salitoté(さりとて) 歩きながら考える、大人の道草ウェブマガジン

サンディーさんスペシャルインタビュー「ありがとうって、自分を感謝の方向にむけていると、すべてがその方向に動いていく」 第4回

■私は夜眠る瞬間に一度死んで、翌朝また生まれ変わるんです


「実は私、2年前に大病を患ったんですよ。そのとき思いました。私にはまだやり残していることがいっぱいあるから、病気に打ち勝つことができるはず。私は独自に開発した呼吸法を実践して、体を浄化することに努めました。簡単に説明すると、息を吐き出したときに私はいったんこの世から消えるんです。そして吸い込むときは新しい自分に生まれ変わる。これを毎日続けていると、全身の細胞が喜んでいるのがわかってくるんですよ。それは想像かもしれないけれど、まずは思うことが大事。なんでもないと思うことから、“なんでもない”が始まるんです(笑)」


結果、サンディーは病を克服。医者も驚くほどの回復を見せ、健康な体を取り戻した。だが、変わったのは体だけじゃなかった。


「私は今、一日を一生だと思って暮らしています。つまり、夜眠る瞬間に一度死んで、翌朝また生まれ変わるんです。だから、私はベッドに入る前に、前世の感謝をし、来世(明日)はどんな自分になりたいかを想像をしています」


「残された時間はボーナス」、そんな意識をもったことにより、サンディーは“生きる”ことがうんと楽しくなったという。


「私が生かされている理由は、今、目の前にいると人たちといっしょに、何かすてきなものを作り出すため。そんなふうに考えるようになったら、出会う人がみんな大切な人に思えてきたの。今日もここにいるみんなをハグしちゃいたいぐらい(笑)」





ドキッとした。憧れのサンディーに突然抱きしめられたら、僕は卒倒してしまうだろう。そんな気持ちをよそに、サンディーは話を続けた。


「私、世の中はオーケストラだと思うの。一人ひとりに役割があり、それぞれの意味がある。たとえ不協和音でもそれはアバンギャルドとして必要な音だったりする。忘れちゃいけないことは、私たちはみんな地球や宇宙の一部であり、つながっているということ。ハワイと日本だって、離れているように思えるけど、海底を歩けばつながっている(笑)。そんなヴィジョンを持てば、争いごともなくなり、世の中はもっとステキになるんじゃないかなあ」


サンディーはいつも笑顔を絶やさない。


「私が自らを幸せに導けるようになったのは、笑顔なんです。ある学者さんが言っていて、なるほどと思ったんですけど、自律神経の中枢センターは間脳と呼ばれる脳の一部にあり、ここから出された命令が経絡(けいらく)を通って全身に行き渡っている。で、ここからが面白いのですが、その間脳は“ある場所”から命令を受けているらしいのです。私は宇宙からの指令かなと思ったんですけど、どうやら違う(笑)。それは顔面の筋肉だというんです」


サンディーは親指と人差し指で作った輪をつくり、頬の肉をつまみ上げた。


「ほら、たこ焼きみたいでしょ。この筋肉を使って口角を上げると、そこから脳の中枢センターにユーフォリア(幸福感)の信号が届いて、人間は“幸せ”を感じるんです。反対に、しかめっ面をしていると、中枢センターには“不幸せ”だという信号が届き、全身の血管が締めつけられてエナジーがブロックされてしまう。それがすべての病気の原因になるんです。そのことに気づいてから、私は毎朝120秒間、鏡の前で笑うようにしています。今日もよろしくねって自分にあいさつをするように……」


いつも笑っていられるために大切なこと。それは、前向きな想像力だとサンディーは言う。


「私たちが次にいつ会えるかなんて保証はないし、約束をしてもそれが絶対にかなうとはかぎらない。でも、また楽しく会えることを想像すると、それは想いが現実を引き寄せる訓練になるんです。反対に、悪いことを想像して、ネガティヴな言葉を吐いてしまうと、物事は悪いほうにしか進みません。ウニキ・クム・フラになる前、私はホオパア(チャンター)になるための修業を積みました。そのときに学んだのは、“自分の言葉に責任をもつ”ということ。ポリネシア人は文字を使わない民族だったから、言葉の響きがすべてでした。昔のハワイの人たちはポジティヴな言霊の力を信じていたんです。」

