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精神科医 春日武彦さん スペシャルインタビュー (第3回)

第3回 精神科医による妥協的幸福の処方箋。

編集部多川(編た) 誰もが幸せになりたいし、不幸になりたい人はいないとはいえ、世の中にはどう見ても自分から不幸な方へ不幸な方へ突き進んでいるようにしか見えない人もいるわけです。現状の不幸を打開して乗り越えていくことより、このまま何もしないでいる方が幸せと思う心の向きもあって、そういう人を自分たちが思う「幸せ」の向きに変えることはムリなのではないかという疑問が浮かぶのですが、どうでしょうか。
春日 自分たちを基準にしちゃダメだよね。この不幸を乗り越えるために今の暮らしを捨ててイチから出直す覚悟や根性の持てる人は滅多にいないですよ。僕のところに、夫がアル中で働かずひどい暴力を受けている女性が相談にくるとします。アル中というのは、本人が酒をやめようと思わない限りは絶対に治りません。病院に強制入院させれば、その間は酒を飲めないけれど退院した瞬間飲むに決まっているものなんです。家庭内で「酒」を遠ざける対応策など色んな試みをアドバイスすることはできますが、アル中の夫の問題解決には年単位の時間と忍耐と努力が必要です。
編た ということは、そこまで覚悟していられるか、そうでなければ別れるしかない話ですよね。
春日 これは僕の個人的な意見ですけど、さっさと離婚した方がいいでしょうね。今だったらまだ再婚も可能だから、人生やり直した方がいいよとアドバイスすると大抵の方は「私もそう思っていました。うちに帰ってもう1度よく考えてみます」と帰って行く。でも、そう言って離婚した人は誰もいません。つまり離婚するとなるとアル中の旦那にそれを告げなければならないし、いざハンコをつかせるまでに一悶着ありますよね。さらに、子どもはどうする、マンションは? 遺産相続は? 専業主婦だと職も探さないといけない。これからやらなければならないことが山ほど出てくるわけです。それを考えるとめんどくさい。
編た アル中のDV夫でも、酒を飲んでいないときは結構やさしかったりすると「ま、いいか」となるのが自然な気持ちの流れで、その方がラクといえばラク。別れるのは流れに逆らうことだから、そっちの方が根性も馬力もいる。だいたい夫婦関係の問題や子どもがどうしたみたいな家庭の悩みって、他人がいくら解決策をアドバイスをしても聞く人はまずいない。「できない」理由だけはやたら細かく具体的に出てくるけど(苦笑)。
春日 そう、そこだけは逆らうんだよね(苦笑)。べつに逆らってもいいんだけど、医者としては「じゃ、勝手にしろ」とは言えないからね。人間というのは不幸慣れしてくるから、今の状況を変えるために奮起して行動するのは、実にめんどくさい作業なんです。現状を変化させるほどのパワーはないけど、今の不幸に対する耐性は鍛えられてるから。苦しい、悲しい、助けてほしい、でもそういう生活が何が何でもイヤなわけではない。
編た ひきこもりとかニートとか子どものことで悩む親に、「いい年齢になった子どもをいつまでも家に住まわせてないで、放り出せ」と言ったところで絶対にそうはしない。それも「悩み」に対する慣れなんでしょうか(苦笑)。
春日 現状維持の口実がほしいだけなんでしょうね(苦笑)。現状維持というのは、時間の流れが止まることですから。時間が止まっている間は、そのままでいいわけです。僕は医師として、このままではダメな理由をちゃんと説明します。で、その覚悟が決まったらちゃんとお手伝いしますからと、道は残してオープンエンドにします。とはいえ、そこで「決めました」となる方はまずいないです。
編た でも、理解はされたい、共感してほしいわけですよね。
春日 そう。わかってほしい。でも、腰を上げるのはいや。DV・家庭内暴力というのは、いわゆる共依存ですよね。「わたしがいなかったら、この人はダメになる」という自分もその人がいないと「ダメ」なんだよね。そういうことを噛み砕いて説明しても、なかなか行動に移すまで至らない。精神科医の立場としては、できればその人が安心して新たな一歩を踏み出せるよう、まっとうな生活を建て直していけるようサポートしてあげたいわけですよ。でもそのためには今の生活を1度崩さないといけない。いわば、低値安定の「安定」の部分を解体して、不安定にしてから組み立て直して、高値安定にもっていくというのが人生をやり直す建設的な方法なんですよね。ただ、低値安定を崩した後の「不安定さ」に絶えられない人が大半です。
編た わかってるけどやらないめんどくささ、やらなきゃならないことを先送りに棚上げにする心理は、まさに自分がそうです(苦笑)。レンタルDVDとか「返さなきゃ」とわかっていてもズルズル延滞して、その延滞料を払うのがまた面倒で、ビデオ屋から督促の電報が届いたこともありますから(苦笑)。
