salitoté(さりとて) 歩きながら考える、大人の道草ウェブマガジン

社会学者 宮台真司さん スペシャルインタビュー (第1回目)

第1回 なぜ日本は変われないのか

社会学者・宮台真司さんの著書の中で、わたしがもっとも影響を受けた一冊「終わりなき日常を生きろ」。そこには「さまよえる良心」と「終わりなき日常」という2つのキーワードが語られている。いわば、それは、80年代半ばから今日まで延々と続く「漠然とした不安」という日本社会の克服しがたい病理のようでもある。今から13年前に書かれたこの本で、宮台さんはすでに「システムに依存して生きることの危うさと愚かさ」を暗に予言している。—終わらない日常を生きるとは、スッキリしない世界を生きることだ。何がよいのか悪いのか自明ではない世界を生きることだー「終わりなき日常を生きろ」より抜粋)。原発、放射能、エネルギー、経済、生活・・・と、今、わたしたちはまさに何をどう考えるべきか自明ではないどころか、学者も政治家も専門家も誰も正しい答えなどわからない現実の渦中にいる。だからこそ今、聞いてみたい。わたしたち一人一人が持つべき「終わりなき日常を生きる知恵」とは何なのかを・・・。

※このインタビューは5月に行われたものです。

編集部多川 毎週金曜日のTBSラジオ(荒川強啓「デイキャッチ!」http://www.tbs.co.jp/radio/dc/)をいつも聴かせていただいます。以前、その番組の中で、『絆』についての宮台さんのお話しにとても共感させられたのですが、今回の東日本大震災を受け、地域の絆、共同体の絆がいかに重要であるかが指摘されています。社会学者の宮台さんの眼から見て、個々が支え合えるきずな社会を実現する上で、今の日本に決定的に欠けているものは何だと思われますか?
宮台 足りないのは、心の習慣でしょうね。ある社会的集団、民族を特徴づける倫理的な心の態度やふるまい、社会学的にいえば「エートス」。これは一朝一夕にどうこうしたり、修復できるものではないので基本的には処方箋はないですね。
ただ、個々人が自分はそういう社会に生きているということを前提に、自分で自分の心の習慣を変えることはできる。とはいえ、それはあくまで個人の問題ですので、日本社会の絆が深まるとか、昔の隣組のような運命共同体的な地縁ネットワークが再生されるとか、そういうことはたぶんもうないと思います。
それは僕の意見というより、社会学者としてはそう考えるしかないんですね。
多川 ニュースで知る限りなのですが、今回の東北被災地では、わたしたち都会の人間にとっては失われたと思っていた地域住民のつながりや自治体の底力を見たような気がしたのですが…どうでしょうか?
宮台 僕はまったく逆の印象ですね。というのは、被災地の避難所でも、個人で支え合う人間関係・つながりを持っている者と持たない者の格差を見せつけられました。たとえば、創価学会の避難所は物も潤沢だし、配給物資も公平に、順当にシェアできるしくみがある。だから取り合いになったり、殺伐とした対立なども起こりえない。それは教会などのコミュニティと同じで、たとえば欧米などはハリケーンや津波で被災しても行政や自治体は動かない。救援物資のディストリビューション(配給)をやるのは、教会なんです。
多川 なるほど・・・。常日頃の教会活動を通して、シェアする訓練というか、心の習慣が根づいているわけですね。
宮台 そう、教会活動を共にしている人たちは元々、シェアしている。私が身近に聞く限り、創価学会の避難所以外は物資の配給もスムーズにいかず、県道まで荷物は来ているのにそこから先に運ぶ人もしくみもない。だけど、こういう非常時には、行政に頼っていても何も動かないし、どうしようもない。その地域の共同体・コミュニティの中でリーダーシップを取る人が、差配して、さばいて、仕切るしかないんですよ。
多川 そういうリーダーがいないということなのか、そういう人が出てくる土壌がないということなのか・・・。
