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精神科医 春日武彦さん スペシャルインタビュー (第1回)

第1回 堕ちてこその優越感とは。

常人には理解しがたい、理由のわからない犯罪が起こるたび
わたしたちは人間の心の不可解な恐ろしさに打ちのめされる。
人はなぜ狂うのか。正気と狂気の境界線はどこにあるのか。
精神科医の春日武彦さんは、自らの臨床体験をもとに
人間の深層に蠢く狂気の魔物の正体について、ともすれば非難されかねない
核心を突きすぎた独自の持論を展開する希有な精神科医である。
春日先生の著書を読むたび「話せば分かる」「愛があれば通じ合える」
「人は幸せになるために生まれてきた」などという善意に満ちた人間理解がいかに恵まれた考えであるか、思い至らしめられるものである。
「人間というものはいったい何を求めているのか。その“わけのわからなさ”こそが人間の本質」という春日先生。幸せになりたいのか不幸になりたいのか、救われたいのか堕ちたいのか、治りたいのか治りたくないのか…。知れば知るほど、わけがわからなくなるヒトの“狂気のワケ”に迫ります。
編集部多川(以下編た) たとえば、理由や動機が一般には理解しがたい犯罪者というのは、どこかしら精神的に欠落した部分があるんじゃないかと。でも犯罪者すべてが精神鑑定にかけられるわけではないですよね。その判断基準はどのあたりにあるんでしょうか?
春日 一般的な心情に照らし合わせて、しょうがないと思えるかどうかでしょうね。貧しい生い立ちで親の愛情にも恵まれず世を恨むしかなく生きてきた果ての暴走とか、痴情のもつれや私怨感情とか、「犯行そのものは許すわけにはいかないが、そこまでに至る心情はわかる」という類の犯罪は精神鑑定の対象にはならないですね。
編た 「もし、自分もそこまで追い詰められたらそうするかも」と想像の余地があるかどうかが、正常と異常の分かれ目?
春日 2時間ドラマのサスペンスみたいな、ドロドロとした人間関係や感情のもつれが背景にあるとか、そういう下世話な理解が可能かどうかは大事ですね。
編た じつはわたし、今回春日先生にぜひお聞きしたいことがあって。平成9年に起きた「東電OL殺人事件」。慶應女子校、慶應大学を卒業して東京電力に勤めるエリート女性が、夜な夜な渋谷の円山町のホテル街に立ち、二千円、三千円で日雇い労働者やホームレスの男たちに身体をたたき売る日々の果てに、安アパートの一室で殺された。ロングヘアのかつらをかぶり、口紅のはみ出したどぎつい化粧、異様な姿で街角に立ち、路地裏、駐車場、ところ構わず体を開き、帰りの電車でセブンイレブンのおでんを汁までごくごく飲みほしていたという彼女の“すさまじさ”は、いったい何なのか。
春日 おそらく、彼女にとって売春というのは、安定したエリートであっても何ひとつ興味や楽しみを見出せない鬱屈した自分自身への挑発だったんじゃないでしょうか。「こんなあさましいことをする度胸がある?」「ここまで見苦しく自分をさらけ出す勇気がある?」という自虐的な挑戦を次々に突きつけ、それを実現していくうちに、歪んだ快楽、的外れな愉悦、2つの顔を持つスリル、誰もマネできない優越感みたいな逸脱した感情が生み出されていった。その一つ一つの感情要素が惑星直列のように得体の知れない精神の構図を作り出してしまったのではないか。だから、女性としては断片的には納得できたり共感できる部はあるけれど、全体としては不可解、ということになりますよね。
編た 人間誰しも、自分はこうなりたい、こうありたいという願望があって、でもそうなれない自分がいる。認めたくなくても認めざる得ない「壁」にぶつかったときの失望、挫折、絶望を何でまかなうかが、正常と異常の境界線のような気がするんです。
春日 人が狂う根底には「無力感」があるように思います。劣等感やトラウマや色んな要素はあっても、その根本は「無力感」じゃないかと。それを乗り越えるか、ごまかすか、居直るか、閉じこもるか、という「無力感」の処し方にその人間のパーソナリティが現れる。そして「無力感」が根底にあるがために人間はものごとの本質を微妙にすり替えるスキルを発達させ、ときに自分自身を想像がつかないところへ連れて行ってしまう。たとえば、ビルの屋上から飛び降りて死のうという人がいるとします。本質的には「死ぬか生きるか」という問題がいつのまにか「おれは飛び降りる勇気があるか否か」というテーマにすり替わってしまっている。ゆえに、本当は死にたくなかったとしても命がけで飛び降りを決行してしまうのが、ヒトの心の「不可解さ」なんですね。
編た 自分がダメだとなったときに、もっともらしい理由をくっつけてダメな自分を肯定する。その「すり替え」の心理は、日常的に思い当たります(笑)。
でも、あの東電OLの場合、2千円で体を叩き売ってまで克服したかった「無力感」とは何だったのか…。
春日 恐らく彼女なりに頑張って、優秀な父親の望み通りのエリートコースを歩んできたんだろうけど、彼女の中に「本当はそうじゃない自分」みたいな割り切れないものがあったとすると、それを何かで帳尻あわせなきゃならない。そのときに恐らく彼女としては、あえてろくでもないことをやると。それはもしかすると、父親に対する意趣返しみたいなものかもしれないし、それから、自分がエリートと思いつつ、背徳なことをやるというのは、屈折した喜びというのがありそうな気はするよね。
