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精神科医 春日武彦さん スペシャルインタビュー (第4回)

第3回 精神の叫びをしずめる言葉。

編集部多川(編た) 素人の質問ですいません。統合失調症や精神分裂という病名はいわゆる症状のレベルなんですか? それとも並列的なバリエーションなんでしょうか?
春日 並列ですね。精神科の病名というのは300以上あるんだけれども、実際カルテに書くのは6種類ぐらい。つまりバリエーションは6種類程度なんです。ただし、「精神病はひとつ」という説もなくはないんですよ。精神医学の歴史をたどると「単一精神病」という説があり、それは精神病というのは一種類だけだと。ただし“深さ”が違うんだと。一番浅いのが「うつ」状態で、「うつ」の底が抜けると「躁」状態になる。さらにその底が抜けると幻覚妄想が出てきて、いよいよ本格的な「狂気」となる。それが本当かウソかは別にして、臨床の場で多くの患者を診てきた自分の経験や実感から、その説の信憑性は高いと感じます。
編た いわば深化していくというか、通常理解できる精神の次元からどんどん深まっていくわけですね。
春日 だって「うつ」になる人の気持ちはなんとなくわかるでしょ? そういう意味では、自分たちの精神と「つながってる」、地続きの感はある。ところが躁状態になると、こちらはただ立ち尽くすしかないような逸脱したテンションなんですね。そうなってくると、もはや自分の延長とは思えないですよ(苦笑)。
編集部魚見(編う) 底が抜けるという表現、すごいわかりやすいです。心が不安定な人も、肉体的な病気になると、精神の方が治るという話を聞いたことがあるんですけど…
春日 それはその通りですよ。僕が以前勤めていた病院に、精神の病に加えて身体的な病気になった人専門の「合併症病棟」があって、そこで診ていると肉体が病んでいるときは、精神科の薬はうんと減らせる。つまり、よくなるわけ。人間の優先順位では、やっぱり体の健康が一番なんですよ。命が危ないときに気が狂っているヒマなんかないと、エネルギーの配分が違ってくるんだよね。身体が衰弱すると精神の方は鎮まって治るけど、身体が元気になるとまた精神が活発になってわけのわからいことを言い出すみたいな(苦笑)。
編た 人の心を救うのは人でしかないというのは、そう信じたい自分がいるからそう思うのですが、先生の臨床経験から「通じ合えた」実感を持たれたことは?
春日 精神科の患者の中には、ひと言もしゃべってくれない方もいます。10年入院してても、ほとんど声を発したことがない人もいたり。で、しょうがないから、彼の隣に座ってただ一緒にいるだけの繰り返しだよね。そんなある日、ふと「何かやりたいことありますか?」って彼に訊ねると、思いがけず返事を返してくれて、「縄をないたい」って。こっちはあまりにも突然の言葉だったから何のことかわからなくて。「縄を依って、編んで、つくるのをやりたい」って。たぶんその人は、農家のせがれか何かで、病気になったもんだからろくに仕事もできず土間の端っこで縄をなうのが唯一自分にできる仕事だったんじゃないかと。そういう役割を与えられることでどうにか自分を保っていたけど、結局は病院に入れられて見捨てられたと。それはぼくが勝手に想像した彼の物語なんだけど、でも彼のその「縄をないたい」というひと言でばっとイメージが広がった。そこで、ほんの少しだけでも彼に近づけたような、心がつながったような気はしました。かける言葉ひとつで、思いがけない変化が起きるということは多々あります。
編た 人が発する言葉には、絶対隠れたシッポがある(苦笑)。「どうでもいい」ようなことを言ってても、心は「どうにかしてほしい」だったり。
春日 そう。実際に口から出る言葉の意味と、本心で思っていることは違うなんてこと、いくらでもあるわけです。精神科に入院となると、みんな「冗談じゃない」と拒みます。こちらも縛り付けて無理矢理連れて行くなんて手荒なことはできればしたくない。そうなると押し問答ですよね。でもそんな小競り合いを何時間もしているとお互い疲れてきて、こっちも「腹減ったなあ」とポロッと素が出たりする。そしたら相手も「うん」と思わず答えたりして。「じゃ、病室に行ってご飯を食べよう」と無事入院なんてことも結構あります(苦笑)。結局、口では入院したくないと言いながら心の奥では、このままだとやばいと切迫感を覚えている。でも認めたくない。おめおめと入院させられてなるものか、でも入院しないとどうなるのか・・・と、心のどこかで自分の思いと言葉が一致する「きっかけ」を探しているんですよね。