宮台 問題は、リーダーがいないことではなく、そういう人を支える共同体がないことにあると僕は思います。多くの人は行政のやり方がまずいから、物資や義援金がきちんと支給されないと思い込んでいる。
多川 ただ政府としては、「そこは自分たちでなんとかしてくれ」とは言えないじゃないですか(苦笑)。
宮台 そこは政府や国の問題でもないし、東電の問題でもないんですよね。平時に回るシステムは平時でなければ回らなくなる。それこそ「平時だから依存可能なんだ」という自覚を持つことが大事で、平時のシステムが機能しなくなったときの戦略がないとダメなんです。システムとは何かというと、国家、政府、あるいは行政、官僚なんだけど、どちらも頼り過ぎるとロクなことはない(苦笑)。自分たちの生存、生活を自分たち以外の手に委ねない、共同体としての自治発想。それはたとえばスローフードだったり、メディアリテラシー運動だったり、イタリア、カナダ、アメリカなどにはあるんだけど、日本の場合、先進国でそういう自治運動が展開していた80年代、まったく逆の方向、経済利益一辺倒だったわけ。大規模小売店舗法や農産物輸入自由化など、アメリカの要求に従って、政治も政策もひたすら儲かる方へ舵を切った。それは政府だけが悪いのではなく、そういう「利益優先」の与論を供給していた我々、消費者、生活者、国民の側にも責任はある。
多川 90年代のグローバル化の波に思いっきり乗ってしまったことも、今となっては反省材料なんでしょうか?
宮台 グローバル化によって浮上するのは新興国。従来先進国が得意としていた生産製造分野は、産業構造の改革によって新しい分野を開拓しなければ、どのみち新興国に追いつかれる。その理由は簡単に言えば、インドや中国の労働者と同じ市場で競い合うことになるから、賃金コストの差は歴然と利潤利率に表れる。つまり日本企業が従来の産業分野で生き残るということは「一将功成りて万骨枯る」、企業は生き残って、人々は疲弊するということ。
多川 路線変更できなかった不幸ってことですか?
宮台 そうですね、残念だけど。政府やシステムに依存して得られた便利で快適な生活は、個人の人間に幸せをもたらすものではないということに僕らはもっと早く気づかなければならなかった。いわば原発の「安全神話」を支えていたのは誰かと言えば、皮肉なことに国民なんだよね。電力を電力会社から買う生活に何の疑問も抱かず当たり前と思っていた我々にも責任はある。
多川 危険であることは薄々感じつつも、目の前の安心、安全、便利、自分の生活を優先してきた自分はどうだったのかと・・・。
宮台 もっとも抽象的で奥深いところから言えば、いわゆる原子力村の幹部連中は、もはや原発エネルギーはクリーンでも安全でも効率的でも何でもないことをよく知っている。だって、原子力の資源となるウランの採掘、生成、濃縮、運搬、発電所の建設、さらに廃棄物の保管、再処理を考えれば、クリーンでもなんでもない。さらに、原発立地にかかる予算は「電源三法」によって特別会計に組み込まれ莫大な国家予算がつぎ込まれる。原発はもっとも経済効率の高いエネルギーだなんて大ウソ。現在の廃棄物だけではなく、将来にわたるものも含めて再処理するのにどのくらいコストがかかるのか、国家予算投入額がいくらなのか、そういうバックエンドコストがまったくカウントされていない。そういう不合理なからくりを原子力側のトップは知っているわけ。
多川 それでもやめられないのは、なぜなんでしょう・・・。
宮台 いまさらやめられないからですよ。それはかつての帝国陸海軍の日米対戦と同じ。総力戦研究所のシミュレーションで100%負けるという結果が出ているにもかかわらず、日本は結局開戦してしまう。なぜかというと、「いまさらやめられない」から。日本は、国家戦略も企業経営も、みな「やむにやまれぬ」メカニズムで動いている。たとえば、日本は「ものづくり大国」といわれてきたけど、今や自動車も液晶も、ほとんどの製造分野で韓国に抜かれている。なんでそうなるかと言うと、企業の中にも行政官僚制と同じメカニズムが浸透していて、画期的なイノベーションを提案する人間がいると既得権利益を侵害する危険因子だと、左遷されるから。
