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精神科医 春日武彦さん スペシャルインタビュー (第2回)

家庭に潜む狂気、本能というまやかし。

編集部多川(編た) 一般的な外科や内科の場合、「治る」というゴールがありますよね。でも、精神科の場合、「治る」ということはあり得るものなんでしょうか? たとえば、「人は変われる」「愛があれば人は救われる」といっても、その人の性質や性格は変わらない。その現れ方が多少マシになる程度というのが自分の持論なんですが・・・(苦笑)。
春日 僕個人は、変われるとはあまり思っていませんね。ただ、変われなくても、もうちょっとうまく立ち回れることは可能になる。だから、投薬を続けることでそれなりの効果はあっても、根っこのところで「治る」というのは難しい。
精神科医としては、「まあ色々許せないこともあるだろうけど、もうちょっとうまくやれよ」という妥協点を患者と一緒に見出していくしかない。迷惑かけずに自分でもイライラせずに、そういう方法を考えればいいじゃんっという感じになりますね。
編集部魚見(編う) 妥協点を見出してあげることが、治療なんですか?
春日 そう。とくにパーソナリティー障害の患者の場合、あんまり薬を出すとまとめて飲んでしまったり、インターネットで売ったり、危険が多いわけですよ。となると残る治療法はカウンセリング、ひたすらその患者自身の中からわき出てくる「ドラマチックな話」を聞いてあげるしかない。誰かに話さないと気が済まない話を、気が済むまで吐き出させてあげるのもひとつの治療。
編た そういう患者の方の話って、何か共通する傾向はあるんですか?
春日 たとえばある男性のケースだと、道で2人の女子高生とすれ違いざまに笑われたと。で、その男性は「あの女子高生は俺をバカにして笑ったんだろうか、それとも俺の気を引くために笑い声をあげたんだろうか」と、延々悩み続けているわけです。別にそう思うことはいいんだけど、普通は「自分みたいな中年のおじさんに女子高生がなびくわけないじゃないか」と、常識的にわかることでしょ? でも、そういうあたりまえのことがわかっていない。精神科に来る人々が意外にわかっていないのが、「普通の人はどう考えるか」ということなんです。
編た 一般的な物事のとらえ方や考えの落としどころは、誰に教えてもらったわけでもなく、自然に身についたとしかいいようがない。人が何をどう考えるかがまったく見当外れというのは、それこそ一般的な想像力が欠落しているんでしょうね。
春日 これは内田樹さんに教わったんだけど、まっとうな核家族というのは、日本の家族のカタチではないんだと。平川克美さんも話されてましたよね。家族というコミュニティが社会とつながるための大事なパイプ役が「おじさん」、「おばさん」。つまり、今の核家族はミニマムが両親と子どもひとりですよね。そうすると、親子のガチ対決になる。小さいうちは親が勝っている、そのうち子どもが大きくなると、子どもが支配してくる。どっちにしろ、もろ対決。ところが叔父や叔母という第三者がそこに加わると、親父が偉そうなことを言っても、「お前の小さいときと一緒じゃねえか」とか余計な横やりを入れてきたり。何しろ叔父や叔母というのは無責任だから、教育上良くないことや、よくない場所でも平気で連れていってくれたりね(笑)。
編た 確かに自分を思い返しても、叔父や叔母のキャラクターというのはかなり強烈な印象で残っていて、いい意味でも悪い意味でも「世間」というものを教えてくれた気がします。ほんまに困ったときにはアテにできない、悪くなったら「ほれ見たことか」、上がろうとすれば足を引っ張るみたいな世間の現実というものをことあるごとに知らしめてくれた貴重な存在でした(笑)。
春日 そうなんだよね。そういう叔父・叔母の存在を間に置くことで、自分の家と世の中を相対化できるし、ガス抜きにもなるわけ。今の家庭はそれこそ密閉状態で、しかも親と子だって個と個の関係性でしょ。親子のコミュニケーションとか、そんなことことさら考えなくても自然にあったわけだよね。でも実はわれわれは、そういう個人の自由やプライバシーをずっと求めていたわけだよね。そして今は、僕らが子どもの頃に望んでいたライフスタイルは全部実現しているわけですよ。なのに余計に世の中ひどくなったし、うつや精神の病を抱える人々が増えた。とはいえ、昭和30年代に戻りたいとは全然思わないけど(苦笑)。
編た わたしも昔から「なんでうちは普通じゃないのか」と自分の家と一般的な家庭とのズレを感じてきた方なんですが、でもそういう「違い」や「ギャップ」がおいしいネタというか何というか・・・。
春日 そう、昔から俺の家ではすき焼きっていわれていたのが、外に出たら「肉じゃが」だったことが判明したとか、みんな大抵そういう持ちネタを持ってたりしますよね。でも、モンスターペアレントとかは、笑えない次元。完全に常識がズレているのに、その家庭内では意見が一致しているわけでしょ。精神科の治療では、そういう特異なズレ方をした家庭環境を目の当たりにすることが非常に多いです。
編う たとえば、どういう?
春日 僕が精神保健福祉センターに勤めていたときに、何より驚かされたのは、日本でも近親相姦が少なくない。加害者が義父や父親で被害者が娘というケースとか。ただ、僕が不思議でならなかったのは、被害者の娘が高校生ほどの年齢に達しているのに、なぜ先生や身近な人に助けを求めたり、逃げようとしないのか、理解できなかった。でも、よくよく考えれば、小さい頃からそういう目に遭わされ続けていたら、それが当たり前だと受け入れてしまうんだよ。ある種、洗脳に近い精神状態といえるかもしれない。
編う イヤじゃないんでしょうか?
春日 イヤだというのは、ほかと比べるからイヤなわけでしょ。小さいときからそういうふうにさせられていたら、それが正しいだと思わされたら、そういうものだと思うよりほか思いようがないんじゃないかな。
編た 桜庭一樹の小説「私の男」も、養父と娘の近親相姦を題材にした物語で、その娘にしたら、それがどんなにイヤなことであってもいつしかそれがお父さんと2人だけの濃密な時間として自分の中に染みついてしまっているわけです。世間の善悪とか道徳観とかそれこそ生理的な嫌悪感とか、そういうものは「開かれた世界」のつながりや人との関係性があって初めて認知できるものなんじゃないかと・・・。
春日 そういう場合によく持ち出される「本能」という言葉。ぼくは、この「本能」というのが相当いい加減に思えるんだよね。だって「食べる」ことすら、悲しいことや落ち込むことがあると、食べる気がしなくなるわけでしょ。あるいは、ストレスや欲求不満だと空腹でもないのにずっと食べ続けたり。ということは「本能」なんてものは、その時々の気分や心境でどうにでも転ぶ信用ならないものなんだよね。おそらく、それって人として進むベクトルはこうですよという方向指示器みたいなものじゃないかと。でもハンドルを握ってるのは自分だから、違った方向でもOKなんだよね。
編た 世のタブーと言われることを犯したいのが人間の本能といえばそうなんじゃないかと思う節もありますよね。でも、世の中として、そういう辛抱たまらん掟破りばかりだと統制がとれないから、「本能」という習性を植えつけられているだけなのかも・・・(苦笑)。