編た 超エリートのお偉いさんたちに囲まれた昼の自分と社会の底を生きて来たような労働者に体を売る夜の自分。その落差が激しければ激しいほど、背徳的な悦び、快楽は異常な盛り上がりを見せるもんじゃないかと、やたら想像してしまうわけです(苦笑)。その悦びを知っている彼女にとってみれば、世の中の女たちは「哀れなメス」だったんじゃないかと。
春日 同僚のエリート女性を見渡して、「あんたたち、ここまでできる?」みたいな優越感はあったでしょうね。
編た 「墜ちていくわたし」であっても、そこに自己反省や自己嫌悪はまったくなく、「世間の取り澄ました女にはできないことをやっている」みたいな優越感に浸る心理の底には、自分は他の女とは違う、自分だけが禁断の果実を手にしているという妄想・ファンタジー願望があるのではないかと。福田和子とか林真須美とか世に言う悪女的犯罪者の自伝を読むと、いじらしい女のつま先立ちみたいなよろめいたことを抜かし上げたかと思えば、妙に勝ち誇った目線で自分を正当化する支離滅裂な自分語りが目につきます。自分は美人でもお嬢さんでも何でもないただのダメな女。でも男っていうのは、わたしみたいなダメな女が好きなのよ、とか(苦笑)。
春日 「堕ちる」というのは、結構気持ちのいいことなんですよね(苦笑)。事態がシンプルになりますから。現実が単純明快になるというのは、何しろ、ややこしい気配りや配慮ばかりを強要される人間関係、他人の眼や常識に囚われた世の中で生きている自分たちにとっては、ある意味、魅惑の世界だといえます。そして、堕落していくことによって、親や友人を動揺させ、失望させ、人の心を「あざとく」コントロールすることができる。これは全能感につながります。ヒトの心には、堕ちれば堕ちるほど「せいせいする」という向きが確かにあります。しかもその刃先は自分に向いているものの、自分の中で抑えられない攻撃性を発散できるわけですからカタルシスが伴う。
編た 何かで他人に勝ちたい、優越感を得たい、全身で絶頂感を感じたいという欲求は、それこそ芸術、音楽、アートもそうだし、そこまで高尚じゃなくとも、ファッションや買い物やグルメやエステや、色んな形で代替えできるわけですよね。ただ、「欲求」のボルテージが代替え品では間に合わない本格レベルに達したときに、それがどう出るか。その表現方法が東電OLの場合、ものすごかったとしか思えない。
春日 たとえそれがどんなに“ひとり相撲”であっても、本人は墜ちることによって屈折した優越感、爽快感が得られます。この人の場合は、心に渦巻く不満要素が惑星直列みたいにダーッと重なって、凄まじくいびつな形で現れてしまった。でもそれはある意味、自然の異常現象に近い。なぜなら、この女性と似たような性癖の人はいっぱいいても、ここまでの事件はめったに起きないわけですから
編た 一歩間違えたら正気の沙汰ではない欲求や感情というものを人間は潜在的に持っていて、それが何かのタガが外れて出てしまった。そういう狂いの構造は誰の心にもあるというような話はメディア的にはあまり語られません。心が寂しかったとか、愛情を注ぐ人がいれば救われたんじゃないかみたいな、自分たちが理解しやすい文脈で語りたがる。
春日 それこそ、彼女のような精神の人はね、半端な優しさなんかはバカにされたって思うでしょう。こんなヤツらに同情されるなんて「自分はまだまだ堕ち足りない」と、余計に悩むでしょうし。たぶん彼女が一番欲しているのは「やさしさ」じゃなく「嫉妬される」とか、そっちのほうだよね。
編た まさにわたしも、そっちだと思います。だから、どうにも救われない、いたたまれない思いをずっと引きずってしまいます。なぜか(苦笑)。
春日 つらい人生だよね。親や家庭、自分の生育史の中で、そういう歪んだ優越感や爽快感を目の当たりにしたり、味あわされた経験があると、「堕ちる」ということにそれほど躊躇しなくなるんでしょうね。それが正しかろうが間違っていようが、美しかろうが汚れていようが、ドラマチックなほど歓びを感じてしまうのが人間の心の不可思議さだと思います。
撮影/岡崎健志
007 精神科医 春日武彦さん Interview
第1回 堕ちてこその優越感とは。 2011年3月20日更新
第2回 家庭に潜む狂気、本能というまやかし。 2011年3月27日更新
第3回 精神科医による妥協的幸福の処方箋。 2011年4月3日更新
第4回 精神の叫びをしずめる言葉。 2011年4月10日更新

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1件のコメント

何年も、何年もかかってこの人にたどり着いた。この人の話しをきちんと聴きたいと思う。

by りん - 2012/05/23 2:43 AM

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精神科医 春日武彦さん スペシャルインタビュー (第1回)






かすが・たけひこ
1951年京都生まれ。日本医科大学卒業。医学博士。産婦人科医を経て精神科医に。都立中部総合精神保健福祉センター、都立松沢病院部長、都立墨東病院精神科部長などを経て、現在成仁病院に勤務。著書に『不幸になるたがる人たち』(文春新書)、『幸福論』(講談社現代新書)、『精神科医は腹の底で何を考えているか』(幻冬舎新書)、『臨床の詩学』(医学書院)など多数。

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