多川 日本は自分たちの意志だけでは国家の舵取りができない立ち位置にありますよね。つねにアメリカさんの国家戦略に従うしかないような(苦笑)だから、たとえば韓国のように国家破綻の危機を前に大胆な戦略転換を果たすようなことができにくい・・・。
宮台 簡単にいうと危機感がないということ。韓国は人口が少ないので、世界市場に自国の製品・文化、あらゆるものを輸出して外需で儲けるしか生きる道がない。韓国経済のGDPのうち、半分は外需、外貨の獲得です。日本の場合は外需依存率は17、8%と、増えたと言ってもまだ約2割程度。僕の関わっている映画批評の世界でもそうだし、広告、音楽、芸能、ファッション、国内市場向けにドメスティックに発信して回せばそれなりにお金が回収できる。そういう「とりあえず安心」なシステムがあると、「危機感」というのは持ちにくいよね。
多川 それは個人の意識の上でもそうかも。政府、企業、家庭というバックグラウンドがしっかりあればあるほど、危機感というものは希薄になる(苦笑)。
宮台 自分の仕事、生活、家族を自分で守るという意識を持つ人間は、自分が今、依存しているものとは何なのか、それらが機能しなくなった場合どうすべきかを常に考え、検証せざるえない。
多川 危機感を持つというのは実はまっとうな事実認識のやり方なんですね。決して「これからどうする?どうなる?」と不安になることではなく。何というか政府にしても国全体にしても、緊迫した危機感というものが見えにくい。それは善良な国民性ゆえなんでしょうか。
宮台 というより、自己中心性じゃないでしょうかね。子々孫々までこのプラットフォームは続かないとわかれば、もう少し切迫した考えに立てるはずなんですけど、そこが日本式「ことなかれ主義」なのか、俺が定年するまで沈まなければいいという発想。でも実際は沈みかけた船の中での座席争いをしているだけで、頭を使うのは「一番沈まないところに居続ける方法論」。
そして、そういうエゴイスティックな人間の船には、沈みゆく船に乗っていることすら気づかない、気づいたところでどうしようもないとあきらめている大勢の人間がいる。だからこそ、一人一人の心の習慣が変わらない限り、日本という船は方向転換できない。でもそれは、壊れた建物、橋、道路を修復する以上に困難な作業なのかもしれません。
撮影/編集部
009 社会学者 宮台真司さん Interview
第1回 なぜ日本は変われないのか 2011年7月15日更新
第2回 日本人が待ちわびるリーダーとは? 2011年7月29日更新
第3回 才能を育てられない、日本というシステム。 2011年8月12日更新
第4回 隙間に生きる人間力 2011年8月26日更新

ご意見・ご感想など、下記よりお気軽にお寄せ下さい。

コメントはまだありません

まだコメントはありません。よろしければひとことどうぞ!

現在、コメントフォームは閉鎖中です。

社会学者 宮台真司さん スペシャルインタビュー (第1回目)




みやだい・しんじ
1959年、宮城県生まれ。社会学者、評論家。首都大学東京教授。公共政策プラットフォーム研究評議員。東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了(社会学博士)。権力論、国家論、宗教論、性愛論、犯罪論、教育論、外交論、文化論などの分野で単著20冊以上、共著を含めると100冊以上著書がある。 最近の著作には『14歳からの社会学』『日本の難点』『原発社会からの離脱——自然エネルギーと共同体自治にむけて』など。キーワードは、全体性、ソーシャルデザイン、アーキテクチャ、根源的未規定性、など。

バックナンバー