編た 頭に血が上って、感情的にいきり立ってるときほど、まったく関係のない言葉にさーっと神経が静まったりします。「あ、もうこんな時間」とか「あれ、雨降ってきた」とか、心の勢いとはまったく別の次元の“のほほん”とした言葉に、アホらしくなってふっとおさまるみたいな(苦笑)。
春日 思わぬことで全然違う展開が生まれるというのは言葉のなせる技でしょうね。精神科医が使うのは、薬と言葉と言ってもいいほど、言葉が重要な役割を果たすものです。人が通い合う言葉というのは、得てして難しい言葉じゃなく、ものすごくありふれたつまんない言葉なんじゃないかな。ささやかなことに幸せを感じるのと同じで、ね。
編た たとえば、永山則夫死刑囚の「無知の涙」じゃないですけど、言葉や文字を知らないがゆえに、自分の思いを外に出せない。あるいは「この気持ち、この感情が何なのか」ということを自分で考える術が持てないというのは暗黒の闇を生きているような苦しさだと思うんです。言葉がないと、誰のこともわからないから、誰にもわかられない。
春日 まさに不幸ですよね。
編た そんな無言地獄に陥ったら、自分もおかしくなると思います。
春日 そういう話でいうと、ぼくは小さいときに幸せな言葉の体験をした記憶があって。昭和30年頃、ぼくがまだ小学1年くらいのとき、日本テレビで『国際ニュース』という番組に夢中でね。米軍の新しいジェット戦闘機が開発されたとか、スイス軍の最新鋭装甲車がスゴイとか、早い話がミリタリー最前線なわけ。それで、そのとき僕とよく遊んでくれていた小学校6年のませたやつに、その番組がいかに素晴らしい番組かを、知り得る言葉を総動員して伝えたわけ。でも、ボキャブラリーの乏しい小学生のガキだから、どうもうまく伝えられず悔しくてさ。そしたらそいつがひと言、「わかるよ。何しろあの番組は飛行機的だからね」という言い方をしたの。今の自分にすれば何てことない言葉だけど、そのときのぼくにしたら、響きまくり、轟きまくり、まさにわが意を得たりの心境(笑)。つまり、そのときぼくは自分の言いたいことが伝わる快感というのを知ったんだよね。そして、言い方を工夫すれば伝わる可能性があるということを。
編た 言い方ひとつに執念を燃やせるかどうかは、言いようによっては伝わる可能性を信じられるかどうか。わからないやつもいるけど、わかってくれるやつもいると、人の言葉に心が轟くような実体験は大切ですね(苦笑)。
春日 言葉は、思いの近似値でしかなくて、ジャストミートなんてことはないからね。思いの値と言葉の意味を何とかすり合わせる作業が、結局は言葉を鍛えることになるんじゃないかな。究極のボキャ貧になると、人生のすべて「カワイイ」でまかなえるから(笑)。
編う 言葉でうまく表現できない人のほうが、損をしてしまうということ?
春日 何をしても、人に対しても、つねに不満感や不全感が残るよね。言葉を使うというのは、今自分が見たもの、感じたこと、思っていることをどれだけ人に説明したいと思えるか。つまり人に対する並々ならぬ興味、好奇心。
編た 本や小説や映画を観て、言葉の感性を鍛えるというのはもちろん大事だけど、その人が、必死に言葉を拾い集めて、かき集めて、胸の底をかきむしって掘り起こしてでも伝えたい欲求みたいなものがいちばん重要じゃないかと。何をそんなにわかってほしいねん!みたいな。
春日 説明欲望だよね。ぼくも、かなり説明欲望の強い人間だから(苦笑)。たとえば自分が強烈に心を揺さぶられる写真、音楽、小説、風景に出会ったときに、「すごい」と思う。すると、それの何がすごいのか、それがどれほどすごいかということを言葉にしないではいられないわけ。単に「すごい、よかった」だけでは、絶対にいやだよね。
編う ブログやツイッターがこれだけ広まるということは、自分の言葉を発したい人が多いということなんでしょうね。
春日 う〜ん、だけど、なかなか滴るような言葉というのはないよね。全体的に薄い感じがするけど。
編た 精神の専門家である先生の感触として、一昔前の昭和と平成の今とで、何か違いを感じられることはありますか?
春日 ありますね。これはよく言われることだけど、昔は病気の症状というか現れ方にメリハリがあった。たとえば統合失調症だと「天皇陛下が電波に乗って頭の中に降りてきた」とか、根本敬が描くような特殊妄想スペクタクルの世界(苦笑)。でも、最近はどうもぼんやりと、はっきりしない感じでしょうか。不謹慎な言い方ですが、なんとなく生ぬるい感じ。
編た 昭和の頃は、狂い方も濃厚で凄まじかったと(苦笑)。でも平成の今の方が患者の絶対数は増えている。ということは、全体数が増えた分、一人当たりの狂気の濃度は薄らいだと…
春日 見方によってはマイルドになったということでしょうね。人間界の「狂い」の濃度は変わらないけど、母数が増えた分、分散したと言えるかもしれません(苦笑)。それだけ、正気と狂気の見極めが困難になったのは確かですから。


