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サンディーさんスペシャルインタビュー「ありがとうって、自分を感謝の方向にむけていると、すべてがその方向に動いていく」 第2回

■音楽も踊りも、その場所に行って体験をしてみないとわからない


ハワイ育ちのサンディーにとって、一番つらいのは日本の冬の寒さだった。


「私は寒さが大の苦手。点滴をしたり、ニンニク注射を打たないと、本当に倒れちゃうんです(笑)。それならば、冬は日本を離れて、暖かいところで過ごそう。せっかくなら音楽を勉強できる環境がいいということで、西海岸に渡ってカリフォルニアへ。ポンコツ車を借りてルート66をドライブし、アメリカ各地を旅しました」


なかでもとくに足繁く通った街が、ジャズの発祥地、ニューオリンズだった。サンディーはこの街で開催されるマルディグラのパレードに魅了された。


「パレードではフロート(パレードの山車)にのった人が観光客にビーズのネックレスなどを投げ渡すんですけど、私が腰を振って踊っていたらみなが私に向かって投げつけるんですよ(笑)」


マルディグラはもともと、フランス人入植者が広めたキリスト教の風習だったが、現在は宗教色が薄れて、ストリートパレードとして発展。ニューオリンズで開催されるマルディグラは、リオのカーニヴァルに並ぶ祝祭として世界中に知られている。


「私が大好きなニューオリンズのアーティスト、ネヴィル・ブラザーズやプロフェッサー・ロングヘア、ドクター・ジョンなどのライヴに足を運んでいたら、新しい情報が入ってきたんです。ニューオリンズには白人中心のパレードとは別に、ブラック・インディアンによるパレードがあるんだって……」


奴隷貿易の拠点として栄えたニューオリンズには、ブラック・インディアン(マルディグラ・インディアン)と呼ばれる人たちがいた。彼らはアメリカの先住民であるインディアンと、アフリカから連れてこられた黒人奴隷とのいわゆる混血。白人支配者から逃げ出した黒人奴隷が、インディアンの集落にかくまわれているうちに、文化の融合が始まったとも説明されている。
マルディグラでは、そんなブラック・インディアンの血を引く者たちが、インディアンの衣装を身にまとって、部族ごとに集結。太鼓やカウベルなどを叩きながら、呪文のような言葉を唱えて裏通りを練り歩く。
そんな情報を得たサンディーは、前日の夜から彼らの練習場所の前に車を停め、登場の瞬間を待ちかまえた。


「ただならぬ気配を感じて目を覚ましたら、扉がばっと開いて、真っ赤な羽をつけた人が飛び出してきたんです。私はまるで魔法をかけられたように、6時間くらい飲まず食わずで彼らのあとを追い続けました」


サンディーは、数年間、毎年のようにマルディグラに参加。“セカンド・ライン”と呼ばれるビートを、体の奥に染みわたらせた。


「やっぱりその場所に行って体験をしてみないとわからない。音楽も踊りも、現地で起きるマジックと、自分の魂をすり合わせて、“土地を味わう”ことをしないと、うわべの憧れだけで終わっちゃうと思います」




■まさにDream come true! 37年後、私たちは約束を実現させた


最新アルバムを手がけたデニス・ボヴェルへのラヴコールは、前述の初ソロアルバム『イーティン・プレジャー』をレコーディングしていた1980年頃に始まる。
当時、デニスが制作した「シリー・ゲームス」(1979年)が大ヒット。ジャネット・ケイが歌った同曲は、全英シングルチャート2位を記録し、“ラヴァーズ・ロック”というレゲエミュージックの一ジャンルを定着させた。


「私はこの歌が本当に大好きで、最初のソロアルバムでも歌いたかったんだけど、プロデューサーの細野さんが“ヒットしたばかりの新しい曲だから絶対にダメ”って(笑)。その代わり、高橋幸宏さんが“ドリップ・ドライ・アイズ”というすてきな曲を書いてくださいました」