■私は何も拒まない。どんな経験もプラスに変えられるはずだから……


ふと時計を見たら2時間が経過していた。そろそろインタヴューを切り上げて、撮影を始めなければならない。僕はサンディーになんとか想いを伝えたくて、十代の頃に聴いた「ジミー・マック」の思い出を語った。
同曲が収録されているアルバム『スネークマン・ショー』にはシーナ&ザ・ロケッツの「レモンティー」も入っていた。サンディーとシーナは、タイプが異なるシンガーだが、僕の中では一つのイメージでつながっていた。


「そうなんだあ!(笑)。シーナも私もYENレーベル(1980年代初頭のニューウェイヴを代表するレーベル)に在籍していた、細野さんの門下生。だから特別なつながりを感じているの」


数年前、サンディーは民放のあるテレビ番組に出演した。フラを伝えるきっかけになればと思って出演を快諾したが、実際は「あの人は今……」のような低俗な興味をあおる番組で、サンディーは少なからず傷ついたという。


「でもね、あとで鮎川君(シーナ&ザ・ロケッツのギタリストで、シーナの夫)から聞いた話なんだけど、闘病中のシーナがたまたまこの番組を見て、“サンディー~”って私の名前を呼んでくれたんだって。ほとんど体を動かせないのに、身を乗り出して……」


サンディーの目に大粒の涙があふれた。


「私はシーナのお見舞いに行けなかったけど、シーナと私はテレビを通して会えたわけ……。そのときにも私は思ったの。やることには全部ポジティヴな意味が隠されていて、私に与えられたプレゼントなんだって……。だから私は何も拒まないことにしたの。なぜなら、どんな経験もプラスに変えられるはずだから……」


インタヴューの最後に、サンディーは読者へのメッセージとして、こんな歌を聞かせてくれた。


ステキな人生求めるならば
あなたがステキになるしかない



サンディーブンブン名義のアルバム『Kabira – 花ビラ』(2009年)に収録されている、「PAYAKA」というオリジナル曲である(サンディーブンブンは、サンディーがカリンバ奏者のBUNと組んだユニット)。


「一人でも多くの人が、自分自身の輝きに気づいて、周りを明るくできる存在でありますように、心からの愛をこめて……。今日は本当にありがとう」


別れ際、「ハグしましょ」と両手を広げたサンディー。僕は勇気を出してサンディーの背中に腕を回したはずだが、この瞬間の出来事はあまりよくおぼえていない。
聞きたいことはたくさんあった。聞きたいことの半分も聞けなかった気もするし、期待以上の言葉をもらったような気もする。
うちに帰ると、僕はサンディーのアルバムに久しぶりに針を落とした。ジミー・マックは初めて聴いたときと同じ興奮を味わわせてくれた。






『HULA DUB』Live Tourの詳細はこちらから!


聞き手・文/村瀬航太 撮影/岡崎健志


HULA DUB
HULA DUB
Sandii
有限会社マナパシフィカ
3,000円(税込)
Dennis Bovell プロデュースの最新アルバムが2018年3月14日にリリース!
HULAマスター Sandiiが歌い、DUBマスター Dennis Bovell がプロデュース!!!1980年にロンドンで交わした約束が37年後に実を結び、ここに新たなるラヴァーズ・ロック・アルバムが誕生いたしました。元サンセッツの井ノ浦英雄やケニー井上に加えてDennisも演奏参加。さらに、こだま和文、ランキン・タクシー、リトルテンポなど日本のレゲエ/ダブ・シーンを作り動かす20名を超えるミュージシャンたちが結集してこのアルバムに渾身の力を与えました。アーティストSandii渾身の1作です。


ご意見・ご感想など、下記よりお気軽にお寄せ下さい。

1件のコメント

RCからいろんな音楽を聞くようになり、sandiiも私の人生に深く染み渡っている音楽です。今もフツーに舞台に出て伸びやかに歌って、(すごーくかっこ良く!)いついつまでもフラを踊っていた美しい彼女を思い出すことができます。インタビューをしてくれてありがとうございます。

by なおこ - 2019/08/25 6:22 AM

コメントする ※すべて必須項目です。投稿されたコメントは運営者の承認後に公開されます。


コメント

サンディーさんスペシャルインタビュー「ありがとうって、自分を感謝の方向にむけていると、すべてがその方向に動いていく」 第4回




バックナンバー