撮影/岡崎健志
007 精神科医 春日武彦さん Interview
第1回 堕ちてこその優越感とは。 2011年3月20日更新
第2回 家庭に潜む狂気、本能というまやかし。 2011年3月27日更新
第3回 精神科医による妥協的幸福の処方箋。 2011年4月3日更新
第4回 精神の叫びをしずめる言葉。 2011年4月10日更新

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4件のコメント

春日先生の著作を読み、人間の心の奥に潜む判然としない気持ちを分かりやすく説明されており大変参考になっております。職場や近隣住民の中に隠れた自己主張をする人間や、明るい空の下でする健全な自己主張を苦手とする人間がバブル期より増えてきているのではないかと感じるのです。自分の中の不満の解消の納得できる方法を自分の力で見つけられない、そして周りの人々に当たり散らすことで、なんとなく不満解消したような気持ちになる、といった周囲に迷惑を及ぼす行動を平然と行うことが多くなったような気がします。日本人の伝統的な思考や判断の基準が、海外の文化が容易く入り込むことによって、曲げられてきているような気がいたします。日本人の慎み深さや控えめな考え方が海外の文化に侵食されているような気がいたします。自国の文化の良さを認識してほしいと考えております。

by 精神科医希望だった建築家 - 2012/04/26 1:45 PM

面白い

by 匿名 - 2013/02/13 9:37 AM

様子を見ましょう、死が訪れるまで
本日読みまして。
この人に話を聞いてもらいたい衝動にかられました。
自分の事なんて何もわからないのに、分かった風で、だからしょうがないなんて諦めたり、でも実はちょっと人とは違った何かが有るんじゃないかなんて自惚れてみたり、数字だけ追い求めて見た目だったりを追い求めて愛されたいなんて思ったり。確かに普通の人の行動が分からなくて、普通の人はどうなんだろうって思う時点で少しずれているのだろうか?と思う。無意識に行動すると、あまりにも人とずれていて怖くなる。普通って何なのかって最後には思う。過食だったり嘔吐だったり少し病んでいる自覚はありますが、自分で思うほどには深刻じゃないんじゃないかな。誰しもことさら自分は可哀想だし、哀れで可愛いのだと思う。思考がセメント並に硬い。固定概念の塊。柔軟な発想に出会うと仰天する。ほんの少しの発想の転換すらできない。こんな自分の話もうなずいて聞いてくれそうだと思った。

by 非性愛者 - 2014/06/28 6:49 PM

今回のお話で溜飲が下がる思いをしました。

わたしは至高のボキャ富の上、過度な説明欲求があるんだと。
しかし40に手が届こうという今も、物ごころついた頃から持つ場面緘黙は変わらない。

それ故伝えられず苦しんでしまうのか、故にボキャ富で説明欲求が過剰になったのかは、自分には判断が付きませんが、きっとどちらかかどちらもであるのだろうと思います。

そして人への興味・好奇心のお話。
診察室で主治医にそんなに緊張しないで人間観察でもしてみたら、というようなことを言われたときにわたしが返したのは、ぜんぜん興味ない、の一言だったことをふと思いだしました。もしかしたら、というよりほとんど確実に、わたしが心底で思っていることとは真逆を答えたのだろうことに気がつきました。

人にまったく興味を持たない人間が、対人恐怖なり緘黙なりを持っていて持ち続けているなんて考えにくいです。対人恐怖の診断についてはまだ疑問のあるところですが、少なくとも”初対面恐怖”ではあると思います。

ふうぅ、となんだか説明欲求が満たされた気分です。
診察場面では毎回バリバリ緘黙状態になるので、こんなお話をしたことはありまでん。

緘黙の苦しさはそれとして、伝えたいことを言語化できる・口ではなかなかむつかしくとも書いたり描いたりできる、ということがわたしにとってはある意味での幸せを感じるための手段なのでしょう。

口にできないことが多かったために、脳に適当でかつ必要な回路ができてそのような手段が身についたのか、ただ書く描くするしかなかったために特化したのか、継続が形になったのか、などと正に先ほどまで考えていたので、とてもタイムリーで興味深く・面白く読みました。

ありがとうございます。

by 墨子 - 2016/09/04 1:44 AM

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精神科医 春日武彦さん スペシャルインタビュー (第4回)






かすが・たけひこ
1951年京都生まれ。日本医科大学卒業。医学博士。産婦人科医を経て精神科医に。都立中部総合精神保健福祉センター、都立松沢病院部長、都立墨東病院精神科部長などを経て、現在成仁病院に勤務。著書に『不幸になるたがる人たち』(文春新書)、『幸福論』(講談社現代新書)、『精神科医は腹の底で何を考えているか』(幻冬舎新書)、『臨床の詩学』(医学書院)など多数。

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