編集部多川 |
宮台さんは子どもの頃から社会学者になろうと思っていたんですか?
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宮台 |
いや、全然思ってない。僕はテレビ局に入ってドキュメンタリー番組を作るか、映画の世界に入りたいと思ってました。それが大学4年の夏休みに、ちょっと恋愛問題でつまずいて就職活動ができず困っていたところ、ゼミの先生に大学院をすすめられて。「責任はもたないけどね」って。で、それもいいのかなと。
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多川 |
でも、ドキュメンタリー番組をつくりたいというのは、社会や世の中に対して何かしら思うところがあったということですよね。
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宮台 |
僕が中学当時、ちょうど寺山修司の天井桟敷や唐十郎の状況劇場、アバンギャルドジャズやフリージャズが流行っていて、その当時10代の自分には「表現による社会変革」がとてもリアルに感じられたんだよね。
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多川 |
70年代カルチャーをリアルに肌身で感じているというのは、憧れですね。
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宮台 |
僕の話でいえば、70年代の終わりに、どうやら世の中は僕らの思うように動いていないということを知って、挫折する。そこで僕の場合、アングラ・サブカル的な世界は終わりにして、これからは適当に楽しく生きようと。80年代ディスコブーム、ナンパ&コンパに学生起業ブーム、とりあえず自分は全部やってやろうと(苦笑)。
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多川 |
おいしいところを全部知ってるじゃないですか(笑)。
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宮台 |
10歳下の世代は、絶対そういうよね。いや、実際そうなんだけど。80年代のいわゆるバブル期、当時、僕たちの会社が赤坂にあって、六本木にある会社と連携して色んなイベントをプロデュースしたり。今にして思うと、クソみたいな時代でしたよ、はっきり言って。だから僕も偉そうなことを言えないんだけど(苦笑)、でもそういう時代の空騒ぎや空虚さを経験したからこそ、「援助交際」の取材をするようになったわけだし。
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多川 |
その、宮台さんの考え方や生き方に影響を与えた人というのはいるんですか? たとえば、お父さん、お祖父さんとか。
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宮台 |
父親じゃなく、叔父さんだね。僕の叔父はアメリカGEの極東支配人で、GEと言うと今では電化製品の会社で知られているけど、実は軍事企業で叔父はレーダーの設計者だったんです。で、その叔父の副業がカメラマンで、パンナム航空の広告写真を撮っていたりしてね。ひとりセスナ機に乗って、操縦桿を足でつかみながら、窓から乗り出して羊たちを撮影した話やセーシェルの海に潜って撮影したときのエピソードを聞きながら「大きくなったらこのおっさんみたいになりたい」って思いましたよ。
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多川 |
たぶん子どもが一番興味をそそられるのは、何をしているのかわからないけど楽しそうな大人だと思います(笑)。たぶん子どもだけじゃなく大人も、お金持ちとか地位とかではないところでワクワクしている人間に、それこそ感染するように思います。70〜80年代頃までは、親戚同士の集まりやネットワークが日常的にあったし、近所や町内のつながりも残っていたから、子どもにしたら親は嫌いでも、どこかしら逃げ場があったのかも。何というか、こぼれ落ちる隙間があったんですよね。でも、それが今はきっちり整えられてしまった感じ。
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宮台 |
そう、それが災難ですよね。僕らの世代までは隙間の世界で生きているから、いろんなものを見て体験している。学園闘争、大学紛争も、あれはあれで重要な経験ですね。平時にあたりまえだと思っていたことが簡単に覆ったり、平時に偉いと思っていたやつが、非常時にはまったく偉くないことが露呈されたり、傍若無人でどうしようもないと思っていたヤツが、実はすごく骨のある優しいヤツだったとか。そういう経験を通して広い意味での教育を受けたと思います。だから、原子力村から表に出て批判的な活動を続けている人間は僕の世代にはいるし、上の世代にもいる。だけど、下の世代にはいないと、よく言われます。なぜいないかというと、まずそういう反体制運動そのものを知らない。さらに、世の中の隙間に生きている人間を見たり、自分が隙間に入ってそこから外を眺めたときに何が見えるのかと自問自答する時間、機会、経験が何もないんですよ。
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多川 |
そういう経験を教育で行うことはできるのでしょうか?
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宮台 |
学校教育では難しいでしょうね。負ける体験とか、理不尽なことをうける体験とか、いじめられる体験とか、それ自体は悪いようにみえるけど「終わりよければすべて良し」で、最後に振り返ったときに笑えるかどうかが一番大切なことでしょ。ネガティブなことを全部スルーできる人生は、非常にヤバイ。人生、勝ち続けることはありえない。どんなにうまくいっていても、必ずどこかで負けが来る。だったら、小さいときに体験してるから大丈夫と言える方がいい。
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多川 |
それは本当にそうです。最後に笑えないのは、何よりキツイ(苦笑)。
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宮台 |
いい学校に入れば安心という親もいるみたいだけど、僕はまったく意味がわからない。この子が安心な状態かそうでないかなんて、毎日子どもを見ていればわかることでしょ。そう言う意味でも、無自覚に名門校、一流校、大企業というシステムに依存してるわけ。でもその安心って、システムが上手く回っていて初めて意味を持つもので、システムが破壊したら意味を持たないということを、僕たちはこの震災でまざまざと思い知らされた。これからどうやって生き延びられるか。それは国や行政に委ねる問題じゃなく、自立できる自治体、自立できる個人からやっていくしかないんです。
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2件のコメント
宮台真司の「負けること」についての発言は、沁みた。まさか、宮台氏のような順風満帆の人生としか見えないところから、このような発言が出てくるとは。少しおおげさに思われるかもしれないが、マザーテレサのような大変恵まれた幼少時代を過ごしたとこちらが勝手に思っている人が、なぜかその対極を沁みこむように感じるという矛盾に、なんか、はっとすることがある。人生は、バランスが取れていないように見えて、実は取れているのかなと思うこのごろである。いつか、氏と個人的に話をする機会をもてるようになりたいと思っている(笑い)。
みたいものだけを見ることをやめ、そこにあるがものを見てみよう。そこは一見秩序があるようで、その実は反対でもあるかもしれない不確定な要素が渦巻く。しかし、誰しもが間違いなく信じているもの、愛しているものは決して裏切らない筈だ。自らが信じる限りにおいて。
私は宮台真司氏の文章を何度か読んでいますが、彼が根底に置いている考えを私は上記のようなものであると思いました。私も機会があれば宮台真司氏とお話ししてみたいですね。
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