃないかと思うのは、普通の生活に慣れきった人間の考えで、その人たちは公園で空き缶拾っているほうが「自由でいい」という考えだったりするわけです。
だから、「こっちの方が幸せだ」とは言い切れないし、一般社会というリングを離れたら、弱者と強者の立場は逆転するのかもしれない。

井上 そうかもしれませんね。ただ、私はホームレスの人たちを取材したわけじゃないので、そういった論点への意見は持ちあわせていません。「幸せ」云々に関しては、飛田のおねえさんに「現状満足度は?」と訊いたとき、「ゼロパーセント」と答えられたことが、心にずっとひっかかっています。

多川 わからないですね。彼らがそういう不自由な生活の中で得ている自由を、わたしたちは知らないわけですから。

井上理津子
撮影/岡崎健志
さいごの色街 飛田<br />
さいごの色街 飛田
井上理津子
筑摩書房


2,000円+税

取材期間12年に及ぶ、著者渾身のルポタージュ!
遊廓の名残りをとどめる、大阪・飛田。
社会のあらゆる矛盾をのみ込む貪欲で多面的なこの街に、
人はなぜ引き寄せられるのか!
取材拒否の街に挑んだ12年、衝撃のノンフィクション。
遊廓の産院から 産婆50年、昭和を生き抜いて<br />
遊廓の産院から 産婆50年、昭和を生き抜いて
井上理津子
河出文庫

850円+税
『さいごの色街 飛田』を記した著者の原点。
50年で、8000人もの赤ちゃんを取り上げた助産婦・前田たまゑ。彼女の産婆人生は、神戸の福原遊廓から始まった。堕胎が許されなかった戦前の遊廓、戦時下のお産、戦後すぐのベビーブーム、いつしか主流となった病院出産の時代……世話焼きおばさんの語り部から聞こえてくる助産の歴史は、昭和を背負った女性たちの肉声を伝え継ぐ。『さいごの色街 飛田』を記した著者の原点。
名物「本屋さん」をゆく<br />
名物「本屋さん」をゆく
井上理津子
宝島SUGOI文庫

600円+税
日刊ゲンダイの連載「本屋はワンダーランドだ! 」が一冊に!
都内60ヵ所に及ぶ、個性的な町の本屋さんとブックバーを紹介! 独自に本をセレクトし、棚作りに工夫を凝らす新刊書点。「昭和」「サブカルチャー」「辺境」「車」「エロ」など得意分野を打ち出した古書店。雑貨販売、ブックカフェ、ブックバーを兼ねた書店など、ちょっと変わった町の本屋さんがずらり。実際にお店を訪ね取材したからこそ知り得た、店主の人柄や、お店の雰囲気、オススメ本などの情報も満載。
015 フリーライター 井上理津子さん Interview
第1回 是々非々、最後の遊郭・飛田。 2013年3月21日更新
第2回 語られない飛田のリアル。 2013年4月10日更新

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1件のコメント

飛田の存在意義は現代においても、十二分に存在価値はあります。パチンコ屋さんが合法であるのと似た道理で、飛田の存在も合法であるものと言えます。それを暗に認めるかのごとく、飛田のど真ん中には交番があります。
風俗産業が淘汰されれば、間違いなく性犯罪が増えるものと容易に予想できます。また雇用情勢なども悪化するものとも思われます。いわば風俗産業は清濁を併せ呑んだ社会システムの一部として機能しております。
現代社会において、借金を合法的な清算する方法や、貧困状態を打開する方法など、意外に知られていない(敢えて情報が知らされていない)のが現状です。また、自己破産(同時破産廃止)の手続きや生活保護の申請が煩雑であること、専門家に依頼すれば相当の費用がかかることで、それらを躊躇した結果、セーフティーネットからはみ出さざるを得ない人は、各種統計資料などで把握できない相当数が存在するものと思われます。
大人の社交場が淘汰されないよう、私たちはありがたくサービスを享受するためにも、飛田で働く人に敬意を払ってお行儀よく遊ぶことが、今後の存在意義にもつながるのではないでしょうか。色街の発展が景気回復のバロメーターかも知れませんね。

by JO3NHK - 2013/03/27 10:37 AM

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『さいごの色街 飛田』著者・井上理津子さんスペシャルインタビュー 第1回 是々非々、最後の遊郭・飛田。




いのうえ・りつこ

1955年奈良生まれ。人物インタビューやルポを中心に活動を続けており、特に生活者視点を踏まえた文章が多い。『さいごの色街 飛田』は足掛け12年間に及ぶ取材をもとに上梓。長く大阪を拠点としていたが、現在は東京在住。最近は葬送をテーマにした取材に取り組んでいる。

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