撮影/岡崎健志
007 精神科医 春日武彦さん Interview
第1回 堕ちてこその優越感とは。 2011年3月20日更新
第2回 家庭に潜む狂気、本能というまやかし。 2011年3月27日更新
第3回 精神科医による妥協的幸福の処方箋。 2011年4月3日更新
第4回 精神の叫びをしずめる言葉。 2011年4月10日更新

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2件のコメント

 それ最近気づいた。たしかに「本能、野生」と言ってるところのニュアンスを覗いて見れば「人間的」なものですね。弱肉強食ってのも、野性的というより人間的だね。動物くらい規律のある行動が出来れば人だって幸せになれるのに、最近は、ほんと、だらしのない人が増えたよな。

by 北風 - 2012/02/19 11:51 PM

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by gutar.out - 2014/05/07 4:28 PM

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コメント

精神科医 春日武彦さん スペシャルインタビュー (第2回)






かすが・たけひこ
1951年京都生まれ。日本医科大学卒業。医学博士。産婦人科医を経て精神科医に。都立中部総合精神保健福祉センター、都立松沢病院部長、都立墨東病院精神科部長などを経て、現在成仁病院に勤務。著書に『不幸になるたがる人たち』(文春新書)、『幸福論』(講談社現代新書)、『精神科医は腹の底で何を考えているか』(幻冬舎新書)、『臨床の詩学』(医学書院)など多数。

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