デニスとサンディーをつなぐキーパーソンは、YMOのもう一人のメンバー、坂本龍一だった。アルバム『イーティン・プレジャー』は、イギリスでリリースされるよりも前に、“Check this girl!(この子を聴いてみて!)”という強力な推薦の言葉とともに、坂本の手からデニスに渡っていた。
“ダブ・マスター“という異名をもつデニスの心をとらえたのは、アルバムの中でも異色のダブ・サウンドをもつ「ドリップ・ドライ・アイズ」だった。



アルバム『Eating Pleasure(イーティン・プレジャー)』
左側がオリジナルジャケット、右側が改定ジャケット。
サンディーさんのディスコグラフィーはこちら


ここでダブという音楽について、ごく簡単に説明したい。
ダブとは、レゲエのリズムを強調して、リバーブ(残響)などのエフェクト処理を施した音楽のこと。デニス・ボヴェルは、詩人のリントン・クウェシ・ジョンソンによるダブ・ポエトリー・アルバムを制作するなど、ダブの発展に貢献し、世界に広めたアーティスト/プロデューサーの一人として知られている。


「ちょうどその時、ロンドンの小さいクラブで、マトゥンビ(デニスが結成したレゲエ・バンド)のステージを観たんです。ダブのライヴ演奏を聴いて驚きましたね。スタジオでは機械的に処理するサウンドを、人間の力で再現していたんですから(笑)」


サンディーは、マトゥンビのアルバムを持ってデニスの楽屋へ行った。


「サインをいただいて、日本のシンガーだと自己紹介したら、突然デニスが“ドリップ・ドライ・アイズ”を歌い出したんです。まだ、レコードが発売されていないのにですよ(笑)」


デニスはサンディーを自分のスタジオに招待し、彼女の歌声を、「Something in your voice has a magic!」と絶賛。将来のレコード制作を約束し、「シリー・ゲームス」のオケ(伴奏)を貸し出す許可も与えた。
しかし、当時の音楽業界はアーティストに自由が与えられていなくて、当人同士の約束で物事が進むことはなかった。


「でも運命って否定できないものなんですよね。37年後、私たちはレコーディングを実現させたんですから……」





きっかけは、デニスが息子のように可愛がっていたPJ(日本のレゲエ・シンガー/ドラマー)。彼と共演するためにデニスが来日したときだった。


「開口一番、デニスは私に言いました。“サンディー、そろそろ本物が出て、やる時代だよ”って。うれしかったですね。まさにDream come true! デニスが約束をおぼえていてくれたこともそうだけど、私を本物だと認めてくれたことに感激しました」


2人のスケジュールが合わず、レコーディングを開始するまでにはさらに時間はかかったが、2018年、ニューアルバムは完成した。タイトルは『HULA DUB』。レコーディングには、元サンセッツのケニー井上(ギター)や井ノ浦英雄(ドラムス)に加えて、デニス・ボヴェルやPJ、さらに元MUTE BEATのこだま和文(トランペット)、ランキン・タクシー、LITTLE TEMPOなど日本のレゲエ/ダブミュージシャンたちも多数参加した。



『HULA DUB』Live Tourの詳細はこちらから!


聞き手・文/村瀬航太 撮影/岡崎健志


HULA DUB
HULA DUB
Sandii
有限会社マナパシフィカ
3,000円(税込)
Dennis Bovell プロデュースの最新アルバムが2018年3月14日にリリース!
HULAマスター Sandiiが歌い、DUBマスター Dennis Bovell がプロデュース!!!1980年にロンドンで交わした約束が37年後に実を結び、ここに新たなるラヴァーズ・ロック・アルバムが誕生いたしました。元サンセッツの井ノ浦英雄やケニー井上に加えてDennisも演奏参加。さらに、こだま和文、ランキン・タクシー、リトルテンポなど日本のレゲエ/ダブ・シーンを作り動かす20名を超えるミュージシャンたちが結集してこのアルバムに渾身の力を与えました。アーティストSandii渾身の1作です。


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