春日 そう、ヒトってわりと低レベルの現状維持モードに陥りやすい。原稿も明日が締め切りなのに、なんでお前は今この本を読み始めるんだみたいな。
編た そうそう(笑)。パソコンに向かったまま関係ないサイトやブログを見て「やばい、やばい」といってる間に書けよっ!と。
春日 まあ、そういうルーズさが「味」の部分だと思っているから。
編た まさに味ですよね。だから自分も直そうなんてこれっぽっちも思ってない。
春日 そうすると、肯定できるでしょ。ダメな私も含めて自己肯定。やっぱりそうならないと生きるのはつら過ぎる。修行僧じゃないんだから。
編た 自分の中のイヤな部分や許せないところほど、「これこそ私」という自信があったりしますし(笑)。
春日 それが“なじみ”の部分だよね。アル中の旦那を持つ女性というのは、家系図を見ると、その父親もアル中という場合がほとんどなんですよ。アル中の親父を見て育ったわけだから「絶対に自分はそんな男はイヤだ!」と、お酒を飲む男性とはぜったい付き合わないみたいな路線で行くわけだけど、やっぱり酒を飲む男になじみがあるわけですよ。しかも人間、慣れている方がしっくりくるというか長く続くんですよ。それとここが重要なポイントで、アル中の旦那を更正させることで自分の人生に決着をつくような使命感を抱いてしまうんですよね。
編集部魚見(編う) 自分の中に妙な目標を立ててしまう。わかる気がします。
編た 成功のヒケツとか幸せの法則なんかの方がよっぽど単純明快ですよね。でも不幸というのは、掘れば掘るほど「なんでそうなるのか」ますますわからなくなる(笑)。
春日 サスペンスやミステリーみたいにあっと驚く「真実」が明らかになるなんてことは、現実にはまずない。ヒトの心というものに「まさか、そうだったのか!」なんてカタルシスが起きるような解決策なんてないですよ。
編う 人の幸せとはいったい何なのか、本当にわけがわからなくなってしまいました…。
春日 幸福には、2つの文脈があって、ひとつは平穏無事。若い時は平穏無事な人生なんてクソくらえ!と無頼な反抗心を抱くわけだけど、ある程度年をとると平穏無事ほど大切なものはないことをしみじみ思い知らされる。ひどい目に遭ったときに、あの退屈で平凡な日常がいかに素晴らしかったかと涙ぐむような「ありふれた幸せ」。そしてもうひとつは、ラッキー、最高!としか言えない、日常から突出した喜びに打ち震えるような素晴らしいことに遭遇すること。でも、この成功や受賞の喜びというものは、人によって感じ方に差があります。コンクールで2位でも嬉しい人もいれば、優勝できなければ意味がないと悔しがる人もいる。今日もごはんがおいしく炊けたと喜べる人もいれば、一億儲かっても文句しか出て来ない人もいるわけです。そういう意味で、患者の方に気づいてほしいのは、求めてめざす方の幸せじゃなく、「なんでもない日々のありがたさ」ですね。自分の境遇や身の丈に合った幸せを見出せたら、人生もうちょっとラクに生きられるはずだから。
編た 「まあオレみたいなもんの人生、この程度で上がれたら上等じゃないか」みたいな、人生の手応えをどこまで低く見積もれるか。そこに人間の幅を感じますよね。
春日 そうなんですよ。妥協点を見出せない人生はつらいですよ。妥協的幸福観というと、それこそショボく聞こえますが、ショボい日常に幸せを感じることほど人間らしい喜びはないはずなのにね。でも、僕のところに来るみんなを診ていると、どうしても一発大逆転を狙いたがるんだよね。やっぱりドラマチックな人生がいいみたいです。小説書いて賞をとるとか司法試験に合格するとか、めざす方の幸せを追い求める性というのは、どうもキツイですね。


撮影/岡崎健志
007 精神科医 春日武彦さん Interview
第1回 堕ちてこその優越感とは。 2011年3月20日更新
第2回 家庭に潜む狂気、本能というまやかし。 2011年3月27日更新
第3回 精神科医による妥協的幸福の処方箋。 2011年4月3日更新
第4回 精神の叫びをしずめる言葉。 2011年4月10日更新

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かすが・たけひこ
1951年京都生まれ。日本医科大学卒業。医学博士。産婦人科医を経て精神科医に。都立中部総合精神保健福祉センター、都立松沢病院部長、都立墨東病院精神科部長などを経て、現在成仁病院に勤務。著書に『不幸になりたがる人たち』(文春新書)、『幸福論』(講談社現代新書)、『精神科医は腹の底で何を考えているか』(幻冬舎新書)、『臨床の詩学』(医学書院)など多数。

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